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Posted by チェスト at

さよなら鹿児島、ただいまシアトル

2013年09月21日

鹿児島最終日。
妹が連れて行ってくれた城山展望台より、市内を見下ろす。



抜ける青空にそびえ立つ、雄々しい桜島。


中央駅前の「若き薩摩の群像」

(今でもつい「西駅」って言ってしまう...苦笑)


今回もラーメンだけは外さなかった。
「でこんちけもん(大根の漬け物)」が一緒に出てくるのが
鹿児島なり。

東京で始めてラーメンを食べた時、どうして大根の漬け物が出てこないのだろうと不思議に思ったものだ。




今回の帰国は、家族と時間を過ごすことが主な目的だったが
それでも一度だけ一人で映画を見に行った。
発券も機械化されてて席も指定で、え〜!とビックリ。


この日は「レディスデー(水曜日)」とやらで1000円なり。
昔は
「日本の映画は高い!!」というイメージがあったが、今ではアメリカとさほど変わらない。
この20年余り、映画館の入場料って変わっていないのではないかな?

映画が終わった後、一杯飲みに立ち寄った居酒屋。(サラリーマンのおじさんみたい?)


今回の帰国で何よりの買い物だったのが
写真左手にある「Kindle」(電子書籍リーダー)

アメリカのAmazonに比べると、日本のAmazonの電子書籍はまだまだ選択肢が少ないが
それでもこれで今までよりずっと日本の書籍が手に入りやすくなる。









故郷での時間はあっという間に過ぎ去った。



シアトルに戻って既に4日。

前回お話した「あれって夢だったのでは?」という不思議感覚をすでに味わっている。



シアトルの自宅は、私が日本へ発ったその日と何ら変わっていなかった。

唯一変わっていたのは 窓から見える色合い。




秋になっていた。






言わなくても 分かってくれているはずだ。


そう期待してしまう気持ちは

「以心伝心」という文化で育ったせいなのか、
なかなか抜けない。



でも今回の帰国で
長年、無沙汰をしていた人達を訪れてみて

言葉で伝えることの大切さを再確認した。

実際会う事は叶わなくても、10数年ぶりにお電話でお話できた人もいた。


私は自分のことを深く恥じている部分があり
「申し訳なくて顔向けできない」という思いから、心の中でずっと気になっていながら
長く遠のいてしまった方々が何人かいた。


先日たずねた古い友人のご両親も、そうした人たちだった。


だが「恥ずかしい」という思いを理由に遠ざかるのは、自分本位なのだと。

友人の両親を例にとれば
こちらが申し訳ないと思うことより

私が今でもお二人の息子を大切な友達だと思っていると

そう伝えることのほうが
ずっと大切なのだと


年を経たせいだろうか。ようやく理解できるようになったのである。


「遅かった」と後悔せずにすんでよかった。



自分が40代半ばなので当たり前なのだが
かつて私の人生にいてくれた多くの人達は
どんどんお年を召している。
自分の両親もしかり。


大切に思っている気持ちは、ためらわず伝えてゆこう。




と、たった今 相方から写メが届く。

どうやらご帰宅のようだ。

"今から帰るよ。駐車場に歩いていったら車のそばに可愛いバニーがいたぞ!
I will see you soon. Love you."




馴染んだ
こんなやり取りのある日常に戻ってきた。
この人にもためらわず伝えていこう。


そろそろ8時だ。

さて朝食の準備にとりかかるとするか。






  
Posted by レニア at 00:15Comments(8)ふるさと

ここにいる自分

2013年09月15日

朝起きて、ご先祖様と神様に
今日も一日よろしくお願いしますとご挨拶。

一日の終わりには
無事に過ごせました、ありがとうございますとお礼を言う日常。

いいな。

シアトルの自宅にも畳のお部屋と神棚が欲しいなあ、なんて思ってしまう。




学生の頃好きでよく飲んでいたカフェラテ。

ロゴに使われている山がどこにあるのかも知らずに飲んでいた若かりし頃。
まさかその山がある街にいずれ自分が暮らすことになろうとは
当時は想像だにせず。


今では種類もグン〜と増えてて、うゎ〜〜。。。とコンビニで目移りしてしまった。


鹿児島にいる間にこれだけは食べなくちゃ!と思っていた白熊アイス。
懐かしい。。。今でもホッとする味。



鹿児島のパワースポット 霧島神宮(きりしまじんぐう)


いっぽ足を踏み入れると、空気がガラリと変わります。




天照大神(アマテラスオオミカミ)の孫にあたる瓊々杵尊(ニニギノミコト)が
民の食物とするために稲穂を持参して
天から降りてきたという(天孫降臨 てんそんこうりん)

そのニニギノミコトを祭る神社。

かの坂本龍馬が、妻おりょうと
新婚旅行で訪れたことでも有名だ。





境内にあった、樹齢800年の御神木は


坂本龍馬がここに立った、そのずっと以前から
ここに居て
人間の営みを見続けてきたのだろうなあ。






帰国して、あっという間に2週間以上が過ぎ去った。

いったんこの地に降り立つと

言葉も、感覚も

瞬時に「鹿児島にいる私」に戻る。本当に驚くほど瞬時に。



そして2週間も経った今では、アメリカにいてあちらで家庭を持ち仕事をして生活している自分のほうが
うそっぽい(?)というか
なんだか信じられない、という感覚さえわいてくる。

この不思議感覚は、帰省するたびにいつも味わう。

そして再びシアトルに戻れば、
日本に帰っていた自分のことを

「なんだか、あれって夢だったかも...」なんて思えてきたりするのだ。





今回の帰省の目的は、兎にも角にも「家族」

家族と何気なく過ごす日常
それをメインに帰ってきた。


なので出来るだけ外出する予定を入れずに帰国したのだが、






そんな中でも、今回の帰省中に
どうしても会いに行きたい人がいた。


そのうちの一人が、大学時代の古い友人


突然の、不慮の事故で
22歳の若さで逝ってしまった友だった。



久しぶりだねえ。。。どうしてるけ?

と墓石の前で語りかけた。

もう、あんたの倍も生きてしまったよ と。


今の世の中を、そして私の生き様を
お空の上から眺めてどう思っているだろう。

私の今まで犯した過ちも、つまづきも、未熟さも、失敗も
きっと全部見ていて 知っていることだろう。

「まこて(まったくもう)そげんこっでどうすっと。(そんなことでどうするの)
しっかぃせんね!!(しっかりしなさい)」
 

なんて

叱られるかもなあ。。。




いっぱいいっぱいだったよ。あんなでも、自分なりにベストを尽くしてきた結果だったんだ。
こんな私でも見捨てずに、これからも見守っていてよ。。。


心の中の古い友に向かって、さんざん言い訳を並べながら
しばらく墓石の前に立っていた。

じっと立っているだけで、汗がジワッと吹き出てきて
背中を首元を、つーっと流れてゆくのを感じる

残暑の厳しい9月の午後だった。





彼のご両親に挨拶に伺ったのも、何年ぶりだったろうか。

無精をした私を、それはそれはあたたかく迎えて下さった。

おじさんは体調が芳しくなくもう外を出歩くこともままならず
病院通いをされているとのこと。
ばっとお会いした瞬間「ああ、お年を召されたな」と感じた。


このご夫婦は、息子を亡くした後の時間を
もう22年も生きてこられた。

それがどんな時間だったのか



私には想像することも出来ない。





お二人の笑顔を見られたことが、本当に心から
嬉しかった。
今回の帰国の何よりの土産になった。





またシアトルに戻っても、がんばろう。






故郷に戻ることで、大昔の自分に久方ぶりに会えたような気もしていて

思い出したくないこともたくさんあるけれど

ここにいる私も私
あちらにいる私も私

未だ生かされている自分を
謙虚に受けとめて、だけどしっかり見据えて

理解していこう。ひとつひとつ。


分からないことだらけなんだけど
投げ出さず
ひとつひとつ。


そんなことを折に触れて強く感じた里帰りだった。







日本での時間も、あと2日。









  
Posted by レニア at 00:47Comments(9)ふるさと

鹿児島に帰りたい

2013年06月12日

同僚の先生に、同年代の日本人女性で
アメリカに移住してきて、まだ4年という方がいる。

20代、30代という時間を、日本国内で日本語講師として過ごしてきた方だ。

その人と先日おしゃべりをしていて
日本の社会で、社会人として機能してゆくためには何が不可欠か

つまり

日本の職場ではどういったことで揉めるのか、それにはどう対処するべきなのか、
加えて自分にとって働き易い環境を作り上げてゆくには、どういった人とどういうふうに付き合って、何を(特に女性として)言ってはいけないのか、してはいけないのか...等々のお話を伺った。

聞いていて

非常に、興味深く


そしておそらく自分は もう日本という社会では上手く機能しないだろうなという
漠然とした淋しさも覚えた。







アメリカ人の夫には いつも

「君は、骨の髄までめちゃめちゃ日本人」 と言われ

「そのままでいい、変わることはない。アメリカ人になることはない。日本人でいなさい」 と言ってもらい、

私も日本人を辞める気はさらさらないので、在米20年経った今でも市民権すら取得していないという有様で (なのでこんなに税金を払っているのも関わらず、私には選挙権が無い)

今でも日本のパスポートを持ち、日本人として日本に入国する。



でも、たまに日本に帰ると
なんというか、自分が浮いてるなあ〜と感じることがある。


それもそのはず、私の中の日本人は20年前のままで止まっていて
その間、母国は
人もふくめ、言葉もふくめ、慣習もふくめ、様々な面で変化してきたのである。

そこに暮らしていなかった私は、その変化と共に生きてこなかったのである。



アメリカに何年暮らそうと、もちろん「アメリカ人」になどなれず
日本に帰っても、なんとなく「そこにそぐわない感」のある自分。

そんな宙ぶらりんな感覚を味わうようになったのは、在米10年を過ぎた頃からだろうか。


今でもよく覚えているのは、ちょうどその頃(2003年ごろ)
帰国して大阪でタクシーに乗ったとき
運転手さんと普通に楽しくおしゃべりしていて(少なくとも私はそのつもりでいて)

降りるときになって

「お客さん、もしかして海外に住んでる人?」 と言われたことがあったこと。

(会話の中では「出身は鹿児島です」としか、言ってなかったのだが)


えっ、何でですか??? と驚いて聞いたら

ん〜、なんとなく雰囲気からそうかなあと思って...、とだけ。


雰囲気......



そう、この「雰囲気から」というのが、ミソなのだ。


たぶん自分では気付かないうちに、運転手さんとのおしゃべりの最中に
私がなにかズケズケとした物言いをしたか、配慮の足りないことをしたか
全くとんちんかんなことを口にしたか...

いずれにせよ、何かしでかしたのだと思う。

(今でも何をしでかしたのか、全く分かっていない)





自分ではコントロールできない、この「雰囲気」というやつ。


これは、そこに住む者同士が
日々同じ空気を吸い、その時市場に出回っている同じものを食べ
テレビで同じニュースを見て
同じ話題で言葉を交わし、盛り上がったり、はたまた心を痛めたり、、、
そうやって「その時」を共にすることで、自然と培われるものなのだと思う。

なのでそうした時間を共有しなかった者には、どうしたって醸し出せない「空気」みたいなものなのだと思う。


そうした「時間」を20年もの長いあいだ共有してこなかった私は、
完全なるアウトサイダー(外れ者)である。





それでも 故郷に 帰りたい。



家族が元気でいてくれている間は、どうしたって帰りたい。


そろそろ日本に居た年数より、アメリカにいる年数のほうが長くなりつつある私だが
それでも日本は自分のルーツなのである。
帰ると、つながってホッとする。

シアトルにいると殆ど話すことのない「かごんま弁」が
鹿児島空港に降り立った途端、スラスラと口から滑るように出て来る。
数年しゃべっていなくても、まるで昨日までしゃべっていたかのように出てくる。

そんな自分とつながると、理屈抜きに 嬉しい。

そして、「ああ、まだいたか...」と安堵する。


ちょっと考えてみる。これが逆のケースだったら? 
例えば英語を数年話さない状況にあった自分がアメリカに戻るとする。
戻った時点で「すぐにスラスラ〜」といくだろうか? いかないと思うのだ。


それほど、母語というのは
自分の中に根深く生き続けている。







この夏は、是が非でも帰りたい。


そう強く思った時点(2月)で、既に大学の夏のスケジュールまで決まってしまっていたため(夏期講習を教えることになっていた)
帰国はどうやら9月ごろまで叶いそうにないのだが
どうにかして帰ろうと思っている。

夫はその頃はどうしてもバケーションが取れないので、今回は一人で帰らざるを得ないが

「行っておいで」と言ってくれるその言葉に甘えて、一人きりで帰省させてもらおうと思っている。


「クレイジー」だった今学期もやっと終わりが見えてきて、ようやく綿密な計画にとりかかる時間的余裕ができてきたところだ。






日本でドラマ制作のお仕事に携わっているお友達、floorさんが
ご自身の関わった作品 母。わが子へ というドラマのDVDを先日わざわざ送ってきて下さった。

母親と息子がテーマの作品。
親としての視点から、そして子供としての視点から
どちらの立場からも「だから家族なんだよ」を温かく教えてくれるような、心に深く残る作品だった。


ドラマの中で母親役だった八千草薫さんの、こういうセリフがあった。


故郷ってね、人なのよ。



そう、会いたい人がいるところが、ふるさと。

会いたい人がいるから、帰ろうと思う。


何となく浮いてるんだなあ〜と感じても、帰りたいと思う。




今から何十年もの時間が経って、そうした人たちがみんな居なくなってしまったら


ふるさとに帰る理由は、なくなってしまうかもしれない。
もう帰れなくなってしまうかもしれない。


会いに帰りたいと思う人が、
まだ生きてこの世にいてくれている。


そのことを、決して「当たり前」とは思うまい。



まだこの世にいてくれている。


だから、帰ろう。

会いに帰ろう。




  
Posted by レニア at 15:44Comments(16)ふるさと

いてくれてありがとう

2013年02月08日

こちらの記事は、「シアトル日記」新サイトに移しました。












  
Posted by レニア at 17:41Comments(4)ふるさと

日本からシアトルまで

2012年07月17日

今月25日から、全日空が

「成田ーシアトル」 の直行便を飛ばすと聞いて

いくらぐらいなのかな〜〜

と、興味本位でウェブサイトを覗いてみたら。。。


うひょ〜、9月でも こんなにするんだ!






平日の安い便でも、¥219,180(往復) ですか。。。



しかも、この便は成田止まり。

私の場合はそこから鹿児島へ移動しなければならない。
(つまり、これプラス国内線の旅費がかかる)




去年、夫と9月に帰国したときは
シアトルから鹿児島まで、全ての空路を含めて

ひとり、1500ドルぐらいだった覚えがあるんだけどなあ〜。


日本ーシアトル の往復は

日本で買うより、シアトルで買ったほうが安いのかもしれないな。



いずれにせよ、気軽に帰れるお値段ではございませんね。。。困ったな




故郷は遠きにありて思ふもの。。。





去年、帰省したときに
妹が連れていってくれた、彼女お気に入りの場所。

開聞岳が一望できる、すばらしいロケーションだった。




「ウォ〜〜、That's soo gorgeous!!」  


相方も 「あ!何か動いた!何かいるよ!」と、散策に夢中。

子供のようだった。













我が美しき故郷、かごしま。

昨日の夜、ちょっと夢を見たので

恋しくなってしまったかな。。。






来年は、帰れるといいな。






  
Posted by レニア at 12:14Comments(8)ふるさと

日本の家族の思いやり

2011年12月30日

鹿児島から、荷物が届きました。



日本からの荷物を開けるときは
宝箱を開けるかのような、ワクワク感。。。キラキラ


渡米してかれこれ18年。
そのあいだ、日本の家族は
耐えることなくこうして私に荷物を送り続けてくれる。

荷造りをして、郵便局で郵送手続きをしてくれるのは妹。

私が日本を離れたときはまだ独身の娘さんだった彼女も
今では二児の母になり
フルタイムで働きながら、さぞ忙しいだろうに
この重い箱をえっさえっさと郵便局まで運んでくれたんだと思うと
それだけで 私にとってはスペシャルなことなのです。



父が選んで入れてくれたという雑誌



やったー、お餅だ〜! お正月に食べよう〜 食事




これ、何だろう〜?
なんかよく分からないけど、おいしそー ラヴ



そして妹からの クリスマスプレゼント 音符

これで新学期から、通勤の車中での楽しみができた。



この他にも
部屋履きスリッパやら、お茶漬けのもとやら、自家製梅酒やら
マイケルが大好きな「無印」のタイカレーの素やら (笑)
本当にいろいろな物が入っていた。


いつもいつも、ありがとう。
幸せです。

贈り物といっしょに入っていた、真心をかみしめながら
大事にいただきます。






  
Posted by レニア at 18:29Comments(4)ふるさと

帰省 2011 ... 灰のふる日

2011年11月04日

灰がめっちゃ降った、ある日

ぶらり、おでかけ



中央駅アミュプラザ




夫:あれ、何してるの〜?


ちょうど何かの物産展をしてました


ランチに立ち寄ったレストラン街で、入ってみたステーキ屋さん

そのステーキの、
まあ〜〜〜 美味しいこと!!!

夫:こんなとろけるステーキ、食べたことない!


ドラえもん、いたく感動。。。

それもそのはず。 鹿児島黒毛和牛 のステーキでした 食事


さすが、食のレベルがめちゃめちゃ高い 日本 日本国旗
こんな高品質ビーフ
アメリカではなかなかお目にかかれません。



お腹いっぱい、ハッピーになったところで...




夫:あ!Ferris Wheelがある!乗ろう!

私:え〜、だってこんな灰が降ってるのに、
  なんも見えんよ、きっとー





聞く耳もたない、ドラえもん





アミュの観覧車に乗るのは、私もこの時が初めて。

たまたま「シースルー」ってのが来たので、それに乗った。

おお〜、足元まで丸見え。。。上がる上がる。ちょっと怖かったりして。。。



夫:うわ〜〜、桜島だ! でも、すごい灰だ!!

うん、ホントすごい灰。
もろ、こっちに来てるねえ。

灰が降ってなかったら
最高の眺めだったろうに




 

帰りの車中にて

夫:あれ? なにか銅像が立ってるよ。



夫:あれ、なに? あれ、誰?



私:えーとね、えーとね、
  ごめん、今ちょっと話しかけないで!
 (運転中)
    右と左 間違える!!


夫:え〜、あれさ〜、なんかさ〜、雰囲気がさ〜



私:なに!?


夫:なんかさ〜...

 


  パパさんに 似てるよね〜






鹿児島の偉人だが

はたして



褒めことばに なるだろうか。。。




 

   ***** おまけ *****


「セブンイレブン」 とうとう鹿児島にも進出ですか!? 



  
Posted by レニア at 12:10Comments(4)ふるさと

帰郷 2011 ... ラーメン

2011年10月30日

日本に帰るとなれば、もちろん 

これは ラーメン 外せません。




まずは 鹿児島に帰りつくまで待ちきれず
東京の品川駅まえで食べたラーメン。

「博多ラーメン」という看板で、なかなかのとんこつスープでした。


でもお昼どきだったため、周りは見事にサラリーマンだらけ。
なんだか とっても場違いなうちら...



そして鹿児島で


「ざぼんらーめん」

これこれ、食べ慣れた 鹿児島らーめんの味!
うぅ〜〜 うまい。たまらん。



そして、家族で出かけた「十八番らーめん」



姪っ子が頼んだ、塩ラーメン

こちらは 味噌ラーメン


夫が頼んだ、担々麺


完食。。。



私はやっぱり オーソドックスな「フツーのラーメン」が一番好きかな。



この日は かなり灰も降ってる暑い日で
汗をかきかき 食べました






そして

今回おじゃました、ちぇすとブログ友

「Area51さん」のお店



鹿児島では珍しい、あっさり魚介系スープ! 

夫はこちら ↓


私は つけ麺をいただきました。↓

と〜っても美味しかった!


うきうきハッピー♪
「左ぎっちょ」の夫

もちろん、ぺろり完食。。。


Area51さんは 大の野球ファンで
お店には色んな選手のユニフォームが、、、サイン入りで!


夫は Area51さんと
メジャーリーグ そして 日本のプロ野球の話で
エライ盛り上がっておりました。

Area51さん、こと野球に関しては
く、く、詳しい。。。
詳しすぎて
つ、通訳できない(笑)

お仕事中に お邪魔しましたー。
美味しいラーメン、ごちそうさま〜〜
また寄らせてくださいね〜〜



そして、明日はシアトルへ帰るぞ!という 
その前日
博多にいた私たち

まだ食べるか、ラーメン。。。


博多駅内にある 「博多一幸舎」


「ラーメン、まだかなあ。。。」

キッチンを興味深くながめながら、
辛抱づよくラーメンを待つ の図。 笑


かなりの「こってり」スープでした。
夫が頼んだラーメン


私は一応「あっさり」を注文したのだけど、それでもこんな感じ



これだけ食べて、うちのドラえもん

時間があったら 成田でもラーメン食べたい ラーメン

...と のたもうた。


あいにく
成田では ラーメン食べてる時間はありませんでした。。。(ラッキー えーっと・・・



もう しばらくラーメンはいいわ!

と思ってた私ですが

シアトルに戻って 一ヶ月ちょっと

既に、日本のラーメンが恋しい今日このごろです。







  

Posted by レニア at 17:06Comments(6)ふるさと

帰郷 2011 ... 母校

2011年10月23日

ドラえもん(夫)が

夫:君が通った高校を まだ見たことがない!

と言うので、

たぶん中には入れないと思うけどなあ〜と思いながら
一応連れて行きました。





この時点で 平日の午後3時ぐらい。
たぶんまだ授業中だったのではないかな。


「許可無く学校内への立ち入りを禁止します」

と、ありますね〜。

はい、やっぱり入れませんでした。。。


懐かしの母校は、中学部もできていて
なんだかとっても立派になってました。



教室とか、職員室とか

ちょっと覗いてみたい気持ちもありましたが。。。




高校時代は、私にとって ちょっと暗い時代でした。

当時の私はとにかく
自分の何もかもが嫌いでした。

今、思い返すと

ただの「甘ちゃん」だっただけなのですが 


まあ、思春期特有の思い込みと申しましょうか

その後の人生で体験したことと比較すると

高校時代の私はホント、ただの「甘ちゃん」以外の何者でもなかったのですが 


その頃は、せいぜい16年、17年しか生きておりませんでしたので
自分の ものすごーく狭い世界の中でしか物事を判断できず
その ものすごーく狭い世界の中で
自分勝手に 物事決めつけたり、悲観的になったり、嘆いたり。。。

まあ、

「来月のお家賃をどうやって払っていこう」 とか
「明日から、どうやって生きていこう」 とか

そういうことを心配せずにすんでいたため

それ以外の余計なことに 思いを巡らすほど時間に恵まれていた。。。

つまりは、

暇だった

ということですな



そんな
しょーもない私でも

高校時代は 素晴らしい友に恵まれました


そのひとりが ここ「ちぇすと」のブログでも親しくさせてもらってる

樹さん  

でございます。


樹さんとは 高2、高3と
2年間にわたってクラスメートでした。

小さいお顔にサラサラのボブヘア
くりくりお目めがいつもキラキラキラキラキラキラしてて
樹ちゃんは本当に可愛くて
しかも その優しくて気さくな性格でいつも皆の人気者
となりの「男クラ(男子クラス)」の男の子とも 気楽に話してるし

私はいつも遠目に 「いいなあ〜〜〜」と 羨ましく思ったものです。


その 樹ちゃん

高校時代は「いつもベッタリ!」というわけでもなかったのですが

ありがたいことに 年を重ねるごとに 
より深いお友達になれている気がします。




今回も 一緒に高校の恩師を訪ねたのでした。



まん中にいるメガネをかけた女性が
2年間にわたって うちらの担任だった先生。

今回 お宅にお邪魔したら 当時の写真がいっぱい詰まったアルバムを
見せてくれました。



アルバム2冊分に 私たちのクラスの

体育祭
文化祭
卒業式

その他の写真がいっぱいいっぱい 詰まっていて

それを見ながら 樹ちゃんがポツリ...

「私たちって こんなに愛されてたんだねえ...」

本当に そのとおり
しみじみ2人 顔を見合わせました。


これも 若さ故の無知ですよね。

若いときは

自分たちが どれだけ周りの人たちに思われ
どれだけ周りの人たちによって日々生かされているのか
それが全く認識できず
あたかも自分1人の力で生きているような錯覚さえ覚えることがあります。


それが分かっただけでも
年を取るのはいいものだなと 思います。


それにしても、卒業して20年以上経った今も
こうして高校時代の恩師、友人とつながっていることを 夫は

すごい

と言います。


私の恩師も 当時は「学校でのお母さん」みたいな存在だったけど
(ちなみにこの先生は 私の母と同い年)

教師にそういうイメージを持つというのも
日本特有のものなのかもしれませんね。


  
タグ :玉龍高校

Posted by レニア at 17:18Comments(4)ふるさと

帰郷 2011... 知覧

2011年10月17日

今回の帰国の目玉でした。


知覧「特攻平和会館」



妹が仕事を休んで、つき合ってくれました。
(自分で運転して行ったら、おそらく迷子になってただろう)


我が子を特攻隊員として送った、母の像。
この像の前に立っただけで、祈念館に入るまえから涙が出てきました。



館内に入ると、まずこの絵が目に入りました。

(館内はカメラ撮影禁止だったので、これはサイトから拝借したもの)


撃沈する戦闘機から、特攻隊員を抱き上げて昇天させる天女の絵
夫とふたり、しばらく立ち止まって見入りました。



平和会館に到着するまでは

見た目「アメリカ人バレバレ」の夫を連れていって 大丈夫だろうかと
一抹の不安もあったけれど
http://hanayu0413.chesuto.jp/e649853.html

奇異の目でみる人など、1人もおらず (ホッ...)


あいにく、この日は彼以外に外国からのお客さんは見かけなかったけれど
海外からの参館者も多いようで

ちゃんと英語での案内器(イヤホン付き)も 
貸し出してくれました

夫は
壁一面に並んだ 特攻隊員のお顔を見上げながら
その人たちにまつわるストーリーを
熱心に英語で聞いていました。

その横顔を見ながら

何を考えているのだろう。大丈夫かなと

ちょっと心配になったりして。


「大丈夫?」と聞いてみたら

一言ぽつり

夫:They are all so young...


ホントに
まだ あどけなさの残る特攻隊員のお顔も
いくつもいくつもあった。



この日は修学旅行の団体さんも多く、
その度に館の方が 生徒たちに向けて詳しく説明してらっしゃるのを
便乗して一緒に聞けるという ラッキーなことも。




そして展示された 直筆の遺書のかずかず
その中には
必ずといっていいほど 家族への「感謝のことば」が。。。

夫に「これはなんて書いてあるの?」と訳を聞かれても
達筆すぎて読めないお手紙も(汗)

死の間際に
こんなに美しい文字で
こんなにしっかりとした文面で

感謝の言葉を綴れる若者が 
この現代にどのぐらいいるだろうか。

私だって18〜19歳のときに こんな手紙は到底書けなかった。。。
自分がこの年になって改めて
その魂のこもった文字に 畏敬の念を抱かざるを得ない気持ちでした。


「お父さん、お母さん、今まで育ててくれてありがとうございました」

「恩返しもできず逝く親不孝を、お許しください」

「○○ちゃん(妹さんの名前)、お母さんのいいつけをよくきいて...」

「兄はお星様になって いつもお空から見守っています」




そうした文面を 夫のとなりで訳しながら

私:みんなただ 大事な人を守るために戦ったんだよね。
  日本人もアメリカ人も それは同じだったよね。


と思わず言葉が出た。

夫:Of course





館の外にでてから 隊員が最期の数日間を過ごしたという
「三角兵舎」へ




ビックリするほど小さく
質素な小屋でした。


ここを見て回ったころには
平和会館に着いて すでに3時間近くが経過


ここまでくると

私も夫も 自然と無口でした。。。



夫:You can never justify the war. But I'm glad I came.
  (戦争はぜったい正当化できない。でも、来てよかった)


最後に おとなりの観音堂で

若くして散った勇士たちのご冥福と
どうか世界中に平和がおとずれますようにと

私と夫と妹と 3人でお祈りして 
帰路についた。





青空のスーッとぬける 暑い暑い9月の知覧。

この澄んだ空を
何機もの戦闘機が飛び立っていった
そして散っていった

そんな時代があったのだ。

それも、そう遠くはない昔。


そうして今 私たちが
こうして平和に暮らせてゆける。

私は かつて「鬼畜米兵」と言われた民の子孫と結婚し
「敵国」と呼ばれた土地で 平穏に暮らしている。

平和のありがたさ
そして
運命の不思議を思いました。



遠くには ひときわ凛と美しい開聞岳が


ちょっとせつない 午後でした。






 
  

Posted by レニア at 15:39Comments(4)ふるさと

変化の秋

2011年10月10日

日本から戻って新学期が始まり、3週間。
ようやく体調が本調子に戻りつつあるこのごろ。

これ↓ビールを美味しく感じるようになったので、もう大丈夫でしょう。



今回は長引いた〜、自分でビックリ。

仕事に行けないほどではないのだけど、とにかく咳がとまらず
ドクターに出してもらった咳止めシロップが手放せない日々。。。


声は商売道具でもあるので、途中まったく声がでなくなった時には
授業するのにも四苦八苦だった。


なんだか滑り出しイマイチな この秋ですが、、、もみじ

ちらほらと小さな変化が、、、



まずマイケルが変わった。

自分の部屋の片付けもしなかったような子が

例えば、私が料理に使ったお鍋を流しに置いていたら
それを気がつくと洗ってくれていたり ビックリ

炊飯器に残っていたごはんを、頼んでもいないのにちゃんと専用ケースに入れて
冷凍してくれていたり ビックリ

キキ(ネコ)のおトイレを掃除するのは、もっぱら私か相方だったのだけど
(マイケルは「臭い〜!」と言って近寄らなかった)

それを最近では 自分からしてくれていたり。。。 ビックリビックリ

14歳 → 19歳 の
彼の変化を見てきたけれど。。。

大人になってきたってことなのかな?



そして、夫の職場でも変化あり。

ちょっとしたプロモーションがあり、彼の配属が変わり
今まで夜中まえに出勤していた人が
午前3時ごろまで
日によっては朝の6時まで出勤しなくてもよくなったのだ。

結果

彼がまだベッドで寝ている間に、私もベッドに入るという
つまり数時間は同じベッドで寝ているという(世の夫婦にとっては当たり前なんでしょうが)

結婚してこのかた、私たち夫婦には 平日にはありえなかったことで
な〜んか、それが

ヘンな感じ - - - - - しずく

といっても、彼が起きて出勤する頃には 私は爆睡で
なんの記憶もありゃしませんの ですが。。。



そして、私の仕事上でも ちょっと変化あり


ありがたいことに、また別の大学からお声がかかり
明日、その大学の下見に行ってきます。

このポジション引き受けたら
「また自殺行為?」とビクビクする気持ちもありなん

でも、最近

「泣こかい、飛ぼかい、泣くよか ひっ飛べ!」

の 薩摩おごじょ魂が なんとなくくすぶっている。

こうやって自分のところにやってきてくれるお話も「ご縁」だから
最初から「できない!ムリ!」じゃなくてね。

なんで私のところに来てくれたのかな〜って
ちょっと探ってみたい気持ちもあったりするのです。



そんなこんなで、今回の帰郷の報告を
なかなかアップできずにいますが、、、

すっかり秋めいてきたシアトルの空を見上げて

「青」の眩しかった 鹿児島の空を思い出します。



夫:きれいだね〜〜

(入来峠にて)



夫:この 盛んに鳴いてるの、、、cicada(セミ)??
(シアトルには蝉がおりません。涼しすぎるのかな?)




母に借りて私が運転していた車

灰だらけでございました。



日本で運転すると
いつも「方向指示器」と「ワイパー」を間違える。。。

そして、それにようやく慣れて アメリカに戻ると

やっぱり「方向指示器」と「ワイパー」を間違える。。。困ったな


そんな、なんちゃってドライバーなのに
日本ではキラキラ「優良運転手」キラキラですの (1年に1週間ぐらいしか運転しないもので)


鹿児島でのおはなし
シェアしたいこと、まだまだいっぱいあるのですが
ぼちぼちいきますので、気長にお待ち下さいませ。。。

さぁ〜て、今週もがんばるぞー グッド


  
Posted by レニア at 15:56Comments(4)ふるさと

ダウン...

2011年09月24日

やっと金曜日。

新学期の一週間は学生の出入りも多く
いつもバタバタ。

そんな忙しい時、旅行の疲れがでたのか
この一週間は発熱が続き体調優れず。

仕事だけは毎日頑張って行ったが
回復の兆候が見られないので、明日はとうとうお医者さんに行こうかなと考えている。

年を重ねるごとに
長時間のフライトと時差のストレスに
体が耐えられなくなってきてるってことでしょうね。

自分の体力を過信できない年になってきたなあ〜と痛感。


日本で撮った写真をじっくり見て
今回の帰国の余韻に浸る時間もなく。

夫と

「先週の今頃はまだ日本にいたのに、もうずっと前のことみたいだね」

と話していた。



東京で宿泊した品川のホテルから見えた夜景。
マリナーズのキャップはしっかり日本にも持参した相方だった。笑


  
Posted by レニア at 14:36Comments(6)ふるさと

ただいま〜

2011年09月20日

故郷は、やっぱりよかった。

桜島も 私たちの帰郷を

ドカ灰で

歓迎してくれました。 困ったな


いや〜、よう灰が降ったわ!




アミュプラザの観覧車から


天保山にあるレストラン駐車場から


ドルフィンポートから




昨日の午後にシアトルの自宅に到着。
そして今朝から、さっそく新学期。


まだ時差ボケもぬけず、ちょっとヘロヘロしておりますが
少しずつ帰省旅行記もアップしていきたいと思います。


今回の帰国で会った たくさんの人たちの温かさに
私も夫も
胸いっぱいでした ハート

ここから改めてお礼を。。。

本当に、どうもありがとう。



  
Posted by レニア at 17:19Comments(8)ふるさと

いってきまーす

2011年09月04日

やっと出発の準備完了。

そして少しでも寝ようと、一応ベッドには入ったのだけど
体はへとへとに疲れているにも関わらず
神経が高ぶってるのか
1時間で目が覚めた、、、困ったな

おそらく、遠足前の子供の心理状態なんだろな。


こちらは現在、夜中の3時。
そろそろ家を出発、空港に向かう。

マイケルが空港まで送ってくれることに。

ここからまずロスに飛び、便を乗り換えて
そして成田へ向かう。
20時間ぐらいかかる長旅だけれど
機内で少しでも眠れることを期待して、、、。





マイケルに、留守中のことを
「これはああして、あれはあそこにあるから。何かあったら電話すること。
日本への電話のかけ方は。。。」と
いろいろ説明してたけど

「大丈夫、I'll be fine, don't worry」と本人が言うので
あとはもう任せることにした。

その彼は明日から Dog Sitting(家を留守にする人に変わって、その人の犬の世話をする)の
バイトが入っているので
結構忙しいらしい。

おみやげは何がいいかなあ〜、、、
(まだ日本に着いてもいないのに、もう帰る時のことを考えている)


せっかくの日本、思う存分満喫してきたいと思います。
美味しいもん、いっぱい食べるぞー!


もし、外人顔のドラえもんを連れている
かごんま弁をしゃべる丸顔のおばちゃんを見かけたら
それは
私かもしれません。。。ニヤリ

  
Posted by レニア at 19:17Comments(2)ふるさと

おサイフも、日本に帰る

2011年09月04日

帰国にむけて
おサイフも、中身を変えなきゃです。




ふだんは引き出しの奥深くにしまってある日本円を
ゴソゴソひっぱりだす。。

日本では 電車に乗ったり、バスに乗ったり、自販機使ったり
それはそれはよく小銭を使うので
持ってるだけを並べてみたが

あらあらあら、、、 困ったな


100円玉なんて、一個もないやん


でもこうやって両方の小銭を並べてみると、なかなかおもしろい

今のレートでは、$1=100円の価値もないドルですが
むりやり、そう仮定すると。。。

1円はこれ、1セント(別名:ペニー)


5円 = 5セント(別名:ニッケル)


10円 = 10セント(別名:ダイム)


25セント(別名:クォーター)は、日本に存在しない。



逆に50円玉は、、、、アメリカには存在しない。



100円玉はあいにく持ち合わせてなかったけれど、もし持ってたら、これ、1ドル。



500円 = 5ドル



私の普段の所持金なんて、こんなもの。
こちらにいると、ホントに現金を持ち歩きません。


さて 全部でいくらあるでしょう? 笑



これが、いったん日本へ着くと
意識がガラリ、、、

諭吉さんの1人や2人はおさいふに入れておかないと
なんとなく不安になるのです。

アメリカじゃ、100ドルの現金なんて
めったに持って歩かないのに。


国境を超えることによって生じる
この金銭感覚の変化は
何なんでしょうね???


...て

こんなことしてる場合ではないのだった!

まだまだパッキングもいっぱい残っている!



あと20時間で、日本へ向けて飛びま〜す。飛行機(ワクワク)


台風12号が、去ってくれてるといいのですが??


  
Posted by レニア at 00:24Comments(4)ふるさと

帰郷 in 2009 〜その3

2011年08月10日

またまた、これの続きです。



実家近くの護国神社にお参り。


「神様にごあいさつする前に
ここで口をゆすいで、手を洗って
体を清めるんだよ。」



夫:ねえ、これ何?


夫:これは〜?


夫:なんでここにリボンがいっぱい結んであるの??



ちょうど運良く巫女さんが通りかかったので
一緒に写真を撮っていただいた。

2人の薩摩おごじょをとなりに
夫、ちょっとキンチョー気味(笑)




桜島フェリーにも乗った。







行き違いの向かいのフェリーの中学生たちが、なぜか(?)手を振ってくれたので
思わずパチリ。



桜島に着いて、向かった先はこちら:

ふるさと観光ホテル
http://www.furukan.co.jp/

日本に来たからには、一度は「温泉」を体験させてあげたいと思ったが
大衆浴場の文化で育ってないアメリカ人にとって
いきなり「すっぽんぽん」で、
見知らぬ人と一緒にお風呂に入るってのは
ちと、ハードル高し...

その点、こちらのお宿は
男女混浴(つまり私といっしょ)で
「すっぽんぽん」ではなく、浴衣着用にて入浴というスタイルだったので
ビギナーの夫でも、臆せず堪能できた。

しかも、錦江湾を一望する露天風呂。
サイコーでした。



純和風のお部屋にも
夫: うわ〜。










初体験の、浴衣。

なぜか、お相撲さんのように見えるのは
私だけか???



そして極めつけは、お食事!

こんなの、シアトルじゃ、ぜーーったい食べられません!

(ランチ)


(ディナー)

次から次へと、食べきれないほど出されるごちそうに

見よ
このにやけた顔を...(見えませんね)



この時は日帰りパッケージだったのですが
次回はぜひ
お泊まりしたいと思ったお宿でした。




夫:泊まるとしたら、どこに寝るの???

と聞く彼に

私:この、テーブルがあるここに、布団敷いて寝るんだよ。

と言うと、

夫:Here? Serious? Do you guys really sleep on the floor even now?
  (実家ではベッドに寝かせてもらっていたのです)


私:「床」ってあんた、畳やん。私が子供のときは、ずっと畳に布団敷いて寝とったよ。
気持ちええよ〜。

    


...やっぱり、次は泊まりやね。




  
Posted by レニア at 09:00Comments(2)ふるさと

ちゃわんむしのうた

2011年07月29日

朝、仕事に向かって
高速を走る。

快晴のシアトル。

遠くにちょっとだけ、レニア山も見えた。




いきなり頭の中で

『ちゃわんむしのうた』

鳴り始めた。





んーだもこーら いーけなもんな ♪
(まあまあ、それは一体どんなものなのだろう?)

あーたいげーの ちゃーわんなんだ
(私のうちの 茶碗などは)

日に日に三度もあろもんせーな
(毎日三度も洗うので)

きれーなもんごゎんさ〜
(きれいなものですよ)

茶わんにつーいた むっじゃろかい
(茶わんについた 虫のことだろうか)

めごなど けあるく むっじゃろかい
めごなどを 歩き回る 虫のことだろうか)

まこーて げんねっこっじゃ わっはっは
(まったく 恥ずかしいことですね わっはっは)






........







めご って



何???




(鹿児島県人でない皆さん、超ローカルな話題ですんません)  

Posted by レニア at 16:58Comments(7)ふるさと

帰郷 in 2009 〜その2

2011年07月10日

これの続きです。



夫、初めて乗った新幹線。


何に感動したかって、そりゃ手元にある これ↑です。

同行していた父が、売店からぎょーさん買ってきてくれました。

夫:え?電車の中でビール飲むの?飲んでいいの?

私:うん、日本ではね、新幹線乗ったらビール飲んで
 駅弁食べるっていうのが、規則で決められてるんだよ。


(これは冗談だと、あとで訂正しておきました)




さて、新幹線に乗って向かった先は、こちら。

福岡 Yahoo Dome




日本で初めての野球観戦。ソフトバンク VS. ロッテ

マリナーズのキャップをかぶって挑みました。



アメリカの野球観戦では、7回に入るとき

Take me out to the ball game ~ ♪

と観客がいっせいに立ち上がって歌を歌いますが、

日本では、なんと...


風船を飛ばす??? (それとも、これは福岡だけ??)


これには私も相方も、ビックリ ビックリ

(実は私も、日本での野球観戦はこの時が初めてだったのです)

周りの人たちがいきなりこの黄色い風船をふくらまし始めたとき

え?え?何が起こるの??

と目を点にしていた私たちに

ちょうど真後ろに座っていたお嬢さん(ロッテファン)2人が
それはそれは親切に
「これ、、、よかったらどうぞ」と
私たちにも1つずつ風船を下さったのです。
感激。。。 ラヴ



さて、博多に来たとなれば
これは外せないよね。


ああ、至福の時。
ああ、おいしかった。






夫:自転車がいっぱい停まってる〜、なんで?


夫:よく歩くね〜。


夫:まだ歩くの〜。


夫:まだ〜。





夫:No wonder people in Japan are all so skinny!
  (日本の人はみんな、痩せてるはずだわ!)


夫もおそらく日本に半年も住んだら
ドラえもん体型ではなくなるかと、、、思います。




日本に行く前は、私のことを

You are too skinny! もっと食べなきゃ!

と言っていた夫も

実際日本に行って、


私が実は ちっとも skinnyではない ことに

気づいてしまったようで、、、

それ以降「too skinny!」とは
言われなくなりました... べー






  

Posted by レニア at 19:30Comments(4)ふるさと

帰郷 in 2009 〜その1

2011年07月05日

2年前、初めて夫を連れて
鹿児島に帰った。

マイケルは高校があったので、兄夫婦にお願いしていった。


夫にとっては、その時が生まれて初めての海外旅行。

初めてのパスポート。
初めての国際線。

自分の母国アメリカの地を離れて
初めて訪れたのが、遠い東洋の国
「日本」だった。

私:日本で何がしたい?

と発つ前に聞いたところ

夫:日本の日常を体験したい

と言った彼。

滞在も1週間ととても短かったので
どこにも寄らずまっすぐ鹿児島に帰り、ほとんど家族と共に時間を過ごした。





私の実家のとなりには妹一家も住んでいる。

姪っ子二人は、毎朝近所のお友だちと集まって
一緒に学校まで歩いて登校していた。


夫:日本の小学校って、制服あるの??
(アメリカの公立小は制服なんてありません)

夫:みんな同じ Backpack しょってる〜。

私:「ランドセル」って言うんだよ。


その姿がとっても珍しく、可愛かったらしい。

夫:写真撮らせて〜。

高学年のお兄ちゃんお姉ちゃんが、低学年の子の面倒を見る。

こういう習慣がすごくいいね。
アメリカもこうあればいいのに


と夫は言っていた。



オドロイていたのが、日本のトイレ。

夫:シャワーが出るトイレ!!!

私もつくづく思う。
日本のトイレは世界一だわ〜〜。
冬は便座が温かいなんて、ああ夢のよう、、、シアトルに持って帰りたい。

実家のトイレ(撮:夫)



こちらも初体験。某スーパーにて。


日本では自分で買った物は自分で袋に詰めるところが
ほとんどですよね。

はい、買い物かご、ここ置いて〜。
袋はそれを使うんだよ〜
セロテープはここだよ!


と姪っ子に指導を受けておった。


ある時は、道ばたに停まっていたこの車↓を見て



夫:あ!Coke(コカコーラ)だ!
  うわ〜〜〜小さい車。。。おもちゃみたい。。。


...えらく珍しがって、ここでも写真を撮っておった。

そういや、アメリカには軽自動車なんてものは
走っておりませんなあ。

日本の人は、狭ーい道をこうした小さい車でスルスルスルっと
巧みに走っていきますよね〜。
私もたまに帰ると、それには毎回感心する。



そして日本の、美容院デビュー。


スキルは世界一。
そして終わりには肩まで揉んでくれる。

なのに
なのに

チップを払わなくていい


世界には、こんな美容院も存在するんだよ。


2年前に鹿児島のこちらで髪を切っていただいてから
夫はシアトルでも
日本人以外の美容師さんには
行けなくなりました。。。困ったな


夫、(当時)38歳。
オドロキの旅はつづく。

  
Posted by レニア at 15:35Comments(6)ふるさと

今ごろ

2011年05月17日

今ごろになって
2月に帰省したときの写真を
整理している。。。

この帰省の直後に、祖母が亡くなってしまったので
何となくつらくて見返せずにいたけれど、、、


日本に着いて、最初に食べたのが、これ。
羽田空港にて。
アメリカには無い「サントリービール」と
明太子おにぎり(たしか250円ぐらいだったと思う)。


無事に鹿児島行きの搭乗手続きをすませて
ホッとしたひと時。。。
空港のベンチに一人腰掛け、周りを行き交う人をながめながら
「あ〜、日本だなあ〜」なんて
思いながら、食べた。
日本にいる人にとっては、たぶんなんてことはない
こんなささやかな物が、私には涙が出るほど美味しく感じられた。



川内市にいる祖母の病院へ通うため
何度も足を運んだ「鹿児島中央駅」

なんと、その駅の構内に「Seattle's Best Coffee」ができていた!

こちらシアトルでは、もちろんあちこちにある「Seattle's Best Coffee」

それが、鹿児島にもあったよ!
夫に見せたくて、思わず撮った一枚。


川内駅の構内には
ちょうど季節柄、お雛さまが飾られていた。


きれいでした〜、、、
しばし、みとれた。




私が幼い頃にはすごく賑わっていた
川内市の「向田町」も
ずいぶんと閑散としていたのが、ちょっと淋しかった。。。




でも一方では、こんな趣のある旅館の看板があったりして
思わずカメラを向けた。




今回、新しく勤め始めた職場に提出する書類として
自分の大学時代の「成績証明書」が英文で必要だったため
その発行をお願いするために立ち寄った
懐かしい、母校。








お金のない、ビンボー大学生だった私は
お昼と言えば、ここ↓生協でおにぎりを2個買うか


ちょっとリッチな時には、ここ↓学食で
ラーメンをいただいておりました。


今回も、しっかり食べて帰ってきました、学食のラーメン(笑)。
相変わらず安くておいしかった。





大学自体は、法人化してしまった為か
何だか雰囲気が変わったな〜と感じた。


変わってなかったのは、、、


日々、焼酎飲んだくれて
仲間と酔いつぶれた「サークル塔」 




昔のまんま、汚っないまんま
ありました。。。







あの頃は、まさか2○年後の自分が
まさかアメリカに住んで
まさか今みたいな生活をしていようとは
思いもしなかったなあ〜、、、


人生、ホントに何が起こるか
分からないものです。


だから
楽しいのかも、しれません。


今まで、いろいろあって
ホントにいろいろあって

シンドい事もいっぱいあって

もうダメだ〜〜〜
とヘコたれることもあって

なかなか、そう思えずにいたけれど

いろいろあって
でも、なかなか楽しい



今ごろになって
そう思えます。





  

Posted by レニア at 20:01Comments(2)ふるさと