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Posted by チェスト at

先生、きれいですね

2012年02月27日

「先生、きれいですね」


授業中、各自が練習問題をしているのを見回ってるとき
ある学生が言った。

え〜、そんなぁ〜、ちょっとー、ジェシカさ〜ん、
嬉しいこと言ってくれるじゃないぃ〜 



ふいの言葉に、内心ニヤニヤ にやけていたら



「とてもきれいですね」


目線を窓のほうにうながしながら、ジェシカさんが再度言った。



 「山、きれいです」


(ああ〜窓の外の景色のことね えーっと・・・




思わず喜んじゃったじゃないさ、ちぇーっと心の中で思いながら(自意識過剰 笑)

そうですね。雪がまだ少しあって、きれいですね。

と答えたら

学習したばかりの「きれい」という形容詞を使って日本語で私とやりとりができたことが嬉しかったようで
ジェシカさんはにっこり、とびきりのスマイルをみせた。




今学期から教えることになったこの大学は、シアトルダウンタウンのど真ん中にある。
日本語の教室からは上の写真のように「スペースニードル」が見えるし
キャンパスからはこのように高層ビル街が見えたりする。








今まで教えてきた大学は、高級住宅地域の中にあるキャンパスだったので
学生も大半が裕福な家の子や留学生で
まだ親のスネをかじりながら学生してるという子が少なくなかった。


が、今回の街中の大学は
自分で働きながら学費をはらって学校に来てるという子が多い。


キャンパスがダウンタウンにあるので、交通の便が良く
車を持っていなくてもバスで通学できるという利点がある。

がそれは 逆に言うと
車を買う経済的余裕がない子が多いということでもある。


「最新の設備が整った近代的な学校」という雰囲気ではないが、
古びた石造りの建物がなんともいえない趣を醸し出していて、私はそれが気にっている。



日本語の教室がある「Fine Arts」のビル。





今までの大学は外国語のチョイスが
「日本語」「スペイン語」「フランス語」「ドイツ語」「イタリア語」「アラビア語」「中国語」と7つもあった。

それと比較すると、今回の大学は
「日本語」「スペイン語」「フランス語」の 3つしかチョイスがなく
学科としては小さいほうだ。

でも、日本語を選択してやってくる学生を見ていると
どの大学もさほど変わらないなあ〜と感じる。
変わらずみんな同じようなところで苦労し、つまづき
それでも頑張って必死に勉強している姿は みんな同じく可愛い。


2月も終わりに近づき、今学期は残すところあと3週間。


今回「Japanese 2(2学期目の日本語)」で担当したこの子たちとは、来学期も「Japanese 3」でつき合うことになりそうだ。



「日本語は、どうですか?」と人に聞かれたら

今学期学習した 形容詞を使って

「たいへんです」とか「すごくむずかしいです」 よりは、

「おもしろいです」とか
「とてもたのしいです」 と言ってくれる学生が
ひとりでも増えるように、、、


少しでも良い授業をしようと、ひたすらデスクに向かってしまう
相変わらずの週末でありました。











  
Posted by レニア at 14:36Comments(2)日本語

バレンタインの日の思い

2012年02月16日

バレンタインデーの火曜日、シアトルは小雨の降る肌寒い日。

ダウンタウンを運転してたら信号待ちになった。

目の前の横断歩道を、年老いた男性がひとり渡っていた。

この寒いのにずいぶんと薄手のジャケットを着て、杖をつき
足が悪いのだろう。ゆっくりゆっくり、一歩一歩を確かめるように歩みをすすめていた。
そろそろ信号が青から赤へ変わろうというのに、彼はまだ横断歩道の三分の二ほどまでしか来ていない。

その姿を見ながら思った。
どうして一人なんだろう。足が不自由だというのに、付き添ってくれる親族は近くにいないのだろうか。
奥様はご自宅で待ってるのだろうか。それとも、もう先立たれてしまったのだろうか。
子供たちはすでに巣立ってしまって遠くに住んでいるのだろうか。

今日はバレンタインだというのに、
こんな寒空の下ひとり歩いて、彼はどこへ行くのだろう。
いったいどんな人生を送ってきた人なのだろう。


彼が無事にあちら側にたどり着いたのを見届けてから車を発車させた。


なぜだか
その姿に、夫の姿が重なった。




若かりし頃、まだ恋をしていた頃は
「相手に先立たれて一人残されるなんて、私には耐えられない」と思っていた。

実際、当時つき合っていた彼氏には(その人と老いるまで共にいるだろうと思っていたので)

絶対先に死んだりしないで。死ぬ時は私が先に逝きます。

とお願いしていたぐらい(笑)




今は、、、

今も

老いてから相方に先立たれた日にゃあ、そりゃ辛いだろうなあとは思うけれども

それよりも相手を一人残していくことのほうが心配で、とても先には逝けないという思いのほうが強い。
相手に孤独な辛い思いをさせるくらいなら、私がきちんと看取って送り出そう
たとえその後自分がひとりぽっちになろうとも
相手がひとりぽっちで暮らす図を想像すると、、、
いやいや、私がひとりぽっちになるほうがまだずっとマシ、と思う。


これが恋と愛の違いなのかなあ。


日本語は、このふたつをきちんと言葉で区別しているから素晴らしい。
英語では、どちらもひとまとめに「Love」と呼ばれてしまう。
全く性質のことなるもの(たぶん)なのにね。


長寿大国「日本」の出身で、しかも女性なので
3つしか年齢差のない夫よりは私のほうが長くこの世にいる可能性はかなり高いと思う。

でもマイケルとなると、20年以上の差があるので
おそらく私のほうが先に逝くだろう。
兄弟のいないマイケルは、私たちがいなくなったら完全に一人になる。
それは、もし明日私たちに万が一の事が起きたとしても、同じこと。
だから、たとえ一人になってもきちんと自分の人生を歩んでいけるよう、マイケルにはとにかく強い人間になってほしいという気持ちが強くある。



さてバレンタインの夜、仕事から帰宅すると
私のデスクの上に、、、




バラの花の値段が高騰するこの日。
どうやら予算不足でバラのみのブーケは買えなかったらしい相方(笑)

しかも、カードの封筒をよくよく見ると。。。

おやおや?



あらら〜 (大笑)




なんともまあ。。。
思わず顔がほころんだ。



一生懸命、ひらがなで、書いてくれたんだよね。


しかも、このイチゴも
チョコを溶かして夫が自分で作ってくれたのだそう。

そのイチゴはすっぱくてでも甘くて、とってもホロリとする味だった。

そして何故だか、昼間見たあの老紳士の姿が ふと脳裏をよぎった。



こんな事を言うと単なるのろけにしか聞こえないのだろうけれど
私は真摯に、夫を
大して良い人間でもなかった私に神様が届けてくれた
贈り物だと思っている。

その贈り物とケンカをすることも多々あるが(笑)

長く長く 大切にしてゆきたいと思っている。



バレンタインの日に思ったことでした。


  
Posted by レニア at 17:23Comments(6)夫婦

本日の夫婦の会話

2012年02月14日

書斎で 夫と二人きりだった午後。

お互い自分のデスクに向かっていて
背中合わせに座り
夫はネットで新聞を読み
私は宿題の添削をしていた。


夫:It's Valentaine's Day tomorrow, huh? 「明日はバレンタインデーだね」

私:uh huh. 「そうね」

夫:So, it's the day I get chocolates from you. 「じゃあ、僕が君からチョコをもらう日だね」[日本の習慣]

私:(ここで私初めて振り返り、夫を見て)
   Oh, since I live in the States now, I thought tomorrow is the day that I get roses from you.
 「あら、私今ではアメリカに住んでいるから、明日って私があなたからバラの花を貰う日だと思ってたわ」 [アメリカの習慣]


しばし、お互いの顔を見つめて


最後に、ニヤリ ニヤリ




さて、この勝敗はいかに? (笑)






実は、今日仕事の帰り道にあわててカードショップに立ち寄って
バレンタインのカードを購入した私ですが
お店の中は、結構「ぎりぎり」の奥さん旦那さんでごった返してました。

Happy Valentine's Day!





  
Posted by レニア at 18:33Comments(6)夫婦

ちょっと、魂のはなし

2012年02月05日

シアトルは、2週間前のあの大雪がウソのように
快晴の週末を迎えています。

日常の慌ただしさから、しばし離れて
ちょっと立ち止まり
今の自分を 見つめてみる。

今日はそんな日でした。


私は 自分という存在が
肉体という「個体」によって定義されるものではなく
「意識」(魂?)の存在だと 
訳もなく 納得しています。

他人もしかり。

出会う人みんなが、体を超えた、何と言うかもっとそれ以上の存在だと。


なぜ生まれてきたのか?という問いに敢えて答えるとすれば
肉体を持つことに意味があったから
「肉体を持たなければ分からない(学べない)ことがあったから」

だろうなあ〜と思います。


この種のスピリチュアリズムと呼ばれる概念は、ここ10年ぐらいで日本にも広まった感がありますが
(私もそのお陰で色んなことがやっと「腑に落ちた」一人ですが)

理解した、というよりは「思い出した」という感覚です。


それを、完全に忘れていた(?)10代、20代の自分と比べると
30代、40代の自分は別人のような気さえします。



今日はちょっと 立ち止まり
自分が今まで歩いてきた道のり
今の自分を
少し振り返ってみる時間が持てました。


私の40年ちょっとの人生にはそれなりに苦労もあり、
その時には「もう立ち直れない」と思ったほどの傷を受けた経験もありますが
世の中のあらゆる困難と共に行きている他の人と比較すると
例えば、先日ここでもご紹介した「ジョシュ」に比べると

私の今までの人生は、さほど障害のない
比較的ラクな人生だったように思えるのです。


障害のない、五体満足の体で生まれてきました。
愛してくれる家族がいました。
辛いことがあった時に、手を差し伸べてくれる人がいました。
「もうダメだ」という窮地に立たされた時に、絶妙のタイミングで救ってくれた人がいました。


人間は、生まれてくる前に自分の人生計画を立ててくるそうです。

人生で起こる困難は、実は全てが 自分が自分の成長のために計画してきたことで
つまりは逆に言うと、自分の能力レベルで乗り切れない困難は
プログラムの中に入ってないんだそうです。

「ちょっと頑張れば、解ける」問題しか、人生には起こらない。

身の丈にあった困難(人生)を
自分が自分の成長ために用意して、生まれてくる。


それは、小学生が「足し算ひき算」を習得して はじめて
その次の段階の「かけ算わり算」ができるようになるのと同じだそう。


ジョシュの記事にコメントを残して下さった、かおりん50さんもおっしゃってましたし
久しぶりに手に取って読んでみた、福島大学教授の「飯田史彦」氏の著書にもありましたが、

重度の障害や病気、
または貧困、差別などで非常に辛い境遇にわざわざ生まれてくる子供は
その困難を乗り越える力のある、経験豊かなレベルの高い魂。

もし私が、「足し算ひき算」レベルでまだ四苦八苦している小学生だとしたら
おそらくジョシュは「微分積分」あたりをやってる高校生でしょうか。

マザーテレサのような崇高な方に至ると
大学院で卒業論文を書いているような方かもしれません。。。


そんな高レベルな方たちと、同じ学校(地球)で同じ時代に生まれ
学ばせてもらっている。

そう思うだけで、今生きているという事実を
とても謙虚に受け止めることができます。


この先、どんな困難が起こっても
「これは私が、自分のために用意したことだ」と思えば

人を恨む必要もないし
アンフェアな運命を呪うこともないし

心がラクで、自由でいられます。


それを思い出して
何だか今日は有意義な土曜日でした。


レニアの独り言でした (笑)





  
Posted by レニア at 16:41Comments(4)自分さがし