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Posted by チェスト at

リセット

2014年11月23日

めっきり冷え込むようになって、レニア山もすっぽり雪化粧。

シアトル市内から臨む、壮麗なその姿 (Facebookより拝借)


愛して止まないレニア山だけど、この夏は行く事が叶わなかった。


ブログをお休みしていた約1年の間に
何をしていたかというと
リセットをしていた

できれば「進化をしていた」と言いたいところなのだけど

今この1年を振り返ってみて、どう甘く解釈したところで
進化よりは「リセット」という言葉ののほうが、しっくりくる。

もっと正確に言うと、遠い昔の
自分の状態を思い出しつつある(?)と言ったほうがいいかな。


皆さんも経験したことあるのではないだろうか

あの経験をする前の、あの人に出会う前の、あれを手にする前の
その「前の自分」が、もはや思い出せない...という感覚

例えばスマホが出現する前の、私たちの生活
どうだったっけ?

実際私が大学生の頃は、スマホどころか「ケータイ」さえまだこの世に存在してなくて
それでも若かりし頃の私たちは、
ちゃんと友人たちと楽しくコミュニケーションがとれていた。

待ち合わせ場所でも、ちゃんと相手に会えていた。

相手を待っている間は、何をしていたっけ?

文庫本を読んだり
ウォークマンで音楽を聞いたり
または
ただ道行く人をぼんやり眺めたりして
「待っている」という事実を、もっと楽しんでいた気がする


そんな「ケータイ以前」の自分を

今リアルに思い出せない、、、


誰かを心底愛して、その関係は悲しく終わりを迎えたから
もう無邪気に恋ができた頃の自分は、思い出せない、、、

誰かを心から信じて、その信じた相手から傷を受けたから
もう闇雲に人を信じる無垢な心は、思い出せない、、、

ああなりたい、こうありたいと願って
でもそれはことごとく叶わなくて
「夢を見る」という感覚が、もう思い出せない、、、

だから今となっては

遠い子供のころ、どうして雨の中を
喜びの声をあげて走り回っていたのか

アリの行列が巣に食べ物を運ぶのを、飽きもせずじーっと眺めていたのか

茜色に染まる空を、畏敬の念で見上げていたのか

もう、とても
思い出せない、、、


そうした感覚は、誰でもお持ちなのではないだろうか。



ブログをお休みすることにした直後の、この1月に
あることがきっかけで
私はおそらくここ15年ぐらい抱えていたであろう傷を
するりと脱ぐことができたのです

自分の深いところに 長いことずっしりと居座っていた「それ」は

あれあれあれ?? というぐらいに
溶けてしまい

そうしたら、その傷を抱えるまえの

ずっと埋もれていた「それ以前の私」が

甦ってきた(?)とでもいえばいいだろうか



もちろん、この1年も様々なチャレンジはあって、ビックリするような出来事もあって
頭抱えたり、解決策を模索したり
一応大人の自覚で 
脳みそフル回転で
思考錯誤して、生きてはきたのだけど


2014年が始まって、11ヶ月がたった今

なんとなく今なら、
アリの行列を飽きもせず
じーっと眺めていられそうな。。。


そんな大昔の、懐かしい自分との再会


強いて言えば そんな感覚だろうか





遠い昔、人生って

もっとシンプルだった。


それをややこしく複雑にしてしまったのは
何なのだろう。
もしかして、自分だったのかもしれない。



スマホがあってありがたいな。生活はとても便利になった。

でもふいに空き時間ができた時

うつむいて
手のひらにおさまる小さな画面を
ただ眺めて過ごすのではなく

ふと顔をあげて

たとえば雨粒が、木々の葉をつたって滑りおりてゆく
その優美なダンスを
ただ眺めていられる

「この世の不思議」とのコンタクトを、逃さない

開いた心でありたいな


これに関しては 
子供は天才


私はずいぶんと、遠く離れた所にきちゃった。。。



まだまだリセット中








  
Posted by レニア at 12:28Comments(5)自分さがし

まずは「私」の幸せから

2013年12月31日

この記事は、「シアトル日記」新サイトに移しました。









  
Posted by レニア at 16:55Comments(14)自分さがし

なくした指輪

2013年11月17日

この夏帰国した時に
鹿児島に住む高校の同級生が、おしゃれな「手ぬぐい」の店に連れていってくれた。


「手ぬぐい」をこうしてインテリアとして「飾る」という感覚。


その感覚が新鮮で、2枚ほど購入して帰ってきたというのに

それを11月の今ごろになって、やっと飾っているという始末。



私がガタガタと脚立を持ち出す音を聞きつけると、「なんだなんだ!?」と走りよってくるココ。

どうやら座らないと気がすまないらしい。 笑



今回購入した「手ぬぐい」にもさりげなく、2匹のにゃんこの姿が。。。


これを見た夫は 「色合いがいいね」

そして

「あ、キキとココがいるね」



これを飾っただけで、家全体に少し「和」の空気が漂い始めたようで
とても落ち着くし、意味もなく嬉しい。







先日の記事でも言及した、今読んでいる本に心に残る一節があったので
今日のブログに書き留めておきたい。

(以下、その本から簡略化して抜粋)




私(筆者)は、ある末期ガン患者のもとへカウンセラーとして通っていたことがあった。

その患者は40代の女性で、もと教員、医師からは余命数ヶ月と宣告されていた。

ある日訪ねると、彼女はひどくがっかりし、そして怒っていた。
話を聞くと、ダイヤの指輪がなくなったと言う。


金銭的な価値も去ることながら、彼女にとってはとても思い出深い品だった。

「きっと毎日数時間、世話をしにくる女性が盗んだに違いない。病人に対してよくもそんな酷いことができるものだ」と彼女は言った。

そして、本人に問いただすべきか、それともすぐに警察に通報したほうがいいかと私の意見を聞いてきた。

私は、どうすべきか指図はできないが、それ以前にその指輪が今のあなたにとってどれほど重要なのかを考えてみてはどうか?と助言した。

彼女は言った。

「あなたはお分かりにならない。あれは祖母からもらった大切な指輪でした。毎日はめていたけど病気で指がむくんではめられなくなったんです。あれはただの指輪じゃないんです。」

その声にこめられた、勢い、怒り、そして自己防衛の響きは
彼女の本質ではなく
彼女をとおしてまだ「エゴ」が発言しているしるしだった。

私は言った。

「では、いくつか質問をします。すぐに答えなくていいですから、自分の中に答えが見つかるかどうか探してみてください。質問ごとに、少し間をあけます。たとえ答えが浮かんだとしても、それを言葉にはしなくてもいいですよ。」

どうぞ聞いてください、と彼女は言った。


「あなたはいずれ、それもたぶん近いうちに、その指輪を手放さなくてはならない。そのことに気付いていますか?」

「......」



「それを手放す用意ができるまで、あとどれほどの時間が必要でしょう?」

「......」



「手放したら、自分が小さくなりますか?」

「......」



「それがなくなったら、あなたは損なわれますか?」

「......」


最後の質問のあと、しばらく沈黙があった。



そしてふたたび話し始めた時、彼女の顔には安らかな微笑みが浮かんでいた。


「最後の質問で、とても大切なことに気づきました。
私の心から出た最初の答えは『そりゃ、もちろん損なわれるわ!』でした。でも、そこでもう一度問い直してみたんです。

『私は、、、損なわれるだろうか?』

そうしたらふいに、『私は在る』と感じる気持ちが沸いてきたんです。

こんなふうに感じたのは初めてだわ。こんなに強く自分を感じられるなら、私は全く損なわれていないはず。今とても生き生きとした自分を感じられます。」


私は言った。

「それがエゴを乗り越えた、本来のあなたです。あなたは実は指輪ではなく、指輪にこめられた『私のモノ』という思考に執着していたのです。あなたはその指輪と自分を混同していたんですよ。モノを評価して大切にするのはいいが、それに執着を感じたら、それはエゴだと気づかなくてはなりません。」


彼女は言った。

「いまようやく、これまでどうしても分からなかった『下着を取ろうとする者がいたら、上着も与えなさい』というイエスの言葉の意味が理解できました。」

「その通りです」と私は答えた。

「その言葉は、決してドアに鍵をかけるなという意味じゃありません。ときには手放すほうが、守ったりしがみついたりするよりもはるかに力強い行いだ、という意味なんですよ。」




それから身体がますます衰弱していった最後の数週間、

彼女はまるで、光が内側から輝き出しているように明るかった。

いろいろな人にたくさんのモノを分け与えたが、そのなかには指輪を盗んだと疑った女性も入っていた。

そして与えるたびに、彼女の喜びはますます深くなっていった。



彼女の死を知らせてきた母親は、彼女が亡くなった後で
例の指輪がバスルームの戸棚で見つかったと言った。



手伝いの女性が指輪を返したのか、それともずっとそこに置き忘れられていたのか?
それは誰にもわからない。

わかっていることは、ただひとつ。


人生は、意識の進化に最も役立つ経験を私たちに与えるということだ。



今起こっていることが、自分に必要だとどうしてわかるのか?

それは現に、
この瞬間に体験しているからだ。



(エックハルト・トール著 Eckhart Tolle『ニュー・アース』より)






このお話では、この方がなくしたものは「指輪」だったが

これを例えば、自分が失って「辛い、悔しい、悲しい」と思うもの、または過去に思ったものに置き換えて読み返すと


そのモノと自分を混同していたのだ


という言葉が


突如、テコでも動かないような絶対的な重さと

同時に

いたわりを込めた慈愛を持って


胸に深く響いてくるのは、、、 私だけだろうか。






「今起こっていることが、私に必要な事だなんて、どうして分かるの?」




 だって現に今、起こっているから。









  
Posted by レニア at 17:09Comments(19)自分さがし

前世の縁

2013年08月28日

こちらの記事は、「シアトル日記」新サイトに移しました。

















  
Posted by レニア at 16:32Comments(14)自分さがし

ほめ日記

2013年08月07日

毎日一生懸命がんばっている皆さん


学校で、職場で
自分の居場所に責任をもって
課された任務を、しんどくても精一杯こなして

いっぱいいっぱいの人もいるだろうか。


このブログ、通勤途中の電車の中で
ケータイで読んで下さってる方も多いようだが



私は車社会のアメリカに生きているので
電車にこそ乗らないが

通勤の運転中は、ぐるぐる思考の流れる時間

1日の始まりなら「今日はあれとあれと、あれをしなきゃ」とか
帰り道なら、今日できなかったことの反省点
「あれも出来なかった、これも出来なかった、あ〜私って、ダメダメ人間!」と、
自分に対する不甲斐なさ感が、脳みその中をかけめぐる。

日本人気性だろうか。

どうしても自分の「足りない部分」に注意がいってしまう。

そして自己嫌悪に陥る。



これを読んで下さってる方の中にも、そういう方はいるのでは...?




でも自分に向かう「マイナスの言葉」は、実は脳に大きなストレスを与えるのだそう。





「ほめ日記」というものの存在を、知った。


自分に対する褒め言葉だけを使って書く日記のことだ。




手塚千砂子さんという方が提唱者なのだそうで、

この日記をつけるようになって、
鬱がなおった、不眠が解消された、夫婦関係が改善された、等々の事例を読んだ。







人間の脳みそというのは、ポジティブな「言葉そのもの」に反応するらしく
その言葉が、誰によって発せられたかは認識しない、つまり全く関係なく

たとえ自分が自分に向かって発したほめ言葉でも、
他人に言われたのと同じように「嬉しいな〜」と解釈して
セロトニンやドーパミンを大量分泌するのだそう。

そして
精神が安定する、
「幸せ感」が溢れる、
「元気が出る」というしくみ。


言わば、自分の脳をちょっと上手に騙すテクニックと言えるかもしれない。



基本は「手書き」

その日、どんなに嫌なことがあったとしても
褒められることだけを拾って、日記に綴る。

下手するとネガティブになってしまう記述でも、なるべくポジティブに解釈して書く。

例えば

「なかなか仕事がはかどらなくて、今日は残業になった」 は
「丁寧に仕事をした」

「休みの日は片付けなきゃならないことが山ほどあったのに、結局一日ダラダラ過ごしてしまった」 は
「自分の体をゆっくり休ませてあげることができた」



ほめ上手になるキーワードは、

えらいね〜
すごいよー
よくやった!
立派!
上手上手
頭いいね
優しいね
大人だね
努力してるじゃん
がんばってるね
やればできる!
いいぞ、いいぞー!
さすが!



などなど。



上記のような言葉を、己に向かって発することに
違和感というか、照れ感というか

なんだかムズムズ感を覚えてしまうのは、私だけだろうか。

でも、これができることは非常に有益なことなのだそう。。。





何故なら

自分を褒めることができる人間は、
他人に対しても褒め上手になるから。


他人に対して褒め上手であるということは

それだけ幸せな人をこの世に増やすことになるからだ。




「ほめ日記」 始めてみようかなあ。





がんばってる自分を、誰も認めてくれなくても

「私自身が分かっている。それでいいじゃないか」

それを確認する作業になる。



しかも、そうした思いを敢えて文字化して
記すことによって

後になっても、自分に対するポジティブな言葉を読み返すことができる。

それ自体が元気の素になるかもしれない。


(ここがポイント。あとで自分で読み返して、ハッピーな気分になるような言葉だけを綴ること、だそう)






それにしても




ほめ言葉を聞いた、その脳が
体を安定に導く成分を分泌するということは

人間の体はもともと「ポジティブな言葉」によって最良の状態を維持されるよう、
DNAにプログラムされているということで

それが本当なら

毎日ごはんを食べたいと思ったり、
喉が渇いて、何か飲みたいなーと思ったり、
疲れたな〜眠りたいな〜と感じて睡眠したりするように

自然と「誰かを褒めたいな〜(自分が幸せになるから)」と思えない私たちは

まだまだ、
細胞の進化に心が追いついていない、未開発の存在なのかもしれない。



ちなみに私は、商売柄よく学生の上達を褒める。

褒められた相手は、それはそれは嬉しそうな表情を返してくれ
それを見て私自身も、それはそれは幸せな気持ちになる。


...が、

同じことを自分に対してしようなどとは、思ったこともない。

なんでだろう。。。

まだまだ未発達の人間だからだろうか。





例えば今から300年後の人類は、
己の健康と幸せのために

現代の私たちより、もっとほめ上手な人種になっているのだろうか。


そんな世の中になっていたら、素敵だなあ。

戦争なんて、
もうこの世に存在しなかったりして。

そしてそれこそが、進化した人類の姿だったりして。




でも、300年後の世の中を見る事のない
私も皆さんも

それでも
今は今で、この世の中を
精一杯生きている。

こうして今日という一日を、がんばって生き抜いた。


そんな皆さんとシェアしたいなと思った、
「ほめ日記」というものの存在。



私は、完璧からは程遠い人間だけれども
それでも
褒められる点は、探せばいくつかあるのかもしれない。


それを、他人ではなく
自分が認識することに

もしかしたら意義があるのかもしれない。



自分でみつける、
自分の「褒められる点」 




よかったら皆さんも、今日から探してみませんか。















  
Posted by レニア at 16:37Comments(2)自分さがし

報われること、報われないこと

2013年03月29日

日本に住む従姉から、こんな素敵なカードが届いた。

その精巧さに、本物の桜の木を彷彿させる立体カード。

日本にはスゴいものがあるもんだ〜...と

感動することしきり。



先週末、期末試験を終えた。

そこからは採点採点の日々。
しょぼしょぼになった目に、ちょこんと置かれた可憐な桜カードを眺める一瞬は
何ともいえない慰めとなった。

こぼれるような 薄いピンク色を目にするだけで
こんなに嬉しい 優しい気持ちになる。

そういうところが、自分は心底日本人なのだなあと思ってしまう。

そう言えば日本の桜は、もう15年ほど見ていないかもしれない。。。



期末試験はどのレベルも たいてい6〜8ページほどある。
それを120人分ほど見るので、採点は文字通りエンドレス。

「果たして、これって終わるんだろうか???」と、採点しながら途方に暮れる思いに駆られることもあるが
(というか、是が非でも締め切りまでに終わらせなければならないのだが)

採点途中、答案用紙に学生からのメッセージを見つけることも多く
それが英語ではなくて、こんなふうに日本語で書かれていたりすると
睡眠不足だった一学期間の苦労が 
一挙に報われたように思えたりする。


(ちなみにこの学生は日本語を始めて3学期目=9ヶ月を終えた学生。皆が倦嫌する漢字を、ものすごく頑張っていた)




別に、誰かに褒めてもらいたくて仕事をしているわけではないのだが

自分がベストを尽くした相手から 
こうやって positive feedbackをもらうと

それは素直に嬉しい。

こんなおばちゃんでも、純粋に嬉しい。



そう感じる自分を客観的に観察しながら

人を褒めるって、大事なことだなあ。。。とつくづく感じる。

おべっかではなくて、相手の価値を正当に評価して
それを言葉で表現して伝えるということ。
そういう術も、若いうちに学校で伝授してくれればいいのになあ。
そうしたらこの世の中も もう少し和やかに生きられる場所になるのではないかな?








さて、

期末試験の最終日に、こんな可愛いふくろうさんがテストを受けにきた。



「日本語2」のクラスにいた、アビーさん。

きれいな長い髪をブルーに染めたかと思いきや
それをばっさり切ってきたりと、屈託の無い子だった

ある日

「先生、今学期の最終日にふくろうになろうかと思うんだけど、どう思う?」

と聞いてきたので

「あら、いいんじゃない?」

と返事したら、本当にふくろになってやってきた (笑




そんなお茶目な彼女も、試験が始まると真剣そのもの。。。

可愛らしいふくろうが、真面目な顔をして試験を受けているようすを
ちらりちらりと横目で見ながら
それがあまりに可愛くて...

先生は クククッと笑いをこらえるのに必死。




この写真を自分のFacebookにアップしたら

「あらー可愛いね!」

のコメントが多く来るかと思いきや

日本に住む友人の殆どが

「着ぐるみ着て試験を受けるってのは、日本の大学ではありえないかも!」

という反応。


なるほど〜〜そうきたかー、と
その反応にちょっと新鮮さを覚えた私だった。


ちなみにこのアビーさん。
期末試験では見事に90%以上を取った。
よく頑張ってくれた。





こうして
こちらが全エネルギーを注いで取り組んだことに
相手が同じように応えてくれることもある。


かと思えば、
それまでの努力が、全く報われなかったと感じることもある。



私の仕事を例にとれば、同じように熱意をもって教えても

「A」を取ってくれる学生もいれば、
「D」を取る学生もいるのだ。


ベストを尽くしても、結果が出ないことだってある。



己の評価を、他人の行動に委ねるのはやめよう。




カンペキじゃなかったかもしれない。でも、心底がんばった。
そういうことは 誰にでもあるはず。


どれだけがんばったか、それを一番知っているのは自分だ。

結果は出なかった。
でも未熟なりに、けっこうやったじゃないか。



次はもうちょっと上手くできるように、

またがんばればいいやないか。






またがんばろうや。











  
Posted by レニア at 18:21Comments(4)自分さがし

何度も、何度も、、、

2013年01月27日

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Posted by レニア at 19:02Comments(11)自分さがし

許そう

2012年07月04日

長年ひきずっている傷とか

忘れられない痛みとか



そういうものから解放されるには、いったいどうしたらいいのかと

相方にお尋ねしてみたら


「許せばいいよ」



過去に自分を傷つけた人
傷つけて去っていった人

自分に起きた不運なできごとの数々

そして何より

自分のおバカさ
未熟さ
愚かさ



それを全て 許せばいいよと...




でも「許す」と言葉で言うのは簡単だけど

実際、どうすればサラリと
許して、水に流して
忘れられるのか...?



今この瞬間から『許そう』と、ただ心に決めればいいよ





前の結婚で、伴侶から
もの凄く深い傷を負った夫の言葉であるが故
とても重みを感じた


彼はそうやって
色んなことを許してきたのだろうか。。。







つかの間の休みも あっという間に終わり

先週から夏期講習が始まった。



今朝、大学までの道のり
高速に乗って車を走らせながら

ふと夫が言った言葉を反芻していた。


「許そうと、ただ決めればいいよ」







自分を許すという行為が


一番難しいなと感じた。





でも、出口はそこにしかないなとも
感じた。







  
Posted by レニア at 18:12Comments(4)自分さがし

つらい時

2012年06月26日

つらいなあ。。。

このままいくと、自分を嫌いになってしまいそうだ



...という時

皆さんはどう対処してますか?


私がとりあえず思いつくのは

1.本を読む

2.気が紛れるような映画を見る

3.お塩いっぱい入れたお風呂に入る

4.アルコールに頼る(へらへらしてくるまで飲む)

5.外に出て、夜空を見上げる

6.歌う(近所迷惑になる難点あり)

6.とりあえず、寝る



(6)の場合、翌朝をむかえたとき、さっぱり気分が変わっているときと

前日と同じ重さを抱えたままで起きる時と

2通りありますが...



このぐらいしか、思いつかんとです。



皆さんが試してみて


「これは効果あったよ!」というのがあったら

教えてくださいませ。





  
Posted by レニア at 18:14Comments(18)自分さがし

ちょっと、魂のはなし

2012年02月05日

シアトルは、2週間前のあの大雪がウソのように
快晴の週末を迎えています。

日常の慌ただしさから、しばし離れて
ちょっと立ち止まり
今の自分を 見つめてみる。

今日はそんな日でした。


私は 自分という存在が
肉体という「個体」によって定義されるものではなく
「意識」(魂?)の存在だと 
訳もなく 納得しています。

他人もしかり。

出会う人みんなが、体を超えた、何と言うかもっとそれ以上の存在だと。


なぜ生まれてきたのか?という問いに敢えて答えるとすれば
肉体を持つことに意味があったから
「肉体を持たなければ分からない(学べない)ことがあったから」

だろうなあ〜と思います。


この種のスピリチュアリズムと呼ばれる概念は、ここ10年ぐらいで日本にも広まった感がありますが
(私もそのお陰で色んなことがやっと「腑に落ちた」一人ですが)

理解した、というよりは「思い出した」という感覚です。


それを、完全に忘れていた(?)10代、20代の自分と比べると
30代、40代の自分は別人のような気さえします。



今日はちょっと 立ち止まり
自分が今まで歩いてきた道のり
今の自分を
少し振り返ってみる時間が持てました。


私の40年ちょっとの人生にはそれなりに苦労もあり、
その時には「もう立ち直れない」と思ったほどの傷を受けた経験もありますが
世の中のあらゆる困難と共に行きている他の人と比較すると
例えば、先日ここでもご紹介した「ジョシュ」に比べると

私の今までの人生は、さほど障害のない
比較的ラクな人生だったように思えるのです。


障害のない、五体満足の体で生まれてきました。
愛してくれる家族がいました。
辛いことがあった時に、手を差し伸べてくれる人がいました。
「もうダメだ」という窮地に立たされた時に、絶妙のタイミングで救ってくれた人がいました。


人間は、生まれてくる前に自分の人生計画を立ててくるそうです。

人生で起こる困難は、実は全てが 自分が自分の成長のために計画してきたことで
つまりは逆に言うと、自分の能力レベルで乗り切れない困難は
プログラムの中に入ってないんだそうです。

「ちょっと頑張れば、解ける」問題しか、人生には起こらない。

身の丈にあった困難(人生)を
自分が自分の成長ために用意して、生まれてくる。


それは、小学生が「足し算ひき算」を習得して はじめて
その次の段階の「かけ算わり算」ができるようになるのと同じだそう。


ジョシュの記事にコメントを残して下さった、かおりん50さんもおっしゃってましたし
久しぶりに手に取って読んでみた、福島大学教授の「飯田史彦」氏の著書にもありましたが、

重度の障害や病気、
または貧困、差別などで非常に辛い境遇にわざわざ生まれてくる子供は
その困難を乗り越える力のある、経験豊かなレベルの高い魂。

もし私が、「足し算ひき算」レベルでまだ四苦八苦している小学生だとしたら
おそらくジョシュは「微分積分」あたりをやってる高校生でしょうか。

マザーテレサのような崇高な方に至ると
大学院で卒業論文を書いているような方かもしれません。。。


そんな高レベルな方たちと、同じ学校(地球)で同じ時代に生まれ
学ばせてもらっている。

そう思うだけで、今生きているという事実を
とても謙虚に受け止めることができます。


この先、どんな困難が起こっても
「これは私が、自分のために用意したことだ」と思えば

人を恨む必要もないし
アンフェアな運命を呪うこともないし

心がラクで、自由でいられます。


それを思い出して
何だか今日は有意義な土曜日でした。


レニアの独り言でした (笑)





  
Posted by レニア at 16:41Comments(4)自分さがし

相手に腹が立つのは

2011年12月17日

シアトルの冬を乗り切るのに、欠かせないアイテム。

五本指くつ下  (腹まきもします)


加湿器

家の中はずっとセントラルヒーターで、暖炉もつけっぱなしなので
これが無いとお肌カサカサ、唇ガサガサ、のどガラガラになります。

鹿児島の両親が送ってくれたもの。
冬はフル稼働です。感謝感謝。



ちなみにうちの男どもは家の中ではいつも半袖。

学校でもこの寒いのにエラい薄着の子がいたりして
白人って、東洋人と比べると肌が鈍感なんじゃないの?って思います。







入浴剤


シアトルのダイソーで買いました。
アメリカに居ながら、指宿の温泉気分〜〜♪(気持ちだけでも...)





お湯には殆ど毎晩つかります。


その時の友が、こちら DOWN



日本の書籍を読む、時間。
ほっとする、時間です。




徳島に住むお友達が、毎年私の誕生日に日本の本を送ってきてくれます。


シアトルにも「紀伊国屋」がありますが
日本の書籍はこちらでは値段が倍以上するので、なかなか自分では買いません。

なので、本のプレゼントは本当に嬉しい。
彼女が私のために選んで送ってきてくれた本が、もう何冊もあるのだけど
何度も読み返します。



さ〜て、ふろにでも入ろうかねー

と、今夜ふと手に取ってみたのは
前に何度も読んだ一冊。

写真、手前右にある

「大丈夫!うまくいくから」 (By 浅見帆帆子)




もう何度も読んだのに、
なんとなく また、手にとって読んでみようかなと思うのには
やはり意味があるんですよね。

ふと、開いたページにあったことば。



相手に腹が立つのは、自分が相手と同じレベルにいるということで

あなたのほうがレベルが上であれば、なにも感じません。

子供が言う事に、本気で腹を立てる大人はいないようなものです。

なんとも感じなくなります。

そして、その人の良い部分とだけつき合えるようになります。





今日ちょっとカチンとくることがあったので...笑




いつものごとく、ナイスなタイミングで
メッセージが届きました。



上にいる皆さん、いつもどうもありがとう。


  
Posted by レニア at 17:07Comments(0)自分さがし

ちっぽけな自分

2011年07月26日

人間、生きてればリズムってある。

トントントン
って進むときもあれば

持てる力を振り絞っても
1ミリも進めないような

そんな
気分になるときも。


ふとしたきっかけで

または
きっかけなんか無くても

自己価値観

っていうんですか。

それが、なぜか
ズドーンと落ちちゃって


だめな、私
私、ダメダメ人間


てね。


一度、「私、だめだめ」モードに入ると
しばらくはそこに潜伏するので
甘んじて受け入れます。

私の場合、過去に受けた傷が
いきなり浮上して
...というパターンが多いのだけど

これ、

抜けるのも「あれ?いつの間に?」って感じで
いきなり終わるので

それまでは、take things easy


できれば、
ゆっくり湯につかって本でも読みたいところだが
残念ながら今はそんな時間はないので

でもいつもなら100%やる明日の仕事の準備も
今日は80%で、やめる。
今日はここで終わり。

体を冷やす、冷たい飲み物も
今日は飲まない。

なので、今夜のお供はビールではなくて
こやつ。




これだけ付き合いが長いと
自分の扱いも
だんだんわかってくるものですな。


ラッキーなことに、私は親友と暮らしているので
ちっぽけな自分を
言葉にして発信したいときは
やつに聞いてもらう。

でも今日は
発信モードではなかったので
ちっぽけな自分を、内に抱いて
なんとなく自分といる。


  
Posted by レニア at 18:30Comments(2)自分さがし