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Posted by チェスト at

待つという試練

2013年05月01日

うちのリビングからの眺め。

冬の間はこんなだったのが



気がついたら、こんなことになっていた。


緑、緑、緑。。。


若い頃は大して気にも止めずにいた、季節の変化。

まるで魔法だ...

こんな魔法に魅了されずにいたなんて、
若い頃の自分(特に日本にいた頃の自分)は、
一体他の何に
そんなに気を取られていたのだろうか?...なんて考えてしまう。


「無」に見える状態から
「命」を再現する、自然。


季節感のあまり無いハワイに長く住んでいたせいだろうか
その魔法に、無条件でうっとりしてしまう。



この木々たちは、こうして毎年命の再生を繰り返し

きっと
私がいなくなったずっと後も

変わらずここに立っていることだろう。









ここ3ヶ月程、二人の男性のことがずっと頭から離れなかった。
毎日毎日いつも心にあった。


一人は、父。


もう一人は、息子だ。





2月のある朝に妹から届いた知らせは、実は父の事だった。

大きな病気をした。


一週間の春休みによほど日本へ帰ろうかと思ったが、お金と時間の都合がつかず帰国は叶わなかった。

シアトルから東京まで直行便に乗れたとして10時間。
ロスやサンフランシスコ経由なら15時間はかかるだろう。
そして日本到着と同日に東京から鹿児島までの国内線に乗り換えられたとして、もう2時間半。
同じ日に鹿児島行きに乗りそこねたら、帰路は二日がかりとなる。

故郷は決して近くない。


大学まで地元で出たのに、どうしてこんな遠くに来てしまったんだっけ?
...と
朝通勤の車を運転しながらふと考えている自分が居た。


母、妹とは頻繁に連絡を取っていたが
いかんせん、自分の目で状況を把握できない事に関しては
悪い方向にどんどん想像を膨らませてしまう悪いクセがある私。


父は4月あたまに入ってから手術をし、お陰さまで術後の経過も安定しており
先週無事に退院となった。
まだまだ治療は続くようだが、退院の知らせを聞いてやっと自分の気持ちも安定してきた。
(それまではこうして父のことを文字にすることが何だか怖く感じられた)



そして、息子。


息子は、、、
どこまで行ってしまうのだろうか?という方向へ、今走ってしまっている。

長い長い回り道をしている。


しばらく連絡も取れなかったが

FBにある日、私と夫宛てにメッセージが届いていた。


"I miss you and love you so much.
This is my own battle with myself. Please do not worry."




息子のことを思うと、心配で心が乱れる。
そして腹が立ってくる。
あの子が今感じていることに思いをよせると何だか涙が出て来る。
日常の責務を全うするのに支障を来せないので
普段はなるべく考えないようにしているが、なかなか。


夫は "This is the choice that he made" と言う。

「これはあいつの決めたことだ。
あいつの人生だ。
自分で方向転換しようと思わない限り、周りには何も変えることは出来ない。」




子供がまだ幼くて、全てから守ってやらねばならない時の親の負担も相当なものだと思うが
子供が思春期になり、自分の人生の迷子になり始めたとき

それでもその子を信じて、ただじっと待つということ

その時に親として問われる
忍耐、許容量、信じる力

これも、相当なものだと感じる。



私の人生にある、この二人の男性へと馳せる思いと
日々の忙しさとのバランスを保つ、、、

そこから生じるストレスが、先日の夫婦ゲンカ勃発に繋がったのではないかと実は自分では思っている。






寒く凍える冬も
辛抱強く待っていれば、いつか春がやってくる。


ただ、信じて待つということ。


それは人の人生にも当てはまることだろうか?



己の抱えた問題ならば、己が全力を尽くせば
それなりの結果がついてくる。

でも、自分ではない人間のことは?



あの子が、そのことを分かってくれますように。
あの子が、そのことに気付いてくれますように。
あの子がどうか、長い旅路を終えたあとに
最後には、人生を喜んで迎え入れることが出来ますように。。。




親をやったことのある人なら

多かれ少なかれ、
そんな気持ちになったことがあるのではないだろうか。




ただ信じて「待つ」という試練。

その結果は「私の努力次第!」ではない、という試練。




生まれて初めて経験させてもらっている。






  
Posted by レニア at 17:51Comments(6)子供

届かぬ思い

2013年02月19日

こちらの記事は、「シアトル日記」新サイトに移しました。








  
Posted by レニア at 17:22Comments(8)子供

息子の手紙

2012年10月26日

こちらの記事は、「シアトル日記」新サイトに移しました。

















  
Posted by レニア at 15:44Comments(31)子供

子供って本当に、、、

2012年10月22日

すっかり秋めいたシアトル


ついこの前までバルコニーにハミングバードが遊びに来てくれていたのに




でも気温の低下で、このプランターの花もいつしかその命を終えた。



去年マイケルに買ってやった
古〜〜い、トヨタカムリのワゴン車


大事に乗んなさいよ

と言ってあったのに
最近になってとうとう走らなくなった。。。うるうる


職場でスーパーバイザーに昇格して
次は、アシスタントマネージャーになることを狙っているマイケル

その為に、車はどうしても必要らしい。
(銀行へ振り込みに走ったりするため)


といっても本人には新しく車を買う蓄えなどない。


こういうとき、いつも悩むのだ。

たとえば私の車をあの子に譲って、私が新しく車を購入するか?などなど

親がサポートしてやることは簡単な(しかもラクな)ことだ。

でも

それが長い目でみたとき果たして彼の為になるだろうか?と
夫とさんざん話し合った。

マイケル本人は、自分に車を買ってくれと頼んできたりはしないが

親が何か良い案を提示してくれるのではという期待は持っていたと思う(今までがそうだったから)

前述のトヨタのワゴン車は、完全に「ギフト」だった。

今回もそうして彼に車を買い与えてしまうのは簡単だが、
そうするよりは
時間がかかっても本人に払わせたほうがいいのではないかという結論に
最終的に夫婦で達した。

それで提示した案は

別の中古車を親が立て替えて購入する。マイケルはこの先3年ローンでその支払いを親に対してする、というもの。


これまたタイミング良く、ワシントン大学の研究員として働いていた日本人の方が
来月日本へ帰国するということで、お持ちの古いトヨタ車を売りに出しているのをネット上で見つけた。

98年のトヨタ「シエナ」
割と大きなバンだが、私としては過去の持ち主が全て日本人だったという点が
大きな安心材料となった。
(個人から車を譲り受ける場合、色んな人がいますからねえ)

マイケルを連れて、その方のところへ試乗に訪れたが
とても良心的で誠実な人だという印象をうけた。
車も多少のダメージはあるが走行には問題なく、20歳の男の子が乗るにはこれで充分だと感じた。

マイケルも「気に入った」と。



マイケルが今出せるお金は$400だけ。
なので残りは親が立て替えることになる。
その支払いを彼は月々私たちにしてゆくことになる。


そうやって彼が毎月支払ってくれるお金は、マイケルのお金として貯めておき
ゆくゆくは本人に返すつもりでいるが
その事は本人には言ってない。


3年という長い期間に、毎月きちんと支払いをしてゆくという経験自体が
本人の自信につながるのではと考えて、夫と至った結論だったが

果たしてこのやり方が最良かどうかは
時間がたってみないと分からないだろう。

同じような年ごろのお子さんをお持ちの親御さんだったら、
どうされるだろうか。

私たちは甘すぎるのだろうか
それとも
厳しすぎるのだろうか






マイケルに関しては、本当に悩みが耐えない。

どんなに体がきつくても仕事のストレスにはいくらでも対処できる。ここまで熟考したり気をもんだりしない気がする。




そんなすったもんだの合間に、
実は引っ越しである。(苦笑)




もともと今の地域に留まったのはマイケルの学区を変えたくなかったからで
彼が高校を卒業した今、この地に留まる理由はないので
もう少しシアトル中心地に近い所へ、思い切って動くことにした。


うちのもう二人(?)のガキんちょども

この子たちを連れて初めての引っ越しである。
ネコは家に住み着くというから、新しい場所で大丈夫かなあと、、、ちょっと心配ではあるが。

こちらのそんな心配をよそに、のん気にお昼寝のココ。
すっかり我が家の一員になった。


あんたはいいねえ、、、寝るのが仕事で。 苦笑




キキはというと
最近はもっぱらマイケルの部屋に入り浸りである。





人間の子供も、ネコの子供も
子供は本当に手がかかる。
いくつになってもそれは変わらない気がする。


きっと私だって
親にそういう風に思われていたんだろうなあ、、、と思う。









  
Posted by レニア at 14:26Comments(6)子供

男足らしめるもの

2012年10月14日

男を 男足らしめるものって
何だろう?

そんなことを最近ふと考える。


それは夫を見ていてではなくて

マイケルを見ていて思うことである。


私には男兄弟がいないので、十代後半の男子には自分が十代後半のころに学校でしか接触したことがなく
その変貌ぶりがどんなものなのか、間近で目撃したこともない。

なので

15歳ー20歳という時期の、男の子の変化を目にしたのは
マイケルが初めてだ。


マイケルは 4歳の時から夫が男手一つで育てたので
しぐさ
言葉の選び方
そういったものは明らかに夫の影響を受けている

痛みを口にしない(身体的痛みも、精神的痛みも)
そういう部分も、父ちゃんそっくりだ。


でも
男としてのタイプ(雰囲気)は、
夫とマイケルでは明らかに カラーが違う。

敢えて色づけをするなら、夫は「ブルー」

マイケルは「赤と黒」だろうか。

その、くっきりとした「赤と黒」感に
少し淡さが出てきたというか、、、最近のあの子を見ててそんな印象を受ける。
つまりは成熟感が出てきたのだと思う。


居候していた友人宅を出て、次の居住地を決めるまでということで
2週間ほど前から家に帰ってきているマイケル。

半年ぶりにあの子と暮らしてみて、
「すごく」変わったなと感じるのだ。


うまく表現できないのだけど、「自分、自分、自分」のことでいっぱいだった子が
自分以外の存在に気を配れるようになったというか

「ごめん」「ありがとう」と
スルリと言葉にするようになったというか

学校のことなんて、もちろん自分からは殆ど話さないし
こちらがたまに尋ねても「別に」ぐらいしか発さなかった子が

今は仕事から戻って、
その日あったこと、本人が大変だったと思うことを
事細かに報告したりする。

今働いているピザ屋では、この半年の仕事ぶりが評価されたようで
最近スーパーバイザーに昇格した。

新しく入ってきたアルバイトの子たちを(といってもマイケルとさほど変わらない年齢の子たちを)
指導する立場にたっているらしい。

「人に教える」ということの難しさを 身をもって体験しているようだ。


マ:できないやつらに任せるより自分でやったほうが早くて、つい全部自分でやってしまう。そしたら「それじゃダメだ」とマネージャーに怒られた。

夫:それじゃ俺と同じだ。それじゃ人は育たない。それじゃダメだ。

(夫は長年マイケルに対してそうだった)

私:人を育てるには忍耐がいるよね。相手をまず信頼しないとね。自分が信頼されてると思ったらマイケルだって頑張ろうって思うでしょう?あなたが今指導している相手も、まずはそういう気持ちにさせないとね。


私たち3人のあいだで、こんな会話が飛び交うようになるとは、、、

何だかちょっと信じられない気持ち。
感慨深い。


こちらの言う事に対してマイケルも、
意義を唱えたり
疑問を口にしたり
自分なりの意見を述べたり

彼とそういうやり取りをしている時、
子供というよりも、一人の働く大人と対等に話をしているという感覚に陥る。



男を男にするもの...それは、やっぱり
女性でしょう



と、ずっと思っていたのだけど

現在のところマイケルにはパートナー(彼女)はいない。


なので、男を男足らしめるものは
必ずしも「女性」ではないようだ。



仕事だろうか。

それとも、親元を離れて暮らしてみたという経験だろうか。



15歳の時の彼を振り返ると、
別人のようになったなあ〜、、、と思いながら

感慨深くあの子を眺めている「なんちゃって母ちゃん」である。




でも...

相変わらず起きれないのである(笑)。

起こして起こして
やっと起きる。

起こしてくれる人もいなかったこの半年
あんたはどうやって自分ひとりで起きて、時間通り出勤できてたの???

って感じなんですけど えーっと・・・


子供の成長を促すには

親がいつまでも側にいないことが
一番良いのかもしれない。










  
Posted by レニア at 17:48Comments(2)子供

20歳

2012年09月01日

27日はマイケルの誕生日だった。

20歳になった。



前日深夜、日付けが変わった時点で夫と2人して「おめでとう」のメールをするも
返信なし。

翌日の誕生日当日になっても、うんともすんとも言ってこない。


まぁね〜、20歳だもの。もう親とどうこうする年ではない。
私も20歳の時は大学の友達と始終つるんでて、殆ど家にいなかったし。

おそらく前夜に仕事あがりに友達とそのまま飲みに行くか何かして、明け方まで遊んでて
まだ寝てるんだろう。
今日も仕事なのかな。仕事が休みだったらお祝いに食事でもと思ったけど
この調子だとまた後日だね、と夫と話していた。

。。。と思ったら

8時ごろになって

I'm coming over now.(今からそっち行く) とメール。


私と夫はもう夕食を済ませていたので
お祝いを兼ねて久しぶりに3人で外へ出かけることにした。







さて先日の、甥っ子姪っ子が小さい時の写真。



マイケルは B の赤ちゃん。

当時はいとこの中で一番年下で、ちびっ子の間でもひときわ幼い。

それが20年経って、

こうなった。↓


今では体格も夫と変わらないか、マイケルのほうがちょっと大きいぐらい。

久しぶりに会ったら少し痩せたなと感じた。
顔がずいぶんシャープになってきた気がする。



アメリカでは成人する「18歳」と、飲酒がみとめられる「21歳」の誕生日が
子供たちにとっては大イベント。
「20歳」の誕生日はあまり意味がなく淡々としている。

でも日本人である私にとっては、やはり「20歳」というのが感慨深い。
「18歳」と聞くのと「20歳」と聞くのとでは、全く印象が違う。

アメリカ人ティーンエージャーのマイケルとの生活は
日本生まれ、日本育ちの自分にとってはカルチャーショックも多かった。
自分の日本人としての価値観を押し付けているのでは?と疑問に思う時と
でも親の信条は子供にはきちんと伝えたほうがいいのでは?という気持ちの狭間で揺れたり
心配もいっぱいした。


その子がもはや「ティーンエージャー」ではなく、20代に突入。



家から出てしまえば親はもう監視はできない。
あとは本人の判断力を信じていくしかない。
危ないことから守ってやることもできないし、先回りして助言してやることもできない。

だが男の子だ。「自分で何とかしなければいけない」という生活に早くから身を置くことは、マイケルのこれからの人生のために重要だと感じた。
ここ数ヶ月でずいぶんとお兄さんになった感がある。
親が子供に本当の自立心を教えてやることはできないと感じる。こればかりは本人がさまざまな経験から養ってゆくしかない。


今はまだ私たちが経済的にも色んな面でサポートをしているが
その支えをこれからひとつひとつ取り去って、マイケルは本物の大人になってゆくだろう。

その過程には様々なことがあるだろう。
色んな人から色んな影響を受けるだろう。
良い出会いばかりじゃないかもしれない。八方塞がりに感じる瞬間もあるかもしれない。
ヤケになって何もかも投げ出したい絶望感にかられることもあるかもしれない。

自暴自棄から道を踏み外してしまうことも...
もしかしたら、あるかもしれない。


それを親が前もって防いであげることは、できないのだなあと
マイケルの顔を見てて思った。


もう本当に、信じるしかないのだ。




そのうち、マイケルが自分の家族を持って
妻や子供を支える柱となる日がくるのかな。

そのうち、老いた私たちが
逆に叱られたりする日がくるのかな。(笑


当分はまだまだ、心配することのほうが多そうだ。







それにしても人間ひとりを導いていくことが、どんなに難しい作業か

マイケルと家族になってから痛感することしきりだった。


そして自分の親にしみじみ感謝した。


私の場合、20歳のころはまだまだ親の庇護にあって
自宅から大学へ通わせてもらうという恵まれた環境にあったが
その大学を半年休学して、まだ言葉もしゃべれなかったのに単身渡米するという大冒険を果たしたのが
ちょうど20歳の時だった。

当時はEメールも携帯もなく、国際電話はめちゃめちゃ高く
連絡を取り合うといえば手紙だけ。
親は、とくに母は
さぞ心配したことと思う。

けっこう無謀な事を平気でする娘だった私のことを、きっとハラハラしながら見ていてくれたのだろうと思う。
自分がハラハラする立場になって初めて分かる、親の苦労。。。



皆さんは20歳のころどんなだっただろうか。







  
Posted by レニア at 08:11Comments(2)子供

まま母

2012年06月23日

"step mother" って日本語で何て言うんですか?

と学生に聞かれて、困ることがよくある。

実母ではないけれど、父親の婚姻の結果
法的に自分の「母親」となっている人のことだ。


「まま母」って言っちゃうと
シンデレラに床そうじさせてた、あの意地悪〜〜いおばちゃんを連想してしまう。
ちょっと違うんだよなあ。。。


日本社会では、step motherがあまり存在しなかったから言葉が無いのか

それとも

step motherも実母であるお母さんと差別しないよう、言葉を作らなかったのか

その辺は定かでないが、
とにかく ピタリ!とくる日本語が、思いつかない。


いずれにせよ
ここアメリカでは、私はマイケルの「step mother」だ。


そのマイケル。
2ヶ月ほど前から家を出て、独り立ちをめざし
仕事をしながら友達の所に居候して暮らしている。




先週の日曜日は「父の日」だったので

「ごはん食べに寄んなさい」と

マイケルを家に呼んだ。


その日、夕方6時から仕事に行かなければならなかった彼は
(ピザ屋で働いています)
長居はできなかったけれど、
久しぶりに顔を見せに立ち寄った。


顔を見たのは3週間ぶりぐらいだった。



仕事着だったせいか、
少し見ない間に随分お兄さんになったなあ〜〜と感じた。




しかも、ちょっと前まで写真を嫌がって滅多に撮らせなかったのに、
この日はカメラを向けたら ふわりと 笑顔さえみせた。


ちなみに
これは2年前のマイケル。


(この時も、日本の私の両親が送ってくれたクリスマスプレゼントのダウンジャケットのため
何とか撮らせた一枚だった)




この2枚を比べてみると、明らかに男くさくなってきたなあ〜〜というか
(ある意味、むさくるしくなってきたというか?... 笑)

成長しているのだなあと感じた。




私は今でも、ふと考え込んでしまうことがある。




私という人間が
しかも日本人という、全く異質の文化からやって来た人間が
マイケルの人生の、しかも最も多感な時期に入り込んできたことが
彼の人生にどれだけの軌道修正を強いたのだろうかということを。


夫は、自分の意思で
私という人間を選んでくれた。

でもマイケルは、そうではない。


彼は、ある意味、大人の決断に
むりやりつき合わされたようなものだ。

しかも私は異文化からやってきた人間で

例えばbreakfastといえば、
ごはん、みそ汁、漬け物に目玉焼き
と思う人間で、
朝っぱらから甘ったるいワッフルを焼いて、シロップたっぷりかけて食卓に出そうなどとは思いもしない。

家族の誰かが病気だ!となると

「おかゆ」

え? チキンスープ? 何それ?

という感じでしょうか。。。


躾にしても


「食べものを粗末にするな」

「体は親が与えてくれた贈り物だ。1つしかない、替えがきかない。大事に扱え。」

「因果応報。他人にしたことはいずれ自分に返ってくる。」

「誰も見ていないと思ってもお天道様は見ているよ」


めちゃめちゃ物質主義社会のアメリカの、ティーンエージャーが聞いたって
「はあ〜〜??」というような、(古い)日本人の信条を
そのまま口すっぱく、繰り返してきた気がする。


それが、果たしてマイケルにとって良かったのかどうか
彼にどんな影響を与えてきたのか、、、

私には分からない。


そんな事よりもこの辛辣なアメリカ社会で生き延びていくためには
もっと大切な「生きる術」があったのかもしれないが
この国で育っていない私には、その叡智が無い。

始めから、とにかく何もかもが手探りだった。

彼がそろそろ20歳になろうとしている、いまでも
果たしてこれでよかったのだろうかと
疑問ばかりが残っている気がする。。。




その日、玄関口を開けて入ってきたマイケルは
開口一番

「Happy Father's Day...」と

ぼそっと

夫に向かって言った。


そんな事、自分から率先して言う子じゃなかったので
ちょっとビックリ。
(夫も不意をつかれて「Thank you」と言いながらビックリしてた 笑)

でもそんなマイケルを見て

あ〜、大人になってきたんだなあと、、、




子供は、こうやって
親が始終そばにいなくても、自分で経験を糧にして成長してゆくのだと
そうやって自分の人生を歩いていくのだと


step mother(まま母)は、しばし感動に浸りながら

若き青年の顔を

見ていたことでした。






  
Posted by レニア at 17:56Comments(10)子供

女性とシェアしたい・・・独り言

2012年03月28日

今日のは、単なる独り言(愚痴)です。



男性の皆さんには「はあ?」っていう内容かもしれません。
すみません。



私は、サイクル(月のもの)がとっても正確です。
よっぽど疲れている時でも、1、2日、早かったり遅れたりするだけで
ほとんどピタリ!とやってきます。



その月のものが、、、今月は1週間過ぎてもやってきません。
実は昨日の時点で、10日も遅れていました。

アリゾナへ旅行してたりしたので「あれ?日数をかぞえ間違えたかな?」なんて
のん気なことを考えていたのですが
シアトルに戻って体調を記録してある手帳をきちんと確認したところ
やってくるはずの日は、確かにとっくに過ぎていました。


これは、これは、もしや、、、

と、もちろん期待に胸が膨らみます。


でも年が年ですから、安易に喜ぶのは止めとこうと
冷静に自分に言い聞かせたりもしてたのですが
ここ数日は、なんだかもう「来てくれている」ような気がして
ドキドキドキドキ。。。。
でもきちんと調べる勇気がなくて
先延ばしにしていた状態でした。


そして、昨日の午後になっても「月のもの」が来なかったら
いよいよ「Pregnancy Test」キットを買いに行くぞ!!・・・と思っていた、その矢先

マイケルに関して、ある事態発生。

夫と私とマイケルと、しばし3人でお話し合い。


マイケルは、心の優しい、頭の良い子です。
(学校の勉強はしませんでしたが。。。苦笑)
本人が本気になれば、何だってできる。 私はそう信じています。
でも、その当の本人が
まだ自分のことを信じきれていません。


生みのお母さんには育児を放棄されたり
色々と心の傷も受けたようなので、その影響もあるのかもしれません。
加えて、あとからやってきた「なんちゃって母」の私が
とてもカンペキなお母さんとは言えないので
カバーしてあげられてない部分もいっぱいあるのだと思います。


それでも20歳を前にしてようやく、
「そろそろ自分に自信を持って歩いていけそうかなぁ〜〜???」
、、、と思っていたところでしたが

今日、話していて

この子には、もうしばらくサポートが必要だ

と感じました。



そう感じた、その1時間後に

「月のもの」がやってきました。





なんだか、赤ちゃんが
せっかく来てくれていたのに

「なんか、いま大変そうだから、今回はやめとくね」


私を案じて、身を引いてくれたような気がしました。


「キャパの小さい母ちゃんで、ごめんよ。。。」と

思いました。

なんだかとてもとても
申し訳ない気持ちがしました。



私の、勝手な妄想だとは分かっているのですが

心底、申し訳ない気持ちがしたのです。


でも今は、目の前にいるこの子に集中する時なのだろうと、、、




私は、マイケルのおむつを替えたこともなければ
夜泣きに悩まされて眠れない夜を過ごしたことも
高熱を発した幼い彼を、夜通し看病したこともありません。

それをしてきたのは、夫です。

私は、そうした一番大変な時期をすっ飛ばして
完全なる「途中参加」の親です。
それでも、一人の人間の成長をサポートするという仕事は
大事業だと痛感しています。


世の全てのお母さんを、心から尊敬します。




レニアの独り言でした。


  
Posted by レニア at 14:24Comments(4)子供

思春期の甘え

2011年12月21日

さいきん、マイケルの機嫌が悪い。
むっつりした顔をしてろくに口も聞かない。

「What's the matter?」(どうしたの?)

と聞いても、返ってくる返事は

「Nothing」(別に)


どうせ聞いたって、理由なんか説明してくれないと分かっているんだけどね。困ったな

一応、聞いてみる。
んで、反応がこんな感じの時は
もうあとは放っておく。


クリスマス商戦で店はどこも繁忙期。
マイケルは全米チェーンの大型店で、夜間納入の仕事をするようになって一ヶ月半になるが
夜中から明け方まで働いて、昼間はずっと寝ているというのがここのところの生活パターン。
昼と夜逆転の生活が体にシンドイのか
それとも職場でイヤなことがあるのか
はたまた、どっか痛いのか。。。

言わないので分からない。


そして自分の昔を振り返る。

私も高校三年(18歳)の時は、始終家では不機嫌だったなあ〜。。。と

受験勉強で睡眠不足で
うちではろくに口も聞かずムスッとしてた覚えがある。
親の庇護のもと、住む場所にも食べる物にも困らず
守られて、自分のことだけ考えて毎日を送っていればよかったその有難さに気付きもせず
毎朝早く起きてお弁当を包んでくれる母に「ありがとう」も言わず
訳もなく自分を閉ざしていた。

マイケルを眺めながら思う。
母もきっとこんな気持ちだったんだろうなあ〜と。
人にしたことは必ず自分に返ってくる。
お母さん、ごめんね。


ひとつ覚えているのは、母は根掘り葉掘り聞いてくるタイプの母親ではなかったということ。

あれはどうなった?これはどうするの?この前のテストはどうだった?お友達と何かあったの?

云々を、一切聞いてこない人だった。

おそらく聞かれても、私も己の中のグレーがかった、漠然とした苛立ちを
うまく言語化して伝えることはできなかったと思うので
母がそっとしておいてくれたことには感謝している。


それを覚えているので
私もマイケルのことは、なるべく本人任せにするようにして
普段はめったに口出ししない。


ただあまりに無責任な、特に人様に迷惑をかける、または約束をやぶるようなことをした時には
ガツンと叱ってしまう。

もう19歳だし(アメリカでは18歳からを成人と扱う)
本人が何をしても「自己責任」と一切を言わずにおいたほうがいいのだろうか?

同年代の息子さんがいる(いた)お母さん、どう思われますか?



一応本人は神妙に聞いていて、あちらに言い分がある時は私も黙って聞くようにしている。

でも、
「これはここで言っておかないと、本人のためにならない」と思って叱っても
19歳相手に言葉で伝えたって
それがどれだけ本人の中に残るか甚だ疑問だ。


ここからは彼が経験を通して、イタイ思いもして学んでいくしかないのではないか?

と思ったり、でも

叱らないのは、単に自分がラクしたいからではない?
とも思ったり
(だって叱るってシンドいですよね)

マイケルを心底信用してたら、心配なんかしないのでは?

と考えたり、はたまた

そもそも私が短気なだけじゃないの?
って思ったり、、、



「なんちゃって母」は
悩める年頃です。。。困ったな



先日は子供を望んでいるとブログに書いたが
その子も生まれて15年もしたら、このやっかいな年齢に突入するのだと考えると。。。

......

自信ないですよ。
うちはマイケルだけでいいかも(苦笑)







  
Posted by レニア at 10:06Comments(0)子供

子供のこと

2011年12月19日

大学が冬休みに入って、普段より時間の余裕ができると
ふと気づいたときに色んなことに思いをめぐらせている。

時間があるのも、考えものだなと思う。


先日、しばらく連絡を取ってなかった人が
Facebookを通してメッセージを送ってきてくれた。

「実はいま妊娠8ヶ月で、1月末には女の子が誕生する予定です!」


その文字を目で追いながら思わずでた言葉は

「うわ、いいな!!」




前にこのブログにも書いた記憶があるけど
ちょうど一年ぐらい前に私は「クロミド・チャレンジ検査」という卵巣の機能を調べる検査を
婦人科で受けた。

その検査結果は
「卵巣機能に問題なし」


あれから一年。
妊娠はしない。


夫と結婚してから、正直いって今までマイケルのことで手一杯だったし
仕事へ行けば行ったで、これまた18〜23歳の若者70人ほどを相手にする。

日々子供に囲まれて
子供に心を配って忙しく暮らしているので
普段は妊娠のことはあまり考えない。

今年に入ってから腰を悪くしたり、遠近両用めがねが必要になったりと
老化はヒシヒシ感じているが
それ以外は、体もいたって健康。



でも、もう無理かもしれないなあ〜とも思う。。。



腰痛治療のために通うようになった、鍼の先生は
「お母さんの体が健康でさえあれば、まだまだ大丈夫!」と言ってくださる。

ちなみに先生曰く、私は日々のエネルギー消費過多で
血が足りてないそう。
だから肌が黄色がかっているのだとか。。。(鉄分が足りている人は肌がきれいな色白になるとのことです)
体を休めることと「ひじき」のような食材をもっと取るようにとのお達しだ。


あと頭がむくんでいるから(頭がむくむ??顔ならいつもむくんでるけど? えーっと・・・ 笑)
色んな事を深く考えすぎる性質なのでしょう、と言われた。
これは図星。
先日も夫に「You worry too much」と指摘されたばかりだ。

子供を望むなら、まずはそういった点を改善して体をより健康な状態に戻しましょうと言われた。


よく読ませてもらうブロガーの中に
N.Y.在住で、なんと40代後半で初めてのお子さんを出産された方がいる。
彼女の息子さんはもう1歳で、とにかく可愛い。
彼女のブログを読む度に、自分にもまだ可能性はあったりするのかなと
淡い期待を抱いたりもしてしまう。。。



この夏鹿児島に帰ったとき大学の後輩に会った。
1歳になろうとしている娘さん「Rちゃん」と一緒に会いに来てくれた。

「She is such a sweet baby...」相方もRちゃんに目がハート♡。



やさしい後輩は
「センパイ、(妊娠を望むなら)赤ちゃん抱くといいんだよ。」
と言い
私に、愛娘Rちゃんをいっぱい抱かせてくれた。


もしかして「Rちゃんご利益」も、そのうちあったりして。。。?



日本を離れてからホントに色んなことがあって
アホな事もして痛い目にもあって
転んでは起き上がり、また転んでは起き上がり
経験から学び経験を糧に、とにかくがむしゃらに生きてきた
そしてようやく
心をまんま預けられる伴侶に出会い、その人と子供を持ちたいと思うようになった。

そういう気持ちに落ち着いたころには、自分が年を取りすぎていたとは
なんとも人生皮肉なものだな〜と。。。



だけど


今いる場所にたどりつくのに
やはり「近道」はなかったと思う。




  
Posted by レニア at 16:44Comments(0)子供

I'm hungry...

2011年11月21日

I'm hungry...


マイケルの口ぐせだ


19歳と3ヶ月。まだまだ食べる年齢だろう。

特に、最近仕事を始めたので余計にエネルギー消費するみたいで
よく食べる。

結婚して以来、何はさておき苦労したのは、この子の食事。
とにかくものすごい偏食だったのだ。

未だにシーフード類にはほとんど手をつけないが(エビフライはかろうじて食べる)
以前に比べるとずっと野菜も食べるようになった。
おやつにもスナック菓子などではなく
オートミール、ヨーグルト、シリアルなどをつまむようになった。


それでも、我が家では夕食に

ごはんとみそ汁
焼き魚
おひたし or 酢の物

なーんて訳にはいかないのがツライところ。



さて、東京に住む叔母からそれはそれは美しい大皿をいただいた。
有田焼窯元「深川」のお皿





こちらではなかなか手軽に手に入らない和食器。
こんな美しい和食器を見ると、食事する前からうきうきしてしまう。
アメリカの食文化には食事を美しく盛り視覚からも楽しむという感覚がないため
結婚したころ夫が所持していた食器類は、必要最低限の
それはそれはベーシックなものばかり。

私はハワイを離れる時、大半の物を手放してきたため
しばらく我が家では1枚の質素なプレートに
野菜類、お肉類、炭水化物を一緒にてんこもり、みたいな
初めのころはそんな味気ない食卓の風景が続いた。


生活が安定してくるにつれ食器の数も増えたが
それでもアメリカにいて「これ、ほしい!」と思わせてくれるような和食器に出会うことはあまりない。

なのでこの叔母からの贈り物は心底嬉しかった。



さて、何を作って盛ろうかなあ〜と色々イメージを膨らませていたが。。。



マイケルが食べるもの

ということで、この美しい有田焼大皿の我が家でのデビューは
結局これ↓になってしまった。。。 (叔母ちゃん、ごめんね)




余談ですが、うちの男どもはキャベツを生で食べません。
(これはアメリカ人に共通してること?)
なのでトンカツには必須の「キャベツの千切り」はうちでは却下で
変わりに別途でサラダを作りました。



今夜はお皿の優美さを尊重して少しずつ盛ったが
カツは合計10枚揚げた。
夜中から働く男2人を食べさせないといけないとので、どうしてもこの量になる。
このうち私が食べたのが1枚
夫が3枚
マイケルが4枚
残りは夫のお弁当+仕事あがりのマイケルのお夜食になった。


それにしても、この美しい大皿にトンカツってのはやはり。。。。DOWN

私:まだ食べる?

マイケル:うん。


その度にキッチンに戻ってトンカツ切っては盛り、テーブルに戻るワタシ。。。
結構せわしない。
次回からはこのお皿でトンカツは、やっぱ止めよう 困ったな


ちなみにこれが普段トンカツに使うお皿。





ところで夫曰く、アメリカ人にはポークをdeep-fryする(油で揚げる)という食習慣は無いそうだ。
deep-fryするといえば、チキン。
なので、うちでは「トンカツ」ならぬ「チキンカツ」もよく作る。
専ら胸肉を使うので、もも肉を使う「唐揚げ」よりは若干あっさり。
実は私もトンカツよりはチキンカツのほうが好きだ。


ただ、チキンカツを「まんま」食べるのならいいのだか
うちの男どもが好むのは、それにタップリのチーズとトマトソースをかけ、さらにオーブンに入れて調理する
「パルメジャン・チキン」というやつ。


総カロリーはいかほどか。。。想像しただけで恐ろしい。
見てくだされ、この量。
これを殆ど2人でペロリと平らげます。




マイケルは今夜も11時には仕事に行った。今ごろこの寒い夜中に一生懸命働いていることだろう。
夫もあと1時間もすれば起きて仕事へ行く。

2人になるべくパワーの出るものを食べさせようと思うが
それにつき合っていると40歳をこえたおばちゃんは胃がへとへとになりそうや。

西洋人と東洋人って
体内にある「酵素」の種類が違うんだそう。
狩猟民族である西洋人は、農耕民族である私たち日本人に比べると
肉を体内で分解する消化酵素の力がずっと強いのだとか。
だからあんなに肉食べても、ケロリとしてるのね。。。


夫とマイケルを、私の好む食事内容(豆腐、海藻、野菜、魚)につき合わせたら
おそらく体力が持たないだろうな。

40代の夫と2人きりならまだしも、若いマイケルがいる間は致し方ない。

明日は「ラビオリ」の予定。(またトマトソースかい...苦笑)




  
Posted by レニア at 19:46Comments(4)子供

子供の成長

2011年09月01日

まだ、ちょっと怖い

でも、やっぱり
感動。。。

マイケルの運転


マイケルの運転する車で、おでかけ。


3人で食事に出た時、相方と私は飲むだろうということで
マイケルに運転をお願いした。

彼の車に乗るのは
実はまだ2回目のワタシ

助手席には夫が座り

私は後部座席で、無意識に 足が
何度かブレーキを踏んでいた(笑)


でも、こんなだった子が


今ではこうやって
飲んだくれる父ちゃん母ちゃんの代わりに
運転までしてくれる

マイケルの最初からを知らない私でさえ
なんだかしみじみしてしまうのに、、、

これが、写真の赤ちゃんの頃から知ってたら
一体どんな気持ちがするのかなあ〜、、、


車には
鹿児島のじーちゃん、ばーちゃん(私の両親)が送ってきてくれた
交通安全のお守りが揺れていた

どうか無事故で、安全運転
おねがいします。



  
Posted by レニア at 15:13Comments(2)子供

初めての車

2011年07月02日

8月で19歳になるマイケル。

ちょっと早いけど誕生日プレゼントを買った。


めっちゃ古い、TOYOTA Camry のワゴン車。

マイレージ(走行距離)が低くとてもよい状態だったので
本人の希望も聞いた上で、これに決めた。



ちまたには
まだ高校生なのにピカピカの新車を運転して
通学するようなティーンエージャーもわんさかいるが
うちではそんな贅沢はできず

というか
そういうふうに物を買い与えることは、結局マイケルのためにならないという点で
夫婦で意見が一致しているため

高校修了、そしてお誕生日のプレゼントも兼ねて
車を買ってあげるけど、上限はこれ。
これ以上のお金は出せないから、この範囲で車探しなさい。


と本人に告げた。



ホントは、ティーンエージャーに人気のある
HONDAシビックの新しいモデルとか、
フォルクスワーゲンとかマスタングとかが欲しかったと思うけど

色んなディーラーのサイトを見て車を探すことによって
それらの車が、たとえ中古であってもいくらぐらいする物なのか
現実を目の当たりにしたようで

それもマイケルにとって
良い学びの経験になったようだ。


19歳の目には到底「Cool」とは映らない
この古いワゴン車。

これをサイトで見つけて
実際ディーラーに試乗しに行ったとき
本人に「What do you think? (どう?)」と聞いたら

This is fine. (これでいい)

と言った。


夫は

デートの時、これで女の子を迎えに行っても
この車はおまえの自尊心を高めてくれるような
"セクシー"な車じゃないかもしれない。
でも、車はそのためにあるんじゃない。
これが、これからのおまえの生活の足になるんだから
故障なくしっかり走ってくれるかどうかが第一条件だ。
大事に扱えよ。


と言った。

私は、付け加えて

どんな車で迎えに行っても、そんなこと関係なく
あなたが好きと言ってくれるような女の子を
恋人にしなさい。


と言った。



アメリカには日本にあるような「自動車学校」がない。

マイケルはすでに筆記試験だけは合格してるので
今は夫がとなりに座って、空き地などで運転の練習をさせている。

そして実車の試験の時には自分の車を持参して
試験官をとなりに乗せ、テストを受けることになる。
そうやって実車のテストに合格して、晴れて免許を手にする。

免許をとって、この車で自由にあちこち走るようになったら
マイケルはどんどん巣立ってゆくだろうな。






  
Posted by レニア at 07:13Comments(12)子供

子供がいる夫婦

2011年03月05日

"The best thing a father can do for his children is to love their mother"

父親が子供にしてやれる最高の行為は
その子の母親を愛することだ。


深夜、仕事の合間にふと手に取ってパラパラとめくってみた本の中に
この一節を見つけた。




夫と夫婦になる、

マイケルと家族になる、

同時にやってきてしまった、私の結婚。


両方きちんとやれているのか、はたまた両方ともおろそかになっているのか
分からないことが多くて
こと、マイケルに関しては心配事も尽きない。迷いもしきり。


ブログってすごい。

例えば、マイケルのことでずっと心にあったことをタラタラと書いてみたら
それを遠くに住む誰かが読んで
そのしょうもないつぶやきに対して、聡明な答えを返してくれたりする。

そのうちの1人が、親愛なる友「樹さん」
彼女は高校の同級生。そして二人の男の子のお母さん。

私のつぶやきを、自身のブログでもっともっと深いレベルに掘り下げて語ってくれた。



教育の根本は「夫婦の絆」

という彼女の言葉は
直球でハートにきました。


そして今夜、たまたま開いたページで目にとまったこの一節。(以下抜粋)

父親が子供にしてやれる最高の行為は、その子の母親を愛することだ。

もちろんこれは女性にも当てはまる。

母親が子供にしてやれる最高の行為は、その子の父親を愛することだ。

子供たちにとってこの世で一番大切なふたりの人間が愛し合う姿を見ることは
すばらしい人生のお手本ではないだろうか。
愛の実践を見ているのだから。
それが子供たちの無意識に刻まれて、将来結婚した時に適用される。

愛し合い慈しみ合うことは、あらゆる夫婦関係の基本と言えるが
特に子供がいる夫婦にとってはそうだ。
それが子供たちによって次世代に引き継がれてゆく。

世界中の子供たちが、おたがいに愛し合い慈しみ合う両親に育てられたとしたら、
この世はどんなに素晴らしい世の中になるだろうか。



夫と結婚をするまで、私は
relationshipというのは 純粋にただ「わたし」と「あなた」のことだと思っていた。

でも、その「わたし」と「あなた」の有り様が
自分たち以外の誰かにも大きな影響を与えるという、この真実。



私と相方の、夫婦としての日々のやりとりを
私たちがお互いにどう接するかを
意見の不一致が生じた時、それをどう乗り越えてゆくかを
マイケルはいつも見ている。
そして、それは彼の無意識に刻まれてゆく。。。


その責任の重大さに、ちょっと愕然とした感あり。
と同時に
夫婦円満であれば、とりあえず子どもは大丈夫なんだと
ちょっとホッとした感あり。。。



子どもを大切に思うことは、その子の親を大切に思うこと。

愛って
どこまでもつながっているんだなあ。

  

Posted by レニア at 08:16Comments(2)子供