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夫の言葉
2013年05月30日
今日は夫の誕生日だった。
といっても、私は夜まで仕事の日だったので
夕食を共にすることも出来なかった。
今日夫と過ごした時間は
夜のクラスの前に、顔を見るために自宅に立ち寄った一時間だけ。
そのクラスからようやく帰宅したのが8時半ごろ。
昨夜から少し体調の芳しくなかった彼はすでにベッドに入っていた。
寝室にそろりと入って様子をみたが、熱があるふうでも汗をかいてるふうでもなかったので
ぐっすり眠っているのを起こさないように、そっと部屋を出た。
ねこだけが、にゃぁ〜。。。と言ってついてきた。
今夜も仕事がたんまりある。
まずはデスクのパソコンをつけ、、、
真夜中までに終わるといいがなあ〜 なんて思いながら
鞄の中身をゴソゴソ取り出しながら
Facebookをのぞいたら、夫のページにこんな言葉を見つけた。
"Happy Birthday!!" と残してくれた友人たちに向けて
書いたものらしかった。
なんだろう、読んでいて...
残しておきたいと思う言葉たちだった
でも日記をつけてないので、勝手ながらここに残させてもらうことにした。
Thank you everyone for the wonderful birthday wishes.
みんな、あったかいお誕生日のメッセージどうもありがとう。
Today was a nice day, both Yuko and I worked, and I was not feeling good, but still a nice day. We celebrated on Sunday and had a nice day then.
今日はいい日でした。妻も僕も普通に仕事の一日だったけど、実は体調もイマイチだったけど、それでもいい日だった。
誕生日祝いはこの前の日曜日にやってもらって、その時も良い一日を過ごした。
42 years ago my parents brought me into this world and raised me the best they could. I thank them daily for doing so. They are not here anymore, but I know they still watch over me, and I hope I do not disappoint them. I know I haven't always tried my best, but I've tried to live a good moral life the way they would have wanted me to do.
42年まえの今日、僕の両親はこの世に僕を迎え入れ、そしてその時に出来るベストの限りを尽くして僕を育ててくれた。
そのことに感謝しない日は一日たりとも無い。
もうこの世にはいない二人だけれど、今でも僕のことを見ていてくれてると思う。
ガッカリさせないようにしなきゃと思う。
「今まで常にベストを尽くして生きてきました」なんて言えないけれど
でも最低限
父と母が僕に望んだであろう、まっとうな生き方だけはしてきたつもりだ。
Thank you mom and dad, I appreciate and love you both.
父さん、母さん、ありがとう。
感謝してるよ。そして愛してます。
私の知ってる夫は、出会ったその日からすでにマイケルの父親だった。
父親としての苦労
父親としての感情
父親としての気持ち
夫の「父親としての部分」をそばにいて感じたりすることは
何度となくあった。
だが
夫の「息子としての部分」は、普段ほとんど垣間見る事がない。
彼は私が鹿児島の親とやり取りしているのを何度も何度も見ているが
私は彼が自分の親とやりとりしている場面を、全くと言っていいほど見たことがないのだ。
(お義父さんには亡くなる前にたった一度だけお会いしたことがある)
そんなことに、何だか突然気がついた。
夫の言葉を読んでいて。
つき合い始めたばかりの頃は、相手に関して知らないことだらけだったので
「あれ?この人...」
発見してキラリ印象深かった瞬間が、いくつもいくつもあった。
結婚して夫婦になり、身内となってからは
馴染んでゆくごとに
そうしたキラリ光る瞬間はどんどん減っていった。
なんだか今夜は、その「発見」の瞬間を
久しぶりに味わった感触。。。
この人のことは、きっと一生かかっても100%は分かってあげられない。
今でもそう思う。
でも今日は、わかったことが一つ増えたかもしれない。
(それが何なのかは分からないのだけど、そんな気がする感じ?)
そして、父親として苦労を重ねてきたこの人も
かつては親に守られ、慈しまれた「子供」だったのだと
何の心配もせず、ただ屈託なく笑っていた男の子だったのだということを
忘れないでいようと思った。
上にいるお父さんとお母さんからのプレゼントだったかな、もしかして?
お誕生日おめでとう。
といっても、私は夜まで仕事の日だったので
夕食を共にすることも出来なかった。
今日夫と過ごした時間は
夜のクラスの前に、顔を見るために自宅に立ち寄った一時間だけ。
そのクラスからようやく帰宅したのが8時半ごろ。
昨夜から少し体調の芳しくなかった彼はすでにベッドに入っていた。
寝室にそろりと入って様子をみたが、熱があるふうでも汗をかいてるふうでもなかったので
ぐっすり眠っているのを起こさないように、そっと部屋を出た。
ねこだけが、にゃぁ〜。。。と言ってついてきた。
今夜も仕事がたんまりある。
まずはデスクのパソコンをつけ、、、
真夜中までに終わるといいがなあ〜 なんて思いながら
鞄の中身をゴソゴソ取り出しながら
Facebookをのぞいたら、夫のページにこんな言葉を見つけた。
"Happy Birthday!!" と残してくれた友人たちに向けて
書いたものらしかった。
なんだろう、読んでいて...
残しておきたいと思う言葉たちだった
でも日記をつけてないので、勝手ながらここに残させてもらうことにした。
Thank you everyone for the wonderful birthday wishes.
みんな、あったかいお誕生日のメッセージどうもありがとう。
Today was a nice day, both Yuko and I worked, and I was not feeling good, but still a nice day. We celebrated on Sunday and had a nice day then.
今日はいい日でした。妻も僕も普通に仕事の一日だったけど、実は体調もイマイチだったけど、それでもいい日だった。
誕生日祝いはこの前の日曜日にやってもらって、その時も良い一日を過ごした。
42 years ago my parents brought me into this world and raised me the best they could. I thank them daily for doing so. They are not here anymore, but I know they still watch over me, and I hope I do not disappoint them. I know I haven't always tried my best, but I've tried to live a good moral life the way they would have wanted me to do.
42年まえの今日、僕の両親はこの世に僕を迎え入れ、そしてその時に出来るベストの限りを尽くして僕を育ててくれた。
そのことに感謝しない日は一日たりとも無い。
もうこの世にはいない二人だけれど、今でも僕のことを見ていてくれてると思う。
ガッカリさせないようにしなきゃと思う。
「今まで常にベストを尽くして生きてきました」なんて言えないけれど
でも最低限
父と母が僕に望んだであろう、まっとうな生き方だけはしてきたつもりだ。
Thank you mom and dad, I appreciate and love you both.
父さん、母さん、ありがとう。
感謝してるよ。そして愛してます。
私の知ってる夫は、出会ったその日からすでにマイケルの父親だった。
父親としての苦労
父親としての感情
父親としての気持ち
夫の「父親としての部分」をそばにいて感じたりすることは
何度となくあった。
だが
夫の「息子としての部分」は、普段ほとんど垣間見る事がない。
彼は私が鹿児島の親とやり取りしているのを何度も何度も見ているが
私は彼が自分の親とやりとりしている場面を、全くと言っていいほど見たことがないのだ。
(お義父さんには亡くなる前にたった一度だけお会いしたことがある)
そんなことに、何だか突然気がついた。
夫の言葉を読んでいて。
つき合い始めたばかりの頃は、相手に関して知らないことだらけだったので
「あれ?この人...」
発見してキラリ印象深かった瞬間が、いくつもいくつもあった。
結婚して夫婦になり、身内となってからは
馴染んでゆくごとに
そうしたキラリ光る瞬間はどんどん減っていった。
なんだか今夜は、その「発見」の瞬間を
久しぶりに味わった感触。。。
この人のことは、きっと一生かかっても100%は分かってあげられない。
今でもそう思う。
でも今日は、わかったことが一つ増えたかもしれない。
(それが何なのかは分からないのだけど、そんな気がする感じ?)
そして、父親として苦労を重ねてきたこの人も
かつては親に守られ、慈しまれた「子供」だったのだと
何の心配もせず、ただ屈託なく笑っていた男の子だったのだということを
忘れないでいようと思った。
上にいるお父さんとお母さんからのプレゼントだったかな、もしかして?
お誕生日おめでとう。
妻の祈りから一年
2013年05月28日
青い鳥
2013年05月19日
バルコニーに、落花生を
そっと...置いて
そしてじっと待つ。

そんなことをするようになったのは
珍しいお客さんがうちを訪れてくれるようになったから。
夫: 青い鳥だ!

ある日、リビングから書斎にいる私に向かってそう叫んだ夫。
実際には英語で
Sweetie, it's blue jay!
と言った。

ブルージェイ??
(今では川崎宗則選手が所属する、カナダ、トロントの野球チーム名)
ずいぶん静かだったのに、いつの間にテレビ見てたのかな?
私: Are you watching the game? (野球中継見てんのー?)
と書斎にいながら返すと
夫: NO! It is a REAL blue jay! Quick!
(違うよ、本物のブルージェイだよ! 早く!)
...本物の ブルージェイ?
...本物 ?? え、鳥ってこと??
うそっ! ブルージェイがうちのバルコニーに!?
とっさに書斎を飛び出す。 が、時既に遅し。
かの青い鳥は非常に警戒心が強いようで、
私がリビングに駆け込むと同時に バルコニーから飛び立っていった。
え〜〜〜、、、見れなかったぁ。。。ガッカリ
だけど、その後も何度となく
その鳥は 我が家のバルコニーを訪れるようになった。
上の2枚は、落花生をバルコニーに置いたあと
リビングにじっと座り込んで 待つこと20分程。
やっと撮れたもの。
よくよく見ると、この青い鳥 ブルージェイではないみたい。
だって調べてみたら、ブルージェイって、こんななんです。(ウェブサイトより拝借)

うちにやってくるのは、上半身は黒くて、鶏冠が立ってて
どちらかというと、カーディナルみたい。
でもカーディナルって、普通は真っ赤なのです。(こちらもウェブサイトより拝借)

ブルーのカーディナルって、聞いたことないのだけど...存在するのかなあ。
夫と二人してググってみたが、
カーディナルはやはり「赤」と決まっているみたい。
では、うちにやってくるこの鳥は何なのだろう。。。

本当に落花生がお好きなようで

何とも言えない、瞳をしている。

青い鳥、、、と 聞くと
幼い頃に読んだ物語を思い出す。
チルチル&ミチルの兄妹が、幸せの青い鳥を探して旅に出る物語。
子供のころは、ものすごく本を読んだ。
今のようにブルーレイやDVDどころか、VCR(ビデオ)も無いような時代だったが
活字を目で追うと、たちまち 頭の中に
鮮明なフルカラーの情景がブヮーッと広がったのをよく覚えている。
あまりに本が好きで
7歳ぐらいの頃だろうか、就寝時間(8時ごろ?)を過ぎてもどうしても本の続きが読みたくて
布団かぶって寝たフリをして、布団の中でこっそり懐中電灯で本を読んでいたら
父親に見つかって
あっという間に布団から引きずり出されたかと思いきや、ポーンと外に放り出された。
真っ暗闇の中、一時間ほど家に入れてもらえなかった。
そんな思い出がある。
厳格な父だった。
先日のブログに書かせてもらった、今では老いて、今年になってから大きな病気をした父である。
一年に一度も顔を見せることの出来ない私の帰省を
今では楽しみに待っていてくれるような父親になった。
前回の「変わりゆく自分」で書かせていただいたが、人間って変化するのである。
父を見ていると、特に顕著にそれを感じる。
話逸れたが、そうそう「青い鳥」。
青い鳥を見つければ 幸せが手に入ると信じて
それを探す旅に出たチルチル&ミチルだったが
本当の青い鳥(幸せ)は 自分の身近なところにあったのだと。。。
そう気付いたところで物語は終わる。
幼い頃は これを「冒険物語」として読んでいたが
なんとも
「人生とは何たるや」の 真のメッセージがぎっしり詰まった
ストーリーだったことよ。
子供のころは、そんな事に
もちろん気付きもしないし、理解もできなかった。
おそらく先人達が 後世を生きる私たちに向けて残していってくれた
人生を生きるためのメッセージ(芸術作品)が 世にはたくさんあるのだと思う。
でもそのメッセージは、受け取る側に受け取る準備が出来ていないと
受信できないものなのかもしれない。
大昔に読んだ文学作品を読み返して、または
大昔に一度見た絵画を目にして、または
大昔に一度みた映画を再び見て、または
大昔に聞いた歌を聞き返して...
そして 昔とは全く違った印象を受けている自分に気付く
それはきっと「受け皿」なのかもしれない。
そして過去がどうであれ、今までどんな道のりを歩んできたのであれ
今の、今自分が居る場所が 幸せの青い鳥がいる場所だと
そう思えた時が
自分が今回生まれてきた理由を
ある意味思い出せた時なのかなあ〜とも思う。
おそらく誰もが 赤ん坊だった頃には覚えていて
一度 すっかり忘れて
そして再び思い出すまで、
40年、50年、60年という月日をかける。
だからこそ、生き続けることに意味がある。
でも、一度忘れて
敢えて苦労して思い出すことを目標に地上に下りてくるとしたら、、、
人間って
なんて面倒くさくて、
なんて健気なんだろう。
自分もその一員だなんて
何だか 嬉しい。
そっと...置いて
そしてじっと待つ。

そんなことをするようになったのは
珍しいお客さんがうちを訪れてくれるようになったから。
夫: 青い鳥だ!

ある日、リビングから書斎にいる私に向かってそう叫んだ夫。
実際には英語で
Sweetie, it's blue jay!
と言った。

ブルージェイ??
(今では川崎宗則選手が所属する、カナダ、トロントの野球チーム名)
ずいぶん静かだったのに、いつの間にテレビ見てたのかな?
私: Are you watching the game? (野球中継見てんのー?)
と書斎にいながら返すと
夫: NO! It is a REAL blue jay! Quick!
(違うよ、本物のブルージェイだよ! 早く!)
...本物の ブルージェイ?
...本物 ?? え、鳥ってこと??
うそっ! ブルージェイがうちのバルコニーに!?
とっさに書斎を飛び出す。 が、時既に遅し。
かの青い鳥は非常に警戒心が強いようで、
私がリビングに駆け込むと同時に バルコニーから飛び立っていった。
え〜〜〜、、、見れなかったぁ。。。ガッカリ
だけど、その後も何度となく
その鳥は 我が家のバルコニーを訪れるようになった。
上の2枚は、落花生をバルコニーに置いたあと
リビングにじっと座り込んで 待つこと20分程。
やっと撮れたもの。
よくよく見ると、この青い鳥 ブルージェイではないみたい。
だって調べてみたら、ブルージェイって、こんななんです。(ウェブサイトより拝借)

うちにやってくるのは、上半身は黒くて、鶏冠が立ってて
どちらかというと、カーディナルみたい。
でもカーディナルって、普通は真っ赤なのです。(こちらもウェブサイトより拝借)

ブルーのカーディナルって、聞いたことないのだけど...存在するのかなあ。
夫と二人してググってみたが、
カーディナルはやはり「赤」と決まっているみたい。
では、うちにやってくるこの鳥は何なのだろう。。。

本当に落花生がお好きなようで

何とも言えない、瞳をしている。

青い鳥、、、と 聞くと
幼い頃に読んだ物語を思い出す。
チルチル&ミチルの兄妹が、幸せの青い鳥を探して旅に出る物語。
子供のころは、ものすごく本を読んだ。
今のようにブルーレイやDVDどころか、VCR(ビデオ)も無いような時代だったが
活字を目で追うと、たちまち 頭の中に
鮮明なフルカラーの情景がブヮーッと広がったのをよく覚えている。
あまりに本が好きで
7歳ぐらいの頃だろうか、就寝時間(8時ごろ?)を過ぎてもどうしても本の続きが読みたくて
布団かぶって寝たフリをして、布団の中でこっそり懐中電灯で本を読んでいたら
父親に見つかって
あっという間に布団から引きずり出されたかと思いきや、ポーンと外に放り出された。
真っ暗闇の中、一時間ほど家に入れてもらえなかった。
そんな思い出がある。
厳格な父だった。
先日のブログに書かせてもらった、今では老いて、今年になってから大きな病気をした父である。
一年に一度も顔を見せることの出来ない私の帰省を
今では楽しみに待っていてくれるような父親になった。
前回の「変わりゆく自分」で書かせていただいたが、人間って変化するのである。
父を見ていると、特に顕著にそれを感じる。
話逸れたが、そうそう「青い鳥」。
青い鳥を見つければ 幸せが手に入ると信じて
それを探す旅に出たチルチル&ミチルだったが
本当の青い鳥(幸せ)は 自分の身近なところにあったのだと。。。
そう気付いたところで物語は終わる。
幼い頃は これを「冒険物語」として読んでいたが
なんとも
「人生とは何たるや」の 真のメッセージがぎっしり詰まった
ストーリーだったことよ。
子供のころは、そんな事に
もちろん気付きもしないし、理解もできなかった。
おそらく先人達が 後世を生きる私たちに向けて残していってくれた
人生を生きるためのメッセージ(芸術作品)が 世にはたくさんあるのだと思う。
でもそのメッセージは、受け取る側に受け取る準備が出来ていないと
受信できないものなのかもしれない。
大昔に読んだ文学作品を読み返して、または
大昔に一度見た絵画を目にして、または
大昔に一度みた映画を再び見て、または
大昔に聞いた歌を聞き返して...
そして 昔とは全く違った印象を受けている自分に気付く
それはきっと「受け皿」なのかもしれない。
そして過去がどうであれ、今までどんな道のりを歩んできたのであれ
今の、今自分が居る場所が 幸せの青い鳥がいる場所だと
そう思えた時が
自分が今回生まれてきた理由を
ある意味思い出せた時なのかなあ〜とも思う。
おそらく誰もが 赤ん坊だった頃には覚えていて
一度 すっかり忘れて
そして再び思い出すまで、
40年、50年、60年という月日をかける。
だからこそ、生き続けることに意味がある。
でも、一度忘れて
敢えて苦労して思い出すことを目標に地上に下りてくるとしたら、、、
人間って
なんて面倒くさくて、
なんて健気なんだろう。
自分もその一員だなんて
何だか 嬉しい。
変わりゆく自分
2013年05月14日
有賀と語じゃいます。先生。
私はいま宿題をしています。有賀と語じゃいます。
ある日学生から、
「先生、私は今日病気です。クラスに行けません。すみません」とメールが来た。
それに対して
そうですか。たいへんですね。今日のしゅくだいは○と○です。はやく元気になってください。
と日本語で返事をした。
それに来た返事が、上の「有賀と語じゃいます」。
Hさん、日本語2学期目なのだけど、
がんばって日本語で返信しようとしてくれて
でも「ありがとう」を「ありがと」とタイプした結果
「有賀と」と、なってしまい
しかも
相変わらず「ざ」の発音が「じゃ」になってしまったので(母国語は韓国語)
変換ミスの結果
「ありがとうございます」となるところが
「有賀と語じゃいます」になってしまった模様。
これが10年前の私なら
「はぁ〜〜あれだけ言ったのに、発音まだ直ってない。。。」
と、落胆のほうが大きかったことだろう。
いまは
「かわいいなあ」 と、思ってしまう。
変換ミスも恐れず、しかも体調が万全でない時に
私が日本語で送ったメールに、一生懸命、日本語で応えてくれたんだなあと思う。
彼女のその意思のほうを、尊いなあと思う。
皆さんは、
昔の自分を振り返って、
今の自分からすると、なんだか別人みたい
という感覚を覚えたことがあるだろうか。
そもそも、自分としての「一番古い記憶」というのは、
何歳ぐらいのことだろうか。
私はというと、9歳(小3)ぐらいからの記憶なら鮮明にある。
日々何を感じていて、何がイヤで、何が嬉しかったかも
よく覚えている。
ときどき
10代、20代、30代の、自分を
思い出してみることがある。
今の自分と比較すると
なんだろう、「全く、別人みたいだなぁ〜。。。」と思うことがある。
「なんで、あんな事言ったんだろう??なんであんな事したんだろう??」と
自分のことなのに、全く理解に苦しむという記憶もある。
でもそれも全て「自分」なのだ。
そんな不可解な感覚、、、
皆さんも味わったことがあるだろうか。
毎年、誕生日に本を贈ってくれる日本のお友達がいる。
徳島に住む古い友人だ。
今年は「何が読みたい?」とあらかじめリクエストを聞いてくれたので
お言葉に甘えて「これが読みたいな」と言ったら
その同じ著者の作品を、3冊もまとめて送ってくれた。。。
ありがとう。感謝感激。

もともとリクエストした一冊は、これだった。「天国の五人」
帯にある「ムダな人生なんて、ひとつもない」という言葉が
とりわけ今の私には深く響いた。

主人公「エディ」が死んだところから始まる、このストーリー。
死んだ人が、死んだ後で「五人」の人に天国で会うという物語。
それは必ずしも故人が会いたかった人とは限らず
でも
故人の「たった今終わった人生」に 果たしてどんな意味があったのか?
それを理解するのを、手助けしてくれる人たちだった。
まずは、この一冊を手に取った。
一気に読んでしまいたい気持ちを抑えて(仕事がたまっていたので)
4日間ぐらいに分けて、少しずつ、読んだ。
読み終わった後の私は、明らかに
読む前の私とは違っていた。
その時、思ったのだ。
そう言えば、私
2週間まえ
1週間まえ
そして3日前の私とも、ちょっと違うかもしれないと。
知っていることの絶対量が違う。
ものの見方が違う。
感じ方が違う。
以前は見えなかったものが、今はちょっとだけ見えるようになっている。
ただ、何となしに毎朝起きて、仕事に行って、人に会って
そうして、昨日と同じ日常を繰り返しているだけなのだけど
それでも心は何かを吸収して、
少しずつ進化していってるのかもしれない。
例えば、ある人とランチを共にして、一時間おしゃべりをしたら
その後は知っていることが増えていた。
または
ある一冊を読んで、深く感じ入り
それを読み終えたころには、自分の感じ方が変わっていた。
などなど。。。
こうして私たちは進化を繰り返し
たとえば70代になったころには、40代の今の自分を振り返って
何ておバカなことを...なんて
考えているのだろうか。
40代の今は今で、
今を 精一杯を生きているのだけれど
でも70代になった頃には、今を振り返って
「なんて幼い。。。」と思える自分でありたいなあ、なんて思う。
老いてしまったけれど
あの頃の、未熟な自分に戻るぐらいなら
今の老いぼれのままでいいやと
そう思える自分でありたいなと...
何だか最近 そういうことを
願ってしまう。
私はいま宿題をしています。有賀と語じゃいます。
ある日学生から、
「先生、私は今日病気です。クラスに行けません。すみません」とメールが来た。
それに対して
そうですか。たいへんですね。今日のしゅくだいは○と○です。はやく元気になってください。
と日本語で返事をした。
それに来た返事が、上の「有賀と語じゃいます」。
Hさん、日本語2学期目なのだけど、
がんばって日本語で返信しようとしてくれて
でも「ありがとう」を「ありがと」とタイプした結果
「有賀と」と、なってしまい
しかも
相変わらず「ざ」の発音が「じゃ」になってしまったので(母国語は韓国語)
変換ミスの結果
「ありがとうございます」となるところが
「有賀と語じゃいます」になってしまった模様。
これが10年前の私なら
「はぁ〜〜あれだけ言ったのに、発音まだ直ってない。。。」
と、落胆のほうが大きかったことだろう。
いまは
「かわいいなあ」 と、思ってしまう。
変換ミスも恐れず、しかも体調が万全でない時に
私が日本語で送ったメールに、一生懸命、日本語で応えてくれたんだなあと思う。
彼女のその意思のほうを、尊いなあと思う。
皆さんは、
昔の自分を振り返って、
今の自分からすると、なんだか別人みたい
という感覚を覚えたことがあるだろうか。
そもそも、自分としての「一番古い記憶」というのは、
何歳ぐらいのことだろうか。
私はというと、9歳(小3)ぐらいからの記憶なら鮮明にある。
日々何を感じていて、何がイヤで、何が嬉しかったかも
よく覚えている。
ときどき
10代、20代、30代の、自分を
思い出してみることがある。
今の自分と比較すると
なんだろう、「全く、別人みたいだなぁ〜。。。」と思うことがある。
「なんで、あんな事言ったんだろう??なんであんな事したんだろう??」と
自分のことなのに、全く理解に苦しむという記憶もある。
でもそれも全て「自分」なのだ。
そんな不可解な感覚、、、
皆さんも味わったことがあるだろうか。
毎年、誕生日に本を贈ってくれる日本のお友達がいる。
徳島に住む古い友人だ。
今年は「何が読みたい?」とあらかじめリクエストを聞いてくれたので
お言葉に甘えて「これが読みたいな」と言ったら
その同じ著者の作品を、3冊もまとめて送ってくれた。。。
ありがとう。感謝感激。

もともとリクエストした一冊は、これだった。「天国の五人」
帯にある「ムダな人生なんて、ひとつもない」という言葉が
とりわけ今の私には深く響いた。

主人公「エディ」が死んだところから始まる、このストーリー。
死んだ人が、死んだ後で「五人」の人に天国で会うという物語。
それは必ずしも故人が会いたかった人とは限らず
でも
故人の「たった今終わった人生」に 果たしてどんな意味があったのか?
それを理解するのを、手助けしてくれる人たちだった。
まずは、この一冊を手に取った。
一気に読んでしまいたい気持ちを抑えて(仕事がたまっていたので)
4日間ぐらいに分けて、少しずつ、読んだ。
読み終わった後の私は、明らかに
読む前の私とは違っていた。
その時、思ったのだ。
そう言えば、私
2週間まえ
1週間まえ
そして3日前の私とも、ちょっと違うかもしれないと。
知っていることの絶対量が違う。
ものの見方が違う。
感じ方が違う。
以前は見えなかったものが、今はちょっとだけ見えるようになっている。
ただ、何となしに毎朝起きて、仕事に行って、人に会って
そうして、昨日と同じ日常を繰り返しているだけなのだけど
それでも心は何かを吸収して、
少しずつ進化していってるのかもしれない。
例えば、ある人とランチを共にして、一時間おしゃべりをしたら
その後は知っていることが増えていた。
または
ある一冊を読んで、深く感じ入り
それを読み終えたころには、自分の感じ方が変わっていた。
などなど。。。
こうして私たちは進化を繰り返し
たとえば70代になったころには、40代の今の自分を振り返って
何ておバカなことを...なんて
考えているのだろうか。
40代の今は今で、
今を 精一杯を生きているのだけれど
でも70代になった頃には、今を振り返って
「なんて幼い。。。」と思える自分でありたいなあ、なんて思う。
老いてしまったけれど
あの頃の、未熟な自分に戻るぐらいなら
今の老いぼれのままでいいやと
そう思える自分でありたいなと...
何だか最近 そういうことを
願ってしまう。
待つという試練
2013年05月01日
うちのリビングからの眺め。
冬の間はこんなだったのが

気がついたら、こんなことになっていた。

緑、緑、緑。。。

若い頃は大して気にも止めずにいた、季節の変化。
まるで魔法だ...
こんな魔法に魅了されずにいたなんて、
若い頃の自分(特に日本にいた頃の自分)は、
一体他の何に
そんなに気を取られていたのだろうか?...なんて考えてしまう。
「無」に見える状態から
「命」を再現する、自然。
季節感のあまり無いハワイに長く住んでいたせいだろうか
その魔法に、無条件でうっとりしてしまう。

この木々たちは、こうして毎年命の再生を繰り返し
きっと
私がいなくなったずっと後も
変わらずここに立っていることだろう。
ここ3ヶ月程、二人の男性のことがずっと頭から離れなかった。
毎日毎日いつも心にあった。
一人は、父。
もう一人は、息子だ。
2月のある朝に妹から届いた知らせは、実は父の事だった。
大きな病気をした。
一週間の春休みによほど日本へ帰ろうかと思ったが、お金と時間の都合がつかず帰国は叶わなかった。
シアトルから東京まで直行便に乗れたとして10時間。
ロスやサンフランシスコ経由なら15時間はかかるだろう。
そして日本到着と同日に東京から鹿児島までの国内線に乗り換えられたとして、もう2時間半。
同じ日に鹿児島行きに乗りそこねたら、帰路は二日がかりとなる。
故郷は決して近くない。
大学まで地元で出たのに、どうしてこんな遠くに来てしまったんだっけ?
...と
朝通勤の車を運転しながらふと考えている自分が居た。
母、妹とは頻繁に連絡を取っていたが
いかんせん、自分の目で状況を把握できない事に関しては
悪い方向にどんどん想像を膨らませてしまう悪いクセがある私。
父は4月あたまに入ってから手術をし、お陰さまで術後の経過も安定しており
先週無事に退院となった。
まだまだ治療は続くようだが、退院の知らせを聞いてやっと自分の気持ちも安定してきた。
(それまではこうして父のことを文字にすることが何だか怖く感じられた)
そして、息子。
息子は、、、
どこまで行ってしまうのだろうか?という方向へ、今走ってしまっている。
長い長い回り道をしている。
しばらく連絡も取れなかったが
FBにある日、私と夫宛てにメッセージが届いていた。
"I miss you and love you so much.
This is my own battle with myself. Please do not worry."
息子のことを思うと、心配で心が乱れる。
そして腹が立ってくる。
あの子が今感じていることに思いをよせると何だか涙が出て来る。
日常の責務を全うするのに支障を来せないので
普段はなるべく考えないようにしているが、なかなか。
夫は "This is the choice that he made" と言う。
「これはあいつの決めたことだ。
あいつの人生だ。
自分で方向転換しようと思わない限り、周りには何も変えることは出来ない。」
子供がまだ幼くて、全てから守ってやらねばならない時の親の負担も相当なものだと思うが
子供が思春期になり、自分の人生の迷子になり始めたとき
それでもその子を信じて、ただじっと待つということ
その時に親として問われる
忍耐、許容量、信じる力
これも、相当なものだと感じる。
私の人生にある、この二人の男性へと馳せる思いと
日々の忙しさとのバランスを保つ、、、
そこから生じるストレスが、先日の夫婦ゲンカ勃発に繋がったのではないかと実は自分では思っている。
寒く凍える冬も
辛抱強く待っていれば、いつか春がやってくる。
ただ、信じて待つということ。
それは人の人生にも当てはまることだろうか?
己の抱えた問題ならば、己が全力を尽くせば
それなりの結果がついてくる。
でも、自分ではない人間のことは?
あの子が、そのことを分かってくれますように。
あの子が、そのことに気付いてくれますように。
あの子がどうか、長い旅路を終えたあとに
最後には、人生を喜んで迎え入れることが出来ますように。。。
親をやったことのある人なら
多かれ少なかれ、
そんな気持ちになったことがあるのではないだろうか。
ただ信じて「待つ」という試練。
その結果は「私の努力次第!」ではない、という試練。
生まれて初めて経験させてもらっている。
冬の間はこんなだったのが

気がついたら、こんなことになっていた。

緑、緑、緑。。。

若い頃は大して気にも止めずにいた、季節の変化。
まるで魔法だ...
こんな魔法に魅了されずにいたなんて、
若い頃の自分(特に日本にいた頃の自分)は、
一体他の何に
そんなに気を取られていたのだろうか?...なんて考えてしまう。
「無」に見える状態から
「命」を再現する、自然。
季節感のあまり無いハワイに長く住んでいたせいだろうか
その魔法に、無条件でうっとりしてしまう。

この木々たちは、こうして毎年命の再生を繰り返し
きっと
私がいなくなったずっと後も
変わらずここに立っていることだろう。
ここ3ヶ月程、二人の男性のことがずっと頭から離れなかった。
毎日毎日いつも心にあった。
一人は、父。
もう一人は、息子だ。
2月のある朝に妹から届いた知らせは、実は父の事だった。
大きな病気をした。
一週間の春休みによほど日本へ帰ろうかと思ったが、お金と時間の都合がつかず帰国は叶わなかった。
シアトルから東京まで直行便に乗れたとして10時間。
ロスやサンフランシスコ経由なら15時間はかかるだろう。
そして日本到着と同日に東京から鹿児島までの国内線に乗り換えられたとして、もう2時間半。
同じ日に鹿児島行きに乗りそこねたら、帰路は二日がかりとなる。
故郷は決して近くない。
大学まで地元で出たのに、どうしてこんな遠くに来てしまったんだっけ?
...と
朝通勤の車を運転しながらふと考えている自分が居た。
母、妹とは頻繁に連絡を取っていたが
いかんせん、自分の目で状況を把握できない事に関しては
悪い方向にどんどん想像を膨らませてしまう悪いクセがある私。
父は4月あたまに入ってから手術をし、お陰さまで術後の経過も安定しており
先週無事に退院となった。
まだまだ治療は続くようだが、退院の知らせを聞いてやっと自分の気持ちも安定してきた。
(それまではこうして父のことを文字にすることが何だか怖く感じられた)
そして、息子。
息子は、、、
どこまで行ってしまうのだろうか?という方向へ、今走ってしまっている。
長い長い回り道をしている。
しばらく連絡も取れなかったが
FBにある日、私と夫宛てにメッセージが届いていた。
"I miss you and love you so much.
This is my own battle with myself. Please do not worry."
息子のことを思うと、心配で心が乱れる。
そして腹が立ってくる。
あの子が今感じていることに思いをよせると何だか涙が出て来る。
日常の責務を全うするのに支障を来せないので
普段はなるべく考えないようにしているが、なかなか。
夫は "This is the choice that he made" と言う。
「これはあいつの決めたことだ。
あいつの人生だ。
自分で方向転換しようと思わない限り、周りには何も変えることは出来ない。」
子供がまだ幼くて、全てから守ってやらねばならない時の親の負担も相当なものだと思うが
子供が思春期になり、自分の人生の迷子になり始めたとき
それでもその子を信じて、ただじっと待つということ
その時に親として問われる
忍耐、許容量、信じる力
これも、相当なものだと感じる。
私の人生にある、この二人の男性へと馳せる思いと
日々の忙しさとのバランスを保つ、、、
そこから生じるストレスが、先日の夫婦ゲンカ勃発に繋がったのではないかと実は自分では思っている。
寒く凍える冬も
辛抱強く待っていれば、いつか春がやってくる。
ただ、信じて待つということ。
それは人の人生にも当てはまることだろうか?
己の抱えた問題ならば、己が全力を尽くせば
それなりの結果がついてくる。
でも、自分ではない人間のことは?
あの子が、そのことを分かってくれますように。
あの子が、そのことに気付いてくれますように。
あの子がどうか、長い旅路を終えたあとに
最後には、人生を喜んで迎え入れることが出来ますように。。。
親をやったことのある人なら
多かれ少なかれ、
そんな気持ちになったことがあるのではないだろうか。
ただ信じて「待つ」という試練。
その結果は「私の努力次第!」ではない、という試練。
生まれて初めて経験させてもらっている。