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Posted by チェスト at

You Have Done Nothing Wrong

2014年11月24日

You have done nothing wrong
Forgive yourself
and
Stop punishing yourself


あなたは何も悪いことはしていない

どうか自分を許して、
そして

自分を罰することは、もうやめましょう





今、このブログを読んで下さっている皆さんの中に

このメッセージを聞かなければならない方が、どうやら、いらっしゃるようです。



何故なのかは説明できませんが

この言葉を今日ここに書いたほうがいいような強い直感が来たので
素直に書かせていただいています。

この言葉にピンとくる方もいらっしゃれば
そうでない方もいるかも。。。



実はこの言葉は

昨日のブログに書いた、「この1月に、自分が長く抱えていた傷があれあれあれ?と溶けた」時に私にふってきた言葉で

ある方の口を伝って、私の元に届きましたが
そのメッセージの出所は
どうやらずっと上の、高次の存在だったようです。



こんな事を書いて、もし気味が悪かったらごめんなさい。

私は全くの無宗教ですし
霊能者でもありませんし
人様のオーラが見えたり、前世が見えたり
予知夢を見たりもしません。

ただのヒトです。



でもその「ただのヒト」が

言葉も、文字も発明されていなかった、太古の昔に

コミュニケーションツールが皆無だった時代に

ただお互いの発する「想念」だけで
意思疎通をはかっていた時代があったそうです。

一山超えた向こう側にいる相手と、
テレパシーのようなものでやり取りができていた時代があったそうです。


でもその能力を使わなくなった現代人は
使わなくなったが為に
その能力も退化してしまったのだとか、、、


それでも時々

「あ、なんかここにはいたくないな」とか
「なんだか今日は出かけたくないな」とか
「理由は分からないけれど、何となくこの人とは気が合うな」とか

そう感じること
現代人である私たちにもありますよね。

そういう感覚は、退化してしまった能力の名残だそうで
出来れば無視しないほうがいいそうです。


話はそれましたが、、、



今これを読んで下さっているあなたの過去に何があったかは
私には知る由もありませんが


もう、いいじゃないですか。

自分を許してあげてください。




あの時はあの時で、最適な対応はできなかったかもしれない

今となっては

「どうしてあんな事しちゃったんだろう」
「どうしてあんな事言っちゃったんだろう」

と非常に不可解、、、後悔していることもあるかもしれないけれど


あの時はあの時で、
あれが精一杯だったんです。 きっと。


もう充分に苦しんだし


いいじゃないですか、そろそろ

自分を勘弁してあげましょうよ。


あなたの真の姿は
「愛」のエネルギーです。

他の誰にも代わりのきかない、この世にたったひとつの
かけがえのない存在です。


でも現代を生きていると
私が「愛」だなんて
そんなこと、忘れちゃいますよね。

だって対処しなければならない諸々が
ひっきりなしに押し寄せてくる日常だもの。


神様じゃないんだから、あれもこれも完璧になんてこなせない。

いつもいつも愛情いっぱいの
ベストな状態の私でなんて、いられない。

だから時には、意図せず人を傷つけちゃう。
大切なものを失っちゃう。

そして私が「愛」だなんて、すっかり忘れちゃう。。。


でもしばらくの間それを忘れちゃってても、大丈夫。

また思い出せば、大丈夫。


そして復活!!元気になったあなたで

また残りの時間を、いっしょに楽しみましょう。






。。。。。。。

このメッセージは、私(レニア)から来たものではないので
ご了承ください。私はただの媒介です。



でもこれと似たようなメッセージが
今年のあたまに私を長年の呪縛から救い出してくれたので

今日これを読んで下さってる方のなかに

これが響いて

私と同じように
気持ちが解放される方がいらっしゃれば

すごく嬉しいなと思います。



私はこの道のエキスパートではないので、偉そうなことは言えないのだけど

あなた様が今日このブログにたどり着いて
これを読んでいることは

おそらく偶然ではないと思います。


長いこと苦しんで、がんばってきたあなたに
なんとかこのメッセージを届けたいと思っている存在が
どこかにいらしたようですよ。


誰かに、愛されているんですよね。私たちみんな。


...ということで

今日のこの記事が「なんのことやら???」と思った読者の方には
ごめんなさい(笑








シアトルは日曜の深夜です。


明日は月曜日、新たな一週間の始まり。
また気を引き締めて挑まなければ〜



いろいろありますけど、、、

お互い無理はせず、ゆるゆるでいきましょう。

この時代、いっしょに歩んでいきましょう。



昨日も書きましたが、
私もまだまだリセット中(笑










  
Posted by レニア at 15:37Comments(16)

リセット

2014年11月23日

めっきり冷え込むようになって、レニア山もすっぽり雪化粧。

シアトル市内から臨む、壮麗なその姿 (Facebookより拝借)


愛して止まないレニア山だけど、この夏は行く事が叶わなかった。


ブログをお休みしていた約1年の間に
何をしていたかというと
リセットをしていた

できれば「進化をしていた」と言いたいところなのだけど

今この1年を振り返ってみて、どう甘く解釈したところで
進化よりは「リセット」という言葉ののほうが、しっくりくる。

もっと正確に言うと、遠い昔の
自分の状態を思い出しつつある(?)と言ったほうがいいかな。


皆さんも経験したことあるのではないだろうか

あの経験をする前の、あの人に出会う前の、あれを手にする前の
その「前の自分」が、もはや思い出せない...という感覚

例えばスマホが出現する前の、私たちの生活
どうだったっけ?

実際私が大学生の頃は、スマホどころか「ケータイ」さえまだこの世に存在してなくて
それでも若かりし頃の私たちは、
ちゃんと友人たちと楽しくコミュニケーションがとれていた。

待ち合わせ場所でも、ちゃんと相手に会えていた。

相手を待っている間は、何をしていたっけ?

文庫本を読んだり
ウォークマンで音楽を聞いたり
または
ただ道行く人をぼんやり眺めたりして
「待っている」という事実を、もっと楽しんでいた気がする


そんな「ケータイ以前」の自分を

今リアルに思い出せない、、、


誰かを心底愛して、その関係は悲しく終わりを迎えたから
もう無邪気に恋ができた頃の自分は、思い出せない、、、

誰かを心から信じて、その信じた相手から傷を受けたから
もう闇雲に人を信じる無垢な心は、思い出せない、、、

ああなりたい、こうありたいと願って
でもそれはことごとく叶わなくて
「夢を見る」という感覚が、もう思い出せない、、、

だから今となっては

遠い子供のころ、どうして雨の中を
喜びの声をあげて走り回っていたのか

アリの行列が巣に食べ物を運ぶのを、飽きもせずじーっと眺めていたのか

茜色に染まる空を、畏敬の念で見上げていたのか

もう、とても
思い出せない、、、


そうした感覚は、誰でもお持ちなのではないだろうか。



ブログをお休みすることにした直後の、この1月に
あることがきっかけで
私はおそらくここ15年ぐらい抱えていたであろう傷を
するりと脱ぐことができたのです

自分の深いところに 長いことずっしりと居座っていた「それ」は

あれあれあれ?? というぐらいに
溶けてしまい

そうしたら、その傷を抱えるまえの

ずっと埋もれていた「それ以前の私」が

甦ってきた(?)とでもいえばいいだろうか



もちろん、この1年も様々なチャレンジはあって、ビックリするような出来事もあって
頭抱えたり、解決策を模索したり
一応大人の自覚で 
脳みそフル回転で
思考錯誤して、生きてはきたのだけど


2014年が始まって、11ヶ月がたった今

なんとなく今なら、
アリの行列を飽きもせず
じーっと眺めていられそうな。。。


そんな大昔の、懐かしい自分との再会


強いて言えば そんな感覚だろうか





遠い昔、人生って

もっとシンプルだった。


それをややこしく複雑にしてしまったのは
何なのだろう。
もしかして、自分だったのかもしれない。



スマホがあってありがたいな。生活はとても便利になった。

でもふいに空き時間ができた時

うつむいて
手のひらにおさまる小さな画面を
ただ眺めて過ごすのではなく

ふと顔をあげて

たとえば雨粒が、木々の葉をつたって滑りおりてゆく
その優美なダンスを
ただ眺めていられる

「この世の不思議」とのコンタクトを、逃さない

開いた心でありたいな


これに関しては 
子供は天才


私はずいぶんと、遠く離れた所にきちゃった。。。



まだまだリセット中








  
Posted by レニア at 12:28Comments(5)自分さがし

一瞬の一生

2014年11月07日

今これを読んで下さっているあなた様は、
おいくつだろうか?

まだ10代、20代?

または私のように40代
それとも50代?

または、60代、70代の方もいらっしゃるのだろうか。


40代の私からして

70代の女性は

自分がどんなにジタバタしたって追いつけない、見上げる大人のひと

20代のお嬢さんは

眩しいくらいフレッシュな、若く美しい光



でも、私たちが己の人生スパンで認識できる
「数十年の差」というのは

いやいや、100年を単位とした「世紀」の差であれ

宇宙が誕生してからの現在までの時間に照らし合わせてみれば

取るに足らない、まるで「0.01秒」のような時間だそうな




ある番組を見ていて、そう学んだのです。



この世に「宇宙」というものが誕生してから「現在」までの時間を
1年間のカレンダーに縮小したとしたら、、、


私たちが今見ている太陽が誕生したのが、8月31日

地球上に最初の生物(微生物?)が誕生したのが、9月21日

地上に、最初の「花」が咲いたのは、12月28日、、、



そして、私たち人類の祖先がやっと姿を現したのは、今から3万年前

それって宇宙のカレンダーにあてはめたら

なんと
大晦日の12月31日、11時59分

私たちは新年を迎える60秒まえに、やっとこの世に出現したのです。


そしてその60秒間のうち

人類が「文字」を開発し、記録を残し始めたのは

年が変わる、たったの14秒まえ。。。


モーゼが存在したのが、7秒前

仏陀が、6秒前

キリストが、5秒前

モハメドが、3秒前


そしてカウントダウン、最後の1秒

新年を迎える間際の、1秒という一瞬の間に
私たちは

ガリレオが天体望遠鏡を開発した時から、ロケットを飛ばして月面着陸をし
今こうしてインターネットで全世界の人とつながるまでの変化を
とげました。

その間、たったの1秒。。。




そのスケールで「生命」を見てみたら

私たちが普段「若いね〜」とか
「年だねー」とか言っている

10年、20年、30年、40年の違い、て......いかほどのものだろうか?



結論:

私たちが一生涯の間で認識できる、年齢という数字には
おそらくあまり意味がないかと思われます。

その人が辿り着いた場所というのは、たぶん身体の年齢には関係がない


だったら実年齢に関係なく
私たちはどこからでも出発できるし、いつだって変革を起こせるということ。


50年生きたって、90年生きたって

残りの時間が

あと1年しかなくたって、あと30年あったって

どちらもそれは「ほんの一瞬」だから、、、



そう思えたら、時間の束縛から自由になれる気がしませんか?



せっかく頂いた、一瞬の時間だから

出来るだけ楽しんで使おうよ

幸せに使おうよ


そんな宇宙からのメッセージが、聞こえてくるような。。。





ちなみに私が見た番組は "Cosmos"というタイトルで
アメリカ国内でNetflixをお持ちの方なら無料で見られますよ。

あまりのスケールの大きさに

日常の全ての憂いが、本当に小さな小さな
ちっぽけな事なのだと

自分がこの人生で頂いたエネルギーは、もっと他のことに使うべきなのだと

そういう事が漠然と分かります。



オススメです。





  
Posted by レニア at 16:16Comments(2)生きる意味

巡り会い

2014年11月02日

アリゾナ州、セドナに住む友人が撮った一枚


大きな光の輪の両端に

虹が映っているのが、見えるだろうか。




なんとも神秘的な一枚。。。

私には、宇宙が笑っているように見えた。




最近の言葉で言うと「パワースポット」というのだろうか


セドナという場所は非常に波動の高い場所で
その場に居るだけで、自分の中にある諸々が浄化されるのだとか

近いうちにどうしても行ってみたい場所だ。


そのセドナに住む友人というのが、これまた最近分かったことなのだけど

なんと鹿児島の川内市出身の方。

アメリカ在住20年を超えた私だが、自分が幼少期を過ごした川内市の方にアメリカでお会いしたことは、これまで一度もない。
しかも彼女とは、中学校まで同じだったという、、、

こういう偶然の一致を「シンクロニシティ」と呼ぶけれど
これは、自分がある方向に導かれている時に
頻繁に起こる現象だとか。

皆さんもそんな経験、おありだろうか。




これだけネット上で ブログが溢れる昨今


1年ちかくもお休みしたブログなんて
覚えている人のほうが珍しいだろうと思いきや


久しぶりにアップした記事に早速コメントを残してくれた方がいて


物理的距離を超えた、
お会いしたこともない人との間に 出来たつながりに

深く感じ入った私です...



そうして再びつながったことを喜んだ人たちがいた一方で

今週は
この世を去ってしまった人もいました。


家族の中で、たったひとりのアジア人である私を

それは可愛がってくれた、デイブおじさん。


義父の弟にあたり
68歳という若さでした。




夫と結婚しなければ
おそらく、巡り会うこともなかった人


訃報を聞いたときは、ショックで涙が止まらなかったけれど

ここ数年ガンで苦しんでいたデイブおじさんにとっては
やっと苦しみから解放された、自由になれた日なのかもしれない。

悲しいと思うのは、あとに残された者のエゴなのだと

大好きだった祖母を見送ることでそう学んだ、3年まえのことを思い出した。



私は昭和43年生まれの、46歳。

これからこうやって、見送る人がどんどん増えてゆくだろう。


いま、まだ私の人生にいてくれる人との時間を
大切にしたい。


そして、短い人生の中で出会うことの出来た人との時間を
祝福したい。



最後に会ったときに、デイブおじさんが言った言葉。

仕事より、お金より
それより時間を楽しみなさい。
会いたい人にあって、
体が動くうちに、行きたいところに行って
思い出をいっぱい作りなさい
大切な人と、楽しい時間をいっぱい過ごしなさい

老いて体の自由がきかなくなった時に
思い出すのは
仕事の成功でもない
通帳の残高でもない

思い出すだけで笑顔になるような

大切な人との、幸せな時間の記憶だよ...





デイブおじさん、Thank you for coming into my life

I will look forward to seeing you again

May your soul rest in peace....


  
Posted by レニア at 13:31Comments(12)生きる意味