知覧の「なでしこ隊」

2011年08月16日

8月15日、終戦記念日。

戦争を体験したわけでもないのに
この日になると、神妙な心持ちになる。


先日、偶然 YouTubeで

「戦場のなでしこ隊」

というドラマを見た

http://www.youtube.com/watch?v=EwhnXseKAzU&feature=related



知覧に「特攻隊」の秘密基地があったのは知っていたが

まさか

その特攻隊員たちの出撃を見送った
少女たちのグループがあったなんて

この時まで、全く知らなかった。


そのグループが

なでしこ隊

と呼ばれたそうです。

知覧高等女学校の3年生。

まだ15歳の少女たちです。

知覧の「なでしこ隊」

もう生きては戻ってこない特攻隊員たちの
最期の数日間の身の回りの世話をし、

家族に最期の別れを告げることさえ許されなかった
若き隊員たちの思いを
これから死にに行く人間の思いを
15歳という若さで受け止めて

出撃のときに
桜の枝を振って見送った
少女たちです。




「二度と帰らぬ皆さんに
かける言葉など、、、見つかりません。」

「大きな爆弾と、片道分の燃料...
足が震えて、とまらなかった」




ドラマ、一気に終わりまで見たが
目が、お岩さん状態になるまで
泣いた。

でも、これはフィクションではなく
現実にあったこと。



右翼とか左翼とか
靖国神社の参拝の是非がどうとか
そういうことではなくて


かつて、国のために
そしてその国に住む己の家族を守るためにと固く信じて
命を犠牲にした多くの若者がいたことを

その人たちの犠牲のうえに
今の私たちの生活があることを
やはり忘れてはいけないと思うのです。


知覧の「特攻平和会館」

最後に訪れたのは、もう20年以上まえ。

来月帰省することになったので、
出来ればこの機会に、ぜひ知覧を訪れたいと思っているが
はて、そこに
夫を連れていっていいものかと
ちょっと考えあぐねている。。。


私もハワイに住んでいたころ、ハワイで
「アリゾナ記念館」
(日本軍によるパールハーバー襲撃により撃沈した、戦艦アリゾナがある記念館)

を訪れたとき

ちょうどアメリカ本土から
退役軍人の団体さんがやってきていて

「なんでこんな所に日本人がいるんだ?」

という奇異の目で見られたことがあるのです。


あの戦争は...

お互いの国に起きた、悲しい歴史だけど

やはりこれは知っておくべき事実だと思うし
次世代に語り継いでいかないといけない事だと思うし

アメリカにいると、どうしてもあの戦争を
アメリカ側の解釈でしか聞かないので
(「特攻隊」を「自爆テロリスト」と同じだと思ってる人までいる)

この機会に
できれば夫にも、知覧を見てもらいたいと思うのだが...

どうですかね。

やっぱ、難しいでしょうか。












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この記事へのコメント

こんにちは。
私も数日前テレビの放映でみました。

そして同じくアリゾナ記念館を訪れたことがある友人に同じことを聞かされました。

戦争で攻撃した側、された側。
どちらが正しいとか
正しくないとか結論は出ません。

でも実際の出来事は語り継ぐものだと思います。

私たちも真珠湾攻撃の事実を知るべきだと思うし。
特攻隊や原爆の事実も知ってもらうべきだと思います。

だからご主人も知覧にいかれても良いと思うのです。
「なんでこんなところに・・・・・」と思う人がいないことを願うばかりです。
Posted by maplemaple at 2011年08月16日 19:09
小学生の何年生だったかなぁ…??
遠足で行った時は小さかったこともあって
つまんないなぁ…くらいしか思わなかったけど
大人になって行ったときは泣きましたねぇ…。

一番印象に残っているのは旅立つ戦士たちが親にあてた手紙。
ひとつの手紙にはたった3行
「お母さん、お母さん、お母さん!!」
とだけ叫ぶように書いてありました。

こんなことは2度と繰り返してはいけませんね、絶対!!
Posted by floor at 2011年08月16日 19:35
もうかれこれ10年位前、鹿児島県人会の帰国訪問団に混ざって、一緒に帰省したことがあります。その時、鹿児島観光に参加しましたが、その時に平和祈念公園行きました。もちろん移民の方々が大半のグループでしたが、アメリカからということでも、そこにいらっしゃったボランティアの方々(ガイド、説明をなさる人たち。元特攻隊の生き残りの方がほとんど)は他のお客様と変わらぬ態度で必死に説明なさっていました。祈念館を出る頃には訪問団のほとんどが目を腫らして出てきました。

だんな様のこと心配しておられると思いますが、レニアさんがアリゾナ記念館で体験されたようなことはないと願います。あの公園は真に平和を祈る、若い命を無駄にしてはいけない、このようなことを二度と繰り返してはならない・・・そのメッセージを世界に伝えるためにできたのですから、平和を祈る人々、歴史を学び同じ過ちを繰り返してはいけないという気持ちを培ってもらうために訪れる人たちを否定的に迎えるということはないと思います。もちろん、ボランティアの方々もその気持ちをもって皆に接してると思います。

ぜひ訪れてください。近くには昔の町並みを残した武家屋敷、私たちが昔遠足で行った頃よりもずっときれいになっています。だんな様もきっと楽しんでくれると思います。

帰省旅行記待ってます。ぜひお知らせください。
Posted by エルエーおごじょ at 2011年08月16日 20:45
mapleさん、

初めまして。コメントありがとうございます。
このドラマ、数年前のものだと思ったのですが今年もテレビで放映されていたのですね。
そうですよね、戦争に答えなんてありません。
人間の多くの過ちは無知と理解の欠如からくるので
「知ること」は何より大事だと、私も強く思います。

せめて自分の周りにいる人達にだけでも日本という国を正しく理解してもらいたい、
あの戦争下で日本全体がどんな状況だったのか、原爆がどれだけ残酷なものだったのか、、、こちら側の人にも知っていてもらいたいし
それを少しでも伝えるべく努めるのが、アメリカに住む日本人として
自分の使命のような気もしています。

それにはまず家族から、ですよね。
主人に話してみます。ありがとうございました。
Posted by レニアレニア at 2011年08月17日 06:19
floorさん、

(;_;) ...

特攻隊員は18〜23歳ぐらいの若者。いわば、まだ子供ですよね。
自分が日々接している学生たち、もっと身近で言えばマイケルと同い年の子たちが
死ぬと分かっていて飛んでいったのですよね。。。
考えられません。
floorさんのコメントを読んだだけで涙が出てきました。
そんな不条理で我が子を殺されて、当時の親は怒りを露にすることもできなかった。非情です。

本当に、こんなこと二度と繰り返してはならない。そのためにも
私たちが見聞きし学んだ事を、しっかり次に伝えていかないといけないですね。
Posted by レニアレニア at 2011年08月17日 06:29
エルエーおごじょさん、

お久しぶりです!
そして詳しくご自分の体験をここに書いて下さってありがとうございます。
おごじょさん、実際L.A.の方たちと一緒に平和祈念館を訪れたんですね。CAはWAにも増して日系移民が多いから、あの戦争で日本とアメリカの狭間で苦しんだり、強制収容所に入れられた方も多くいたことでしょうね。
CAのマンザナー強制収容所跡地などは、私いつか行ってみたいと思っている場所です。

おごじょさんの体験談を読んで、迷いが消えました。
ぜひ、夫を知覧に連れていこうと思います。

アメリカ人であっても日本人であっても、死にたくないと思う気持ち、そして家族を思う気持ちは同じ。
頭では理解している事でも、実際知覧に行けば夫もそれを肌で感じると思います。私もここアメリカで戦没者の墓地や記念館を訪れる度に、理屈でなく肌で感じました。ここでも数えきれない程の人が愛する人をおいて死んでいったのだと。あの戦争はこの国にも多くの悲しみをもたらしたのだと。

元特攻隊の方がボランティアをしているとは知りませんでした。
皆さんもうかなりご高齢でいらっしゃいますよね。。。それでも平和を願って、ご自分の時間を訪れる私たちのために割いて下さってるんですね。
その気持ち、私たちがしっかり受け止めて次にバトンタッチしていかなければなりませんね。
ボランティアの方のお一人にでも、当日運よく会えてお話し伺えたらなあと今から楽しみです。ありがとうございました!
Posted by レニアレニア at 2011年08月17日 07:08
なでしこ隊は2008年の再放送でした。
たまたま、夕べ鹿児島の民放局で
真珠湾攻撃に参戦された方のインタビューが放送されていました。
お年は92歳。
まだまだお元気そうでした。
回想しながら。
「トラトラトラ」奇襲成功の暗号の打電を受け取った話。
勝った。負けた。でいえば勝った瞬間。
当時の境遇では勝ったと喜ばれたと思う。

でも
>アメリカ人であっても日本人であっても、死にたくないと思う気持ち、そして家族を思う気持ちは同じ。
で当時の状況では仕方が無かったとしかいえないのでしょうね。

本当に
>人間の多くの過ちは無知と理解の欠如
だと私も思います。

映画のランボーでも。
国に忠誠を尽くしても戦争から帰ってきた人たちにとっては
自分の存在さえ分からなくなるほど精神を病んだり、
もちろん日本の復員兵さんにも言えることです。

戦争から生まれるものはありません。
せめて「戦争は無益」であったことが分かっただけ。

それらを語り継ぐことをしなければならないのは
私たちなのでしょうね。

数年前、真珠湾攻撃を題材とした、ハワイに移住した日本人から目線のドラマを見たことがありました。

初めての真珠湾題材の物語でした。
正直私も日本人としてショックを受けたのを覚えています。
殺されたり、破壊されたり。
理由は何であってもアメリカにとっては腹立たしいし。
日本も加害者であった事実。

歴史の事実は良いことも悪いことも知るべきであると思っています。

どうぞ楽しい帰省旅行をなさってくださいね。





良い里帰り旅行を。
Posted by maplemaple at 2011年08月17日 09:28
mapleさん、

「なでしこ隊」は再放送だったんですね。こういうドキュメンタリードラマはどんどんTVで放映してもらって、できれば若い世代に見てもらいたいなあと思います。

「戦争は無益」...まさにおっしゃるとおりです。
憎しみと暴力から生まれるものなんて、何もありませんよね。
そして日本軍は加害者でもあったという事実。。。
歴史の中には、目を背けたくなるような真実もあります。
でも、それをも含めて、私たちには語り継いでいく義務があるのだと感じます。
決して自分側の人間を美化しすぎることなく、ありのままを語り継いでゆく。。。そのためにも正しい情報の把握は、やはり不可欠なのだと感じます。
歴史的事実は、良いことも悪いことも知るべきである...全く同感です。

昨今の日本の有様を、危惧する声がよく聞かれますが
私も母国を離れてかなり年月が経ちましたので確信を持ったことは言えないのですが
こうした問いかけに応えてくれるmapleさん、そして他の方の言葉をきくと
表面上のギャップはさておき、日本人としての根っこの部分って
60数年まえとさほど変わっていないように思います。
その心意気は、今回の震災の時にも顕著に現れたように思えるんです。

夫にもよく「I married to a proud Japanese woman (僕は誇り高き日本の女性と結婚した)」とよく言われるんですよ。笑
日本人であることを誇りに思っています。
短い帰省ですが、故郷を存分に堪能してこようと思っています。ありがとうございました。
Posted by レニアレニア at 2011年08月17日 18:52
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