永遠はない
2013年11月03日
紅葉も、そろそろその体を地に落とし始め
シアトルは秋の終わりを迎えている。

目がくらむほどの緑だった木々たちは
最後の命を真っ赤に燃やし
ここまでだね、さよなら...と逝く。


夏の間、青々しく茂っていた頃よりも、私はこの
最期の瞬間の木々たちにむしろ強く命を感じる。

ふと思い出すのは、臨終の頃の
祖母の指。
90歳を超えた、意識不明のその女性は
孫がシアトルから駆けつけたことを知る由もなく
様々な機器につながれて一定のリズムで呼吸のみを繰り返し
黙って病院のベッドに横たわっていた。
目にとまったのは、指。
そのシワだらけの細く白い指。
なんて綺麗なんだろう。。。と思った。
季節の移り変わりは、形あるものには必ず終わりがくることを
私たち人間に教えてくれる。
たとえば今、自分の視界にうつるもの
目の前のパソコンのモニター
書棚に並んだ本
お気に入りのイス
デスクのとなりですやすや眠っているネコ
寝室ですやすや眠っている夫
そして、今この瞬間キーボードを叩いている自分の指
全てが、50年後には
もうひとつも存在していないだろう。
本当にひとつも。
永遠に存続するものなど無い。だからこそ今に価値がある。
終わること自体は悪ではないのだろうと思う。自然の摂理だから。
それを悲しいと受け取るのは人間の感情なんだろう。
祖母が亡くなった時は本当に悲しかった。
そしてそれは残された私という人間が感じたことだ。
当の祖母は、やっと苦しみから解放されてむしろ幸せだったかもしれない。
そうした辛い別離はこれから何度も体験するだろう。永遠に生きる人などいないのだから。
死別でなくても別れは訪れる。自分の日常に当たり前のように居た人がある日突然去ってしまうことがある。
「死」という、どうにもならない事情でなく 相手の意思で去ってゆく。
その時、残された者が受ける傷はまた違った深さと痛みがあると思う。
では何故、そこまで傷つくかというと
その人と一緒にいた自分というイメージに、自分が価値を置いていたからだ。
「あの人が存在していた私という人間」に価値があったからだ。
そのイメージが損なわれたがゆえ
「私」は傷ついているのだ。
...という本を、今読んでいる。
秋になって枯れ葉が散っていっても
それに対して腹を立てる人はいない。
「この私をおいて散ってゆくなんて。なんて非情な。裏切り者!」と
腹を立てる人はいない。
何故だろう...
それは
「葉が生い茂る木々囲まれた、ハッピーな私」というイメージに
人間が固執していないから。
殆どの人が たとえば
親に愛され慈しまれた、子供としての自分
「ママ大好き!」と言ってもらえる我が子がいる、親としての自分
職場で頼りにされている、社会人としての自分
愛してくれるパートナーがとなりにいる自分
そうした自己のイメージに価値をおいているため、
それを亡くした時に大きな傷を受ける。
絶望感に這い上がれなくなったりする...のだそう
だが、すべての出会いは別れを含んでいる。
それは青々と生い茂っていた木々がいつか葉を紅く染め散ってゆくようなもの。
人間にはどうすることもできない宇宙の真理であり、自然の摂理である。
そこに自分の存在価値を転化してはいけない。
木々が葉を落としても落とさなくても
花が咲いていても散ってしまっても
その人が、たとえ側にいても、去ってしまっても
私という人間が、今ここに在る
そのことに、その意味に、何ひとつ変わりはないのだから。
私という存在は、他者によって定義されるものではないのだから。
そう実感できた時に、人はやっと「イメージの束縛」から自由になり
「いま」と「じぶん」を堪能することができ
己を最大限に生かしてゆけるのだそう。
真の幸福感につながってゆくのだそう。
その「真理」に気付くことが
地球人類の、次の段階への
進化だそうです。
この進化をとげないと、
つまり人間が形あるもの(便利な暮らし、お金、仕事、若さ、健康な体、変わらない関係など)への執着から自分を解放し
変わりゆくものに翻弄されない、それを悲しまない
そうした「次レベル」へ意識改革を遂げないと
地球は存続が危ぶまれるのだとか。。。
(確かに地球が今直面している多くのダメージは、人間の強い「固執する気持ち」が引き起こしたものかもしれない)
週末に入って、そんな本のページをめくる時間を持て
ふと窓の外をみたら
風にあおられて木々の葉がはらはらと散ってゆく。
この木々たちは
自分の現状を少しでも長く維持しようと
戦うでもなく、抵抗するでもなく
美容液を塗るでもなく、ボトックスをうつでもなく
葉は落ちるまいと枝にしがみつくでもなく
誰かにすがったり、誰かを恨んだり
泣き叫んだりするわけでもなく
ただ、まかせている。
ただ、まかせているんだな〜、、、と思ったことでした。
私たち人間は「ただまかせる」ことから、遠く離れてしまった。
形あるものに永遠はない。
それを受け入れて初めて
形ないものの永遠を手にすることができる。
パラドックスのようだけど、、、
それに最初に気付いた人間は、イエスとブッダだったそうです。
それから2000年以上経ったというのに
人類は相変わらず、あまり代わり映えしないかもしれないな。
こんなことを偉そうに書いている私も、単純な人間の脳みそしか持ち合わせていないもので
この真理をイマイチ咀嚼できていない。
でも、意識して気付くことが
進化の始まりなのだそう
だから
意識してゆきたいと思う。
「永遠はない」 でもそれでいいやん。 受け入れるわ。
出会い 「こんにちは。会えて嬉しいな。来てくれてありがとう。よろしくね。」
別れ 「出会えてよかった。今までありがとう。さようなら。」
また出会い... 「こんにちは。来てくれてありがとう。一緒にいる間よろしくね。」
芽を出した葉が、枯れて、散って、また来年には芽を出す
始まって、終わって、また始まる。
過去や未来に自分は居ない。居るのは「いま」。
「いま」を大切に実感する。
「いま」は絶え間なくおとずれる。
それが実は、永遠なのかもしれない。
シアトルは秋の終わりを迎えている。

目がくらむほどの緑だった木々たちは
最後の命を真っ赤に燃やし
ここまでだね、さよなら...と逝く。


夏の間、青々しく茂っていた頃よりも、私はこの
最期の瞬間の木々たちにむしろ強く命を感じる。

ふと思い出すのは、臨終の頃の
祖母の指。
90歳を超えた、意識不明のその女性は
孫がシアトルから駆けつけたことを知る由もなく
様々な機器につながれて一定のリズムで呼吸のみを繰り返し
黙って病院のベッドに横たわっていた。
目にとまったのは、指。
そのシワだらけの細く白い指。
なんて綺麗なんだろう。。。と思った。
季節の移り変わりは、形あるものには必ず終わりがくることを
私たち人間に教えてくれる。
たとえば今、自分の視界にうつるもの
目の前のパソコンのモニター
書棚に並んだ本
お気に入りのイス
デスクのとなりですやすや眠っているネコ
寝室ですやすや眠っている夫
そして、今この瞬間キーボードを叩いている自分の指
全てが、50年後には
もうひとつも存在していないだろう。
本当にひとつも。
永遠に存続するものなど無い。だからこそ今に価値がある。
終わること自体は悪ではないのだろうと思う。自然の摂理だから。
それを悲しいと受け取るのは人間の感情なんだろう。
祖母が亡くなった時は本当に悲しかった。
そしてそれは残された私という人間が感じたことだ。
当の祖母は、やっと苦しみから解放されてむしろ幸せだったかもしれない。
そうした辛い別離はこれから何度も体験するだろう。永遠に生きる人などいないのだから。
死別でなくても別れは訪れる。自分の日常に当たり前のように居た人がある日突然去ってしまうことがある。
「死」という、どうにもならない事情でなく 相手の意思で去ってゆく。
その時、残された者が受ける傷はまた違った深さと痛みがあると思う。
では何故、そこまで傷つくかというと
その人と一緒にいた自分というイメージに、自分が価値を置いていたからだ。
「あの人が存在していた私という人間」に価値があったからだ。
そのイメージが損なわれたがゆえ
「私」は傷ついているのだ。
...という本を、今読んでいる。
秋になって枯れ葉が散っていっても
それに対して腹を立てる人はいない。
「この私をおいて散ってゆくなんて。なんて非情な。裏切り者!」と
腹を立てる人はいない。
何故だろう...
それは
「葉が生い茂る木々囲まれた、ハッピーな私」というイメージに
人間が固執していないから。
殆どの人が たとえば
親に愛され慈しまれた、子供としての自分
「ママ大好き!」と言ってもらえる我が子がいる、親としての自分
職場で頼りにされている、社会人としての自分
愛してくれるパートナーがとなりにいる自分
そうした自己のイメージに価値をおいているため、
それを亡くした時に大きな傷を受ける。
絶望感に這い上がれなくなったりする...のだそう
だが、すべての出会いは別れを含んでいる。
それは青々と生い茂っていた木々がいつか葉を紅く染め散ってゆくようなもの。
人間にはどうすることもできない宇宙の真理であり、自然の摂理である。
そこに自分の存在価値を転化してはいけない。
木々が葉を落としても落とさなくても
花が咲いていても散ってしまっても
その人が、たとえ側にいても、去ってしまっても
私という人間が、今ここに在る
そのことに、その意味に、何ひとつ変わりはないのだから。
私という存在は、他者によって定義されるものではないのだから。
そう実感できた時に、人はやっと「イメージの束縛」から自由になり
「いま」と「じぶん」を堪能することができ
己を最大限に生かしてゆけるのだそう。
真の幸福感につながってゆくのだそう。
その「真理」に気付くことが
地球人類の、次の段階への
進化だそうです。
この進化をとげないと、
つまり人間が形あるもの(便利な暮らし、お金、仕事、若さ、健康な体、変わらない関係など)への執着から自分を解放し
変わりゆくものに翻弄されない、それを悲しまない
そうした「次レベル」へ意識改革を遂げないと
地球は存続が危ぶまれるのだとか。。。
(確かに地球が今直面している多くのダメージは、人間の強い「固執する気持ち」が引き起こしたものかもしれない)
週末に入って、そんな本のページをめくる時間を持て
ふと窓の外をみたら
風にあおられて木々の葉がはらはらと散ってゆく。
この木々たちは
自分の現状を少しでも長く維持しようと
戦うでもなく、抵抗するでもなく
美容液を塗るでもなく、ボトックスをうつでもなく
葉は落ちるまいと枝にしがみつくでもなく
誰かにすがったり、誰かを恨んだり
泣き叫んだりするわけでもなく
ただ、まかせている。
ただ、まかせているんだな〜、、、と思ったことでした。
私たち人間は「ただまかせる」ことから、遠く離れてしまった。
形あるものに永遠はない。
それを受け入れて初めて
形ないものの永遠を手にすることができる。
パラドックスのようだけど、、、
それに最初に気付いた人間は、イエスとブッダだったそうです。
それから2000年以上経ったというのに
人類は相変わらず、あまり代わり映えしないかもしれないな。
こんなことを偉そうに書いている私も、単純な人間の脳みそしか持ち合わせていないもので
この真理をイマイチ咀嚼できていない。
でも、意識して気付くことが
進化の始まりなのだそう
だから
意識してゆきたいと思う。
「永遠はない」 でもそれでいいやん。 受け入れるわ。
出会い 「こんにちは。会えて嬉しいな。来てくれてありがとう。よろしくね。」
別れ 「出会えてよかった。今までありがとう。さようなら。」
また出会い... 「こんにちは。来てくれてありがとう。一緒にいる間よろしくね。」
芽を出した葉が、枯れて、散って、また来年には芽を出す
始まって、終わって、また始まる。
過去や未来に自分は居ない。居るのは「いま」。
「いま」を大切に実感する。
「いま」は絶え間なくおとずれる。
それが実は、永遠なのかもしれない。
Posted by レニア at 17:20│Comments(13)
この記事へのコメント
Posted by マチルダ at 2013年11月03日 22:40
まさに…それにあてはまっている今…です。
誰かがいなくなる…いない…現実に戸惑い、悩み、沈み込む、そんな毎日。
レニアさんのブログを「そ~なのかぁ~」と思いながら読ませていただきました。
人は生まれた時から死に向かって生きていく…と何かで読んだ事があります。
どんな別れにせよ、別れからは逃れられない。
それとどう向き合い、乗り越えていけるか…
今後の課題です!!
一歩一歩少しずつですが前に向かって歩き出して行けるようにしたい。
新しい年を迎えると共に気持ちが切り替えられたらいいな!
いつも良い言葉、お話をありがとうございます(*^^)v
誰かがいなくなる…いない…現実に戸惑い、悩み、沈み込む、そんな毎日。
レニアさんのブログを「そ~なのかぁ~」と思いながら読ませていただきました。
人は生まれた時から死に向かって生きていく…と何かで読んだ事があります。
どんな別れにせよ、別れからは逃れられない。
それとどう向き合い、乗り越えていけるか…
今後の課題です!!
一歩一歩少しずつですが前に向かって歩き出して行けるようにしたい。
新しい年を迎えると共に気持ちが切り替えられたらいいな!
いつも良い言葉、お話をありがとうございます(*^^)v
Posted by あひる at 2013年11月04日 01:15
レニアさんこんにちは。
いつも更新楽しみにしています。
ここ数ヶ月の間
舅、叔父、叔母、そして友人のご主人が亡くなりました
そして、娘が結婚
違う姓になりました
レニアさんの記事を拝見しながら
ああ、まさにそうだな
しみじみ思っています。
ありがとうございました
いつも更新楽しみにしています。
ここ数ヶ月の間
舅、叔父、叔母、そして友人のご主人が亡くなりました
そして、娘が結婚
違う姓になりました
レニアさんの記事を拝見しながら
ああ、まさにそうだな
しみじみ思っています。
ありがとうございました
Posted by みほ at 2013年11月04日 10:21
いつも楽しく拝見させていただいています。
仏陀やイエスなどのマスターが言っていることは同じですよね。過去も未来もない、永遠の「いま」。「いま」という瞬間をどれだけいとおしんで大切にできるかがすべてだと思います。
シアトルの美しい写真、心があたたまります。ありがとうございました。
仏陀やイエスなどのマスターが言っていることは同じですよね。過去も未来もない、永遠の「いま」。「いま」という瞬間をどれだけいとおしんで大切にできるかがすべてだと思います。
シアトルの美しい写真、心があたたまります。ありがとうございました。
Posted by パット
at 2013年11月06日 14:38

マチルダさん、
拙いブログを読んで下さってありがとうございます。秋という季節に諸行無常を感じるなんて若い頃にはなかったのですがこれも年齢の成せる業でしょうか。この世の全ての価値は永遠でないことが基盤にあると言っても過言ではない気がしています。たぶんそれを理解することで、私の心が固定観念や執着心から自由になりたがっているのだと思います。コメントありがとうございました。
拙いブログを読んで下さってありがとうございます。秋という季節に諸行無常を感じるなんて若い頃にはなかったのですがこれも年齢の成せる業でしょうか。この世の全ての価値は永遠でないことが基盤にあると言っても過言ではない気がしています。たぶんそれを理解することで、私の心が固定観念や執着心から自由になりたがっているのだと思います。コメントありがとうございました。
Posted by レニア
at 2013年11月11日 07:47

あひるさん、
詳しい事情は分かりませんが、あひるさんは今別離を受け入れるという作業に取りかかってらっしゃるんですね。非常に難儀で苦しい作業だとお察しします。私も過去に経験があります。今読んでいるその本によると「大きな喪失感」こそが人間の意識改革のきっかけになるのだそうですよ。苦しみのない平穏な毎日だけを送っていて目覚める人など居ないのだそうです。なので今のお辛い経験もあひるさんを次の段階へ連れていこうとしているのでしょうね。
私が強く信じていることに「なくしたものは要らないもの。必要なものなら必ず自分の手の中に残る」というのがあります。人であってもものであっても、過去の私ではなくて、「いま」の私に必要なものは、今目の前に全てそろっていると思っています。例えば加齢に身体の衰えはつきものですが、若い頃のような視力とかぷりぷりの肌とか限界知らずのスタミナなどは、今の私にはきっと必要ないのだと思います。人も同じで、なくしたからこそ手に入れたものもあります。あひるさんもきっと次の段階に進まれた時に、新しい何かが待っていると思いますよ。それを楽しみに「いま」を満喫されてくださいね。
詳しい事情は分かりませんが、あひるさんは今別離を受け入れるという作業に取りかかってらっしゃるんですね。非常に難儀で苦しい作業だとお察しします。私も過去に経験があります。今読んでいるその本によると「大きな喪失感」こそが人間の意識改革のきっかけになるのだそうですよ。苦しみのない平穏な毎日だけを送っていて目覚める人など居ないのだそうです。なので今のお辛い経験もあひるさんを次の段階へ連れていこうとしているのでしょうね。
私が強く信じていることに「なくしたものは要らないもの。必要なものなら必ず自分の手の中に残る」というのがあります。人であってもものであっても、過去の私ではなくて、「いま」の私に必要なものは、今目の前に全てそろっていると思っています。例えば加齢に身体の衰えはつきものですが、若い頃のような視力とかぷりぷりの肌とか限界知らずのスタミナなどは、今の私にはきっと必要ないのだと思います。人も同じで、なくしたからこそ手に入れたものもあります。あひるさんもきっと次の段階に進まれた時に、新しい何かが待っていると思いますよ。それを楽しみに「いま」を満喫されてくださいね。
Posted by レニア
at 2013年11月11日 08:06

みほさん、
娘さん、ご結婚おめでとうございます!
そしてご家族の中にはさよならと逝かれてしまった方もいたのですね。御悔やみ申し上げます。
本当に、人間の営みって出会いと別れの繰り返しですね。よろしくね!と満面の笑顔で迎えたかと思いきや、さようならと涙を流したり、、、。たかだか数十年の人間の一生で出会える人の数など限られていますから、一緒にいられた時間がたとえほんの短い間でも、今生でその人と道が交わった縁を大切に抱ける自分でいたいなと思います。
コメントありがとうございました。
娘さん、ご結婚おめでとうございます!
そしてご家族の中にはさよならと逝かれてしまった方もいたのですね。御悔やみ申し上げます。
本当に、人間の営みって出会いと別れの繰り返しですね。よろしくね!と満面の笑顔で迎えたかと思いきや、さようならと涙を流したり、、、。たかだか数十年の人間の一生で出会える人の数など限られていますから、一緒にいられた時間がたとえほんの短い間でも、今生でその人と道が交わった縁を大切に抱ける自分でいたいなと思います。
コメントありがとうございました。
Posted by レニア
at 2013年11月11日 08:14

パットさん、
本当におっしゃる通りで、全ての宗教のマスターが民に伝えようとした観念はおそらくどの宗教でも最初は似たような事だったと思うのです。それが、弟子たちによって誤って伝承されるなどして何千年も時が経った結果、宗教は人類の心をひとつにまとめるどころか、遠く分断してしまいました。悲しいことですね。私は無宗教者ですが「私の宗教が正し」くて「あなたの宗教が間違っている」と言ってる段階で本末転倒というか、もう宗教の意味をなさないと思っています。
宗教に限らず人間同士でも「ひとつ」という概念より、「私」と「あなた」は別という分断する概念が先行する時代になって久しいですよね。
そんな現代人は(その本ではかなりキツい表現を使っていて)「機能不全」なんだそうです。「え〜、私たちって機能不全なのー?じゃあ壊れてるってことかあ〜」とそれを読んだ時はちょっとガクッときました(苦笑)。
でもブログに書いたように「気付く」のは大事なようで、最近では過ぎたことをいつまでもグジグジ考えている自分のことを「あ、私壊れてる壊れてる。いまに帰ってこなきゃ」と思うようになりました。それが成功しなくても、一応トライはします(笑)。
写真を楽しんで頂けて嬉しいです。目をみはる美しさだった紅葉もすっかり散ってしまいましたが、すっぽんぽんで寒そうな木々たちもそれはそれで風情があって私は好きです。来年の春にはまた再生の魔法を見せてくれると思います。コメントありがとうございました。
本当におっしゃる通りで、全ての宗教のマスターが民に伝えようとした観念はおそらくどの宗教でも最初は似たような事だったと思うのです。それが、弟子たちによって誤って伝承されるなどして何千年も時が経った結果、宗教は人類の心をひとつにまとめるどころか、遠く分断してしまいました。悲しいことですね。私は無宗教者ですが「私の宗教が正し」くて「あなたの宗教が間違っている」と言ってる段階で本末転倒というか、もう宗教の意味をなさないと思っています。
宗教に限らず人間同士でも「ひとつ」という概念より、「私」と「あなた」は別という分断する概念が先行する時代になって久しいですよね。
そんな現代人は(その本ではかなりキツい表現を使っていて)「機能不全」なんだそうです。「え〜、私たちって機能不全なのー?じゃあ壊れてるってことかあ〜」とそれを読んだ時はちょっとガクッときました(苦笑)。
でもブログに書いたように「気付く」のは大事なようで、最近では過ぎたことをいつまでもグジグジ考えている自分のことを「あ、私壊れてる壊れてる。いまに帰ってこなきゃ」と思うようになりました。それが成功しなくても、一応トライはします(笑)。
写真を楽しんで頂けて嬉しいです。目をみはる美しさだった紅葉もすっかり散ってしまいましたが、すっぽんぽんで寒そうな木々たちもそれはそれで風情があって私は好きです。来年の春にはまた再生の魔法を見せてくれると思います。コメントありがとうございました。
Posted by レニア
at 2013年11月11日 08:34

ブログを読ませて頂いております。
レニアさんの視点や憧憬の深さにはっとさせられています。
自己と周りの人とのバランスについて、この記事をきっかけに考えるようになりました。例えば、対人間において自己犠牲や愛は美しいとされていますが、ではそれは本当に正しいことなのか?そんなことは考えたことがありませんでした。
記事1つでまるで一冊の本を読み切ったみたいな充実感です(●´ω`●)
レニアさん、もしよかったらなのですが、この記事で触れていた本のタイトルを覚えていらっしゃったら教えていただけないでしょうか?
私もこの本を読んでみたいなって思いました(*ˊૢᵕˋૢ*)
レニアさんの視点や憧憬の深さにはっとさせられています。
自己と周りの人とのバランスについて、この記事をきっかけに考えるようになりました。例えば、対人間において自己犠牲や愛は美しいとされていますが、ではそれは本当に正しいことなのか?そんなことは考えたことがありませんでした。
記事1つでまるで一冊の本を読み切ったみたいな充実感です(●´ω`●)
レニアさん、もしよかったらなのですが、この記事で触れていた本のタイトルを覚えていらっしゃったら教えていただけないでしょうか?
私もこの本を読んでみたいなって思いました(*ˊૢᵕˋૢ*)
Posted by えりか at 2015年08月21日 03:06
えりかさん、
初めまして。コメントありがとうございます。そんなにお褒め頂いて恐縮です。2年前に書いた記事ですね。楽しんで読んで頂けたようで嬉しいです。久しぶりに自分でも読み返してみて、自分で感じていた事を思い出していました。
どの本を読んだ時に触発されてこの記事を書いたのかちょっと覚えていないのですが、2年前の秋頃だったらおそらく以下のどれかを読んでいたと思います。
- 『万能の鍵』ラルフ・ウォルドー・トライン (著)
- 『ザ•シフト』ウエイン・W・ダイアー (著)
- 『神との対話』(1)〜(3)ニール・ドナルド ウォルシュ(著)
- 『ニューアース』エックハルト トール(著)
どれも日本語に訳されていますしオススメです。えりかさんにコメント頂いて私も久しぶりに読んでみたくなりました。この週末パラパラめくってみようかなと思います。
初めまして。コメントありがとうございます。そんなにお褒め頂いて恐縮です。2年前に書いた記事ですね。楽しんで読んで頂けたようで嬉しいです。久しぶりに自分でも読み返してみて、自分で感じていた事を思い出していました。
どの本を読んだ時に触発されてこの記事を書いたのかちょっと覚えていないのですが、2年前の秋頃だったらおそらく以下のどれかを読んでいたと思います。
- 『万能の鍵』ラルフ・ウォルドー・トライン (著)
- 『ザ•シフト』ウエイン・W・ダイアー (著)
- 『神との対話』(1)〜(3)ニール・ドナルド ウォルシュ(著)
- 『ニューアース』エックハルト トール(著)
どれも日本語に訳されていますしオススメです。えりかさんにコメント頂いて私も久しぶりに読んでみたくなりました。この週末パラパラめくってみようかなと思います。
Posted by レニア
at 2015年08月22日 09:02

レニアさん
お忙しい中、さっそくお返事頂きありがとうございます(*ˊૢᵕˋૢ*)
どれも面白そうですね!
私もこの週末に本を探しに行こうと思います。
P.S. 紅葉の写真がとっても綺麗で、いつか行ってみたいなぁと思います〜!
お忙しい中、さっそくお返事頂きありがとうございます(*ˊૢᵕˋૢ*)
どれも面白そうですね!
私もこの週末に本を探しに行こうと思います。
P.S. 紅葉の写真がとっても綺麗で、いつか行ってみたいなぁと思います〜!
Posted by えりか at 2015年08月22日 19:54
ブログ再開おめでとう。時々、開けて見ていました、又、爽やかなタッチの文章にお目にかかれるので、嬉しくPCを開けるのが楽しみです。
ここ、埼玉も中秋の候といえども、今年は、天候が定まらず晴れたと思ったらすぐ雨模様、この時期の小学校や中学校の運動会もヤキモキさせらております。
久し振りに、栗の渋皮煮に挑戦しました。20年前までは、毎年中行事にしていましたが、又 栗を見ると、栗ごはんだけでは、芸が無いので、作りました、あく取りを手抜きしたらしくて、少し渋みが残りましたが、まあまあの出来栄え、おすそ分け出来ないのが残念です。
ブログ再開おめでとうございます。楽しみにしてます。
ここ、埼玉も中秋の候といえども、今年は、天候が定まらず晴れたと思ったらすぐ雨模様、この時期の小学校や中学校の運動会もヤキモキさせらております。
久し振りに、栗の渋皮煮に挑戦しました。20年前までは、毎年中行事にしていましたが、又 栗を見ると、栗ごはんだけでは、芸が無いので、作りました、あく取りを手抜きしたらしくて、少し渋みが残りましたが、まあまあの出来栄え、おすそ分け出来ないのが残念です。
ブログ再開おめでとうございます。楽しみにしてます。
Posted by 岡嶋 功子 at 2015年09月27日 16:02
岡嶋様、
新しくブログを移してからこちらのサイトを全くチェックしていなかったので、コメントのお返事が遅くなりましたことをお詫び致します。すみませんでした。
栗の渋皮煮、まさに秋の味覚ですね。お裾分け頂きたいです!
シアトルもここ一週間で紅葉がどんどん進み、気温もぐっと落ちました。いっきに秋到来といった感じです。
先ほど新しいブログを久しぶりに更新したところですが、相変わらず思ったほど頻繁に書けない状態でいます。近況はどうぞそちらのほうで。
新しくチャレンジ始めた事と仕事と、そして家庭と、うまくバランスが取れているんだかいないんだか分からないような日々を送っています。
そんな中でも、あまり思いを詰め込み過ぎずにもっとサラリと、感じたことを書いていけたらと思います。
これからもよろしくお願いします。
新しくブログを移してからこちらのサイトを全くチェックしていなかったので、コメントのお返事が遅くなりましたことをお詫び致します。すみませんでした。
栗の渋皮煮、まさに秋の味覚ですね。お裾分け頂きたいです!
シアトルもここ一週間で紅葉がどんどん進み、気温もぐっと落ちました。いっきに秋到来といった感じです。
先ほど新しいブログを久しぶりに更新したところですが、相変わらず思ったほど頻繁に書けない状態でいます。近況はどうぞそちらのほうで。
新しくチャレンジ始めた事と仕事と、そして家庭と、うまくバランスが取れているんだかいないんだか分からないような日々を送っています。
そんな中でも、あまり思いを詰め込み過ぎずにもっとサラリと、感じたことを書いていけたらと思います。
これからもよろしくお願いします。
Posted by レニア
at 2015年10月12日 15:27

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<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。 |
本当にしみじみと感じ入りました。ありがとうございました。<(_ _)>