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Posted by チェスト at

変わらないもの

2014年12月27日

もう1ヶ月ほど前になるが、

夫とふたりで懐かしい場所を訪れる機会があった



滞在した宿からは、故郷の桜島フェリーを彷彿させるフェリーの発着所が見えた。






この写真をアップしていて今気づいたけど
自分に関して「変わらないこと」

こうしてパートナーの背中を、黙って後ろから見ていることが昔から多いかもしれない




相手に正面から向き合った瞬間から
本当の自分なんだか、相手に見て欲しい自分なんだか

こんがらがって、何だかわからなくなってしまうでしょう?
でも後ろから見ている間は、素の自分のまんま。




何年も前に、初めて出会った頃の夫は

I won't change (僕は変わらないよ)

と、よく言っていた。


変わらない人間なんていないんだよ、と内心思っていた私は
「あら、そうですか」と受け答えながら
話半分に流していた。


一緒にいる時間が長くなるごとに

この人、いよいよぽよよんドラえもんだ〜と思うことが多々あるが

そのドラえもんが、今でも時々さらりと


「I know who I am, so I won't change」


本当に、さらりと

「今日は金曜日だよ」ぐらいと同じ、当たり前感と、確信をもって
そう言うことがある


「I know who I am, so I won't change」
(自分が何者たるか知ってるから、僕は変わらないよ)


自分の核とのつながりが非常に希薄な私には

なんのこっちゃ??? さっぱり分かんない。

でも

なんだか羨ましかったりもする。
 


さて、「変わらないよ」と言っていた彼だが
知り合ってからの年月のなかで、果たして変わったか?



...変わった (笑)



そして



変わってない




変わったと感じるのは、「五感」を通して表層的に認知できること。

見た目、使うようになった言葉、好んで食べるようになった物

昔はしてくれたのに、今はしてくれなくなった事もあるし
昔はしてもらったことないのに、今は普通にしてくれるようになった事もある


変わらないと感じるのは、五感では認識できないこと。

私が「なんとなく」の領域で感じる
強いて言えば、雰囲気みたいなものだろうか
自分が相手といるときに受ける、空気みたいなものだろうか。


実はこれは、夫以外の人にも当てはまる。

例えば両親。

自分が子供として密に親と関わっていた頃は30代〜40代だった父母も
今では70代。

昔の写真を見れば、そりゃ「うわ、若い!こんなだったっけ???」と思うけれど
実際に今の両親を目の前にしてみれば
子供の頃と全く同じ空気感を覚える。


学生時代の友人もしかり。

懐かしい友に数年ぶりに再会して、私が感じ取るのは
現在の40代半ばのその人ではなく
10代20代の頃のままの、その人の「本質」みたいなもの
シワが増えていようが、白髪が増えていようが
いま目の前にあるのは、「あの頃」と同じ顔なのだ。


他人(ひと)の中にそうした「変わらないもの」を認知できるということは

たぶん私の中にも、そうした「変わらないもの」が存在するものと思われる

もしかしたら家族や友人は、それを私の中にも感じるのかもしれない。

ただ、自分ではそれが分からない。

夫の言っていた「I know who I am」というのは、
その変わらない部分のことを言っていたのかもしれないなと、思ったりしている。




さて、その不滅不変の「核」の部分が、すっぽり隠れて見えなくなっている人もいると思う。

うちで言えば、息子が長いことその状態だった。

夫は、息子が幼いときに彼のその部分をしっかり認識していた。
私は途中参加であったため、
息子に出会った時には、思春期という難しい時期も関与して
彼の本質は非常に見えづらい状態になっていたのだが、、、

今年に入って、息子は自分のその「核」の部分を、重いベールの下から引っぱり出し
再び外に向けて発信するようになった。

夫に言わせると、それは馴染みのある、とても懐かしい部分なのだそう。

私にしてみれば、ああ、何となくそうじゃないかな〜と思っていたけどやっぱりそうだったのね、みたいな感じ? (笑



その人がその人たる、カラーのようなもの

それって隠れてしまうことはあっても、なくならない気がする。

どれだけ時間がたっても、消滅はしない気がする。


「ああ、あの人変わってしまったね...」は、とても寂しい感覚だけれども

それももしかしたら、
ただ隠れているだけかもしれない。

傷ついたり辛かったりしたら、人間、隠れたくなりますものね。


"I know who I am" と言う自信は、私には無いけれど

人が「いいね」と言ってくれる自分の部分を大事にしたり

変わってしまった人を、「いまは隠れているだけかも」と待っていられる
ゆったり大きな心持ちでいたいなと、思う。

そして、その人がその人でいることを「安全だ」と思ってもらえるような
そんな存在でありたいなと、思う。




22歳の青年から、そんなことを学んだ
なんとも忘れられない
2014年の師走を迎えています。









  
Posted by レニア at 17:28Comments(2)ふと思うこと

あいぶみ(愛文)

2013年08月10日

「恋文(こいぶみ)」という言葉がある。



私たちの世代でも「ラブレター」という単語のほうが、ずっと馴染みがあるけれど

恋い焦がれる相手に思いを寄せた手紙のことだ。



では、

愛する相手に向けて綴る手紙は、なんと呼ぶのだろう...?



あいぶみ ?



ためしに「あ・い・ぶ・み」とパソコンで打ってみた。


「愛撫身」 とか
「相武身」 しか、出て来ない。


どうやら「恋文(こいぶみ)」はあるのに、「愛文(あいぶみ)」は存在しないらしい。




「恋」という感情と
「愛」という感情は、全く別物だが


一度愛してしまった相手には、もう手紙は書かないものなのだろうか。。。






私は相方にもう恋はしていない。

彼に対する感情は、「恋」とは全く異なるものだ。




その相方に、久しぶりに手紙を書いてみようと思った。(正しく言うとメールだが)

彼に手紙を書くのは、つき合っていた頃以来だ。




先日の「ほめ日記」で、自分の褒められる点を挙げるお話をさせていただいたが
それを探すのに何だかとっても苦労しているので
とりあえず
一番身近にいる相棒で練習してみるか、と思った次第だ。



相手が家に居ない時間帯を選んで、書いてみた。


夫は、ここ数週間はちょうど夜10時頃から朝までの出勤になっているので
夜に私ひとりの時間はたっぷりあったのだが


それでも、なんだか
日々を共にする相方に向けて書く手紙って、

書き出すだけでもちょっと戸惑う感じがするものなんだな。



それに気付いただけでも、自分の相手に対する心情が昔とは明らかに違ってきていることが伺える。



頭ガチガチな感じがしたので、ゆるゆる目指して
とりあえず一本飲んだ。(何でも飲む理由になる私 笑)

キャンドルに灯をともしてみる。 

ロマンチックな二人の夜を演出するアイテムとして、代表選手のキャンドルだが

私は夫とふたりでいる時より、ひとりでいる時のほうが、キャンドルを灯す頻度は圧倒的に多い。
気持ちが静まる感じがするから。
Blue Moonとキャンドルの夜

あなたのこういうところが好きです


と思いつくまま、挙げてみた。


思ったとおり
書き始めてしまえば、自分に向けてより相方に向けてのほうがずっと書きやすい。


そして書きながら、ふと思ったのだ。

これは「恋文(こいぶみ)」ではないよなあ、と。

果たして、「愛文(あいぶみ)」という言葉は、存在するのだろうか? と...





恋する相手は、必ずしも自分のものとは限らない。
だから、まだ自分のものになっていない相手に向けて書かれる手紙も「ラブレター(恋文)」と呼ばれる。

「あなたのことがこんなに好きです。出来ることなら私のものになってほしい」
と、ほとばしる熱い思いを込めるラブレターは、

ともすれば「私がどうしてあなたを欲するか」に焦点が置かれており
「あなたが何を欲するか」を最重要項目として書かれたものでは、
必ずしもない。




いっぽう、愛する相手というのは

既に自分の生活の一部になっている存在か

又は自分のものになってほしいという欲求までをも、超越したところにいる人であったりして



そういう相手に対して綴る、特別な手紙に

名称が無いというのは、

なんだか不思議なことだなあ。。。





そういえば...

私も大昔に、愛してくれる人から手紙をもらったことがある。 母だ。



でもそれは、日常を共にしている時に受け取ったものではなく
家を離れて、遠くアメリカに留学していた時のことだった。

メールも携帯もない時代だったので、べらぼうに高い国際電話以外は「手紙」しかコミュニケーションの手段が無く
私を案じて綴ってくれた母の言葉には何度も励まされたり慰められたりした。


思えば、あれも「愛文(あいぶみ)」だったのだなあ。





家族として愛する相手にこそ、
「あなたは私にとって大切な人なんだよ」と言葉で伝えるのは、ものすごく大事な事のような気がする。

それを話し言葉ではなく、敢えて書き言葉で伝えると

それは物体として手元に残り

何度も何度も読み返せるという恩恵を与えてくれる。





でもそんな手紙を綴ろうとは
忙しい日常の中にあって、そうそう思わないし
家族だからこそ、思いを言葉にすることが
何だか照れくさい感もある。

私個人の印象を述べれば、
自分自身に向けて書く「ほめ日記」よりは、相棒に向けて書く手紙のほうがずっと書き易かったが。








さて、書き上げた「愛文(あいぶみ)」だが

実は相方には送信していない。 苦笑



これを読んだ彼が、まさか気分を害することはないだろうと思うのだが


なんだか送ることに躊躇してしまう(照れてしまう)のは
私と彼が、家族になった証なんだろう。




毎日を共にする、一番身近にいる人に向けて
思いを綴り、伝えるとは

どうしてこうも難しいものかな。 


そんな自分が滑稽に思えたりもするが...






妻として自分が進化するチャンスとも解釈して、



「えいやっ!」と送信ボタンを押せる瞬間がやってくるのを

待っているところである。

















  
Posted by レニア at 09:29Comments(4)ふと思うこと

からだは時の器

2013年07月28日

7月に入ってからずっと夏日が続いているシアトル。

母の日にもらったフラワーバスケット。
5月にはこんな感じだったのに


バルコニーに吊るしたらお陽さまをいっぱい受けて、今では籠からお花があふれんばかり。
こんなにふくらんだ。


アパートに隣接する Botanical Gardenへ直結するゲートも
3月はこんなだったのが

今では緑に埋もれそうだ。



ここ数年の不摂生が祟ったか、最近体調がイマイチ。

しかもまあ、自分でもあきれるぐらい
ブクブクと太ってきた。

もともと「やせ」ではないが、肥満というわけでもなく
暴飲暴食のわりには(私はアメリカ人の夫が「なんでそんなに食べれるの??」とビックリするような量を食べる)ここ20年位は体型の変化は殆ど無く
中肉中背を維持してきたのだが
いくらなんでも中年期に入って、「なにもせずとも」というわけにもいかなくなってきたのだろう。

自分の生活ぶりが、きっちり体調/体型に反映される年齢になってきたと実感。

そんな事に気づくようになったのも、先学期が終了して仕事がようやく一段落し
少しばかり自分のことを振り返る時間が持てたから。

振り返ってみて、久々に己の有様をきっちり直視してみたら
その現実にうひょ〜〜!と自分でビックリして
思わず相方に
「あたし、ちょっとひどくない!?めっちゃ太ったよね!?」と確認すると

You haven't changed a bit (全然変わってないよ)

と優等生の答えが返ってきた。

こやつ、見かけによらずカミさんの扱いを心得てる賢いやつとちょっと感心。

(世の旦那さん。奥様の「太ったよね?」の問いに決して正直に答えてはいけませんよ。)



それにしてもストレスからとはいえ
ここ数年「休肝日」なしで毎晩飲み続け、夜中に「お腹すいたなあ〜」とラーメン作って食べたりしてるようでは
この状態は当然と言える。
(でも、飲んでるときと食べてるときが一番シアワセだったりする...)

体が重くなってくると、それと比例して足がダルくなってきたり持病の腰痛が悪化したり、、、
おそらく重さだけでなく筋力も低下しているのだろう。

親にもらった丈夫な体に甘んじて
ずいぶんと自分のメンテを怠ってきたなあ、、、と素直に反省した。
お父さんお母さん、ごめんなさい。





大昔、若かりし頃は
これでも「ダイエット」なんぞをトライした記憶があるが

今の私に「食べる/飲む」を制限するという観念は *まったく* 無い。

食べたい物を食べたいだけ食べ、飲みたいものを飲む。

となれば、運動するしかない。




ということで、夏になってからお隣のBotanical Garden直通のゲートをくぐって
なるべく定期的に歩くようにしている。夫もいっしょに歩いている。

ちなみに「歩く」と肝臓に送られる酸素と血量が増加し、肝機能も強化されるのだそう。
日々肝臓を酷使する呑んべえにはうってつけである。


木々のざわめき鳥のさえずりを聞きながら、木漏れ日の中をくぐりぬけてゆく。






緑のちからって
あなどれない。

森林浴の中を30分歩くだけで、
体だけでなく 気持ちまですーっと浄化されてゆくようだ。


リスさん、うさぎさんにはよく出くわすが

先日はこんな珍しい隣人にも遭遇した。


うちらが真横を通ろうが、携帯カメラを向けようが
「我関せず」といった風貌で
ゆったりのんびり... お食事中であらしゃった。 

優美だなあ。





大好きな雑誌【婦人公論】を、ちょっと贅沢して久しぶりに購入した。

その号に、石内都さんという女性写真家の記事があり

「身体は時の器だ」

という彼女の言葉が紹介されていた。


石内都さんは、御年66歳。


40歳の時に、自分と同い年「1947年生まれ」の50人の女性の
手と足のクローズアップ写真を集めた

『1.9.4.7』 という写真集を発表されたことがあるそうだ。


シワやシミのある手、かかとがカサついた足、、、
その女性が40年間重ねてきた時間を、もの言わずただ静かに伝える身体。

それを映し出した写真は、女たちの生を愛おしく見守る作品だと高く評価されたとのこと。



からだは、「時の器」かあ。。。

いいことばだなあ。





実は先週、9年乗り続けている愛車が突然動かなくなり
出先で立ち往生するというハプニングに遭遇した。

結局1300ドルというかなりイタイ出費だったが、お金を払ってきちんと修理をしてもらったら、愛車はまた新車のごとく軽快に走り出した。

車だったらパーツを変えれば生き返る。

人間の身体はそうはいかない。




自分という人間を定義するのは「からだ」ではなく「こころ」だと思っているが

その心が自由であり、歓びを感じていられるのは

健康な身体があってこそ。



ひとつしかない

からだ。



それもいつかは老い果ててこの世から消える。

「たのむから、もうちょっと構ってくれよ」とクレームが入った。


自分のものだと思うから傲慢になる。
親からもらった。


大事にしよう。



シワだらけシミだらけブヨブヨたるみまくりでも、毎日がんばって働いてくれている。そう思うと愛おしい。

からだは時の器。

自分の有様が、しっかり刻みこまれ表に現れてくる。



そんな年齢になって、やっと

人は自分のからだに対して謙虚さを学ぶのかもしれないなあ。



















  
Posted by レニア at 18:17Comments(2)ふと思うこと

だっこのしゅくだい

2013年07月03日

「だっこのしゅくだい」


せんせいが、「きょうのしゅくだいは、だっこです。

おうちの人みんなにだっこしてもらってね」といいました。

ぼくもみんなも「ええーっ」とびっくりしました。

だって、だっこのしゅくだいなんて、はじめてだからです。

なんかはずかしいとおもいました。

でも、うれしかったです。

いそいでいえにかえりました。

いえにかえって、すぐ、おかあさんに、

「だっこがしゅくだいにでたんよ。しゅくだいじゃけえ、だっこして」

と小さいこえでいいました。

おかあさんは「へえ、だっこのしゅくだいでたん?」とびっくりしました。

でも、すぐ「いいよ」とにっこりしていってくれました。

おかあさんはすわって、ぼくをひざにのせて、りょう手できゅうっとだきしめてくれました。

おかあさんのからだはぬくかったです。

だっこしてもらっていたら、ぼくのからだもぬくくなりました。

ぼくが「おうちの人みんなにだっこしてもらわんといけん」といったら、

おかあさんがちっちゃいばあちゃんに「だっこしてやって」といってくれました。

ちっちゃいばあちゃんはわらって「おいで」といって、だっこしてくれました。

そして、「大きゅうなったねぇ」といってくれました。

つぎは大きいばあちゃんにだっこしてもらいました。

大きいばあちゃんはぼくをだっこして「おもとうなったのう」といってくれました。

さいごはおとうさんでした。

おとうさんはいきなりりょう手でぼくのからだをもちあげて、どうあげをしてくれました。

ぼくのからだはくうちゅうにふわっとうかんで、きもちよかったです。

おとうさんはぼくをゆっくりおろして、ぎゅっとだきしめてくれました。

おとうさんのからだはぬくかったです。

ぼくはまたしてもらいたいとおもいました。

だっこのしゅくだいがでたから、かぞくみんなにだっこしてもらいました。

さいしょははずかしかったけど、きもちよかったです。

だっこのしゅくだい、またでたらいいなとおもいました。


引用元: (孤独になる前に読んでおきたい10の物語 講談社)






友人のFacebookページで見つけた、こんなあったかいお話。

小学校一年生の子が書いた作文だそうだ。


平素なことばで綴られたまっさらな気持ちの丈が、清々しい。

「両手」ではなく「りょう手」と書いてあると、その手の体温まで伝わってくるような優しさを感じるのは、なぜだろう。

「ぬくかったです」「おもとうなったのう」...方言が伝える、柔らかい愛情。



そして、このしゅくだいを出した先生。
素晴らしい教育者だと思った。



「ハグ」という習慣のない、日本の文化。

たった7歳そこらの男の子が、
それをもう「なんか、はずかしい」と表現している。

でも、信頼する人の腕に抱かれて得る心の安定は、計り知れないものだ。
それは、幼い子供に限ったことではないように思う。

私だって、めちゃくちゃ疲れていたり凹んだりした時には
自分から「I need a hug。。。」とお願いして、相棒に元気をもらうことがある。

落ち込んでいる友達には「You need a hug」と言って、相手を腕に抱く。

でもそれは、女友達のあいだでよく見られる光景で、
男性同士の場合は少し事情が違うかも。。。


アメリカであっても、「ハグ」の男女差は明らかに存在する。

やり方も違うし(女性同士の場合はぎゅぅ〜っ、男性同士の場合は軽くパンっという感じ)
頻度も女性のほうが圧倒的に多いだろう。


親子のあいだでもそれは変わらず

父親と息子のハグというのは、
ある限られた状況の時にしか発生しない感がある。 

(卒業式などのお祝いイベントとか、しばしのお別れになる時とか)




この作文を読んで、思ってしまった。

私は息子を充分にハグしていただろうか、と。





初めて出会った時にすでにティーンエージャーだった息子は、父親とはもはやスキンシップは殆ど持たない年齢に達しており
私は、夫と息子がお互いをハグしているところを
おそらく数えるほどしか見たことがない。

息子をハグする回数は、夫より私のほうがもちろん多かったのだが

それでも毎日毎日ハグしていたわけではない。


女の子なら頻繁に経験するだろう 友達同士のハグも
男の子同士では、その機会はあまり無かったことだろう。


もっと腕に抱いてやればよかったと思った。10代という多感な時期に。






年を重ねるほど、大人になるほど

信頼する人の腕に抱かれ、ぬくもりを受け取るチャンスの少ない
男性のほうが

「だっこ」を渇望する気持ちは もしかしたら強いかもしれない。



この男の子のように

「なんかはずかしい」と思って
普段は口に出来ないだけなのかもしれない。


そして「だっこのしゅくだい、またでたらいいな」と思うのかもしれない。






女性である自分がリードをとって、愛する人に腕をのばそう。


小学校一年生の作文を読んでふとそう思ったことだった。




今日これを読んで下さった女性の皆さんも

たまには、近くにいる大切な人を

「だっこ」されてみてはいかがだろうか。










  
Posted by レニア at 08:22Comments(6)ふと思うこと

変わりゆく自分

2013年05月14日

有賀と語じゃいます。先生。

私はいま宿題をしています。有賀と語じゃいます。



ある日学生から、

「先生、私は今日病気です。クラスに行けません。すみません」とメールが来た。

それに対して

そうですか。たいへんですね。今日のしゅくだいは○と○です。はやく元気になってください。

と日本語で返事をした。

それに来た返事が、上の「有賀と語じゃいます」。



Hさん、日本語2学期目なのだけど、
がんばって日本語で返信しようとしてくれて
でも「ありがとう」を「ありがと」とタイプした結果

「有賀と」と、なってしまい

しかも
相変わらず「ざ」の発音が「じゃ」になってしまったので(母国語は韓国語)

変換ミスの結果

「ありがとうございます」となるところが
「有賀と語じゃいます」になってしまった模様。




これが10年前の私なら

「はぁ〜〜あれだけ言ったのに、発音まだ直ってない。。。」


と、落胆のほうが大きかったことだろう。




いまは


「かわいいなあ」 と、思ってしまう。



変換ミスも恐れず、しかも体調が万全でない時に
私が日本語で送ったメールに、一生懸命、日本語で応えてくれたんだなあと思う。

彼女のその意思のほうを、尊いなあと思う。






皆さんは、



昔の自分を振り返って、


今の自分からすると、なんだか別人みたい

という感覚を覚えたことがあるだろうか。


そもそも、自分としての「一番古い記憶」というのは、
何歳ぐらいのことだろうか。


私はというと、9歳(小3)ぐらいからの記憶なら鮮明にある。
日々何を感じていて、何がイヤで、何が嬉しかったかも
よく覚えている。


ときどき


10代、20代、30代の、自分を

思い出してみることがある。


今の自分と比較すると

なんだろう、「全く、別人みたいだなぁ〜。。。」と思うことがある。



「なんで、あんな事言ったんだろう??なんであんな事したんだろう??」と

自分のことなのに、全く理解に苦しむという記憶もある。


でもそれも全て「自分」なのだ。

そんな不可解な感覚、、、
皆さんも味わったことがあるだろうか。








毎年、誕生日に本を贈ってくれる日本のお友達がいる。

徳島に住む古い友人だ。

今年は「何が読みたい?」とあらかじめリクエストを聞いてくれたので
お言葉に甘えて「これが読みたいな」と言ったら

その同じ著者の作品を、3冊もまとめて送ってくれた。。。
ありがとう。感謝感激。



もともとリクエストした一冊は、これだった。「天国の五人」

帯にある「ムダな人生なんて、ひとつもない」という言葉が
とりわけ今の私には深く響いた。



主人公「エディ」が死んだところから始まる、このストーリー。


死んだ人が、死んだ後で「五人」の人に天国で会うという物語。

それは必ずしも故人が会いたかった人とは限らず

でも
故人の「たった今終わった人生」に 果たしてどんな意味があったのか?
それを理解するのを、手助けしてくれる人たちだった。


まずは、この一冊を手に取った。



一気に読んでしまいたい気持ちを抑えて(仕事がたまっていたので)
4日間ぐらいに分けて、少しずつ、読んだ。


読み終わった後の私は、明らかに
読む前の私とは違っていた。


その時、思ったのだ。



そう言えば、私

2週間まえ
1週間まえ

そして3日前の私とも、ちょっと違うかもしれないと。



知っていることの絶対量が違う。
ものの見方が違う。
感じ方が違う。
以前は見えなかったものが、今はちょっとだけ見えるようになっている。



ただ、何となしに毎朝起きて、仕事に行って、人に会って

そうして、昨日と同じ日常を繰り返しているだけなのだけど

それでも心は何かを吸収して、
少しずつ進化していってるのかもしれない。


例えば、ある人とランチを共にして、一時間おしゃべりをしたら
その後は知っていることが増えていた。

または

ある一冊を読んで、深く感じ入り
それを読み終えたころには、自分の感じ方が変わっていた。

などなど。。。




こうして私たちは進化を繰り返し

たとえば70代になったころには、40代の今の自分を振り返って


何ておバカなことを...なんて

考えているのだろうか。




40代の今は今で、

今を 精一杯を生きているのだけれど



でも70代になった頃には、今を振り返って
「なんて幼い。。。」と思える自分でありたいなあ、なんて思う。

 
老いてしまったけれど

あの頃の、未熟な自分に戻るぐらいなら

今の老いぼれのままでいいやと


そう思える自分でありたいなと...


何だか最近 そういうことを 

願ってしまう。










  
Posted by レニア at 16:11Comments(6)ふと思うこと

おへそのつながり

2013年03月21日

悲しい夢をみた。


...という書き出しで
大昔に作文を書いたことがある。


たしか夏休みか何かの宿題だったと思うが

こんな所へ行った、あんな体験をした
そんな一大イベントを書くわけでもなく

私は、その日に見た夢のことを書いた。

高二の時だ。


今思えば、こうして感じたままをブログに綴る感覚だったのだと思う。




当時の担任は国語教師で、女性教員だった。
私の母と同い年だった。
30年近く経ったいまでも交流がある。


作文の内容は、詳しいところは忘れたが
かいつまんで話すとこういう内容だったと記憶している。



悲しい夢をみた。

白い、病室のような部屋に
女性がひとり座っていた。
母だった。

母はきちんと正座をし、ベッドの上に鎮座していた。

私は何か異様な雰囲気を感じ取りながら
恐る恐る母に近づいていって声をかけた。

「お母さん、、、」
「はい。」

「お母さん。」
「どちら様??」

「お母さん、私よ。」
「あらまあ、、、そうですか。」

そう言って母は、にっこりと笑顔を私に返した。

私は背筋がゾーッと凍る感覚を覚えた。

そこでふと、目が覚めた。。。




それ以降、書いたことは全く覚えていないが
目覚めた後に思い返したことを つらつらと綴って
最終的には原稿用紙5枚ほどは書いたと思う。


それが、県の作文コンクールで入賞し
「かごしま」という文集に掲載された。


担任だった国語教師のM先生は、翌年私が高三の時も引き続き担任となり
その年の私の作文にも多大な期待を寄せて下さったが

その年に書いたものは、内容があまりにも暗く
(確か父のことを書いたと記憶しているが)


「ご家庭で何かありましたか?」と

母が学校に呼び出されたぐらい(笑)

(私はその事を、卒業後数年たって母が話してくれるまで全く知らなかった)

結局、その年の作文コンクールへの出展は見合わされた。





この世に生を受けて、まだ17〜18年という時だ。


それまで当たり前にあった「親」という存在

血縁という存在が
いかに自分の心の安定に影響を及ぼしているのか

そういうことを改めて認識し始めた時期であったのだと思う。


その事に対する驚きと畏敬の念をこめて

高二の時に書いたその作文は

「おへそのつながり」と題した。





さて、自分がその当時の両親と同じような年齢になり
今振り返って思うことは

ん〜〜、、、ちょっと違ったかな? ということ。





「絆」を築いてゆくもの

それは、必ずしも血のつながりではなく

共に過ごした時間なのではないかな?ということだ。


先日、授業中に学生からある質問を受けて、
改めてその事に気付かされた。



学生: 先生、日本では親子の間でハグしたり「I love you」と言ったりしないって、本当ですか?

私: ん〜、、、そうねー、最近では若いお父さんとお母さんが幼い我が子をハグしたりはあるかもしれないけれど、成人した子供にハグとか「I love you」は一般的に無いと思います。

学生: じゃあ、先生のお父さんとお母さんは?

私: 私も生まれてこのかた、両親にハグされたり「I love you」と言われたりしたことは、一度もないです。

学生: それでどうやって自分は親に愛されてるって分かるんですか???

私:(ちょっとしばらく考えました)...一緒に過ごした時間かなあ。。。共に暮らして自然と感じ取ったというか、、、たとえ「I love you」の言葉は無くても、親は本当にたくさんの事を私のためにしてくれましたからね。例えば毎朝早く起きて私のためにお弁当を包んでくれたりとか(ここで「弁当とは何か」を説明せねばならず)、そうした毎日のささやかな行為の積み重ねかなあ。

学生一同: (ふ〜ん...という感じで一同沈黙)



何でも言葉で意思表示(表現)することが良しとされているアメリカ。

逆に言うと、表現されない部分を「感じ取る」力(想像力)が弱いのでは無いかと思い
こんな問いを投げかけてみた。


例えばね、彼氏(彼女)に置き換えてみて
いつも「You are so beautiful. I love you so much!」と言葉では言うけれど、いつもデートに遅れてくるような人と、
普段は何も言わないけれど、自分が風邪をひいてゴホゴホいって苦しくて寝込んでいる時に
温かいスープ持参で「すぐ行くよ!」と駆けつけてくれる人と
あなたはどちらに愛を感じる?



すると、「あーはいはい、分かります!!」 の反応。




愛を嗅ぎ分ける本能は、
人種に関わらず皆に均等に備わっている能力のように思う。




さて当時40代だった私の親は
今では70歳を超えた。


親しい友人の中には、既に親御さんを見送った人もいるし

私がその昔夢で見たように
実の親が、子供である自分を
よもや誰だか認識出来ないという実状にある人もいる。


「お母さん」
「はい、どちら様?」
「お母さん、私よ...」
「あらまあ、そうですか。」


これが、現実となる日が

いつか私にも訪れるやもしれぬ。


17歳の頃には、想像だにしなかったことだ。



幸いにも、両親はまだ私のことを覚えていてくれる。

一年に一回も 顔を見せることの出来ないこの親不孝な娘のことを。



この先たとえ、両親が私を認識できない日がやってきたとしても

私が親の愛情を疑うことは無いだろうと思う。



それは一緒に暮らしていた時代に
しっかりと伝えていてくれたから。


実父と実母に、愛され慈しまれて育ったという記憶。
私の人生には 
当たり前のようにあった幸運。


それが、自分という存在を容認するのに
どれだけ大きな役割を担うのか。


それは

そうした幸運に恵まれなかった一人の男の子と暮らしてみて
初めて、痛感したことだった。







「おへそのつながり」

それは、たぶん


単に血のつながりでは ないのだよ。



愛そうという、

強い「決意」のつながりなのだよ。









  
Posted by レニア at 18:45Comments(10)ふと思うこと

「妻の祈り」の転用?

2012年12月31日

ブログに書こうかどうしようか、しばらく悩んでいたが

やはりここは皆さんのお力を借りるべく
思い切って記事を立ち上げることにした。


ご存知のとおり、「妻の祈り」はそれはそれは多くの人に読み広められ
未だに
コメントや個別のメッセージを毎日のように頂戴する。

殆どの方が、

知人友人にも読んでもらいたいので
ブログ(またはFacebook)でシェアしてもいいでしょうか?

と言ってくださる。

なかには、私の承諾なしにそれをするのは気がひけるので、

まずは私の許可を得たいと、わざわざその為だけにメールを下さる真摯な方までいらっしゃった。


さて、

そうしてメールを下さった方のなかに

「実は数ヶ月まえに、『妻の祈り』をブログに転載させていただきました。無断で申し訳ありません」

という方がいらっしゃった。


メールにはご自身のブログのURLも、きちんと記載されてあったので
早速その方のサイトにお邪魔してみたら
確かに、「妻の祈り」の和訳が紹介されている。
きちんと私のブログへのリンクを貼られており、ソースを明確にして記載くださっていた。


そしてその記事をよくよく見てみると
この方がそれをブログでとりあげて下さったのは、実は今年の8月。

今回の騒動の、数ヶ月も前だったということが分かった。


しかもこのメールを下さった方は
広く知られた企業コンサルタントの方だった。
(私はお名前は存じ上げなかったのだが、ウェブサイトにお邪魔してすごく精力的に活動されている方だというのがすぐに分かった)



「そんな方が一体どこで私の訳を目にされたのだろう?」と不思議に思ったので
すぐにお返事差しあげて、そのあたりをお聞きしてみた。

これまた丁寧に綴られた返信を、読み進めてゆくと
こうした内容だった。


自分のような仕事をしていると、卒業シーズンに「卒業式で引用等に使いたい」と
教育団体から自分のブログの転用について申し入れが入る。
同時に「こんな素敵な詩を見つけました」という報告も入る。
そうして出会ったのが『MARRIAGE』だった。(「妻の祈り」英語原文のタイトル)

誰によって書かれたものなのかリサーチしているうちに
この『MARRIAGE』が詠み人知らずであることや、
いくつかのバージョンが存在することを知った。
(ちなみにこの方が初めて読んだバージョンは、ハッピーエンドだったそうです)

はて、これを日本語に訳している人はどこかにいないだろうか検索しているうちに
レニアさんのブログを発見するに至った。

そして同時に

最後の2行に「自己啓発を促す文章」を、あたかも本文に付随するかのごとく加筆することによって


例えば、ラストの一文:

心を通わせる時間を 大切にしていっていただきたいと思います

の、後に

そして私のような失敗をしないためにも、自己啓発をめざすべく投資しましょう。

として

この物語を
「自社セミナーへ申し込みする気にさせる」企業ツールとして利用している
セミナー業者を発見した。

私はこうした企業のケースを、「誤った資本主義の事例」として
あちこちのセミナーで取り上げ
レニアさんのブログURL付きのコピー文書を参加者に配布し、
改ざんを防ぐべく講演してきた。

その甲斐あってか、今回私が見つけた業者も
最後にはその悪用を止めたようだ。

私がレニアさんから事前の承諾なしに
自身のブログに「妻の祈り」を無断転載したことは非常に申し訳なく思っている。
だが、レニアさんの和訳をこうして悪用するケースは、今後もあり得ることなので
そうした事を阻止する意味でも
もし差し支えなければ、このまま転載をお許しいただきたい。

そして、できることなら
この事に関する記事を新たに起こして、ブログ読者に公表すれば
レニアさんのブログでこの物語に感動した多くの方々が
この物語の悪用に対する目を光らせてくれるのではないだろうか。



とういうことだった。




自分の訳した「妻の祈り」が4ヶ月も前に著名な企業コンサルタントの方に読まれていたことに、まずビックリ。

そして、それがその方のセミナーで「ある事例」として論議されていたことに、またビックリ。

そしてその方が私の知らぬところで
その悪用を阻止するべく尽力してくださったという事実に
ただただビックリ、、、ボーゼンとなった。


改めて、ネットの力
恐るべし、、、

己が発信するものが、どこに繋がっているか
想像すらできない時代なのだと、、、痛感。


そしてこの方が教えて下さらなければ知る由もなかった事。
まさか、この心に染み入る物語を
しかも自分の和訳したものを
どこかの企業が自己利益のために利用しようとしていたという事実に
「本当に?」と、ただビックリ。
そしてやはり、ショック。。。



私はお恥ずかしい話、この年になっても非常に世情に疎いところがあり

「人が人を利用する」という現実に

かなり鈍感なところが、ある。



相方にはいつも、
「君はそんなにナイーブで(英語の「ナイーブ」は決して良い意味ではありません)
よく今まで危険な目にも遭わず、生き延びてこられたね」
と言われるぐらいだ。



なので、今回「妻の祈り」に関しても

共鳴してくれた方々が、その感動を周りにいる人とシェアしようとするのは想像できても

よもや、これが利益のために利用されるだろうなどとは
思いもよらず。


それを指摘して下さったコンサルタントの方のお便りを読んで
さぞお忙しいだろうに
これだけ詳細に事情を綴る時間を私のために割いて下さった、その方の思いやりに感謝しつつ
はて、これはどう対応すべきだろうかと
気持ち定まらず、しばらく考える日々が続いた、、、


だが結論として


やはり「妻の祈り」を読んで、気持ちを共有して下さった多くの皆さんと
これはシェアしたほうがいいのではないかという思いに達し
大晦日の今日になって(やっと!)
ここに書かせていただいた。


皆さん、どう思われますか。


単調な毎日の中にこそある、小さな幸せを感じましょう。
試練も多い、長い長い結婚生活で
今の伴侶と出会った縁を、そしてその奇跡をかみしめ
相手に感謝する気持ちを忘れずに
大切だよ、ありがとう、という気持ちを
相手に伝えながら
あたたかく暮らしていきましょう



という、このストーリーが持つ
強いメッセージは

確かに「自己啓発」の類ではあるのだけれど


それが企業セミナーのセールストークに利用されるというのは
やはり、
ちょっと違うのでは、、、?

私はこの物語の作者ではないので、これを書いた人の本当に意図するところは完全に把握できないのだけれど
このお話の本質は、「利益」というものから
一番遠くかけ離れたところに存在するのでは?

純粋に
人の気持ちを動かし、語りかけ
各々が、ちょっと自分を振り返ってみようかなと思う、、、
そういう大きな力と、役目を持ったお話なのでは、、、?



数日考えた末、そういう結論に辿り着いた次第です。




とは言うものの、私はこうして遠くシアトルの片田舎にすむ一個人で、

日本の何処で、この物語がどういうふうに使われようが
それを知る術もありません。

なので、
私のブログを訪れて下さって
この「妻の祈り」に、同じように感動、共鳴して下さって
ただ純粋にこの物語を一人でも多くの人と共有したいと思って下さった皆さんが

万が一
このお話が間違ったふうに利用されている事例に出会った場合

問題提起していただけたら嬉しいなと、、、


そんな思いを込めて

今年最後のブログ記事を書かせていただきました。





でも、2012年を締めくくる記事が
これではちょっと悲しいので (苦笑



最近、あたたかい涙を流したドラマのお話をひとつ。


2012年の新春特別ドラマだったという作品を、2012年が終わろうとしている今になってやっと見る事ができた私です。

というのも
東京で、ドラマ製作のお仕事をしているお友達が
彼女の携わった作品のDVDコピーを、わざわざ日本から送ってきてくれたからなのです!



その作品の一つが、こちら

「花嫁の父」





聾唖者の娘をお嫁に出す、父親を
柳葉敏郎さんが熱演されていた。

日本では、今年(2012年)の1月に放映されたはず。
皆さんはご覧になっただろうか。



結婚式の日
父親役の柳葉さんが、手話で「愛している」と
娘に告げるこのシーン。。。

DVDを2回見て、
2回とも涙があふれてあふれて
止まらなかった。






そして、強く強く
心に刻まれた

花嫁の祖父役、橋爪功さんの、この名セリフ。


転んだら、素手で起き上がるな。
砂でもいいから引っ掴んで立ち上がれ。
それが宝に変わることがある。

生きることのむごさ
悲しみを
味わい尽くせ。

その上で、人生遊べ。

笑え。

そして、いずれめでたく
卒業だ。







2013年も、皆様にとってどうか
健やかで
幸せいっぱいの一年でありますように。


私も、小さな小さな一歩を積み重ねながら
少しずつでも
進化してゆける自分でありたいと願って

住む家と、食べる物と、健康な体と
心通わせる家族がいる人生に、感謝して

「ありがとう」という気持ちを忘れずに

2013年も、一日一日を大切に
積み重ねていきたいと思っております。



皆様どうぞ、よいお年をお迎えくださいませ。



シアトルより、感謝と愛をこめて、


レニア







  
Posted by レニア at 19:10Comments(9)ふと思うこと

最初から始めよう

2012年12月25日

先週の金曜日(日本では土曜日)

世界は滅びるとされていた。



でも
私も皆さんも、こうして無事にクリスマスを迎えることができた。


マヤ暦には、2012年12月21日までしかなかったため、
こうした「地球滅亡説」が飛び交ったわけだが

NASAの解説によると、2012年12月21日は
マヤカレンダーの「終わり」ではなく、また「初めに戻った」日なのだという。

「ちょうど車のオドメーターが一周すると、また最初からカウントするのと同じだということです」

マヤ暦によると、世界が創造されたのは
私たちの暦でいうところの、紀元前3114年、8月11日。

マヤ・カレンダー上では、 13. 0. 0. 0. 0

と表示されるのだとか。

そして何千年もの時が経って、再び  13. 0. 0. 0. 0

に戻るのが、なんと

2012年12月21日だった、というのだ。

("Why the World Didn't End Yesterday"より引用
http://www.youtube.com/watch?v=QY_Gc1bF8ds )



なんだか気の遠くなるようなスケールのお話だが、、、

要は「再生」を意味してるのでは?


我ながら、
新千年紀(2000年の始まり)や
マヤ・カレンダーが一巡を終える瞬間に、この世に居たなんて

随分と大きな「節目」の時代に
生を授かったものだなあ〜と自分で感心する。





こちらは今日がクリスマスイブだ。

からっぽだったツリーの下も、プレゼントで随分とにぎやかになった。





最近、バルコニーをジッと見入ることの多いうちのガキんちょども。




何故かというと、小さなお客さんたちが毎日のように訪れてくれるようになったから。



理由はこれ。
夫が数週間まえにバルコニーに吊るした鳥さんのエサ。
これめがけて、さまざまな野鳥が遊びに来てくれるようになった。







ここのところ連日、クリスマスショッピングだの、パーティだの、親戚の集まりだのと
出かける日が続いたが
今日は久しぶりに、ずっと家にいた。

にゃんこどもと、ボーッと野鳥達を眺めていた。



人は、毎晩眠るときに一度死んで
翌朝目が覚めるときにまた新たに生まれ変わっているのだと聞いたことがある。

難しい信仰や宗教など持たなくても、誰でも毎日「再生」しているのだと。


私にとって、こうして自宅にいて静かな時間を過ごせる日も

再生の機会である気がする。



今日ふと手に取って読んでみたのは、もう何度も何度も読んだ、こちら ↓

何度も読んだのに、改めて読む度に
まるで初めて読んだかのように、ハッとさせられる事がある。



今日、目にとまったのはこの一節。


1.私は私でいられる。
2.あなたはあなたでいられる。
3.私たちは私たちでいられる。
4.私は成長できる。
5.あなたは成長できる。
6.私たちは一緒に成長できる。

本質的には、いい恋愛や結婚とは、これにつきるのだ。


(『愛の倫理』by 飯田史彦)



父、母、兄弟、子供などの肉親とは異なり
生まれたあとの自分の意思で選べるのが、唯一「伴侶」という家族だ。
(私の場合は、息子もそう)

元は他人だ。



その他人と愛情ある家族関係を維持してゆくには
明確な意志、知恵、技術が必要だと痛感する。




絵を上手に描けるようになるには絵画のことを学ばなければならない。

ピアノを上手に弾けるようになるには、音楽という芸術を理解し練習を積まなければならない。


愛することも、とてつもない高度な技術を要するアートだと。。。
成熟した思考力と
努力を惜しまない強い決意を、要するアートだと
感じる。

(美術や音楽の授業のように、その「さわり」だけでも伝授してくれるクラスが
どうして学校にないのかなあ〜と思います)




でも、何となく行き詰まったら

また最初から始めよう。


私たちは毎日生まれ変わっているし、


少しずつでも進化している(と思っている)し、


マヤ文明の、数千年に及ぶ長期暦でさえ始まりに戻った



再生のチャンスはいつも目の前にある。



「もう止めた」と叫ばない限り、

道は続いていく。








  
Posted by レニア at 13:08Comments(2)ふと思うこと

新しい生活

2012年11月12日

オバマ大統領が再選された。

その日はオフィスで仕事をしながらも、廊下を行き交う学生たちがしきりに
「オバマ」「ロムニー」という名を口にしているのがよく聞こえた。
アメリカは広い。
同じ国内なのに、西海岸に住む私たちとニューヨークなど東に住む人たちとの時差は3時間もある。
こちらがまだ午後になったばかりのころ、東の方での開票状況ニュースがすでに入り始めた。

A:○○州ではコンピューター投票に誤作動が生じて、オバマを選んだ人の票が全部ロムニーにいっちゃったんだってよ!
B:えーありえない!!それって陰謀じゃないの?


なんて興奮する声が聞こえる。(本当かどうかは定かでないが)
シアトルは圧倒的にオバマ派が多い。


引っ越しのあれこれが全て終わって、ようやくホッと一息ついている。

前に家に住み始めたときも、ちょうど大統領選だった。4年前の11月だ。

私には選挙権が無い。
アメリカに永住しているが、アメリカ人ではないから。
私の国籍はまだ日本で、日本のパスポートを所有する日本人だからだ。
4年前の大統領選の時は、そんな私を夫が投票所へ連れていってくれた。
受付けの人に「妻も一緒にいいですか」と尋ねたら快く中へ入れてくれ、私はアメリカに住むようになって初めて投票所に足を踏み入れた。そして夫が投票するのを横で見ていた。


あれから4年。


そして今回も同じ大統領が選ばれたが、私にとっては4年前とは様々なことが変わっていた。
夫、私、16歳のマイケルの3人だった暮らしは
夫、私、ネコ2匹の暮らしとなった。
今では20歳のマイケルは、自分の職場の近くに安くで住めるシェアハウスを見つけ
1週間まえにそこへ越して行った。
私と夫は、段ボールの積まれた新居で、マイケルの部屋が無い家で
新しい生活を始めることとあいなった。




シアトル市のずっと北部の郊外に暮らしていたが、そこから高速で30分程シアトル寄りに移った私たち。

新居へ移動する際、車の中で泣いて泣いて、、、困り果てたのがこいつ、キキである。

この8月の失踪事件。
あのとき、ようやくキキを発見したあの夜に聞いたのと同じ「助けてよぉ〜〜、にゃあ〜〜ごぉ〜〜〜」の悲痛な声で鳴き続けたキキ。
キャリアーを私のヒザに乗せ、車中ずっと話しかけたが
よっぽど怖かったのだろう。





一方、冒険心旺盛で困ったのがこいつ。
車の中ではマイケルに見ててもらったが、キャリアーから外へ出たがって暴れて暴れて、、、
それが新居に到着した途端、コロリとご機嫌。
持ち前の好奇心を抑えきれず、ランラランララ〜ン♪ とスキップしながら歩き回り
家の隅々までチェック。あらゆる所へ入り込んでいったやんちゃ娘である。

「あれ?ココがいないよ」と探すと洗濯機の後ろの狭ーい隙間にちょこんと座ってた
なんてこともあった。
(入ったはいいが出られなかったらしい。それでも助けを呼んで鳴くわけでもなく)

怯えて そろりそろり。。。
何もかも警戒しながら慎重に歩くキキとは対照的だった。




リビングの窓からは秋真っ盛りの紅葉が見られた。

新居をここに決めた理由のひとつは、実はこの木々。

私は道を歩いていても美しい木を目にすると下からほれぼれ見上げてしまうほど木が好きで、その近くに居ると何かエネルギーをもらえる感覚さえ覚える。
そんな私にとってリビングからのこの眺めはたまらない。


もうひとつは、これ。

前の住居にも暖炉はあったが、スイッチひとつで点火されるガス様式のニセ暖炉だった。
が、今回のは薪をくべる正真正銘の本物。
本物の暖炉がある家に住むのは、実は生まれて初めてだ。


灰の掃除をしたりと手間はかかるが、
薪の燃えるにおい、パチパチパチという音。。。
ガス暖炉では到底味わえない雰囲気がある。



クタクタに疲れて仕事から帰宅して

「まあまあ、まずは一杯。今日もおつかれさん。」と

相方とこの炎の前で酌み交わすビールの味は、格別だ。


こうして毎日を積み重ねて、また4年が過ぎるだろう。

オバマ大統領が今回の任期を終える4年後の私は、今日の私がまだ知らないことを
何かひとつでも学んで進化した私であるだろうか。(そう期待するが)


変わらず健康で、こうしてビールを飲んでいられるだろうか。


これから何年もが過ぎ去り、よぼよぼのばあちゃんになるまで生きられたとして
日本までの10時間のフライトに体が耐えられ、故郷へ帰れる身でいられるのは
何歳までだろう。


新居の窓から紅葉を眺め、そんなことをふと考えてしまう。

秋のせいかもしれない。







  
Posted by レニア at 09:43Comments(8)ふと思うこと

2012年10月11日

朝、這うようにベッドを出て
バスルームの鏡をのぞきこんで出る言葉は、だいたい

うわっ、ヒドい顔



目の下にクマできてるやん、
腫れぼったい目〜〜
うへー、またシワ増えてるやん
顔がバレーボールみたいにムクんでますけど、ワタクシ、この顔で授業に行くのね。。。


などなど


40過ぎた女は、朝っぱらから自分自身に
けちょんけちょんに言われるのである。




せっかく女として生を授かったが、残念ながら器量には恵まれなかった。
小学生のころは男子に面と向かって「おまえなんか嫁に行けるか!」と言われたものである。(結婚できたけどね、ふん)
それでも若い時は若かったから(へんな日本語?)フレッシュさでカバー出来た部分もあったが
そんな時期はとうに過ぎた。

でも「美しさ」の代わりに、親にもらって心底感謝しているものが2つある。 それは

健康

そして

笑顔


極端な話、この異国の地で言葉のハンデを抱えていても、めちゃめちゃ気難しい人に対応しなければならなくても
とりあえず笑えば何とかなったのである。

これまた幼い頃には「笑うと目がなくなる」と男子にさんざんからかわれた垂れ目だが、
なんのなんの、この垂れ目が今までどれだけ私を窮地から救ってくれたことか。

なので「シワがシワがぁ〜〜!」と騒いでいても、
笑いジワだけは全く気にならない。


器量良しでもなく、
そしてもう若くもなく
でも、スマイルばあちゃん目指してゆきたいなあと。。。

そんなこと思いながら覗く朝の鏡であったが


実はもっと気になる、もうひとつの鏡が、、、

人の鏡



自分がその日出会う人は、
その日の自分を映し出している鏡であるという、あの鏡。


今日は、優しい人にたくさん出会ったのです。


こんな日は

「今日のあなたは同じぐらい優しい人ですよ」と言われているみたいで

なんだかとても嬉しくなる。


体はへとへとに疲れていても、気分の疲れ具合が全く違う。



優しさの及ぼす影響力って、
計り知れないのだなあと実感する。





鏡よ鏡

明日の私も



どうか優しい人に映し出されますように。



  
Posted by レニア at 17:24Comments(6)ふと思うこと

人生の贈り物

2012年04月19日

私事で恐縮ですが
先日、誕生日をむかえました。

家族に祝ってもらったり、友達に「おめでとう」と言ってもらったり
嬉しい一日を過ごしました。

でもこの年になると、誕生日って自分を祝う日ではないよなあ〜と
つくづく実感します。

この日、何度も母のことを思いました。

母にとって初めての子供だった私は、予定日を過ぎてもなかなか生まれてくる気配がなく
陣痛が始まっても、今度はなかなかでてこなくて
母を何時間も苦しめたそうです。
あげくの果てには、帝王切開。
まだ20代の、若い母のお腹に消えない傷跡をくっきりと残して、
私はやっと この世にでてくる覚悟ができたようでした。
(エラい頑固なところは、今も変わってない・・・)


ごらんのとおり、頭も「めちゃデカ」の赤ちゃんだったので
母はさぞ苦しかったことでしょう。




そうやってこの世に送り出してくれた母に

「ありがとう」


誕生日って、いつの間にかそういう日になってました。


自分が親のまねごと(?)をするようになってからは
余計に強くそう感じます。

日本を離れてあまりにも遠くに来てしまったので
親孝行どころか、会うことさえままならないのですが、、、


「ありがとう」


母にはそれ以外の言葉は、ありません。



それを強く思い出した一日でした。





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Posted by レニア at 14:03Comments(0)ふと思うこと

なんでだろう

2011年04月11日

忙しいなあ。

なんでこんなに忙しいんだ?
と、とぼけてみたところで
原因は自分にあり。

この仕事を引き受けてしまったから。である。


まさに
「貧乏暇なし」
「自転車操業」

状態で
新学期が始まってから、2つの大学かけもちで
働きまくっている。


夫の顔も、ろくに見れず
たいてい目にするのは寝顔だけ。

この週末、久しぶりに家で「いっしょにいた」時間があって

お〜、久しぶりだねー

ただスーパーへ買い出しに行くのであっても
一緒に出かけるのが、久しぶりすぎて妙に新鮮。



冬が終わって、シアトルは日が長くなってきた。
彼の助手席に座りながら、ポーッと外の風景を眺める。
何気ない景色が、何故だか絵画のように思えた。


空が、きれいだなあ。



逝ってしまった命を思った。

なんでだろう。

ちょっと涙が出たけど
夫には気づかれなかった。




  
Posted by レニア at 18:13Comments(6)ふと思うこと