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Posted by チェスト at

からだは時の器

2013年07月28日

7月に入ってからずっと夏日が続いているシアトル。

母の日にもらったフラワーバスケット。
5月にはこんな感じだったのに


バルコニーに吊るしたらお陽さまをいっぱい受けて、今では籠からお花があふれんばかり。
こんなにふくらんだ。


アパートに隣接する Botanical Gardenへ直結するゲートも
3月はこんなだったのが

今では緑に埋もれそうだ。



ここ数年の不摂生が祟ったか、最近体調がイマイチ。

しかもまあ、自分でもあきれるぐらい
ブクブクと太ってきた。

もともと「やせ」ではないが、肥満というわけでもなく
暴飲暴食のわりには(私はアメリカ人の夫が「なんでそんなに食べれるの??」とビックリするような量を食べる)ここ20年位は体型の変化は殆ど無く
中肉中背を維持してきたのだが
いくらなんでも中年期に入って、「なにもせずとも」というわけにもいかなくなってきたのだろう。

自分の生活ぶりが、きっちり体調/体型に反映される年齢になってきたと実感。

そんな事に気づくようになったのも、先学期が終了して仕事がようやく一段落し
少しばかり自分のことを振り返る時間が持てたから。

振り返ってみて、久々に己の有様をきっちり直視してみたら
その現実にうひょ〜〜!と自分でビックリして
思わず相方に
「あたし、ちょっとひどくない!?めっちゃ太ったよね!?」と確認すると

You haven't changed a bit (全然変わってないよ)

と優等生の答えが返ってきた。

こやつ、見かけによらずカミさんの扱いを心得てる賢いやつとちょっと感心。

(世の旦那さん。奥様の「太ったよね?」の問いに決して正直に答えてはいけませんよ。)



それにしてもストレスからとはいえ
ここ数年「休肝日」なしで毎晩飲み続け、夜中に「お腹すいたなあ〜」とラーメン作って食べたりしてるようでは
この状態は当然と言える。
(でも、飲んでるときと食べてるときが一番シアワセだったりする...)

体が重くなってくると、それと比例して足がダルくなってきたり持病の腰痛が悪化したり、、、
おそらく重さだけでなく筋力も低下しているのだろう。

親にもらった丈夫な体に甘んじて
ずいぶんと自分のメンテを怠ってきたなあ、、、と素直に反省した。
お父さんお母さん、ごめんなさい。





大昔、若かりし頃は
これでも「ダイエット」なんぞをトライした記憶があるが

今の私に「食べる/飲む」を制限するという観念は *まったく* 無い。

食べたい物を食べたいだけ食べ、飲みたいものを飲む。

となれば、運動するしかない。




ということで、夏になってからお隣のBotanical Garden直通のゲートをくぐって
なるべく定期的に歩くようにしている。夫もいっしょに歩いている。

ちなみに「歩く」と肝臓に送られる酸素と血量が増加し、肝機能も強化されるのだそう。
日々肝臓を酷使する呑んべえにはうってつけである。


木々のざわめき鳥のさえずりを聞きながら、木漏れ日の中をくぐりぬけてゆく。






緑のちからって
あなどれない。

森林浴の中を30分歩くだけで、
体だけでなく 気持ちまですーっと浄化されてゆくようだ。


リスさん、うさぎさんにはよく出くわすが

先日はこんな珍しい隣人にも遭遇した。


うちらが真横を通ろうが、携帯カメラを向けようが
「我関せず」といった風貌で
ゆったりのんびり... お食事中であらしゃった。 

優美だなあ。





大好きな雑誌【婦人公論】を、ちょっと贅沢して久しぶりに購入した。

その号に、石内都さんという女性写真家の記事があり

「身体は時の器だ」

という彼女の言葉が紹介されていた。


石内都さんは、御年66歳。


40歳の時に、自分と同い年「1947年生まれ」の50人の女性の
手と足のクローズアップ写真を集めた

『1.9.4.7』 という写真集を発表されたことがあるそうだ。


シワやシミのある手、かかとがカサついた足、、、
その女性が40年間重ねてきた時間を、もの言わずただ静かに伝える身体。

それを映し出した写真は、女たちの生を愛おしく見守る作品だと高く評価されたとのこと。



からだは、「時の器」かあ。。。

いいことばだなあ。





実は先週、9年乗り続けている愛車が突然動かなくなり
出先で立ち往生するというハプニングに遭遇した。

結局1300ドルというかなりイタイ出費だったが、お金を払ってきちんと修理をしてもらったら、愛車はまた新車のごとく軽快に走り出した。

車だったらパーツを変えれば生き返る。

人間の身体はそうはいかない。




自分という人間を定義するのは「からだ」ではなく「こころ」だと思っているが

その心が自由であり、歓びを感じていられるのは

健康な身体があってこそ。



ひとつしかない

からだ。



それもいつかは老い果ててこの世から消える。

「たのむから、もうちょっと構ってくれよ」とクレームが入った。


自分のものだと思うから傲慢になる。
親からもらった。


大事にしよう。



シワだらけシミだらけブヨブヨたるみまくりでも、毎日がんばって働いてくれている。そう思うと愛おしい。

からだは時の器。

自分の有様が、しっかり刻みこまれ表に現れてくる。



そんな年齢になって、やっと

人は自分のからだに対して謙虚さを学ぶのかもしれないなあ。



















  
Posted by レニア at 18:17Comments(2)ふと思うこと

だっこのしゅくだい

2013年07月03日

「だっこのしゅくだい」


せんせいが、「きょうのしゅくだいは、だっこです。

おうちの人みんなにだっこしてもらってね」といいました。

ぼくもみんなも「ええーっ」とびっくりしました。

だって、だっこのしゅくだいなんて、はじめてだからです。

なんかはずかしいとおもいました。

でも、うれしかったです。

いそいでいえにかえりました。

いえにかえって、すぐ、おかあさんに、

「だっこがしゅくだいにでたんよ。しゅくだいじゃけえ、だっこして」

と小さいこえでいいました。

おかあさんは「へえ、だっこのしゅくだいでたん?」とびっくりしました。

でも、すぐ「いいよ」とにっこりしていってくれました。

おかあさんはすわって、ぼくをひざにのせて、りょう手できゅうっとだきしめてくれました。

おかあさんのからだはぬくかったです。

だっこしてもらっていたら、ぼくのからだもぬくくなりました。

ぼくが「おうちの人みんなにだっこしてもらわんといけん」といったら、

おかあさんがちっちゃいばあちゃんに「だっこしてやって」といってくれました。

ちっちゃいばあちゃんはわらって「おいで」といって、だっこしてくれました。

そして、「大きゅうなったねぇ」といってくれました。

つぎは大きいばあちゃんにだっこしてもらいました。

大きいばあちゃんはぼくをだっこして「おもとうなったのう」といってくれました。

さいごはおとうさんでした。

おとうさんはいきなりりょう手でぼくのからだをもちあげて、どうあげをしてくれました。

ぼくのからだはくうちゅうにふわっとうかんで、きもちよかったです。

おとうさんはぼくをゆっくりおろして、ぎゅっとだきしめてくれました。

おとうさんのからだはぬくかったです。

ぼくはまたしてもらいたいとおもいました。

だっこのしゅくだいがでたから、かぞくみんなにだっこしてもらいました。

さいしょははずかしかったけど、きもちよかったです。

だっこのしゅくだい、またでたらいいなとおもいました。


引用元: (孤独になる前に読んでおきたい10の物語 講談社)






友人のFacebookページで見つけた、こんなあったかいお話。

小学校一年生の子が書いた作文だそうだ。


平素なことばで綴られたまっさらな気持ちの丈が、清々しい。

「両手」ではなく「りょう手」と書いてあると、その手の体温まで伝わってくるような優しさを感じるのは、なぜだろう。

「ぬくかったです」「おもとうなったのう」...方言が伝える、柔らかい愛情。



そして、このしゅくだいを出した先生。
素晴らしい教育者だと思った。



「ハグ」という習慣のない、日本の文化。

たった7歳そこらの男の子が、
それをもう「なんか、はずかしい」と表現している。

でも、信頼する人の腕に抱かれて得る心の安定は、計り知れないものだ。
それは、幼い子供に限ったことではないように思う。

私だって、めちゃくちゃ疲れていたり凹んだりした時には
自分から「I need a hug。。。」とお願いして、相棒に元気をもらうことがある。

落ち込んでいる友達には「You need a hug」と言って、相手を腕に抱く。

でもそれは、女友達のあいだでよく見られる光景で、
男性同士の場合は少し事情が違うかも。。。


アメリカであっても、「ハグ」の男女差は明らかに存在する。

やり方も違うし(女性同士の場合はぎゅぅ〜っ、男性同士の場合は軽くパンっという感じ)
頻度も女性のほうが圧倒的に多いだろう。


親子のあいだでもそれは変わらず

父親と息子のハグというのは、
ある限られた状況の時にしか発生しない感がある。 

(卒業式などのお祝いイベントとか、しばしのお別れになる時とか)




この作文を読んで、思ってしまった。

私は息子を充分にハグしていただろうか、と。





初めて出会った時にすでにティーンエージャーだった息子は、父親とはもはやスキンシップは殆ど持たない年齢に達しており
私は、夫と息子がお互いをハグしているところを
おそらく数えるほどしか見たことがない。

息子をハグする回数は、夫より私のほうがもちろん多かったのだが

それでも毎日毎日ハグしていたわけではない。


女の子なら頻繁に経験するだろう 友達同士のハグも
男の子同士では、その機会はあまり無かったことだろう。


もっと腕に抱いてやればよかったと思った。10代という多感な時期に。






年を重ねるほど、大人になるほど

信頼する人の腕に抱かれ、ぬくもりを受け取るチャンスの少ない
男性のほうが

「だっこ」を渇望する気持ちは もしかしたら強いかもしれない。



この男の子のように

「なんかはずかしい」と思って
普段は口に出来ないだけなのかもしれない。


そして「だっこのしゅくだい、またでたらいいな」と思うのかもしれない。






女性である自分がリードをとって、愛する人に腕をのばそう。


小学校一年生の作文を読んでふとそう思ったことだった。




今日これを読んで下さった女性の皆さんも

たまには、近くにいる大切な人を

「だっこ」されてみてはいかがだろうか。










  
Posted by レニア at 08:22Comments(6)ふと思うこと