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Posted by チェスト at

報われること、報われないこと

2013年03月29日

日本に住む従姉から、こんな素敵なカードが届いた。

その精巧さに、本物の桜の木を彷彿させる立体カード。

日本にはスゴいものがあるもんだ〜...と

感動することしきり。



先週末、期末試験を終えた。

そこからは採点採点の日々。
しょぼしょぼになった目に、ちょこんと置かれた可憐な桜カードを眺める一瞬は
何ともいえない慰めとなった。

こぼれるような 薄いピンク色を目にするだけで
こんなに嬉しい 優しい気持ちになる。

そういうところが、自分は心底日本人なのだなあと思ってしまう。

そう言えば日本の桜は、もう15年ほど見ていないかもしれない。。。



期末試験はどのレベルも たいてい6〜8ページほどある。
それを120人分ほど見るので、採点は文字通りエンドレス。

「果たして、これって終わるんだろうか???」と、採点しながら途方に暮れる思いに駆られることもあるが
(というか、是が非でも締め切りまでに終わらせなければならないのだが)

採点途中、答案用紙に学生からのメッセージを見つけることも多く
それが英語ではなくて、こんなふうに日本語で書かれていたりすると
睡眠不足だった一学期間の苦労が 
一挙に報われたように思えたりする。


(ちなみにこの学生は日本語を始めて3学期目=9ヶ月を終えた学生。皆が倦嫌する漢字を、ものすごく頑張っていた)




別に、誰かに褒めてもらいたくて仕事をしているわけではないのだが

自分がベストを尽くした相手から 
こうやって positive feedbackをもらうと

それは素直に嬉しい。

こんなおばちゃんでも、純粋に嬉しい。



そう感じる自分を客観的に観察しながら

人を褒めるって、大事なことだなあ。。。とつくづく感じる。

おべっかではなくて、相手の価値を正当に評価して
それを言葉で表現して伝えるということ。
そういう術も、若いうちに学校で伝授してくれればいいのになあ。
そうしたらこの世の中も もう少し和やかに生きられる場所になるのではないかな?








さて、

期末試験の最終日に、こんな可愛いふくろうさんがテストを受けにきた。



「日本語2」のクラスにいた、アビーさん。

きれいな長い髪をブルーに染めたかと思いきや
それをばっさり切ってきたりと、屈託の無い子だった

ある日

「先生、今学期の最終日にふくろうになろうかと思うんだけど、どう思う?」

と聞いてきたので

「あら、いいんじゃない?」

と返事したら、本当にふくろになってやってきた (笑




そんなお茶目な彼女も、試験が始まると真剣そのもの。。。

可愛らしいふくろうが、真面目な顔をして試験を受けているようすを
ちらりちらりと横目で見ながら
それがあまりに可愛くて...

先生は クククッと笑いをこらえるのに必死。




この写真を自分のFacebookにアップしたら

「あらー可愛いね!」

のコメントが多く来るかと思いきや

日本に住む友人の殆どが

「着ぐるみ着て試験を受けるってのは、日本の大学ではありえないかも!」

という反応。


なるほど〜〜そうきたかー、と
その反応にちょっと新鮮さを覚えた私だった。


ちなみにこのアビーさん。
期末試験では見事に90%以上を取った。
よく頑張ってくれた。





こうして
こちらが全エネルギーを注いで取り組んだことに
相手が同じように応えてくれることもある。


かと思えば、
それまでの努力が、全く報われなかったと感じることもある。



私の仕事を例にとれば、同じように熱意をもって教えても

「A」を取ってくれる学生もいれば、
「D」を取る学生もいるのだ。


ベストを尽くしても、結果が出ないことだってある。



己の評価を、他人の行動に委ねるのはやめよう。




カンペキじゃなかったかもしれない。でも、心底がんばった。
そういうことは 誰にでもあるはず。


どれだけがんばったか、それを一番知っているのは自分だ。

結果は出なかった。
でも未熟なりに、けっこうやったじゃないか。



次はもうちょっと上手くできるように、

またがんばればいいやないか。






またがんばろうや。











  
Posted by レニア at 18:21Comments(4)自分さがし

おへそのつながり

2013年03月21日

悲しい夢をみた。


...という書き出しで
大昔に作文を書いたことがある。


たしか夏休みか何かの宿題だったと思うが

こんな所へ行った、あんな体験をした
そんな一大イベントを書くわけでもなく

私は、その日に見た夢のことを書いた。

高二の時だ。


今思えば、こうして感じたままをブログに綴る感覚だったのだと思う。




当時の担任は国語教師で、女性教員だった。
私の母と同い年だった。
30年近く経ったいまでも交流がある。


作文の内容は、詳しいところは忘れたが
かいつまんで話すとこういう内容だったと記憶している。



悲しい夢をみた。

白い、病室のような部屋に
女性がひとり座っていた。
母だった。

母はきちんと正座をし、ベッドの上に鎮座していた。

私は何か異様な雰囲気を感じ取りながら
恐る恐る母に近づいていって声をかけた。

「お母さん、、、」
「はい。」

「お母さん。」
「どちら様??」

「お母さん、私よ。」
「あらまあ、、、そうですか。」

そう言って母は、にっこりと笑顔を私に返した。

私は背筋がゾーッと凍る感覚を覚えた。

そこでふと、目が覚めた。。。




それ以降、書いたことは全く覚えていないが
目覚めた後に思い返したことを つらつらと綴って
最終的には原稿用紙5枚ほどは書いたと思う。


それが、県の作文コンクールで入賞し
「かごしま」という文集に掲載された。


担任だった国語教師のM先生は、翌年私が高三の時も引き続き担任となり
その年の私の作文にも多大な期待を寄せて下さったが

その年に書いたものは、内容があまりにも暗く
(確か父のことを書いたと記憶しているが)


「ご家庭で何かありましたか?」と

母が学校に呼び出されたぐらい(笑)

(私はその事を、卒業後数年たって母が話してくれるまで全く知らなかった)

結局、その年の作文コンクールへの出展は見合わされた。





この世に生を受けて、まだ17〜18年という時だ。


それまで当たり前にあった「親」という存在

血縁という存在が
いかに自分の心の安定に影響を及ぼしているのか

そういうことを改めて認識し始めた時期であったのだと思う。


その事に対する驚きと畏敬の念をこめて

高二の時に書いたその作文は

「おへそのつながり」と題した。





さて、自分がその当時の両親と同じような年齢になり
今振り返って思うことは

ん〜〜、、、ちょっと違ったかな? ということ。





「絆」を築いてゆくもの

それは、必ずしも血のつながりではなく

共に過ごした時間なのではないかな?ということだ。


先日、授業中に学生からある質問を受けて、
改めてその事に気付かされた。



学生: 先生、日本では親子の間でハグしたり「I love you」と言ったりしないって、本当ですか?

私: ん〜、、、そうねー、最近では若いお父さんとお母さんが幼い我が子をハグしたりはあるかもしれないけれど、成人した子供にハグとか「I love you」は一般的に無いと思います。

学生: じゃあ、先生のお父さんとお母さんは?

私: 私も生まれてこのかた、両親にハグされたり「I love you」と言われたりしたことは、一度もないです。

学生: それでどうやって自分は親に愛されてるって分かるんですか???

私:(ちょっとしばらく考えました)...一緒に過ごした時間かなあ。。。共に暮らして自然と感じ取ったというか、、、たとえ「I love you」の言葉は無くても、親は本当にたくさんの事を私のためにしてくれましたからね。例えば毎朝早く起きて私のためにお弁当を包んでくれたりとか(ここで「弁当とは何か」を説明せねばならず)、そうした毎日のささやかな行為の積み重ねかなあ。

学生一同: (ふ〜ん...という感じで一同沈黙)



何でも言葉で意思表示(表現)することが良しとされているアメリカ。

逆に言うと、表現されない部分を「感じ取る」力(想像力)が弱いのでは無いかと思い
こんな問いを投げかけてみた。


例えばね、彼氏(彼女)に置き換えてみて
いつも「You are so beautiful. I love you so much!」と言葉では言うけれど、いつもデートに遅れてくるような人と、
普段は何も言わないけれど、自分が風邪をひいてゴホゴホいって苦しくて寝込んでいる時に
温かいスープ持参で「すぐ行くよ!」と駆けつけてくれる人と
あなたはどちらに愛を感じる?



すると、「あーはいはい、分かります!!」 の反応。




愛を嗅ぎ分ける本能は、
人種に関わらず皆に均等に備わっている能力のように思う。




さて当時40代だった私の親は
今では70歳を超えた。


親しい友人の中には、既に親御さんを見送った人もいるし

私がその昔夢で見たように
実の親が、子供である自分を
よもや誰だか認識出来ないという実状にある人もいる。


「お母さん」
「はい、どちら様?」
「お母さん、私よ...」
「あらまあ、そうですか。」


これが、現実となる日が

いつか私にも訪れるやもしれぬ。


17歳の頃には、想像だにしなかったことだ。



幸いにも、両親はまだ私のことを覚えていてくれる。

一年に一回も 顔を見せることの出来ないこの親不孝な娘のことを。



この先たとえ、両親が私を認識できない日がやってきたとしても

私が親の愛情を疑うことは無いだろうと思う。



それは一緒に暮らしていた時代に
しっかりと伝えていてくれたから。


実父と実母に、愛され慈しまれて育ったという記憶。
私の人生には 
当たり前のようにあった幸運。


それが、自分という存在を容認するのに
どれだけ大きな役割を担うのか。


それは

そうした幸運に恵まれなかった一人の男の子と暮らしてみて
初めて、痛感したことだった。







「おへそのつながり」

それは、たぶん


単に血のつながりでは ないのだよ。



愛そうという、

強い「決意」のつながりなのだよ。









  
Posted by レニア at 18:45Comments(10)ふと思うこと

いたわり

2013年03月04日

僕は怒っているんだ

と夫が言った。

私にはその言葉が

「僕は悲しいんだ」に聞こえた。




我が家のすぐ隣には Botanical Gardenがある。

マンションの敷地内から直接出入りできるゲートがあり


そこをくぐり歩みを進めてゆくと
山奥のハイキングコースに迷い込んだかと思うような景色になる。


日曜の午後、ここを夫と二人で少し散歩した。




まだまだ風は冷たかったけれど
芽吹いてきた木々を見ると、春が確実に近づいてきているのを感じた。


子供の話しをしたのは しばらくぶりだった。
ここ数日息子のことはお互い敢えて口にしないようにしていた気がする。
私は夫をつらくさせてしまうだろうと危惧し
夫は私が悲しい気持ちを思い出すだろうと思っていたらしい。

マイナスイオンいっぱいのこの森の中を二人で歩いているときに、ふと
ヒザは大丈夫かな?と思って、私が

「大丈夫?」

と聞いた。

夫の返答は冒頭の

「僕は怒っているんだよ」


その言い方が「怒っている」という形容とは程遠い
あまりにも穏やかな言い方だったので
0.1秒ぐらいきょとんとした

そして
ああ、この人は傷ついているんだなと感じた。




男の人は気持ちを言葉にするのがヘタだ。

女性は思いを言語化し、それを共有することで
お互いを励ましたり慰めたり
ただ聞いてもらうことで安心感を得たりするものだが

男性は必ずしも心の内にあるものを
人と共有しようとは試みない気がする。

今回も息子のことでダメージを受けたのは私より
むしろ幼い頃からあの子を育ててきた夫だと思うのだが
本人はというと相変わらず朝からとんちんかんな歌を歌い
ぽよよんドラえもんオーラ満載で、普段と変わらない様子を保っていた。

私があまりにも参っていたので...

cheer upしようと思ってくれていたらしい。

私はそんな夫を見ていて
もう割り切れてしまえたのかなと感じたことも。

人の心に本当にあるものなんて
こうして夫婦であっても、分からなかったりするものだ。


自分のことさえ100%理解できなかったりするのに
ましてや他人を完全に理解することなんて
それは相手が大切な友達であっても、兄弟であっても、伴侶であっても、子供であっても
不可能だと感じる。

でも、たぶん完全に理解するよりも大切なことは
おそらくその人を
いたわる気持ち、愛する気持ち、信じる気持ち
なのかな?





「怒っているんだよ」と言われ

「そう...怒っているんだね」と答えた。

夫は何に怒っているのか、どういう気持ちでいたのかを私に少しだけ話した後

最後に

「But I am ok」と言った。


その後は

「空がきれいだね」とか
「この花、何だろうね?」とか言いながら、1時間近く歩いただろうか。

日が傾いてきたので

「そろそろ家帰って、ビールでも飲むか」となった。



相棒よ。
私はあなたのことは100%分かってあげられない(と思う)。
あなたもたぶん私のことは100%分からないと思う。

でもこうして並んで
いっしょに

これからも歩いて行こうよ。




  
Posted by レニア at 17:20Comments(2)夫婦