スポンサーサイト
帰りたいな〜、鹿児島。。。
2010年12月31日
今年は、とうとう一度も帰れなかった...
大好きな大好きな、私のふるさと、鹿児島。

これ↑は、鹿児島市内で写真館を営む高校の同級生の
旦那様(カメラマン)が撮った、冬の桜島。
大好きな一枚だ。
この雄々しい、壮大な立ち姿。
この写真を見る度に思う。
桜島には絶対、神様がいるよね。
それは、ここシアトルでレニア山を見る時に感じるのと、同じ感覚だ。


レニア山にも、絶対神様がいる
と思う。
実際レニア山に行くと、空気の純度がガラリと変わって、自分の深部までグングン浄化されるような気持ちになる。
桜島も、レニア山も
どっちの山も、「よかにせ」やね〜。
ホントに、、、ほれぼれするわ。
自分の故郷に、こんなに美しい山があるなんて
ホント誇りに思うわ。
なんだか見てるこっちまで、ピンと背筋が伸びる気がする。
川内市に住む祖母の容態が芳しくなく、できればこの冬休み中に帰国できないかと色々思案したが、結局叶わなかった。
ハワイで独身の頃は、思い立ったらすぐ飛行機に乗って...ということも出来たが、こうして家族が出来てしまうとそうもいかない。
夫は「いいよ、家のことは気にしなくていいから、帰りなよ」と言ってくれたが、年末年始でめちゃめちゃ高い航空券、来学期の仕事の準備、マイケルのこと。。。色々気にかかることが多く、結局帰国は断念した。
おばあちゃん、ごめんね。
来年には何としてでも帰るから、それまでどうか元気でいてほしい。

こちらはまだ晦日(30日)ですが
日本はもう大晦日ですね。
そろそろ紅白が始まるのかな〜。2010年も、日本では残すところあと5時間ぐらいかな?
私はこうして、今は故郷からはとてもとても遠く
それでも日本の、そして薩摩の女であることを心から誇りに思って
2011年も、何が起こっても「ま、いいが〜」の強さで乗り越えていけるように
がんばりたいと思います。
2011年も、皆さんにとってどうか幸せいっぱい、
笑いいっぱいの一年でありますように。。。
どうぞ、良いお年をお迎えください。
大好きな大好きな、私のふるさと、鹿児島。

これ↑は、鹿児島市内で写真館を営む高校の同級生の
旦那様(カメラマン)が撮った、冬の桜島。
大好きな一枚だ。
この雄々しい、壮大な立ち姿。
この写真を見る度に思う。
桜島には絶対、神様がいるよね。
それは、ここシアトルでレニア山を見る時に感じるのと、同じ感覚だ。
レニア山にも、絶対神様がいる
と思う。
実際レニア山に行くと、空気の純度がガラリと変わって、自分の深部までグングン浄化されるような気持ちになる。
桜島も、レニア山も
どっちの山も、「よかにせ」やね〜。
ホントに、、、ほれぼれするわ。
自分の故郷に、こんなに美しい山があるなんて
ホント誇りに思うわ。
なんだか見てるこっちまで、ピンと背筋が伸びる気がする。
川内市に住む祖母の容態が芳しくなく、できればこの冬休み中に帰国できないかと色々思案したが、結局叶わなかった。
ハワイで独身の頃は、思い立ったらすぐ飛行機に乗って...ということも出来たが、こうして家族が出来てしまうとそうもいかない。
夫は「いいよ、家のことは気にしなくていいから、帰りなよ」と言ってくれたが、年末年始でめちゃめちゃ高い航空券、来学期の仕事の準備、マイケルのこと。。。色々気にかかることが多く、結局帰国は断念した。
おばあちゃん、ごめんね。
来年には何としてでも帰るから、それまでどうか元気でいてほしい。

こちらはまだ晦日(30日)ですが
日本はもう大晦日ですね。
そろそろ紅白が始まるのかな〜。2010年も、日本では残すところあと5時間ぐらいかな?
私はこうして、今は故郷からはとてもとても遠く
それでも日本の、そして薩摩の女であることを心から誇りに思って
2011年も、何が起こっても「ま、いいが〜」の強さで乗り越えていけるように
がんばりたいと思います。
2011年も、皆さんにとってどうか幸せいっぱい、
笑いいっぱいの一年でありますように。。。
どうぞ、良いお年をお迎えください。
Posted by レニア at
18:53
│Comments(2)
お姑さん
2010年12月30日
お姑さんの名前は、ジャネット。
明るくて働き者で、歌が大好き。
よくキッチンで料理しながら、ベッド・ミドラーの「ザ・ローズ」を口ずさんでいた。
彼女は生まれ育った家も貧しく、嫁いだ先も決して裕福ではなく
それでも困っている親兄弟にいつも手を差し伸べ、いつも助け
家族みんなの太陽みたいな存在だったそう。
私は彼女を勝手に「ジャネットお母さん」と呼ばせてもらっている。
...が
お会いしたことは一度もない。
なぜなら、ジャネットお母さんは今から21年前に
45歳の若さでこの世を去ったからだ。

5人兄弟の末っ子である夫は
当時まだ18歳だった。
ガンだったそうだ。
ひどい頭痛を訴えながらも、病院にも行かず働いて、働いて、働いて
家でも外でも家族のために朝から晩まで働いて
ガンに気づいた時にはすでに末期だった。
数ヶ月のうちにあっという間に逝ってしまったという。。。
その時のショック、喪失感、絶望を、夫は20年以上経った今でも鮮明に覚えているそうだ。
臨終のとき、駆けつけた親類縁者たちが病院のベッドを囲んで泣き崩れる中
18歳の彼は状況をうまく受け入れることができず、
悲しいというよりは「恐ろしく」て
母親が静かに横たわる枕元に、近づくことさえできなかったという。
18歳で母親を失うという、事実。
それが一体どういう気持ちか、夫には申し訳ないが
私には想像すらできない。
「嫁と姑のバトル!!」なんて、ドラマになったりもする。
それこそ同居なんてした日には、お嫁さんとお姑さん、お互い家をやりくりする主婦としてのプライドや独自のやり方もあったりして、衝突することしきりだろう。
同居こそしていなくても、こっちの人と結婚してシアトルに住む友人の中には、実際アメリカ人のお姑さん相手に意思疎通がうまくいかず苦労している友達もいる。
でも私は、やっぱりお会いして、色んな話を聞きたかったな。
彼女は彼の母親、私は彼の妻。
そんな女同士ならではの話もいっぱい、してみたかった。

今日はそんなジャネットお母さんのお墓参りに行く予定だった。
のだが、、、
目が覚めたらなんと雪がふっていた!!
うげ〜〜、なにもこのタイミングで降らなくてもぉ〜〜
すでに3インチぐらい積もっていたので、夫と話合ってお墓参りは後日に延期することに。
シンシン雪の降り続く外を眺めながら
ジャネットお母さん、寒いだろな〜 なんて思ってた。
いっぽう私のお舅さん、つまり夫のお父さんも
2007年に病気で亡くなった。
なので相方はすでに両親とも亡くしてしまったことになる。
そのせいか、彼は鹿児島にいる私の両親をとても大切に思ってくれる。(言葉もろくに通じないのだが)
とりわけ私の母が大好きで、「ママさん、ママさん」と言って、慕っている。
ふたりで時々携帯メールのやり取りなんかしていたり。。。(日本語訳を手伝わされる私としてはちょっと面倒なのですが 苦笑)
21年ぶりに手にした「母」という存在に、とても嬉しそうな夫。
私だって自分がもう「おばちゃん」と言われる年なのに
それでも母はやっぱり母だ。
いなくなってしまう日なんて、考えられないし考えたくもない。
そういう母性を求める気持ちって、国籍、年齢に関係なく誰もが深いところから欲するものなのかもなあ、、、と思う。
雪が止んだら
ジャネットお母さんが好きだったというバラの花を持って、会いに行こう。
今年も私たちを見守ってくれて
本当にありがとうございました。
明るくて働き者で、歌が大好き。
よくキッチンで料理しながら、ベッド・ミドラーの「ザ・ローズ」を口ずさんでいた。
彼女は生まれ育った家も貧しく、嫁いだ先も決して裕福ではなく
それでも困っている親兄弟にいつも手を差し伸べ、いつも助け
家族みんなの太陽みたいな存在だったそう。
私は彼女を勝手に「ジャネットお母さん」と呼ばせてもらっている。
...が
お会いしたことは一度もない。
なぜなら、ジャネットお母さんは今から21年前に
45歳の若さでこの世を去ったからだ。

5人兄弟の末っ子である夫は
当時まだ18歳だった。
ガンだったそうだ。
ひどい頭痛を訴えながらも、病院にも行かず働いて、働いて、働いて
家でも外でも家族のために朝から晩まで働いて
ガンに気づいた時にはすでに末期だった。
数ヶ月のうちにあっという間に逝ってしまったという。。。
その時のショック、喪失感、絶望を、夫は20年以上経った今でも鮮明に覚えているそうだ。
臨終のとき、駆けつけた親類縁者たちが病院のベッドを囲んで泣き崩れる中
18歳の彼は状況をうまく受け入れることができず、
悲しいというよりは「恐ろしく」て
母親が静かに横たわる枕元に、近づくことさえできなかったという。
18歳で母親を失うという、事実。
それが一体どういう気持ちか、夫には申し訳ないが
私には想像すらできない。
「嫁と姑のバトル!!」なんて、ドラマになったりもする。
それこそ同居なんてした日には、お嫁さんとお姑さん、お互い家をやりくりする主婦としてのプライドや独自のやり方もあったりして、衝突することしきりだろう。
同居こそしていなくても、こっちの人と結婚してシアトルに住む友人の中には、実際アメリカ人のお姑さん相手に意思疎通がうまくいかず苦労している友達もいる。
でも私は、やっぱりお会いして、色んな話を聞きたかったな。
彼女は彼の母親、私は彼の妻。
そんな女同士ならではの話もいっぱい、してみたかった。

今日はそんなジャネットお母さんのお墓参りに行く予定だった。
のだが、、、
目が覚めたらなんと雪がふっていた!!

うげ〜〜、なにもこのタイミングで降らなくてもぉ〜〜
すでに3インチぐらい積もっていたので、夫と話合ってお墓参りは後日に延期することに。
シンシン雪の降り続く外を眺めながら
ジャネットお母さん、寒いだろな〜 なんて思ってた。
いっぽう私のお舅さん、つまり夫のお父さんも
2007年に病気で亡くなった。
なので相方はすでに両親とも亡くしてしまったことになる。
そのせいか、彼は鹿児島にいる私の両親をとても大切に思ってくれる。(言葉もろくに通じないのだが)
とりわけ私の母が大好きで、「ママさん、ママさん」と言って、慕っている。
ふたりで時々携帯メールのやり取りなんかしていたり。。。(日本語訳を手伝わされる私としてはちょっと面倒なのですが 苦笑)
21年ぶりに手にした「母」という存在に、とても嬉しそうな夫。
私だって自分がもう「おばちゃん」と言われる年なのに
それでも母はやっぱり母だ。
いなくなってしまう日なんて、考えられないし考えたくもない。
そういう母性を求める気持ちって、国籍、年齢に関係なく誰もが深いところから欲するものなのかもなあ、、、と思う。
雪が止んだら

ジャネットお母さんが好きだったというバラの花を持って、会いに行こう。
今年も私たちを見守ってくれて
本当にありがとうございました。
Posted by レニア at
18:53
│Comments(2)
結婚とは?
2010年12月29日
夫とまだチャット友だった頃
何かの話題の流れで
「結婚って何だろう?」
という話になったことがある。
その時、彼が
Marriage is work. 結婚は仕事だよ。
と言った。
「ものすご〜く大変な仕事。
でも、その大変な仕事を好きな人とすると
大変だけど、楽しい仕事になる。」
彼はそう言った。
それまで何とも思っていなかった相方の
この言葉を聞いたとき、
あれ? 私、この人と結婚するかも?
と、一瞬思ったのを覚えている。

シアトルに住む日本人向けの、こんなサイトがある。
http://www.junglecity.com/
ここの掲示板「Love & Marriage」には
シアトル在住の(またはこれからシアトルに住む)日本人からの
恋愛
結婚、そして
離婚
に関する相談事が書き連ねられている。
結婚を考えている相手がアメリカ人で、もしも結婚することになったらシアトルへ移住することになるが、言葉の不安、生活習慣の不安、そして家族や友人と会えなくなる淋しさを思うと、どうしても日本を離れる決意ができない。
という日本からの投稿があるかと思うと
結婚してシアトルに来て15年。夫とは些細なことで喧嘩が耐えない毎日。子供のことを思って今まで思いとどまってきたが、もう心も通わない彼とはやはり離婚という選択しかないのだろうか。
という方がいたり。。。
100組のカップルがいたら
100通りの夫婦関係がある。
結婚には
どういうカップルが、いいとか悪いとか
または
「こうすれば必ず上手くいく!」みたいな
万人共通のマニュアル本のような物もなく。。。
こればかりは、自分が選んだ相手と
ひとつひとつ乗り越えて
一日一日を積み重ねて
焦らず、ていねいに
「ふたりの形」をこしらえていくしかない気がする。
ここで、伴侶が言葉も文化も異なる外国人だったりすると
結婚生活の大変さも倍増するのでは?
と思うのは、当たり前。
不安になるのも、当たり前。
なので、前述↑のお嬢さんのように国際結婚&アメリカ移住に
踏み切れない気持ちはよ〜〜く分かる。
でも私は
結婚って、誰としてもさほど大差はないのでは?と
実は思っている。
(て言ったらちょっと語弊があるかもしれないが...)
同胞(日本人)と一緒になって日本に暮らしたって
アメリカ人と一緒になってアメリカに暮らしたって
そして、相手がたとえどんなにいい人でも、どんなに優しい人でも
どんなに愛していても、どんなに愛してくれていても、、、
結婚に試練はつきもの。
だって、元は他人。
それに完璧な人なんて、いない。
...と思うのです。
そういう私は
相方と出会う前、結婚とは
めちゃめちゃキッツい修行
だと思っていた。
んで、根が怠け者で、シンドイのが嫌な私は
できればその「修行」はご遠慮願いたいと思っていた。
さて、実際こうして結婚して
改めて「結婚とは?」と考えると。。。。
ん〜〜〜
やっぱ「修行」かな。笑
旦那の言ってた「仕事」ってのも、かなり当たってるな。
でも、それだけじゃないものを、毎日感じます。
なんだろな〜。
その答え探しを、この先20年、30年、40年かけて
相方と一緒にやってゆく。
その過程こそが
「結婚」なのかもしれない。
何かの話題の流れで
「結婚って何だろう?」
という話になったことがある。
その時、彼が
Marriage is work. 結婚は仕事だよ。
と言った。
「ものすご〜く大変な仕事。
でも、その大変な仕事を好きな人とすると
大変だけど、楽しい仕事になる。」
彼はそう言った。
それまで何とも思っていなかった相方の
この言葉を聞いたとき、
あれ? 私、この人と結婚するかも?
と、一瞬思ったのを覚えている。
シアトルに住む日本人向けの、こんなサイトがある。
http://www.junglecity.com/
ここの掲示板「Love & Marriage」には
シアトル在住の(またはこれからシアトルに住む)日本人からの
恋愛
結婚、そして
離婚
に関する相談事が書き連ねられている。
結婚を考えている相手がアメリカ人で、もしも結婚することになったらシアトルへ移住することになるが、言葉の不安、生活習慣の不安、そして家族や友人と会えなくなる淋しさを思うと、どうしても日本を離れる決意ができない。
という日本からの投稿があるかと思うと
結婚してシアトルに来て15年。夫とは些細なことで喧嘩が耐えない毎日。子供のことを思って今まで思いとどまってきたが、もう心も通わない彼とはやはり離婚という選択しかないのだろうか。
という方がいたり。。。
100組のカップルがいたら
100通りの夫婦関係がある。
結婚には
どういうカップルが、いいとか悪いとか
または
「こうすれば必ず上手くいく!」みたいな
万人共通のマニュアル本のような物もなく。。。
こればかりは、自分が選んだ相手と
ひとつひとつ乗り越えて
一日一日を積み重ねて
焦らず、ていねいに
「ふたりの形」をこしらえていくしかない気がする。
ここで、伴侶が言葉も文化も異なる外国人だったりすると
結婚生活の大変さも倍増するのでは?
と思うのは、当たり前。
不安になるのも、当たり前。
なので、前述↑のお嬢さんのように国際結婚&アメリカ移住に
踏み切れない気持ちはよ〜〜く分かる。
でも私は
結婚って、誰としてもさほど大差はないのでは?と
実は思っている。
(て言ったらちょっと語弊があるかもしれないが...)
同胞(日本人)と一緒になって日本に暮らしたって
アメリカ人と一緒になってアメリカに暮らしたって
そして、相手がたとえどんなにいい人でも、どんなに優しい人でも
どんなに愛していても、どんなに愛してくれていても、、、
結婚に試練はつきもの。
だって、元は他人。
それに完璧な人なんて、いない。
...と思うのです。
そういう私は
相方と出会う前、結婚とは
めちゃめちゃキッツい修行
だと思っていた。
んで、根が怠け者で、シンドイのが嫌な私は
できればその「修行」はご遠慮願いたいと思っていた。
さて、実際こうして結婚して
改めて「結婚とは?」と考えると。。。。
ん〜〜〜
やっぱ「修行」かな。笑
旦那の言ってた「仕事」ってのも、かなり当たってるな。
でも、それだけじゃないものを、毎日感じます。
なんだろな〜。
その答え探しを、この先20年、30年、40年かけて
相方と一緒にやってゆく。
その過程こそが
「結婚」なのかもしれない。
Posted by レニア at
17:42
│Comments(4)
イブの夜
2010年12月27日
イブの夜 
若いカップルなら
キャンドルライトの下、ワイン片手に
ちょっとロマンチックなディナーを...
となるところなんだろうが
うちではそんな悠長なことをしている暇はない。
忙しい。
今年のイブは、こんな感じでした。
夕食&片付けを済ませたあと、父ちゃんと母ちゃんはまずシャンパンを開けた。
かんぱ〜い と、ここだけちょっとイブ気分。
でも、これはその後の長い夜を乗り切るための
ガソリンのようなものだ。
乾杯のあと
シャンパングラス持参で、まず私が一人でコンピュータルームにこもる。
夫もマイケルも立ち入り禁止。
そしてオシゴトに取りかかります。

そう、二人へのクリスマスプレゼントのラッピングだ。

この日まで自分のクローゼット、又は車のトランクに隠してあったプレゼントを
いっせいに持ち込んで、ひとつひとつ包み始める。
私 → 夫へのプレゼント
私 → マイケルへのプレゼント
まずこの2種を包み上げ、誰あてか分かるようにタグも貼る。


ここまで終了した時点で、マイケルを自分の部屋に監禁する。笑
絶対でてくるな
とキツく命じ
夫とふたり、今度は彼のクローゼットに隠してあった今年の目玉商品(?)を
よいしょ、よいしょとコンピュータールームに運び入れる。
ちなみに目玉商品とは、こちら↓(これは開封後)

ちょっと重くて一人では包みづらかったので、彼に手伝ってもらい
二人でラッピングにとりかかる。


これ以外にもいくつか用意してあった
二人から → マイケルへのプレゼント
も、相方と手分けしてせっせと包む。
ここまで終わって
バトンタ〜ッチ
今度は夫がシャンパン片手に
コンピュータルームにこもり
私へのプレゼントのラッピングに取りかかる。
これが、なぜか毎年異常に時間がかかる。。。
本人曰く「ラッピング苦手〜〜!」 なんだそう
確かに、あんまり上手ではないかも。
この夜も、5つを包むのに
なんと1時間も部屋から出てこなかった。
その間リビングでTV見ながら時間をつぶしていた私は
ソファでうっかりウトウト...
この時点で、すでに11時。
前日夜更かしをしていたマイケルは
眠かったのだろう。
なんとも都合の良いことに、この夜は珍しく早めにベッドに入ってくれていた。
マイケルが寝たのを確認して、深夜
コンピュータルームから全部のプレゼントを
夫と二人でリビングのツリー
の下へと、運ぶ。

はあー、今年も無事、準備完了!
お疲れさ〜ん
...と
ここでやっと落ち着いて、改めて乾杯
随分にぎやかになったクリスマスツリーの下を、夫と眺めながら...
「マイケル、喜ぶかねえ〜。。。」
「あなたが子供の時は、どんな物もらったの?」
「日本ではね、イブの夜にケーキ食べるんだよ」
二人とも目がショボショボだったのに
何だか寝るのがもったいなくて
そんなどーでもいい話をしながら、しばらくソファーで飲んでいた。
シン...と静まり返った深夜。
外は静かに雨がふっていた。
マイケルも来年にはもう19歳。
もしかしたら、プレゼントの準備で忙しいこんなイブを過ごすのは
今年が最後になるかもしれないね。
そう、夫と話しながら
それがちょっと淋しく思えた
そんなイブの夜だった。


若いカップルなら
キャンドルライトの下、ワイン片手に
ちょっとロマンチックなディナーを...
となるところなんだろうが
うちではそんな悠長なことをしている暇はない。
忙しい。
今年のイブは、こんな感じでした。
夕食&片付けを済ませたあと、父ちゃんと母ちゃんはまずシャンパンを開けた。

かんぱ〜い と、ここだけちょっとイブ気分。
でも、これはその後の長い夜を乗り切るための
ガソリンのようなものだ。
乾杯のあと
シャンパングラス持参で、まず私が一人でコンピュータルームにこもる。
夫もマイケルも立ち入り禁止。
そしてオシゴトに取りかかります。
そう、二人へのクリスマスプレゼントのラッピングだ。
この日まで自分のクローゼット、又は車のトランクに隠してあったプレゼントを
いっせいに持ち込んで、ひとつひとつ包み始める。
私 → 夫へのプレゼント
私 → マイケルへのプレゼント
まずこの2種を包み上げ、誰あてか分かるようにタグも貼る。
ここまで終了した時点で、マイケルを自分の部屋に監禁する。笑
絶対でてくるな
とキツく命じ
夫とふたり、今度は彼のクローゼットに隠してあった今年の目玉商品(?)を
よいしょ、よいしょとコンピュータールームに運び入れる。
ちなみに目玉商品とは、こちら↓(これは開封後)
ちょっと重くて一人では包みづらかったので、彼に手伝ってもらい
二人でラッピングにとりかかる。
これ以外にもいくつか用意してあった
二人から → マイケルへのプレゼント
も、相方と手分けしてせっせと包む。
ここまで終わって
バトンタ〜ッチ

今度は夫がシャンパン片手に

私へのプレゼントのラッピングに取りかかる。
これが、なぜか毎年異常に時間がかかる。。。
本人曰く「ラッピング苦手〜〜!」 なんだそう
確かに、あんまり上手ではないかも。
この夜も、5つを包むのに
なんと1時間も部屋から出てこなかった。
その間リビングでTV見ながら時間をつぶしていた私は
ソファでうっかりウトウト...

この時点で、すでに11時。

前日夜更かしをしていたマイケルは
眠かったのだろう。
なんとも都合の良いことに、この夜は珍しく早めにベッドに入ってくれていた。
マイケルが寝たのを確認して、深夜

コンピュータルームから全部のプレゼントを
夫と二人でリビングのツリー

はあー、今年も無事、準備完了!
お疲れさ〜ん
...と
ここでやっと落ち着いて、改めて乾杯

随分にぎやかになったクリスマスツリーの下を、夫と眺めながら...
「マイケル、喜ぶかねえ〜。。。」
「あなたが子供の時は、どんな物もらったの?」
「日本ではね、イブの夜にケーキ食べるんだよ」
二人とも目がショボショボだったのに
何だか寝るのがもったいなくて
そんなどーでもいい話をしながら、しばらくソファーで飲んでいた。
シン...と静まり返った深夜。
外は静かに雨がふっていた。
マイケルも来年にはもう19歳。
もしかしたら、プレゼントの準備で忙しいこんなイブを過ごすのは
今年が最後になるかもしれないね。
そう、夫と話しながら
それがちょっと淋しく思えた
そんなイブの夜だった。
Posted by レニア at
17:16
│Comments(0)
クリスマスの思い出
2010年12月23日
日本はそろそろイブですねえ。。。

サンタさんからのプレゼント、こちらは24日の夜にツリーの下に置きます。
キャンディーやチョコレートなど、細々したものはソックスの中に。


25日の朝目覚めて、ベッドから飛び出し
一目散にリビングルームに走っていくと
イブの夜にはからっぽだったツリーの下が、
まるで魔法みたいに、プレゼントで溢れてかえっていた...
これが夫の子供時代の思い出らしい。
一方、私はというと
サンタさんのプレゼントが置いてあるのは、ツリーの下じゃなくて
枕元。
25日の早朝、布団の中で目が覚めて
眠った姿勢のまま、ドキドキしながら
そぉ〜〜〜〜っと手を伸ばすと
カサッ
と包装紙に手が触れる音。
その時の幸せな気持ちを、できるだけ長く味わっていたくて
ひとり にや〜〜〜っと笑いながら
また寝る
という。
自分がサンタ役になる側になって痛感したけど
親はさぞ大変だったことだろう。
お父さん、お母さん、ありがとう。
Merry Christmas!
皆さん、どうぞよいクリスマスを。。。

サンタさんからのプレゼント、こちらは24日の夜にツリーの下に置きます。
キャンディーやチョコレートなど、細々したものはソックスの中に。
25日の朝目覚めて、ベッドから飛び出し
一目散にリビングルームに走っていくと
イブの夜にはからっぽだったツリーの下が、
まるで魔法みたいに、プレゼントで溢れてかえっていた...
これが夫の子供時代の思い出らしい。
一方、私はというと
サンタさんのプレゼントが置いてあるのは、ツリーの下じゃなくて
枕元。
25日の早朝、布団の中で目が覚めて
眠った姿勢のまま、ドキドキしながら
そぉ〜〜〜〜っと手を伸ばすと
カサッ
と包装紙に手が触れる音。
その時の幸せな気持ちを、できるだけ長く味わっていたくて
ひとり にや〜〜〜っと笑いながら
また寝る
という。
自分がサンタ役になる側になって痛感したけど
親はさぞ大変だったことだろう。
お父さん、お母さん、ありがとう。
Merry Christmas!
皆さん、どうぞよいクリスマスを。。。
Posted by レニア at
17:54
│Comments(6)
Must See! (見なきゃ損!)
2010年12月18日
合唱団のお友達がこのビデオを皆あてに送ってきた。
今、これが世界中を回っているらしい。
よかったら大音量で、どうぞ。
私は聞いてて鳥肌が立ちました。。。
このお姉さん、
携帯で話してるフリして、いきなり歌い出します。(←写真をクリック)
後ろのおばさんも、ドリンク片手にギョッとした顔。

先月(11月13日)に、実際起こった出来事だ。
なんとも...
アメリカらしいなあと。
子供たちのポカーンとした顔。
最初は「なにごと??」って顔してた大人たちも、最後には笑顔になってる。
メリークリスマス!
皆さんにちょっと早いクリスマスプレゼント
なんの変哲もない普通のショッピングセンターで起こった
ある意味
とってもクリスマスな
心温まる一幕でした。

今、これが世界中を回っているらしい。
よかったら大音量で、どうぞ。
私は聞いてて鳥肌が立ちました。。。
このお姉さん、
携帯で話してるフリして、いきなり歌い出します。(←写真をクリック)
後ろのおばさんも、ドリンク片手にギョッとした顔。

先月(11月13日)に、実際起こった出来事だ。
なんとも...
アメリカらしいなあと。
子供たちのポカーンとした顔。
最初は「なにごと??」って顔してた大人たちも、最後には笑顔になってる。
メリークリスマス!
皆さんにちょっと早いクリスマスプレゼント

なんの変哲もない普通のショッピングセンターで起こった
ある意味
とってもクリスマスな
心温まる一幕でした。

Posted by レニア at
09:22
│Comments(0)
うちのお風呂事情
2010年12月15日
私はよく半身浴をする。
というか、
半身浴しかできない。
だって、
浴槽がこんなに浅いんですもん。。。

ということで、
先日のブログのお答え、floorさん大正解〜〜
これは↓

バスタブに掛けるラック Bathtub Caddy でした。

「日本語で何ていうのかなあ〜」って思ってたのだけど
お風呂快適グッズ なんて
ピッタリのネームングまでいただいて、感謝です!
ちまたには、こんなのや

こんなのが出回っているが

私はこの竹製のやつが欲しくて、ずっと探しまわっていた。
今回やっとそれを見つけて、昨夜は早速
「快適、お風呂タ〜イム
」とあいなりました。
アメリカはシャワーで済ませる人が大半だけど、
私はどうしても、せめて週に2、3回はお湯につからないとダメなタイプ。
これは、冬が寒いシアトルに越してきたからという訳ではなく、ハワイにいる時からの習慣なのです。お風呂に入らない日が続くと途端に体調が悪くなり、へたすると仕事にも支障が出てたので、「シャワー」ではなく「お風呂」は健康維持のためにも必須だった。
でもご覧のとおり、アメリカのバスタブでは
なみなみ溢れるお湯に、ゆったり肩までつかる〜 ということができない。
有無を言わさず「半身浴」となる。
それで湯冷めをしないため、体の芯から温まるためには
かなり長時間お湯につかっていないといけない。
結果、私にとってお風呂タイムは = 長ーい「読書タイム」となるのだった。
いつも本やら雑誌やら水やら、時にはビール
やら
色んな物をバスルームに持ち込むので、ずっとこの Bathtub Caddy が欲しいなあ〜と思っていた。
お湯にはいつもこれ↓を入れる。
「バスソルト」なんてシャレたものじゃあ、ありません。
スーパーで買った「粗塩」、しかも韓国製。3ドルもしなかった。

昨夜はそれに、鹿児島の母が送ってきてくれたこれ↓も入れてみた。
香りだけでも、日本の温泉気分〜〜

新しい Caddyをバスタブに掛け、
こちらも先日シアトルの紀伊国屋で買ったばかり、大好きな雑誌「婦人公論」を持ち込み、
温かい湯の中に、そっと腰を下ろす。。。
ああ、極楽...
うちにはバスルームが2つある。
私たち夫婦が使う「マスター・バスルーム」と
マイケルが使う、ちょっと小さめの「ゲスト・バスルーム」
どちらにもちゃんとバスタブがあるが、うちでお風呂につかるのは私だけだ。
相方もマイケルも、専らシャワーのみ。
マスター・バスルームは私たちの寝室(マスター・ベッドルーム)に付随している。
なのでお風呂に入る時、つまり自分のバスルームに向かう時には
どうしても寝室を通らないといけない。
相方はすでに寝ていることが殆どなので、彼を起こさないようにそ〜っと寝室をぬけて
バスルームに入る。
先日お話した「寝顔」も、実は「お風呂タイム」の前後に見ることが多い。
ところで日本ではお風呂で読書したい時など、本はどこに置くんだろう?
お風呂の「フタ」だろうか?
日本の浴槽にはちゃんと「フタ」があるもんね。
夫を初めて鹿児島の実家に連れて行った時、
なんでバスタブに「フタ」があるの??? と聞かれたっけ。
日本では家族間で浴槽のお湯はシェアするんだよ。だからお湯の温度が冷めないように。
と説明すると
え〜〜、うそー! それって汚くなーい?!
という反応が、私の学生からもいつも出る。
だ・か・ら〜、浴槽の中で体洗ったりしないんだってば
と説明しながら
こんなトコにも生活習慣の違いがあるよなあ〜と、改めて思ったりする。。。
はい、私はこのバスタブの中で、体も洗うしシャンプーもするのです。
そして自分が出るときは、このお湯は全てはかしてしまうのだ。

アメリカで暮らすようになってから色々なことに順応してきたが
この国の「お風呂」だけは、どうしても好きになれない。
どうしても日本のお風呂
が、いい。
そう夫に告げると
日本式のお風呂がある家を、建ててあげる
とのこと。
宝くじに当たったらね
だーって
というか、
半身浴しかできない。
だって、
浴槽がこんなに浅いんですもん。。。
ということで、
先日のブログのお答え、floorさん大正解〜〜

これは↓
バスタブに掛けるラック Bathtub Caddy でした。

「日本語で何ていうのかなあ〜」って思ってたのだけど
お風呂快適グッズ なんて
ピッタリのネームングまでいただいて、感謝です!
ちまたには、こんなのや

こんなのが出回っているが

私はこの竹製のやつが欲しくて、ずっと探しまわっていた。
今回やっとそれを見つけて、昨夜は早速
「快適、お風呂タ〜イム

アメリカはシャワーで済ませる人が大半だけど、
私はどうしても、せめて週に2、3回はお湯につからないとダメなタイプ。
これは、冬が寒いシアトルに越してきたからという訳ではなく、ハワイにいる時からの習慣なのです。お風呂に入らない日が続くと途端に体調が悪くなり、へたすると仕事にも支障が出てたので、「シャワー」ではなく「お風呂」は健康維持のためにも必須だった。
でもご覧のとおり、アメリカのバスタブでは
なみなみ溢れるお湯に、ゆったり肩までつかる〜 ということができない。
有無を言わさず「半身浴」となる。
それで湯冷めをしないため、体の芯から温まるためには
かなり長時間お湯につかっていないといけない。
結果、私にとってお風呂タイムは = 長ーい「読書タイム」となるのだった。
いつも本やら雑誌やら水やら、時にはビール

色んな物をバスルームに持ち込むので、ずっとこの Bathtub Caddy が欲しいなあ〜と思っていた。
お湯にはいつもこれ↓を入れる。
「バスソルト」なんてシャレたものじゃあ、ありません。
スーパーで買った「粗塩」、しかも韓国製。3ドルもしなかった。
昨夜はそれに、鹿児島の母が送ってきてくれたこれ↓も入れてみた。
香りだけでも、日本の温泉気分〜〜

新しい Caddyをバスタブに掛け、
こちらも先日シアトルの紀伊国屋で買ったばかり、大好きな雑誌「婦人公論」を持ち込み、
温かい湯の中に、そっと腰を下ろす。。。
ああ、極楽...
うちにはバスルームが2つある。
私たち夫婦が使う「マスター・バスルーム」と
マイケルが使う、ちょっと小さめの「ゲスト・バスルーム」
どちらにもちゃんとバスタブがあるが、うちでお風呂につかるのは私だけだ。
相方もマイケルも、専らシャワーのみ。
マスター・バスルームは私たちの寝室(マスター・ベッドルーム)に付随している。
なのでお風呂に入る時、つまり自分のバスルームに向かう時には
どうしても寝室を通らないといけない。
相方はすでに寝ていることが殆どなので、彼を起こさないようにそ〜っと寝室をぬけて
バスルームに入る。
先日お話した「寝顔」も、実は「お風呂タイム」の前後に見ることが多い。
ところで日本ではお風呂で読書したい時など、本はどこに置くんだろう?
お風呂の「フタ」だろうか?
日本の浴槽にはちゃんと「フタ」があるもんね。
夫を初めて鹿児島の実家に連れて行った時、
なんでバスタブに「フタ」があるの??? と聞かれたっけ。
日本では家族間で浴槽のお湯はシェアするんだよ。だからお湯の温度が冷めないように。
と説明すると
え〜〜、うそー! それって汚くなーい?!
という反応が、私の学生からもいつも出る。
だ・か・ら〜、浴槽の中で体洗ったりしないんだってば
と説明しながら
こんなトコにも生活習慣の違いがあるよなあ〜と、改めて思ったりする。。。
はい、私はこのバスタブの中で、体も洗うしシャンプーもするのです。
そして自分が出るときは、このお湯は全てはかしてしまうのだ。
アメリカで暮らすようになってから色々なことに順応してきたが
この国の「お風呂」だけは、どうしても好きになれない。
どうしても日本のお風呂

そう夫に告げると
日本式のお風呂がある家を、建ててあげる
とのこと。
宝くじに当たったらね
だーって

Posted by レニア at
15:42
│Comments(2)
何でしょう?
2010年12月14日
ほっ、ほっ、ほっ、
ようやく手に入れました。これ↓

ずーっと探していたのだけど、なかなか見つからなくて。
これからの寒い季節、これを使う機会もきっと多いことだろう。
うふふ〜、お楽しみにが増えたよん。

これ、何だかわかりますか?
私が日本にいた頃、お目にかかったことはないのだけど
今じゃ日本でもフツーに出回ってるのかなあ。
ちなみに、このバーの部分は

こんなふうに立てても使えます。

ヒント:
日本で使うには、ちょっとサイズが合わないかも??
ようやく手に入れました。これ↓
ずーっと探していたのだけど、なかなか見つからなくて。
これからの寒い季節、これを使う機会もきっと多いことだろう。
うふふ〜、お楽しみにが増えたよん。
これ、何だかわかりますか?
私が日本にいた頃、お目にかかったことはないのだけど
今じゃ日本でもフツーに出回ってるのかなあ。
ちなみに、このバーの部分は
こんなふうに立てても使えます。
ヒント:
日本で使うには、ちょっとサイズが合わないかも??
Posted by レニア at
09:04
│Comments(7)
雨、涙、そして歌...♪
2010年12月13日
シトシトシト。。。
静かな雨の土曜日だった。
仕事も先週ようやく学期末を迎え、ここ数日は期末テストの採点にかかりきりの私。
学期はじめには75人いた学生のうち、5人が脱落し
期末を受けたのは70人。
英語話者にとって日本語はとにかく難解な言語なので、これはとてもいい生き残り率だ。
今学期の学生は、本当によくがんばった。
9ページある期末試験の最後のページをやっと採点し始めたら、
テスト用紙の終わりに、ちらほらとこんなメッセージを目にするように...。
採点の疲れも吹きとぶ瞬間だ。

前のブログにも書いたと思うけれど、こうやって感謝の気持ちをきちんと言葉にできるこの子たちを、私は「すごいなあ」と思う。
私も彼らぐらい若い時に、このくらい人間が出来ていればよかったのだが。
気がつくと正午を過ぎていた。
外はまだ雨が降り続いている。
仕事から戻った相方と一緒に、午後からある追悼番組を見た。
一ヶ月前に急死した、マリナーズの名アナウンサー
Dave Niehaus (デイブ・ニーハウズ)の追悼番組だ。

マリナーズ設立の1977年からずっと、ラジオの野球中継に携わってきた彼は
地元シアトルの人たちにそれはそれは愛されて
他の、もっとお金のある大きな球団から引き抜きの話があっても
決してシアトルを離れなかったそうだ。
雨の土曜日、マリナーズは球場をファンに開放して
デイブに皆で別れを告げるための式典をそこで行った。
私たちはそのテレビ中継を見た。
まだ75歳だったデイブ。
今シーズンも元気に中継してくれていたのに、まさかの悲報。。。
先月突然、心臓発作で逝ってしまった。
壇上で話している途中泣き崩れてスピーチを中断せざるを得ない著名人も。
50年連れ添った奥様の横顔が何度も画面に映し出される。
彼女はときおりハンカチを目にあてながらも、式典の間じゅう、穏やかな微笑みを絶やさなかった。
50年共に歩んだパートナーを失うって、どういう気持ちだろう。。。
そう思って彼女の横顔を見ていたら、涙が流れた。
たった2年しか彼を知らない私でさえこうなのだから
少年の頃からずっとデイブの実況中継を聞いてきた夫など、なおさらだ。
番組の間じゅうずっと、目を真っ赤にしていた。
My, Oh, My!!
この名文句が来年からもう聞けなくなるとは...
(ちなみに動画↑の最後のほうでチュッとキスしてるのが、奥さんです)
ただ野球を、そしてマリナーズを愛して止まなかったデイブ。
人生に情熱を持ち続けるって、すごいこと。。。
その情熱が、これだけ多くの人に感動を与えつづけた。
そんな一人の、誇り高き男の人生を垣間見せてもらったような
胸が熱くなる数時間だった。
そして、夜。
外はまだ雨が降っていた。
シアトル出身の、男性アカペラグループ
The Coats のコンサートへ。

毎年12月になるとクリスマスコンサートを開く彼ら。
それに足を運ぶのが、こちらも恒例行事になりつつある。
場所も毎年同じ。Beneroya Hall

写真↑奥に見えるここのシャンデリアがとっても変わってて
近くでみると、こんなんです。↓

何に見えます?
去年は「炎」に見えたんだけど
今日は「水」に見えた。
コンサートに来ても、やっぱり飲んでしまう私たち。笑
開始前にシャンパンを一杯
休憩時間にはワインを一杯
いただいた。

彼らのコンサートは歌だけじゃなく笑いもいっぱい
この日は観客をステージに上げて、コーラスに参加させるだけでなく(半ばむりやり?)

この二人に、なんとステージ上でクッキーまで焼かせた。
(後ろにオーブントースターが見えますか?)

ケラケラ笑って
しんみり歌に聞き入って
最後には一緒に歌って
歌って、やっぱりいいよなあ〜。
7時半に始まったコンサートが終わったのは、10時。
2時間以上もアカペラの心地よいハーモニーに包まれて
午後の悲しい気持ちも吹き飛んだ。
会場にあったツリー。

街はどこもかしこもクリスマス一色。
気がつくと、2010年もあと2週間ちょっとで終わりだ。

静かな雨の土曜日だった。
仕事も先週ようやく学期末を迎え、ここ数日は期末テストの採点にかかりきりの私。
学期はじめには75人いた学生のうち、5人が脱落し
期末を受けたのは70人。
英語話者にとって日本語はとにかく難解な言語なので、これはとてもいい生き残り率だ。
今学期の学生は、本当によくがんばった。
9ページある期末試験の最後のページをやっと採点し始めたら、
テスト用紙の終わりに、ちらほらとこんなメッセージを目にするように...。
採点の疲れも吹きとぶ瞬間だ。
前のブログにも書いたと思うけれど、こうやって感謝の気持ちをきちんと言葉にできるこの子たちを、私は「すごいなあ」と思う。
私も彼らぐらい若い時に、このくらい人間が出来ていればよかったのだが。
気がつくと正午を過ぎていた。
外はまだ雨が降り続いている。

仕事から戻った相方と一緒に、午後からある追悼番組を見た。
一ヶ月前に急死した、マリナーズの名アナウンサー
Dave Niehaus (デイブ・ニーハウズ)の追悼番組だ。

マリナーズ設立の1977年からずっと、ラジオの野球中継に携わってきた彼は
地元シアトルの人たちにそれはそれは愛されて
他の、もっとお金のある大きな球団から引き抜きの話があっても
決してシアトルを離れなかったそうだ。
雨の土曜日、マリナーズは球場をファンに開放して
デイブに皆で別れを告げるための式典をそこで行った。
私たちはそのテレビ中継を見た。
まだ75歳だったデイブ。
今シーズンも元気に中継してくれていたのに、まさかの悲報。。。
先月突然、心臓発作で逝ってしまった。
壇上で話している途中泣き崩れてスピーチを中断せざるを得ない著名人も。
50年連れ添った奥様の横顔が何度も画面に映し出される。
彼女はときおりハンカチを目にあてながらも、式典の間じゅう、穏やかな微笑みを絶やさなかった。
50年共に歩んだパートナーを失うって、どういう気持ちだろう。。。
そう思って彼女の横顔を見ていたら、涙が流れた。
たった2年しか彼を知らない私でさえこうなのだから
少年の頃からずっとデイブの実況中継を聞いてきた夫など、なおさらだ。
番組の間じゅうずっと、目を真っ赤にしていた。
My, Oh, My!!
この名文句が来年からもう聞けなくなるとは...
(ちなみに動画↑の最後のほうでチュッとキスしてるのが、奥さんです)
ただ野球を、そしてマリナーズを愛して止まなかったデイブ。
人生に情熱を持ち続けるって、すごいこと。。。
その情熱が、これだけ多くの人に感動を与えつづけた。
そんな一人の、誇り高き男の人生を垣間見せてもらったような
胸が熱くなる数時間だった。
そして、夜。
外はまだ雨が降っていた。

シアトル出身の、男性アカペラグループ
The Coats のコンサートへ。

毎年12月になるとクリスマスコンサートを開く彼ら。
それに足を運ぶのが、こちらも恒例行事になりつつある。
場所も毎年同じ。Beneroya Hall
写真↑奥に見えるここのシャンデリアがとっても変わってて
近くでみると、こんなんです。↓
何に見えます?
去年は「炎」に見えたんだけど
今日は「水」に見えた。
コンサートに来ても、やっぱり飲んでしまう私たち。笑
開始前にシャンパンを一杯

休憩時間にはワインを一杯


彼らのコンサートは歌だけじゃなく笑いもいっぱい

この日は観客をステージに上げて、コーラスに参加させるだけでなく(半ばむりやり?)
この二人に、なんとステージ上でクッキーまで焼かせた。
(後ろにオーブントースターが見えますか?)
ケラケラ笑って
しんみり歌に聞き入って
最後には一緒に歌って
歌って、やっぱりいいよなあ〜。
7時半に始まったコンサートが終わったのは、10時。
2時間以上もアカペラの心地よいハーモニーに包まれて
午後の悲しい気持ちも吹き飛んだ。
会場にあったツリー。
街はどこもかしこもクリスマス一色。
気がつくと、2010年もあと2週間ちょっとで終わりだ。
Posted by レニア at
08:07
│Comments(0)
思い込みの怖さ
2010年12月10日
先日、ある本を読んでいたらこんな一節に出会った。
ある国に健康な体に恵まれた死刑囚がいた。
彼は、ある医師の実験に協力させられることになった。その実験とは
「人間の全血液量は体重の10%と言われているが、本当にそうなのか?」を証明する実験だった。
間もなく実験が始まった。
目隠しをされ、ベッドに横たわった死刑囚は
足の指先に血液を抜きとる器具を付けられ
その足元には抜きとった血を入れる容器が置かれた。
ポタッ、ポタッ、ポタッ...
実験室には血がしたたる音が響きわたる。
死刑囚は一時間ごとに出血量を告げられた。
そして実験開始から5時間が経過し、
「出血量が体重の10%を超えた」と医師が告げたとき
死刑囚は死亡していた。
ところがこの実験にはカラクリがあった。
実は、死刑囚の血は一滴も抜かれていなかったのだ。
ただの水滴が落ちる音を聞かせ、血を抜いていると思わせただけだった。
それなのに死刑囚は「体中の血が抜けて、自分はもうじき死ぬ」と思い込んで
本当に死んでしまったのだ。
日本にも「病は気から」という言葉がある。
「思いこみ」が体に与える多大な影響。。。
昔の人は、これを当たり前のこととして認識していたのかもしれない。
人間の心って、絶大なパワーがあるんだな〜。
すごいと思うし、ある意味、怖くもある。
だから、マイナスの思いこみは抱え込まないに限る。
でもこれって、逆もしかり?
つまり、プラスの思いこみはハッピーを招くっていうことですよね。
自分の今までを振り返って、
「自分が思い描いたような出来事が起こった」という経験は
実は私にもある。
一番最近の例だと、仕事。
まだ相方と遠距離恋愛していた頃、私は一ヶ月に一度くらいの頻度で
ハワイからシアトルまで彼に会いにきていた。
まだ「結婚する」とか「私がシアトルへ移住する」とか
そういう話がでるずーっと前のことだったけれど
ハワイで日本語講師をしていた私を、相方が「こっちの大学がどんな感じか見てみる?」と言って、ドライブがてらある大学のキャンパスに連れていってくれたことがある。
ちょうど春休み中だったので、キャンパスは人影もなく閑散としていたが、
緑いっぱいのその大学に足を踏み入れた時、何だかとっても安らぐ印象を受けたのを覚えている。
ガラーンとした教室内も、いくつか覗いてみた。
そのときふと、
そこの教壇に立って授業をしている自分の姿が
一瞬見えたような気がしたのだ。
それが今勤めている大学だ。
キャンパスを初めて訪れた時から実際に仕事をし始めるまでは、2年くらいの時差があるんですけどね。
アメリカは今までにない不況による就職難に見舞われている。
なので人脈もない新しい土地では、講師の仕事にはまずしばらくはありつけないだろうと思っていた。
それなのに、この大学から仕事の話がきた時は
「うわ〜、まさか本当にやってきたか??」と、心底ビックリ。
都合のよい思い込み
そのパワーって
案外あなどれないかも。。。
たとえイヤな事が起こっても
テキトーに自分の都合の良いふうに解釈して
それを信じちゃえばいい。
妄想もチカラなり。笑
ある国に健康な体に恵まれた死刑囚がいた。
彼は、ある医師の実験に協力させられることになった。その実験とは
「人間の全血液量は体重の10%と言われているが、本当にそうなのか?」を証明する実験だった。
間もなく実験が始まった。
目隠しをされ、ベッドに横たわった死刑囚は
足の指先に血液を抜きとる器具を付けられ
その足元には抜きとった血を入れる容器が置かれた。
ポタッ、ポタッ、ポタッ...
実験室には血がしたたる音が響きわたる。
死刑囚は一時間ごとに出血量を告げられた。
そして実験開始から5時間が経過し、
「出血量が体重の10%を超えた」と医師が告げたとき
死刑囚は死亡していた。
ところがこの実験にはカラクリがあった。
実は、死刑囚の血は一滴も抜かれていなかったのだ。
ただの水滴が落ちる音を聞かせ、血を抜いていると思わせただけだった。
それなのに死刑囚は「体中の血が抜けて、自分はもうじき死ぬ」と思い込んで
本当に死んでしまったのだ。
日本にも「病は気から」という言葉がある。
「思いこみ」が体に与える多大な影響。。。
昔の人は、これを当たり前のこととして認識していたのかもしれない。
人間の心って、絶大なパワーがあるんだな〜。
すごいと思うし、ある意味、怖くもある。
だから、マイナスの思いこみは抱え込まないに限る。
でもこれって、逆もしかり?
つまり、プラスの思いこみはハッピーを招くっていうことですよね。
自分の今までを振り返って、
「自分が思い描いたような出来事が起こった」という経験は
実は私にもある。
一番最近の例だと、仕事。
まだ相方と遠距離恋愛していた頃、私は一ヶ月に一度くらいの頻度で
ハワイからシアトルまで彼に会いにきていた。
まだ「結婚する」とか「私がシアトルへ移住する」とか
そういう話がでるずーっと前のことだったけれど
ハワイで日本語講師をしていた私を、相方が「こっちの大学がどんな感じか見てみる?」と言って、ドライブがてらある大学のキャンパスに連れていってくれたことがある。
ちょうど春休み中だったので、キャンパスは人影もなく閑散としていたが、
緑いっぱいのその大学に足を踏み入れた時、何だかとっても安らぐ印象を受けたのを覚えている。
ガラーンとした教室内も、いくつか覗いてみた。
そのときふと、
そこの教壇に立って授業をしている自分の姿が
一瞬見えたような気がしたのだ。
それが今勤めている大学だ。
キャンパスを初めて訪れた時から実際に仕事をし始めるまでは、2年くらいの時差があるんですけどね。
アメリカは今までにない不況による就職難に見舞われている。
なので人脈もない新しい土地では、講師の仕事にはまずしばらくはありつけないだろうと思っていた。
それなのに、この大学から仕事の話がきた時は
「うわ〜、まさか本当にやってきたか??」と、心底ビックリ。
都合のよい思い込み
そのパワーって
案外あなどれないかも。。。
たとえイヤな事が起こっても
テキトーに自分の都合の良いふうに解釈して
それを信じちゃえばいい。
妄想もチカラなり。笑
Posted by レニア at
09:24
│Comments(4)
寝顔
2010年12月08日
寝ている時って、色んな雑念が体から抜けて魂が純になるのか
誰もが、起きている昼間とは一風違った表情をしている気がする。
普段はちょっと大人ぶって
特に親父に大しては憎まれ口ばっかりたたいてるマイケルも
眠っている時の顔は、まるで天使のよう。。。
普段はきっと
父親であろう、一家の主であろう、男であろうと
がんばってくれている夫も
眠っているときの顔は、まるで赤ちゃんのようだ。
夫は勤務時間の関係で、ベッドに入る時間がとても早い。
そのため、私は彼の寝顔を見る機会がとても多い。
いつも何とも言えない無防備な、清らかな顔をして寝ている夫をじーっと見ていると
自分の内側もシン...と静まって
なんだかずーっと見てしまう。
これがこの人の「素」の顔なんだろうなあ。
おのろけでも何でもなく
純粋に「きれいだなあ」と思う。
私はどんな顔して、眠ってるのだろう。
誰もが、起きている昼間とは一風違った表情をしている気がする。
普段はちょっと大人ぶって
特に親父に大しては憎まれ口ばっかりたたいてるマイケルも
眠っている時の顔は、まるで天使のよう。。。
普段はきっと
父親であろう、一家の主であろう、男であろうと
がんばってくれている夫も
眠っているときの顔は、まるで赤ちゃんのようだ。
夫は勤務時間の関係で、ベッドに入る時間がとても早い。
そのため、私は彼の寝顔を見る機会がとても多い。
いつも何とも言えない無防備な、清らかな顔をして寝ている夫をじーっと見ていると
自分の内側もシン...と静まって
なんだかずーっと見てしまう。
これがこの人の「素」の顔なんだろうなあ。
おのろけでも何でもなく
純粋に「きれいだなあ」と思う。
私はどんな顔して、眠ってるのだろう。
Posted by レニア at
18:28
│Comments(6)
「101回目のプロポーズ」
2010年12月05日
数ヶ月ぶりに日本のDVDレンタル屋さんに行ってみたら
なんとこれを見つけてしまった。
1991年のドラマ
「101回目のプロポーズ」

もう20年ちかく前のドラマだ。
さえない万年係長、星野達郎(武田鉄矢)が
絶世の美女、薫(浅野温子)に恋をする物語。

当時20代前半だった私は
これを「心あたたまるラブコメディー」と思って見ていた記憶がある。
主題歌の「Say Yes」も大ヒットでしたね。
でもそれから何年も経って、色んなことがあって、自分も年を重ねて
今回19年ぶりにこのドラマを見てみて、ビックリ。。。
名台詞のオンパレードだ。
胸に、心に、じんじんじんじん
うわ〜、やばいやばい。
有名な「僕は死にましぇん!」のこのシーンでは、もう号泣。
ほかにも、昔はなんとも思わなかったシーンで何度も目頭が熱くなった。
でも極めつけは、最終話で達郎が弟に語る、このセリフ。↓
俺さ、いつも思ってたんだよな。今度生まれ変わってくるときは
顔もこんなじゃなくて、スタイルもこんなじゃなくてさ
「今の俺じゃない俺」に絶対生まれ変わろうと思ってたんだけどさ、、、
近頃さ、今度生まれ変わってくるときも
また「星野達郎」でいいかな〜なんて思ってるんだ。
薫さん好きになって、
俺、自分のことも少し好きになった。
人をさ、好きになるってことはさ、
愛する人といっしょに自分も変わろうと
祈ることなんじゃないかなあ。。。

自分が、主人公「達郎」と同じ年代になってみて
今回ようやく気がついたけど
人はいくつになっても、変われる
が
このドラマのテーマだったんだなあ。
脚本は誰だあ〜?と思ったら
なんと野島伸司
野島伸司といったら
「愛という名のもとに」とか「高校教師」とか「家なき子」とか
すごく暗くて重いテーマのドラマを書くイメージが強かったけど。。。
そうか〜、「101回...」も彼だったんだと
今回妙に納得してしまった。
彼の作品で忘れられないのは「この世の果て」(94年、鈴木保奈美、三上博史)
「極限の愛」と「自己犠牲」がテーマのこのドラマの印象は強烈で、
今でも当時録画したVHSを、全話持っている。
こちら。
心が迷子になった時期には、ひっぱり出して
何度も何度も見た。
最後に見たのは5、6年前かなあ〜、、、。
今見たら、また感じ方が違うかな?
ビデオテープもかなりすり切れてきたけれど
残念ながらこのドラマはDVD化されていない(はず)。
アメリカのドラマ「glee」なんかも面白いけど
やっぱりこういう日本のドラマって
なんか違う。
なんだろな、、、洗われる感じ。
でも最近は
こういうふうに深く問いかけてくるドラマ
あまりお目にかかれない気がしますね。
なんとこれを見つけてしまった。
1991年のドラマ
「101回目のプロポーズ」
もう20年ちかく前のドラマだ。
さえない万年係長、星野達郎(武田鉄矢)が
絶世の美女、薫(浅野温子)に恋をする物語。

当時20代前半だった私は
これを「心あたたまるラブコメディー」と思って見ていた記憶がある。
主題歌の「Say Yes」も大ヒットでしたね。
でもそれから何年も経って、色んなことがあって、自分も年を重ねて
今回19年ぶりにこのドラマを見てみて、ビックリ。。。
名台詞のオンパレードだ。
胸に、心に、じんじんじんじん
うわ〜、やばいやばい。
有名な「僕は死にましぇん!」のこのシーンでは、もう号泣。
ほかにも、昔はなんとも思わなかったシーンで何度も目頭が熱くなった。
でも極めつけは、最終話で達郎が弟に語る、このセリフ。↓
俺さ、いつも思ってたんだよな。今度生まれ変わってくるときは
顔もこんなじゃなくて、スタイルもこんなじゃなくてさ
「今の俺じゃない俺」に絶対生まれ変わろうと思ってたんだけどさ、、、
近頃さ、今度生まれ変わってくるときも
また「星野達郎」でいいかな〜なんて思ってるんだ。
薫さん好きになって、
俺、自分のことも少し好きになった。
人をさ、好きになるってことはさ、
愛する人といっしょに自分も変わろうと
祈ることなんじゃないかなあ。。。

自分が、主人公「達郎」と同じ年代になってみて
今回ようやく気がついたけど
人はいくつになっても、変われる
が
このドラマのテーマだったんだなあ。
脚本は誰だあ〜?と思ったら
なんと野島伸司

野島伸司といったら
「愛という名のもとに」とか「高校教師」とか「家なき子」とか
すごく暗くて重いテーマのドラマを書くイメージが強かったけど。。。
そうか〜、「101回...」も彼だったんだと
今回妙に納得してしまった。
彼の作品で忘れられないのは「この世の果て」(94年、鈴木保奈美、三上博史)
「極限の愛」と「自己犠牲」がテーマのこのドラマの印象は強烈で、
今でも当時録画したVHSを、全話持っている。
こちら。
心が迷子になった時期には、ひっぱり出して
何度も何度も見た。
最後に見たのは5、6年前かなあ〜、、、。
今見たら、また感じ方が違うかな?
ビデオテープもかなりすり切れてきたけれど
残念ながらこのドラマはDVD化されていない(はず)。
アメリカのドラマ「glee」なんかも面白いけど
やっぱりこういう日本のドラマって
なんか違う。
なんだろな、、、洗われる感じ。
でも最近は
こういうふうに深く問いかけてくるドラマ
あまりお目にかかれない気がしますね。
Posted by レニア at
09:27
│Comments(6)
「感謝祭」と男の料理
2010年12月02日
11月25日は「Thanksgiving Day (感謝祭)」だった。
当日は義兄夫婦の家で夫の家族一同が集まったので、
感謝祭のディナーはそこでいただいた。
写真はその数日後、自宅で3人用に調理した
小さいターキー(七面鳥)の胸肉。

といっても、調理してくれたのは夫。
「肉のかたまり」になると扱い慣れているのは断然彼のほうだ。
ターキーにしろ、ローストビーフにしろ
とても美味しく作ってくれる。
多種の塩、スパイス、鶏ガラスープなどでで下味をつけ
温度計をターキー肉に差し込んで


オーブンに入れる。

「何で味付けしたの?」と聞くと
「ん〜、テキトーに色んなもの混ぜて」とのお返事。
傍らで見ていたが、本当に「テキトー」にこの辺の物をぱらぱらやっていた。

この「テキトー」がいいのかもしれない。
計量しないので、彼の作るものは毎回ビミョーに味がちがう。
二度と全く同じ味にはお目にかかれない。
まさに、男の料理だ。
30分ごとに肉汁をかけながら、できぐあいを確認する。
最初の30分。

その30分後。

そのまた30分後。

待ってる時間が長かったので
キッチンのカウンターで、なんだかんだとしゃべくりながら
二人して(やっぱり)飲んでいた。
今日はビールではなく、アップルサイダーをいただいた。

先日ブログでもお伝えした「Yちゃん」から久しぶりにメールを貰ってから、
ここ数日、やたらとハワイでのどん底の日々を思い出す私。
キッチンで、相方とくだらないことをぺちゃぺちゃ喋りながら
ふと、、、、
今ここに一人ではなく
彼とマイケルと3人でいることに
しみじみ「感謝」の気持ちがわいた。
感謝祭だもんね。。。
今の、この平和な生活に、
家族がいることに
感謝です。
夫が「テキトー」に調理してくれたターキーは

中もとてもジューシーに仕上がっていた。


お肉用のソースは、グレイビーと

クランベリーソースの2種を用意。

定番の「マッシュポテト」と「スタッフィング」も。


いただきます。
手間ひまかけてくれた
美味しいディナーに感謝です。ありがとう。

残りのターキーの骨は「捨てるのもったいないなあ〜」と思って
夫がベッドに入ったあと、夜のうちに4時間煮込んで
スープを作ってみた。
「チキンスープ」ならぬ「ターキースープ」。
初めて挑戦してみたけれど、とてもよいおだしが出て
翌日には野菜タップリの美味しいスープがいただけた。
気がつけば、もう12月だ。
なるべく温かいものをいただいて
この冬も家族そろって病気知らずで乗り越えたい。
当日は義兄夫婦の家で夫の家族一同が集まったので、
感謝祭のディナーはそこでいただいた。
写真はその数日後、自宅で3人用に調理した
小さいターキー(七面鳥)の胸肉。
といっても、調理してくれたのは夫。
「肉のかたまり」になると扱い慣れているのは断然彼のほうだ。
ターキーにしろ、ローストビーフにしろ
とても美味しく作ってくれる。
多種の塩、スパイス、鶏ガラスープなどでで下味をつけ
温度計をターキー肉に差し込んで
オーブンに入れる。
「何で味付けしたの?」と聞くと
「ん〜、テキトーに色んなもの混ぜて」とのお返事。
傍らで見ていたが、本当に「テキトー」にこの辺の物をぱらぱらやっていた。
この「テキトー」がいいのかもしれない。
計量しないので、彼の作るものは毎回ビミョーに味がちがう。
二度と全く同じ味にはお目にかかれない。
まさに、男の料理だ。
30分ごとに肉汁をかけながら、できぐあいを確認する。
最初の30分。
その30分後。
そのまた30分後。
待ってる時間が長かったので
キッチンのカウンターで、なんだかんだとしゃべくりながら
二人して(やっぱり)飲んでいた。
今日はビールではなく、アップルサイダーをいただいた。
先日ブログでもお伝えした「Yちゃん」から久しぶりにメールを貰ってから、
ここ数日、やたらとハワイでのどん底の日々を思い出す私。
キッチンで、相方とくだらないことをぺちゃぺちゃ喋りながら
ふと、、、、
今ここに一人ではなく
彼とマイケルと3人でいることに
しみじみ「感謝」の気持ちがわいた。
感謝祭だもんね。。。
今の、この平和な生活に、
家族がいることに
感謝です。
夫が「テキトー」に調理してくれたターキーは
中もとてもジューシーに仕上がっていた。
お肉用のソースは、グレイビーと
クランベリーソースの2種を用意。
定番の「マッシュポテト」と「スタッフィング」も。
いただきます。

手間ひまかけてくれた
美味しいディナーに感謝です。ありがとう。
残りのターキーの骨は「捨てるのもったいないなあ〜」と思って
夫がベッドに入ったあと、夜のうちに4時間煮込んで
スープを作ってみた。
「チキンスープ」ならぬ「ターキースープ」。
初めて挑戦してみたけれど、とてもよいおだしが出て
翌日には野菜タップリの美味しいスープがいただけた。
気がつけば、もう12月だ。
なるべく温かいものをいただいて
この冬も家族そろって病気知らずで乗り越えたい。
Posted by レニア at
19:16
│Comments(4)