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思い込みの怖さ
2010年12月10日
先日、ある本を読んでいたらこんな一節に出会った。
ある国に健康な体に恵まれた死刑囚がいた。
彼は、ある医師の実験に協力させられることになった。その実験とは
「人間の全血液量は体重の10%と言われているが、本当にそうなのか?」を証明する実験だった。
間もなく実験が始まった。
目隠しをされ、ベッドに横たわった死刑囚は
足の指先に血液を抜きとる器具を付けられ
その足元には抜きとった血を入れる容器が置かれた。
ポタッ、ポタッ、ポタッ...
実験室には血がしたたる音が響きわたる。
死刑囚は一時間ごとに出血量を告げられた。
そして実験開始から5時間が経過し、
「出血量が体重の10%を超えた」と医師が告げたとき
死刑囚は死亡していた。
ところがこの実験にはカラクリがあった。
実は、死刑囚の血は一滴も抜かれていなかったのだ。
ただの水滴が落ちる音を聞かせ、血を抜いていると思わせただけだった。
それなのに死刑囚は「体中の血が抜けて、自分はもうじき死ぬ」と思い込んで
本当に死んでしまったのだ。
日本にも「病は気から」という言葉がある。
「思いこみ」が体に与える多大な影響。。。
昔の人は、これを当たり前のこととして認識していたのかもしれない。
人間の心って、絶大なパワーがあるんだな〜。
すごいと思うし、ある意味、怖くもある。
だから、マイナスの思いこみは抱え込まないに限る。
でもこれって、逆もしかり?
つまり、プラスの思いこみはハッピーを招くっていうことですよね。
自分の今までを振り返って、
「自分が思い描いたような出来事が起こった」という経験は
実は私にもある。
一番最近の例だと、仕事。
まだ相方と遠距離恋愛していた頃、私は一ヶ月に一度くらいの頻度で
ハワイからシアトルまで彼に会いにきていた。
まだ「結婚する」とか「私がシアトルへ移住する」とか
そういう話がでるずーっと前のことだったけれど
ハワイで日本語講師をしていた私を、相方が「こっちの大学がどんな感じか見てみる?」と言って、ドライブがてらある大学のキャンパスに連れていってくれたことがある。
ちょうど春休み中だったので、キャンパスは人影もなく閑散としていたが、
緑いっぱいのその大学に足を踏み入れた時、何だかとっても安らぐ印象を受けたのを覚えている。
ガラーンとした教室内も、いくつか覗いてみた。
そのときふと、
そこの教壇に立って授業をしている自分の姿が
一瞬見えたような気がしたのだ。
それが今勤めている大学だ。
キャンパスを初めて訪れた時から実際に仕事をし始めるまでは、2年くらいの時差があるんですけどね。
アメリカは今までにない不況による就職難に見舞われている。
なので人脈もない新しい土地では、講師の仕事にはまずしばらくはありつけないだろうと思っていた。
それなのに、この大学から仕事の話がきた時は
「うわ〜、まさか本当にやってきたか??」と、心底ビックリ。
都合のよい思い込み
そのパワーって
案外あなどれないかも。。。
たとえイヤな事が起こっても
テキトーに自分の都合の良いふうに解釈して
それを信じちゃえばいい。
妄想もチカラなり。笑
ある国に健康な体に恵まれた死刑囚がいた。
彼は、ある医師の実験に協力させられることになった。その実験とは
「人間の全血液量は体重の10%と言われているが、本当にそうなのか?」を証明する実験だった。
間もなく実験が始まった。
目隠しをされ、ベッドに横たわった死刑囚は
足の指先に血液を抜きとる器具を付けられ
その足元には抜きとった血を入れる容器が置かれた。
ポタッ、ポタッ、ポタッ...
実験室には血がしたたる音が響きわたる。
死刑囚は一時間ごとに出血量を告げられた。
そして実験開始から5時間が経過し、
「出血量が体重の10%を超えた」と医師が告げたとき
死刑囚は死亡していた。
ところがこの実験にはカラクリがあった。
実は、死刑囚の血は一滴も抜かれていなかったのだ。
ただの水滴が落ちる音を聞かせ、血を抜いていると思わせただけだった。
それなのに死刑囚は「体中の血が抜けて、自分はもうじき死ぬ」と思い込んで
本当に死んでしまったのだ。
日本にも「病は気から」という言葉がある。
「思いこみ」が体に与える多大な影響。。。
昔の人は、これを当たり前のこととして認識していたのかもしれない。
人間の心って、絶大なパワーがあるんだな〜。
すごいと思うし、ある意味、怖くもある。
だから、マイナスの思いこみは抱え込まないに限る。
でもこれって、逆もしかり?
つまり、プラスの思いこみはハッピーを招くっていうことですよね。
自分の今までを振り返って、
「自分が思い描いたような出来事が起こった」という経験は
実は私にもある。
一番最近の例だと、仕事。
まだ相方と遠距離恋愛していた頃、私は一ヶ月に一度くらいの頻度で
ハワイからシアトルまで彼に会いにきていた。
まだ「結婚する」とか「私がシアトルへ移住する」とか
そういう話がでるずーっと前のことだったけれど
ハワイで日本語講師をしていた私を、相方が「こっちの大学がどんな感じか見てみる?」と言って、ドライブがてらある大学のキャンパスに連れていってくれたことがある。
ちょうど春休み中だったので、キャンパスは人影もなく閑散としていたが、
緑いっぱいのその大学に足を踏み入れた時、何だかとっても安らぐ印象を受けたのを覚えている。
ガラーンとした教室内も、いくつか覗いてみた。
そのときふと、
そこの教壇に立って授業をしている自分の姿が
一瞬見えたような気がしたのだ。
それが今勤めている大学だ。
キャンパスを初めて訪れた時から実際に仕事をし始めるまでは、2年くらいの時差があるんですけどね。
アメリカは今までにない不況による就職難に見舞われている。
なので人脈もない新しい土地では、講師の仕事にはまずしばらくはありつけないだろうと思っていた。
それなのに、この大学から仕事の話がきた時は
「うわ〜、まさか本当にやってきたか??」と、心底ビックリ。
都合のよい思い込み
そのパワーって
案外あなどれないかも。。。
たとえイヤな事が起こっても
テキトーに自分の都合の良いふうに解釈して
それを信じちゃえばいい。
妄想もチカラなり。笑
Posted by レニア at
09:24
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