変わりゆく自分
2013年05月14日
有賀と語じゃいます。先生。
私はいま宿題をしています。有賀と語じゃいます。
ある日学生から、
「先生、私は今日病気です。クラスに行けません。すみません」とメールが来た。
それに対して
そうですか。たいへんですね。今日のしゅくだいは○と○です。はやく元気になってください。
と日本語で返事をした。
それに来た返事が、上の「有賀と語じゃいます」。
Hさん、日本語2学期目なのだけど、
がんばって日本語で返信しようとしてくれて
でも「ありがとう」を「ありがと」とタイプした結果
「有賀と」と、なってしまい
しかも
相変わらず「ざ」の発音が「じゃ」になってしまったので(母国語は韓国語)
変換ミスの結果
「ありがとうございます」となるところが
「有賀と語じゃいます」になってしまった模様。
これが10年前の私なら
「はぁ〜〜あれだけ言ったのに、発音まだ直ってない。。。」
と、落胆のほうが大きかったことだろう。
いまは
「かわいいなあ」 と、思ってしまう。
変換ミスも恐れず、しかも体調が万全でない時に
私が日本語で送ったメールに、一生懸命、日本語で応えてくれたんだなあと思う。
彼女のその意思のほうを、尊いなあと思う。
皆さんは、
昔の自分を振り返って、
今の自分からすると、なんだか別人みたい
という感覚を覚えたことがあるだろうか。
そもそも、自分としての「一番古い記憶」というのは、
何歳ぐらいのことだろうか。
私はというと、9歳(小3)ぐらいからの記憶なら鮮明にある。
日々何を感じていて、何がイヤで、何が嬉しかったかも
よく覚えている。
ときどき
10代、20代、30代の、自分を
思い出してみることがある。
今の自分と比較すると
なんだろう、「全く、別人みたいだなぁ〜。。。」と思うことがある。
「なんで、あんな事言ったんだろう??なんであんな事したんだろう??」と
自分のことなのに、全く理解に苦しむという記憶もある。
でもそれも全て「自分」なのだ。
そんな不可解な感覚、、、
皆さんも味わったことがあるだろうか。
毎年、誕生日に本を贈ってくれる日本のお友達がいる。
徳島に住む古い友人だ。
今年は「何が読みたい?」とあらかじめリクエストを聞いてくれたので
お言葉に甘えて「これが読みたいな」と言ったら
その同じ著者の作品を、3冊もまとめて送ってくれた。。。
ありがとう。感謝感激。

もともとリクエストした一冊は、これだった。「天国の五人」
帯にある「ムダな人生なんて、ひとつもない」という言葉が
とりわけ今の私には深く響いた。

主人公「エディ」が死んだところから始まる、このストーリー。
死んだ人が、死んだ後で「五人」の人に天国で会うという物語。
それは必ずしも故人が会いたかった人とは限らず
でも
故人の「たった今終わった人生」に 果たしてどんな意味があったのか?
それを理解するのを、手助けしてくれる人たちだった。
まずは、この一冊を手に取った。
一気に読んでしまいたい気持ちを抑えて(仕事がたまっていたので)
4日間ぐらいに分けて、少しずつ、読んだ。
読み終わった後の私は、明らかに
読む前の私とは違っていた。
その時、思ったのだ。
そう言えば、私
2週間まえ
1週間まえ
そして3日前の私とも、ちょっと違うかもしれないと。
知っていることの絶対量が違う。
ものの見方が違う。
感じ方が違う。
以前は見えなかったものが、今はちょっとだけ見えるようになっている。
ただ、何となしに毎朝起きて、仕事に行って、人に会って
そうして、昨日と同じ日常を繰り返しているだけなのだけど
それでも心は何かを吸収して、
少しずつ進化していってるのかもしれない。
例えば、ある人とランチを共にして、一時間おしゃべりをしたら
その後は知っていることが増えていた。
または
ある一冊を読んで、深く感じ入り
それを読み終えたころには、自分の感じ方が変わっていた。
などなど。。。
こうして私たちは進化を繰り返し
たとえば70代になったころには、40代の今の自分を振り返って
何ておバカなことを...なんて
考えているのだろうか。
40代の今は今で、
今を 精一杯を生きているのだけれど
でも70代になった頃には、今を振り返って
「なんて幼い。。。」と思える自分でありたいなあ、なんて思う。
老いてしまったけれど
あの頃の、未熟な自分に戻るぐらいなら
今の老いぼれのままでいいやと
そう思える自分でありたいなと...
何だか最近 そういうことを
願ってしまう。
私はいま宿題をしています。有賀と語じゃいます。
ある日学生から、
「先生、私は今日病気です。クラスに行けません。すみません」とメールが来た。
それに対して
そうですか。たいへんですね。今日のしゅくだいは○と○です。はやく元気になってください。
と日本語で返事をした。
それに来た返事が、上の「有賀と語じゃいます」。
Hさん、日本語2学期目なのだけど、
がんばって日本語で返信しようとしてくれて
でも「ありがとう」を「ありがと」とタイプした結果
「有賀と」と、なってしまい
しかも
相変わらず「ざ」の発音が「じゃ」になってしまったので(母国語は韓国語)
変換ミスの結果
「ありがとうございます」となるところが
「有賀と語じゃいます」になってしまった模様。
これが10年前の私なら
「はぁ〜〜あれだけ言ったのに、発音まだ直ってない。。。」
と、落胆のほうが大きかったことだろう。
いまは
「かわいいなあ」 と、思ってしまう。
変換ミスも恐れず、しかも体調が万全でない時に
私が日本語で送ったメールに、一生懸命、日本語で応えてくれたんだなあと思う。
彼女のその意思のほうを、尊いなあと思う。
皆さんは、
昔の自分を振り返って、
今の自分からすると、なんだか別人みたい
という感覚を覚えたことがあるだろうか。
そもそも、自分としての「一番古い記憶」というのは、
何歳ぐらいのことだろうか。
私はというと、9歳(小3)ぐらいからの記憶なら鮮明にある。
日々何を感じていて、何がイヤで、何が嬉しかったかも
よく覚えている。
ときどき
10代、20代、30代の、自分を
思い出してみることがある。
今の自分と比較すると
なんだろう、「全く、別人みたいだなぁ〜。。。」と思うことがある。
「なんで、あんな事言ったんだろう??なんであんな事したんだろう??」と
自分のことなのに、全く理解に苦しむという記憶もある。
でもそれも全て「自分」なのだ。
そんな不可解な感覚、、、
皆さんも味わったことがあるだろうか。
毎年、誕生日に本を贈ってくれる日本のお友達がいる。
徳島に住む古い友人だ。
今年は「何が読みたい?」とあらかじめリクエストを聞いてくれたので
お言葉に甘えて「これが読みたいな」と言ったら
その同じ著者の作品を、3冊もまとめて送ってくれた。。。
ありがとう。感謝感激。

もともとリクエストした一冊は、これだった。「天国の五人」
帯にある「ムダな人生なんて、ひとつもない」という言葉が
とりわけ今の私には深く響いた。

主人公「エディ」が死んだところから始まる、このストーリー。
死んだ人が、死んだ後で「五人」の人に天国で会うという物語。
それは必ずしも故人が会いたかった人とは限らず
でも
故人の「たった今終わった人生」に 果たしてどんな意味があったのか?
それを理解するのを、手助けしてくれる人たちだった。
まずは、この一冊を手に取った。
一気に読んでしまいたい気持ちを抑えて(仕事がたまっていたので)
4日間ぐらいに分けて、少しずつ、読んだ。
読み終わった後の私は、明らかに
読む前の私とは違っていた。
その時、思ったのだ。
そう言えば、私
2週間まえ
1週間まえ
そして3日前の私とも、ちょっと違うかもしれないと。
知っていることの絶対量が違う。
ものの見方が違う。
感じ方が違う。
以前は見えなかったものが、今はちょっとだけ見えるようになっている。
ただ、何となしに毎朝起きて、仕事に行って、人に会って
そうして、昨日と同じ日常を繰り返しているだけなのだけど
それでも心は何かを吸収して、
少しずつ進化していってるのかもしれない。
例えば、ある人とランチを共にして、一時間おしゃべりをしたら
その後は知っていることが増えていた。
または
ある一冊を読んで、深く感じ入り
それを読み終えたころには、自分の感じ方が変わっていた。
などなど。。。
こうして私たちは進化を繰り返し
たとえば70代になったころには、40代の今の自分を振り返って
何ておバカなことを...なんて
考えているのだろうか。
40代の今は今で、
今を 精一杯を生きているのだけれど
でも70代になった頃には、今を振り返って
「なんて幼い。。。」と思える自分でありたいなあ、なんて思う。
老いてしまったけれど
あの頃の、未熟な自分に戻るぐらいなら
今の老いぼれのままでいいやと
そう思える自分でありたいなと...
何だか最近 そういうことを
願ってしまう。
Posted by レニア at 16:11│Comments(6)
│ふと思うこと
この記事へのコメント
Posted by 幸 at 2013年05月14日 16:51
こんばんは。はじめまして…
って、訳でもないのですが…前に一度、Facebookを通じて『妻の祈り』の時にコメントさせてもらったのですが…
あれ以来、ブログを読ませてもらってます。
今回、『変わりゆく自分』とゆう事について、素晴らしい事だと思いました。
自分の変化に気付いた、自分が変わったとゆうことは、人生の経過の中で自分自身が成長していくとゆう事だと思います。
成長するとゆうことは、日々、自分に向き合い自分を改善するとゆう表れではないでしょうか。
自分自身が変わらない、自分を変えきれないのは自分自身に満足し、その上を望まないのかもしれません。
実は、私自身が幼い頃からの考えや変化を実感しないのです。
結婚をし、2人の可愛い子供も授かりました。
ですが、夫婦仲の関係がもつれたころ、ODで自殺未遂をしてしまいました。
私の異様な態度に不審に思った友人が駆け付けて助けてくれました。
今ではその事を後悔しているのですが、なんとなく不安な気持ちを抱きながら日々を暮らしています。
また同じ事の繰り返しにならないだろうか心配です。
できれば自分自身に向き合い、自分自身を成長させたいと思っているのですが…
って、訳でもないのですが…前に一度、Facebookを通じて『妻の祈り』の時にコメントさせてもらったのですが…
あれ以来、ブログを読ませてもらってます。
今回、『変わりゆく自分』とゆう事について、素晴らしい事だと思いました。
自分の変化に気付いた、自分が変わったとゆうことは、人生の経過の中で自分自身が成長していくとゆう事だと思います。
成長するとゆうことは、日々、自分に向き合い自分を改善するとゆう表れではないでしょうか。
自分自身が変わらない、自分を変えきれないのは自分自身に満足し、その上を望まないのかもしれません。
実は、私自身が幼い頃からの考えや変化を実感しないのです。
結婚をし、2人の可愛い子供も授かりました。
ですが、夫婦仲の関係がもつれたころ、ODで自殺未遂をしてしまいました。
私の異様な態度に不審に思った友人が駆け付けて助けてくれました。
今ではその事を後悔しているのですが、なんとなく不安な気持ちを抱きながら日々を暮らしています。
また同じ事の繰り返しにならないだろうか心配です。
できれば自分自身に向き合い、自分自身を成長させたいと思っているのですが…
Posted by 沖縄人 at 2013年05月15日 04:06
幸さん、
お久しぶりです。外見の変化(老化)なら日々顕著に感じているのですけどね(笑)
内面の感じ方の変化というのは、自覚した時にはちょっと不思議な感じがしました。
それまでは「自分は昔とあまり変わってない」という認識が強くありましたから、過去の自分を思い出して「あれも私???」という感覚は、何と言うかすごく...不思議&不可解でした。
私が変なのかな?とも思ったのですが、この現象を「シフト」という言葉で解説してる方が既にいらしたのですね。
幸さんのコメントのお陰でまたひとつ新しいことを学んだ私になりました:)
お久しぶりです。外見の変化(老化)なら日々顕著に感じているのですけどね(笑)
内面の感じ方の変化というのは、自覚した時にはちょっと不思議な感じがしました。
それまでは「自分は昔とあまり変わってない」という認識が強くありましたから、過去の自分を思い出して「あれも私???」という感覚は、何と言うかすごく...不思議&不可解でした。
私が変なのかな?とも思ったのですが、この現象を「シフト」という言葉で解説してる方が既にいらしたのですね。
幸さんのコメントのお陰でまたひとつ新しいことを学んだ私になりました:)
Posted by レニア
at 2013年05月17日 14:33

沖縄人さん、
「自分自身を成長させたい」というコメントをお読みする限り、沖縄人さんはご自身のことを客観的に見据える目をお持ちの方だと思います。幼い頃からの考え方や変化を実感できないということですが、本当にそうである人はその事に気付きさえしないと思うのです。沖縄人さんは充分にご自身と向き合ってらっしゃると思いますよ。
今回は自分の変化に気付いて「ちょっとビックリ」という事を書かせて頂きましたが、必ずしも「変化すること=良いこと」とは限らないと思うのです。私はかつてとても自分に近かった人が10年ぐらいのスパンで様変わりしてしまい、崇拝して止まなかった澄んだ瞳まで失ってしまうのを目の当たりにしたことがあります。外界から様々な影響を受けてそれを糧に成長するのはとても大事なこと。でも同時に「これが自分だ」という核の部分を持ち続けることも、とても大切だと思うのです。
ご主人様との関係でとても辛い思いをされたとのこと。追いつめられるほど沖縄人さんはご主人様との日々を大切に思ってらしたのですよね。人間は追いつめられると衝動的な行動に出てしまうことがあります。私も経験があるので分かります。それだけ苦しかったのだと思って、そんなご自身をどうか許してあげて下さい。
私はどこか冷めたところがありまして、自分のことも冷ややかな目でちょっと離れたところから客観的に見てしまう面があります。それが今回の「変化」にも気付いた所以だと思いますが、相方にはいつも「君は自分に厳しすぎる」と叱られます。
沖縄人さんはきっと真面目で真摯な、まっすぐな方なんだと思います。「自分を成長させたい」というお言葉には、沖縄人さんのご自身に対するまっすぐな姿勢が現れています。不安に思うことは何もありません。辛い時は「辛いから助けて」と言ってください。そしてご自身をまんま受け入れて、(これは私の課題でもあるのですが)お互い「ゆるゆる」目指していきましょう!コメントどうもありがとうございました。
「自分自身を成長させたい」というコメントをお読みする限り、沖縄人さんはご自身のことを客観的に見据える目をお持ちの方だと思います。幼い頃からの考え方や変化を実感できないということですが、本当にそうである人はその事に気付きさえしないと思うのです。沖縄人さんは充分にご自身と向き合ってらっしゃると思いますよ。
今回は自分の変化に気付いて「ちょっとビックリ」という事を書かせて頂きましたが、必ずしも「変化すること=良いこと」とは限らないと思うのです。私はかつてとても自分に近かった人が10年ぐらいのスパンで様変わりしてしまい、崇拝して止まなかった澄んだ瞳まで失ってしまうのを目の当たりにしたことがあります。外界から様々な影響を受けてそれを糧に成長するのはとても大事なこと。でも同時に「これが自分だ」という核の部分を持ち続けることも、とても大切だと思うのです。
ご主人様との関係でとても辛い思いをされたとのこと。追いつめられるほど沖縄人さんはご主人様との日々を大切に思ってらしたのですよね。人間は追いつめられると衝動的な行動に出てしまうことがあります。私も経験があるので分かります。それだけ苦しかったのだと思って、そんなご自身をどうか許してあげて下さい。
私はどこか冷めたところがありまして、自分のことも冷ややかな目でちょっと離れたところから客観的に見てしまう面があります。それが今回の「変化」にも気付いた所以だと思いますが、相方にはいつも「君は自分に厳しすぎる」と叱られます。
沖縄人さんはきっと真面目で真摯な、まっすぐな方なんだと思います。「自分を成長させたい」というお言葉には、沖縄人さんのご自身に対するまっすぐな姿勢が現れています。不安に思うことは何もありません。辛い時は「辛いから助けて」と言ってください。そしてご自身をまんま受け入れて、(これは私の課題でもあるのですが)お互い「ゆるゆる」目指していきましょう!コメントどうもありがとうございました。
Posted by レニア
at 2013年05月17日 15:15

こんにちは。
そちらの日記をたまたま発見してすごく共感するものがあり、なんだか一人で感動してます。私もアメリカに住んでいます。
アメリカ滞在が長過ぎでこのまま日本に帰れずここで死んでしまうのかと思うと非常に落ち込むことが多いです。常に心の奥にストレスをかかえ体調が悪い状態です。。。
この悩みは一生自分一人でかかえていくしかないのかな。
お互い頑張りましょうね。
そちらの日記をたまたま発見してすごく共感するものがあり、なんだか一人で感動してます。私もアメリカに住んでいます。
アメリカ滞在が長過ぎでこのまま日本に帰れずここで死んでしまうのかと思うと非常に落ち込むことが多いです。常に心の奥にストレスをかかえ体調が悪い状態です。。。
この悩みは一生自分一人でかかえていくしかないのかな。
お互い頑張りましょうね。
Posted by のんのん at 2013年08月10日 02:58
のんのんさん、
初めまして。共感して下さることが多くあったなんて嬉しいです。のんのんさんも在米年数が長いようですが、境遇が似ているので感じ入り方も似てるのかもしれませんね。
私も昔は「いずれは日本へ」と思っていたのですが、こちらで家族ができてしまったのでその可能性はゼロに等しくなりました。のんのんさんもこちらにご家族がいらっしゃるか何かで、日本に帰れない事情がおありなのでしょうか。私も今は元気で働けているのでいいですが、先々歳をとって伴侶に先立たれた日には...なんてよく考えます。のんのんさんのお気持ち分かります。ボケたら英語も忘れるかもなあ〜なんて思ったりします(苦笑
その頃のんのんさんがまだアメリカにいらっしゃったら茶飲み友達になってください。スカイプで?(笑
人生何が起こるか分かりませんし、きっとのんのんさんに最良のチョイスを人生はこれから用意してくれてると思いますよ。あまり思い悩まれませんように、ご自愛くださいね。コメントありがとうございました。
初めまして。共感して下さることが多くあったなんて嬉しいです。のんのんさんも在米年数が長いようですが、境遇が似ているので感じ入り方も似てるのかもしれませんね。
私も昔は「いずれは日本へ」と思っていたのですが、こちらで家族ができてしまったのでその可能性はゼロに等しくなりました。のんのんさんもこちらにご家族がいらっしゃるか何かで、日本に帰れない事情がおありなのでしょうか。私も今は元気で働けているのでいいですが、先々歳をとって伴侶に先立たれた日には...なんてよく考えます。のんのんさんのお気持ち分かります。ボケたら英語も忘れるかもなあ〜なんて思ったりします(苦笑
その頃のんのんさんがまだアメリカにいらっしゃったら茶飲み友達になってください。スカイプで?(笑
人生何が起こるか分かりませんし、きっとのんのんさんに最良のチョイスを人生はこれから用意してくれてると思いますよ。あまり思い悩まれませんように、ご自愛くださいね。コメントありがとうございました。
Posted by レニア
at 2013年08月10日 13:04

今回の内容、まさに、バシャールで言うところの【シフト】です。
人は毎瞬、毎瞬、違う自分になっている。
変わっていないと思う気持ちが、その現実を継続させている。
みたいな。
それを都度、実感されていて素敵です!