ほめ日記

2013年08月07日

毎日一生懸命がんばっている皆さん


学校で、職場で
自分の居場所に責任をもって
課された任務を、しんどくても精一杯こなして

いっぱいいっぱいの人もいるだろうか。


このブログ、通勤途中の電車の中で
ケータイで読んで下さってる方も多いようだが



私は車社会のアメリカに生きているので
電車にこそ乗らないが

通勤の運転中は、ぐるぐる思考の流れる時間

1日の始まりなら「今日はあれとあれと、あれをしなきゃ」とか
帰り道なら、今日できなかったことの反省点
「あれも出来なかった、これも出来なかった、あ〜私って、ダメダメ人間!」と、
自分に対する不甲斐なさ感が、脳みその中をかけめぐる。

日本人気性だろうか。

どうしても自分の「足りない部分」に注意がいってしまう。

そして自己嫌悪に陥る。



これを読んで下さってる方の中にも、そういう方はいるのでは...?




でも自分に向かう「マイナスの言葉」は、実は脳に大きなストレスを与えるのだそう。





「ほめ日記」というものの存在を、知った。


自分に対する褒め言葉だけを使って書く日記のことだ。




手塚千砂子さんという方が提唱者なのだそうで、

この日記をつけるようになって、
鬱がなおった、不眠が解消された、夫婦関係が改善された、等々の事例を読んだ。







人間の脳みそというのは、ポジティブな「言葉そのもの」に反応するらしく
その言葉が、誰によって発せられたかは認識しない、つまり全く関係なく

たとえ自分が自分に向かって発したほめ言葉でも、
他人に言われたのと同じように「嬉しいな〜」と解釈して
セロトニンやドーパミンを大量分泌するのだそう。

そして
精神が安定する、
「幸せ感」が溢れる、
「元気が出る」というしくみ。


言わば、自分の脳をちょっと上手に騙すテクニックと言えるかもしれない。



基本は「手書き」

その日、どんなに嫌なことがあったとしても
褒められることだけを拾って、日記に綴る。

下手するとネガティブになってしまう記述でも、なるべくポジティブに解釈して書く。

例えば

「なかなか仕事がはかどらなくて、今日は残業になった」 は
「丁寧に仕事をした」

「休みの日は片付けなきゃならないことが山ほどあったのに、結局一日ダラダラ過ごしてしまった」 は
「自分の体をゆっくり休ませてあげることができた」



ほめ上手になるキーワードは、

えらいね〜
すごいよー
よくやった!
立派!
上手上手
頭いいね
優しいね
大人だね
努力してるじゃん
がんばってるね
やればできる!
いいぞ、いいぞー!
さすが!



などなど。



上記のような言葉を、己に向かって発することに
違和感というか、照れ感というか

なんだかムズムズ感を覚えてしまうのは、私だけだろうか。

でも、これができることは非常に有益なことなのだそう。。。





何故なら

自分を褒めることができる人間は、
他人に対しても褒め上手になるから。


他人に対して褒め上手であるということは

それだけ幸せな人をこの世に増やすことになるからだ。




「ほめ日記」 始めてみようかなあ。





がんばってる自分を、誰も認めてくれなくても

「私自身が分かっている。それでいいじゃないか」

それを確認する作業になる。



しかも、そうした思いを敢えて文字化して
記すことによって

後になっても、自分に対するポジティブな言葉を読み返すことができる。

それ自体が元気の素になるかもしれない。


(ここがポイント。あとで自分で読み返して、ハッピーな気分になるような言葉だけを綴ること、だそう)






それにしても




ほめ言葉を聞いた、その脳が
体を安定に導く成分を分泌するということは

人間の体はもともと「ポジティブな言葉」によって最良の状態を維持されるよう、
DNAにプログラムされているということで

それが本当なら

毎日ごはんを食べたいと思ったり、
喉が渇いて、何か飲みたいなーと思ったり、
疲れたな〜眠りたいな〜と感じて睡眠したりするように

自然と「誰かを褒めたいな〜(自分が幸せになるから)」と思えない私たちは

まだまだ、
細胞の進化に心が追いついていない、未開発の存在なのかもしれない。



ちなみに私は、商売柄よく学生の上達を褒める。

褒められた相手は、それはそれは嬉しそうな表情を返してくれ
それを見て私自身も、それはそれは幸せな気持ちになる。


...が、

同じことを自分に対してしようなどとは、思ったこともない。

なんでだろう。。。

まだまだ未発達の人間だからだろうか。





例えば今から300年後の人類は、
己の健康と幸せのために

現代の私たちより、もっとほめ上手な人種になっているのだろうか。


そんな世の中になっていたら、素敵だなあ。

戦争なんて、
もうこの世に存在しなかったりして。

そしてそれこそが、進化した人類の姿だったりして。




でも、300年後の世の中を見る事のない
私も皆さんも

それでも
今は今で、この世の中を
精一杯生きている。

こうして今日という一日を、がんばって生き抜いた。


そんな皆さんとシェアしたいなと思った、
「ほめ日記」というものの存在。



私は、完璧からは程遠い人間だけれども
それでも
褒められる点は、探せばいくつかあるのかもしれない。


それを、他人ではなく
自分が認識することに

もしかしたら意義があるのかもしれない。



自分でみつける、
自分の「褒められる点」 




よかったら皆さんも、今日から探してみませんか。

















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Posted by レニア at 16:37│Comments(2)自分さがし

この記事へのコメント

自分を褒める。。
むずかしいよね。他人の良いところは見つけられても、自分の良いところは見つからない。。
周りの人が褒めてくれても、自分的には"まだまだ"と思ってしまう。
これって日本人特有なのかしら~_~;
私も始めてみようかな「ほめ日記」
でも、私が空に旅立った後、それが読まれるのもな〜
お母さんってナルシストだったんだ!ってなりそう(笑)

心が疲れている時は、褒めて欲しいよね〜
のーてんきな私は普段は何にも考えないんだけれどね。
一度、心の穴見つけちゃうと危険f^_^;
そんな時に「ほめ日記」は役に立ちそう(^^)
猫たちが褒めてくれたら最高なのにな!
Posted by かをり at 2013年08月07日 21:20
かをり姉ちゃん、

本当に自分を褒めるって、むずかしい。
私も、、、例えば今こうしてここに座ってて、今日という日を朝から振り返ってみて「何か褒められるようなことしたかな?」って探してみても、思いつかない。それだけほめ下手なんだなと、それはそれで何だかショック(苦笑)。

日本文化は謙虚であることを重んじるものね。そういう社会で育った私たちだから、自分のいいとこを認識するのに躊躇するのかな。
でも謙虚と卑下の違いってどこにあるんだろうね。少なくとも私はそれがごちゃまぜになってるかも。

「日記」と構えるとハードルが高くなるからとりあえずスケジュール帳か何かに1ー2行、その日気付いた良い点を書き出してみようかなと思ってます。毎日じゃなくていいんだって。「毎日」と決めるとそれが今度はストレスになりそうだし。
書けなかった日に「はぁ〜私ってやっぱり...」が始まって本末転倒。(^^;)

ホント、猫たちが褒めてくれたら最高!凹んだ日も一気に立ち直れそうだね!
Posted by レニアレニア at 2013年08月08日 09:26
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