おへそのつながり

2013年03月21日

悲しい夢をみた。


...という書き出しで
大昔に作文を書いたことがある。


たしか夏休みか何かの宿題だったと思うが

こんな所へ行った、あんな体験をした
そんな一大イベントを書くわけでもなく

私は、その日に見た夢のことを書いた。

高二の時だ。


今思えば、こうして感じたままをブログに綴る感覚だったのだと思う。




当時の担任は国語教師で、女性教員だった。
私の母と同い年だった。
30年近く経ったいまでも交流がある。


作文の内容は、詳しいところは忘れたが
かいつまんで話すとこういう内容だったと記憶している。



悲しい夢をみた。

白い、病室のような部屋に
女性がひとり座っていた。
母だった。

母はきちんと正座をし、ベッドの上に鎮座していた。

私は何か異様な雰囲気を感じ取りながら
恐る恐る母に近づいていって声をかけた。

「お母さん、、、」
「はい。」

「お母さん。」
「どちら様??」

「お母さん、私よ。」
「あらまあ、、、そうですか。」

そう言って母は、にっこりと笑顔を私に返した。

私は背筋がゾーッと凍る感覚を覚えた。

そこでふと、目が覚めた。。。




それ以降、書いたことは全く覚えていないが
目覚めた後に思い返したことを つらつらと綴って
最終的には原稿用紙5枚ほどは書いたと思う。


それが、県の作文コンクールで入賞し
「かごしま」という文集に掲載された。


担任だった国語教師のM先生は、翌年私が高三の時も引き続き担任となり
その年の私の作文にも多大な期待を寄せて下さったが

その年に書いたものは、内容があまりにも暗く
(確か父のことを書いたと記憶しているが)


「ご家庭で何かありましたか?」と

母が学校に呼び出されたぐらい(笑)

(私はその事を、卒業後数年たって母が話してくれるまで全く知らなかった)

結局、その年の作文コンクールへの出展は見合わされた。





この世に生を受けて、まだ17〜18年という時だ。


それまで当たり前にあった「親」という存在

血縁という存在が
いかに自分の心の安定に影響を及ぼしているのか

そういうことを改めて認識し始めた時期であったのだと思う。


その事に対する驚きと畏敬の念をこめて

高二の時に書いたその作文は

「おへそのつながり」と題した。





さて、自分がその当時の両親と同じような年齢になり
今振り返って思うことは

ん〜〜、、、ちょっと違ったかな? ということ。





「絆」を築いてゆくもの

それは、必ずしも血のつながりではなく

共に過ごした時間なのではないかな?ということだ。


先日、授業中に学生からある質問を受けて、
改めてその事に気付かされた。



学生: 先生、日本では親子の間でハグしたり「I love you」と言ったりしないって、本当ですか?

私: ん〜、、、そうねー、最近では若いお父さんとお母さんが幼い我が子をハグしたりはあるかもしれないけれど、成人した子供にハグとか「I love you」は一般的に無いと思います。

学生: じゃあ、先生のお父さんとお母さんは?

私: 私も生まれてこのかた、両親にハグされたり「I love you」と言われたりしたことは、一度もないです。

学生: それでどうやって自分は親に愛されてるって分かるんですか???

私:(ちょっとしばらく考えました)...一緒に過ごした時間かなあ。。。共に暮らして自然と感じ取ったというか、、、たとえ「I love you」の言葉は無くても、親は本当にたくさんの事を私のためにしてくれましたからね。例えば毎朝早く起きて私のためにお弁当を包んでくれたりとか(ここで「弁当とは何か」を説明せねばならず)、そうした毎日のささやかな行為の積み重ねかなあ。

学生一同: (ふ〜ん...という感じで一同沈黙)



何でも言葉で意思表示(表現)することが良しとされているアメリカ。

逆に言うと、表現されない部分を「感じ取る」力(想像力)が弱いのでは無いかと思い
こんな問いを投げかけてみた。


例えばね、彼氏(彼女)に置き換えてみて
いつも「You are so beautiful. I love you so much!」と言葉では言うけれど、いつもデートに遅れてくるような人と、
普段は何も言わないけれど、自分が風邪をひいてゴホゴホいって苦しくて寝込んでいる時に
温かいスープ持参で「すぐ行くよ!」と駆けつけてくれる人と
あなたはどちらに愛を感じる?



すると、「あーはいはい、分かります!!」 の反応。




愛を嗅ぎ分ける本能は、
人種に関わらず皆に均等に備わっている能力のように思う。




さて当時40代だった私の親は
今では70歳を超えた。


親しい友人の中には、既に親御さんを見送った人もいるし

私がその昔夢で見たように
実の親が、子供である自分を
よもや誰だか認識出来ないという実状にある人もいる。


「お母さん」
「はい、どちら様?」
「お母さん、私よ...」
「あらまあ、そうですか。」


これが、現実となる日が

いつか私にも訪れるやもしれぬ。


17歳の頃には、想像だにしなかったことだ。



幸いにも、両親はまだ私のことを覚えていてくれる。

一年に一回も 顔を見せることの出来ないこの親不孝な娘のことを。



この先たとえ、両親が私を認識できない日がやってきたとしても

私が親の愛情を疑うことは無いだろうと思う。



それは一緒に暮らしていた時代に
しっかりと伝えていてくれたから。


実父と実母に、愛され慈しまれて育ったという記憶。
私の人生には 
当たり前のようにあった幸運。


それが、自分という存在を容認するのに
どれだけ大きな役割を担うのか。


それは

そうした幸運に恵まれなかった一人の男の子と暮らしてみて
初めて、痛感したことだった。







「おへそのつながり」

それは、たぶん


単に血のつながりでは ないのだよ。



愛そうという、

強い「決意」のつながりなのだよ。











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Posted by レニア at 18:45│Comments(10)ふと思うこと

この記事へのコメント

レニアの文章は本当に素敵だね。
エッセイを読んでいるような気分にさせてくれるもの。
私は と言うと本を読むのは凄く好きなのに、自分が書くのは苦手なんだよね。
人を惹きつけるような文章を書けた事がない。

家族は不思議だよね。居て当たり前と若い頃は思っていたけれど、私の歳になると、両親揃っていることの方が稀になっている。母には15年、父には12年会えてないけれど、いつも側にいてくれる気がするよ。
娘たちとも一緒に暮らせていないけれど、自分の事より気になっている。照れ臭くって中々思っていることを口にしない、そんなお国柄だけれど、何でも言葉にしても嘘っぽくなってしまう気がする、そんな私はガチガチの日本人だね。
鹿児島は桜がもう、満開かな?こちらもちらほら咲き始めました。都心は満開ですって。
シアトルにも桜の名所有るのかしら?
Posted by かをり at 2013年03月21日 21:09
もうすぐ「おへそのつながり」をドラマに替えてお届けします!!

ちなみにうちの母は「あなたは私の宝物だから」と言ってくれます。
もちろん私も同様です(^.^)
Posted by floor at 2013年03月21日 23:37
レニアさんの言葉は、真っ直ぐに私の心に伝わってきます。
「共に過ごした時間」 
私は子供達と 「共に過ごした時間」を大事にしてきたかなぁ。

一度社会人になった次男が、また大学へ行く為に
その為に一人暮らしするアパートに
今日、荷物を運び入れてきました。

私自身「子離れ」してきたつもりでいましたが
いざ、私と長男と次男、3人で暮らしてきたこの家から
次男が一人、少しだけ遠くへ行ってしまうのは
これほど淋しいものなのかと感じています。

それでも笑顔でエールを送りたいと思っています。
自分の親が、そうしてくれたように。
Posted by shanti at 2013年03月22日 00:12
レニア様の文章の美しさにいつも心に栄養を頂いております。
僕は、ガチガチの日本人ですから言葉にして愛を伝える事は苦手ですが
二人の息子と奥さんには少しでも言葉にして伝えたいとは思っていますが、
不器用でいかんです。
今後も更新を楽しみしています。
Posted by はち at 2013年03月23日 13:35
かをり姉ちゃん、

エッセイみたい??そんな言われると照れてしまうなあ〜。
そう言えば「おへそのつながり」が文集に載った時の論評も「平素な言葉で...」とあったのを思い出します。難しい言い回しでは書けない私なのだけれど、「素敵」だなんて言ってもらえると嬉しいな。
家族というつながりは本当に不思議ですよね。
言葉で伝えることの大切さを否定はしないけれど、言葉だけではないと私も思います。人と人との関係には、言葉を超えたものがあるように感じます。

シアトルにも桜の名所があるのよ〜〜。
「ワシントン大学」のキャンパスです。そろそろ咲き始めたようなので今年も行ってみたいと思います。桜が咲き始めるとそわそわする私も、ガチガチの日本人です(笑
Posted by レニア at 2013年03月23日 16:00
floorさん、

「あなたは私の宝物だから」という文字を、目で追っただけで
涙が出そうになりました。
思春期の多感な乙女だった(?)頃より涙もろい、最近のおばちゃんレニアです。愛情深い、本当にステキなお母様ですね。。。

ドラマの放映まであと一週間ちょっとですね!楽しみ〜〜〜!(といってもシアトルでリアルタイムで見れるわけではないのですが、やっぱり楽しみ)
撮影はもう終わったのかな?今頃は編集で眠る時間もない日々なのでしょうか。
体に気をつけてくださいね。お疲れの出ませんように!
Posted by レニア at 2013年03月23日 16:07
shantiさん、

今回のブログ、読み返して思うこと。。。特に最後の6行は
たぶん自分に向けて書いたのだと思います。
私は息子と共に過ごした時間を、大事にしてきただろうか...
それは、私が毎日自分に投げかけている問いでもあります。
訳の分からぬうちに親になり、迷い悩みながら親をやって、
今も自問自答しています。

次男さんは一度社会人になってから大学に戻ろうと決心されたとのこと。
素晴らしいですね。
アメリカでは一度社会人をやってから大学に戻る人は少なくないです。今学期も私のクラスには40歳の学生がいました。奥さんもお子さんもいるお父さんでした。
人の人生は十人十色ですよね。
誰もが順序どおりのまっすぐな道を歩むわけではないし、回り道には回り道の美しさと意味があると私は思います。(学業の面ではありませんが、私も回り道をたくさんしました。)
shantiさんの息子さんに私もエールを送ります!
私の息子も、かなり長い回り道をしているところ(だと思います)。
彼らよりちょっと長く生きてきた私たちは、忍耐と愛情を持って
見守るしかないのですよね。
shantiさんのおっしゃるとおり、私たちもそうやって見守られてきたのだと思います。
Posted by レニア at 2013年03月23日 16:19
はちさん、

私の文章を「美しい」と言って下さって、とても嬉しいです!
日本語に関しては年々自信がなくなってきていますので、、、(日本語講師をしていて言うべきことではないと思いますが)

海外に出てそろそろ20年になろうとしていますが
私も相変わらずガチガチの日本人です。(苦笑
言葉での表現に関しては、非常に不器用です。
でも言葉にして伝えにくい部分も、分かってほしい人にはその気持ちは伝わるように思います。
はちさんの奥様そしてお子さんも、はちさんと暮らしを共にすることできっと様々な形の愛情をキャッチされてることと思いますよ。
コメントありがとうございました。
Posted by レニア at 2013年03月23日 16:33
さて、自分がその当時の両親と同じような年齢になり
今振り返って思うことは
Posted by クロエスーパー at 2013年06月01日 16:07
クロエスーパーさん、

親子の絆とは必ずしも「血」のつながりではなく
共に過ごした時間によって築かれていくということ...でしょうか。
Posted by レニアレニア at 2013年06月01日 16:25
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