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待つという試練
2013年05月01日
うちのリビングからの眺め。
冬の間はこんなだったのが

気がついたら、こんなことになっていた。

緑、緑、緑。。。

若い頃は大して気にも止めずにいた、季節の変化。
まるで魔法だ...
こんな魔法に魅了されずにいたなんて、
若い頃の自分(特に日本にいた頃の自分)は、
一体他の何に
そんなに気を取られていたのだろうか?...なんて考えてしまう。
「無」に見える状態から
「命」を再現する、自然。
季節感のあまり無いハワイに長く住んでいたせいだろうか
その魔法に、無条件でうっとりしてしまう。

この木々たちは、こうして毎年命の再生を繰り返し
きっと
私がいなくなったずっと後も
変わらずここに立っていることだろう。
ここ3ヶ月程、二人の男性のことがずっと頭から離れなかった。
毎日毎日いつも心にあった。
一人は、父。
もう一人は、息子だ。
2月のある朝に妹から届いた知らせは、実は父の事だった。
大きな病気をした。
一週間の春休みによほど日本へ帰ろうかと思ったが、お金と時間の都合がつかず帰国は叶わなかった。
シアトルから東京まで直行便に乗れたとして10時間。
ロスやサンフランシスコ経由なら15時間はかかるだろう。
そして日本到着と同日に東京から鹿児島までの国内線に乗り換えられたとして、もう2時間半。
同じ日に鹿児島行きに乗りそこねたら、帰路は二日がかりとなる。
故郷は決して近くない。
大学まで地元で出たのに、どうしてこんな遠くに来てしまったんだっけ?
...と
朝通勤の車を運転しながらふと考えている自分が居た。
母、妹とは頻繁に連絡を取っていたが
いかんせん、自分の目で状況を把握できない事に関しては
悪い方向にどんどん想像を膨らませてしまう悪いクセがある私。
父は4月あたまに入ってから手術をし、お陰さまで術後の経過も安定しており
先週無事に退院となった。
まだまだ治療は続くようだが、退院の知らせを聞いてやっと自分の気持ちも安定してきた。
(それまではこうして父のことを文字にすることが何だか怖く感じられた)
そして、息子。
息子は、、、
どこまで行ってしまうのだろうか?という方向へ、今走ってしまっている。
長い長い回り道をしている。
しばらく連絡も取れなかったが
FBにある日、私と夫宛てにメッセージが届いていた。
"I miss you and love you so much.
This is my own battle with myself. Please do not worry."
息子のことを思うと、心配で心が乱れる。
そして腹が立ってくる。
あの子が今感じていることに思いをよせると何だか涙が出て来る。
日常の責務を全うするのに支障を来せないので
普段はなるべく考えないようにしているが、なかなか。
夫は "This is the choice that he made" と言う。
「これはあいつの決めたことだ。
あいつの人生だ。
自分で方向転換しようと思わない限り、周りには何も変えることは出来ない。」
子供がまだ幼くて、全てから守ってやらねばならない時の親の負担も相当なものだと思うが
子供が思春期になり、自分の人生の迷子になり始めたとき
それでもその子を信じて、ただじっと待つということ
その時に親として問われる
忍耐、許容量、信じる力
これも、相当なものだと感じる。
私の人生にある、この二人の男性へと馳せる思いと
日々の忙しさとのバランスを保つ、、、
そこから生じるストレスが、先日の夫婦ゲンカ勃発に繋がったのではないかと実は自分では思っている。
寒く凍える冬も
辛抱強く待っていれば、いつか春がやってくる。
ただ、信じて待つということ。
それは人の人生にも当てはまることだろうか?
己の抱えた問題ならば、己が全力を尽くせば
それなりの結果がついてくる。
でも、自分ではない人間のことは?
あの子が、そのことを分かってくれますように。
あの子が、そのことに気付いてくれますように。
あの子がどうか、長い旅路を終えたあとに
最後には、人生を喜んで迎え入れることが出来ますように。。。
親をやったことのある人なら
多かれ少なかれ、
そんな気持ちになったことがあるのではないだろうか。
ただ信じて「待つ」という試練。
その結果は「私の努力次第!」ではない、という試練。
生まれて初めて経験させてもらっている。
冬の間はこんなだったのが

気がついたら、こんなことになっていた。

緑、緑、緑。。。

若い頃は大して気にも止めずにいた、季節の変化。
まるで魔法だ...
こんな魔法に魅了されずにいたなんて、
若い頃の自分(特に日本にいた頃の自分)は、
一体他の何に
そんなに気を取られていたのだろうか?...なんて考えてしまう。
「無」に見える状態から
「命」を再現する、自然。
季節感のあまり無いハワイに長く住んでいたせいだろうか
その魔法に、無条件でうっとりしてしまう。

この木々たちは、こうして毎年命の再生を繰り返し
きっと
私がいなくなったずっと後も
変わらずここに立っていることだろう。
ここ3ヶ月程、二人の男性のことがずっと頭から離れなかった。
毎日毎日いつも心にあった。
一人は、父。
もう一人は、息子だ。
2月のある朝に妹から届いた知らせは、実は父の事だった。
大きな病気をした。
一週間の春休みによほど日本へ帰ろうかと思ったが、お金と時間の都合がつかず帰国は叶わなかった。
シアトルから東京まで直行便に乗れたとして10時間。
ロスやサンフランシスコ経由なら15時間はかかるだろう。
そして日本到着と同日に東京から鹿児島までの国内線に乗り換えられたとして、もう2時間半。
同じ日に鹿児島行きに乗りそこねたら、帰路は二日がかりとなる。
故郷は決して近くない。
大学まで地元で出たのに、どうしてこんな遠くに来てしまったんだっけ?
...と
朝通勤の車を運転しながらふと考えている自分が居た。
母、妹とは頻繁に連絡を取っていたが
いかんせん、自分の目で状況を把握できない事に関しては
悪い方向にどんどん想像を膨らませてしまう悪いクセがある私。
父は4月あたまに入ってから手術をし、お陰さまで術後の経過も安定しており
先週無事に退院となった。
まだまだ治療は続くようだが、退院の知らせを聞いてやっと自分の気持ちも安定してきた。
(それまではこうして父のことを文字にすることが何だか怖く感じられた)
そして、息子。
息子は、、、
どこまで行ってしまうのだろうか?という方向へ、今走ってしまっている。
長い長い回り道をしている。
しばらく連絡も取れなかったが
FBにある日、私と夫宛てにメッセージが届いていた。
"I miss you and love you so much.
This is my own battle with myself. Please do not worry."
息子のことを思うと、心配で心が乱れる。
そして腹が立ってくる。
あの子が今感じていることに思いをよせると何だか涙が出て来る。
日常の責務を全うするのに支障を来せないので
普段はなるべく考えないようにしているが、なかなか。
夫は "This is the choice that he made" と言う。
「これはあいつの決めたことだ。
あいつの人生だ。
自分で方向転換しようと思わない限り、周りには何も変えることは出来ない。」
子供がまだ幼くて、全てから守ってやらねばならない時の親の負担も相当なものだと思うが
子供が思春期になり、自分の人生の迷子になり始めたとき
それでもその子を信じて、ただじっと待つということ
その時に親として問われる
忍耐、許容量、信じる力
これも、相当なものだと感じる。
私の人生にある、この二人の男性へと馳せる思いと
日々の忙しさとのバランスを保つ、、、
そこから生じるストレスが、先日の夫婦ゲンカ勃発に繋がったのではないかと実は自分では思っている。
寒く凍える冬も
辛抱強く待っていれば、いつか春がやってくる。
ただ、信じて待つということ。
それは人の人生にも当てはまることだろうか?
己の抱えた問題ならば、己が全力を尽くせば
それなりの結果がついてくる。
でも、自分ではない人間のことは?
あの子が、そのことを分かってくれますように。
あの子が、そのことに気付いてくれますように。
あの子がどうか、長い旅路を終えたあとに
最後には、人生を喜んで迎え入れることが出来ますように。。。
親をやったことのある人なら
多かれ少なかれ、
そんな気持ちになったことがあるのではないだろうか。
ただ信じて「待つ」という試練。
その結果は「私の努力次第!」ではない、という試練。
生まれて初めて経験させてもらっている。