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さよなら鹿児島、ただいまシアトル
2013年09月21日
鹿児島最終日。
妹が連れて行ってくれた城山展望台より、市内を見下ろす。

抜ける青空にそびえ立つ、雄々しい桜島。

中央駅前の「若き薩摩の群像」
(今でもつい「西駅」って言ってしまう...苦笑)

今回もラーメンだけは外さなかった。
「でこんちけもん(大根の漬け物)」が一緒に出てくるのが
鹿児島なり。
東京で始めてラーメンを食べた時、どうして大根の漬け物が出てこないのだろうと不思議に思ったものだ。


今回の帰国は、家族と時間を過ごすことが主な目的だったが
それでも一度だけ一人で映画を見に行った。
発券も機械化されてて席も指定で、え〜!とビックリ。

この日は「レディスデー(水曜日)」とやらで1000円なり。
昔は
「日本の映画は高い!!」というイメージがあったが、今ではアメリカとさほど変わらない。
この20年余り、映画館の入場料って変わっていないのではないかな?
映画が終わった後、一杯飲みに立ち寄った居酒屋。(サラリーマンのおじさんみたい?)

今回の帰国で何よりの買い物だったのが
写真左手にある「Kindle」(電子書籍リーダー)
アメリカのAmazonに比べると、日本のAmazonの電子書籍はまだまだ選択肢が少ないが
それでもこれで今までよりずっと日本の書籍が手に入りやすくなる。
故郷での時間はあっという間に過ぎ去った。
シアトルに戻って既に4日。
前回お話した「あれって夢だったのでは?」という不思議感覚をすでに味わっている。
シアトルの自宅は、私が日本へ発ったその日と何ら変わっていなかった。
唯一変わっていたのは 窓から見える色合い。

秋になっていた。
言わなくても 分かってくれているはずだ。
そう期待してしまう気持ちは
「以心伝心」という文化で育ったせいなのか、
なかなか抜けない。
でも今回の帰国で
長年、無沙汰をしていた人達を訪れてみて
言葉で伝えることの大切さを再確認した。
実際会う事は叶わなくても、10数年ぶりにお電話でお話できた人もいた。
私は自分のことを深く恥じている部分があり
「申し訳なくて顔向けできない」という思いから、心の中でずっと気になっていながら
長く遠のいてしまった方々が何人かいた。
先日たずねた古い友人のご両親も、そうした人たちだった。
だが「恥ずかしい」という思いを理由に遠ざかるのは、自分本位なのだと。
友人の両親を例にとれば
こちらが申し訳ないと思うことより
私が今でもお二人の息子を大切な友達だと思っていると
そう伝えることのほうが
ずっと大切なのだと
年を経たせいだろうか。ようやく理解できるようになったのである。
「遅かった」と後悔せずにすんでよかった。
自分が40代半ばなので当たり前なのだが
かつて私の人生にいてくれた多くの人達は
どんどんお年を召している。
自分の両親もしかり。
大切に思っている気持ちは、ためらわず伝えてゆこう。
と、たった今 相方から写メが届く。
どうやらご帰宅のようだ。
"今から帰るよ。駐車場に歩いていったら車のそばに可愛いバニーがいたぞ!
I will see you soon. Love you."

馴染んだ
こんなやり取りのある日常に戻ってきた。
この人にもためらわず伝えていこう。
そろそろ8時だ。
さて朝食の準備にとりかかるとするか。
妹が連れて行ってくれた城山展望台より、市内を見下ろす。
抜ける青空にそびえ立つ、雄々しい桜島。
中央駅前の「若き薩摩の群像」
(今でもつい「西駅」って言ってしまう...苦笑)

今回もラーメンだけは外さなかった。
「でこんちけもん(大根の漬け物)」が一緒に出てくるのが
鹿児島なり。
東京で始めてラーメンを食べた時、どうして大根の漬け物が出てこないのだろうと不思議に思ったものだ。
今回の帰国は、家族と時間を過ごすことが主な目的だったが
それでも一度だけ一人で映画を見に行った。
発券も機械化されてて席も指定で、え〜!とビックリ。
この日は「レディスデー(水曜日)」とやらで1000円なり。
昔は
「日本の映画は高い!!」というイメージがあったが、今ではアメリカとさほど変わらない。
この20年余り、映画館の入場料って変わっていないのではないかな?
映画が終わった後、一杯飲みに立ち寄った居酒屋。(サラリーマンのおじさんみたい?)
今回の帰国で何よりの買い物だったのが
写真左手にある「Kindle」(電子書籍リーダー)
アメリカのAmazonに比べると、日本のAmazonの電子書籍はまだまだ選択肢が少ないが
それでもこれで今までよりずっと日本の書籍が手に入りやすくなる。
故郷での時間はあっという間に過ぎ去った。
シアトルに戻って既に4日。
前回お話した「あれって夢だったのでは?」という不思議感覚をすでに味わっている。
シアトルの自宅は、私が日本へ発ったその日と何ら変わっていなかった。
唯一変わっていたのは 窓から見える色合い。

秋になっていた。
言わなくても 分かってくれているはずだ。
そう期待してしまう気持ちは
「以心伝心」という文化で育ったせいなのか、
なかなか抜けない。
でも今回の帰国で
長年、無沙汰をしていた人達を訪れてみて
言葉で伝えることの大切さを再確認した。
実際会う事は叶わなくても、10数年ぶりにお電話でお話できた人もいた。
私は自分のことを深く恥じている部分があり
「申し訳なくて顔向けできない」という思いから、心の中でずっと気になっていながら
長く遠のいてしまった方々が何人かいた。
先日たずねた古い友人のご両親も、そうした人たちだった。
だが「恥ずかしい」という思いを理由に遠ざかるのは、自分本位なのだと。
友人の両親を例にとれば
こちらが申し訳ないと思うことより
私が今でもお二人の息子を大切な友達だと思っていると
そう伝えることのほうが
ずっと大切なのだと
年を経たせいだろうか。ようやく理解できるようになったのである。
「遅かった」と後悔せずにすんでよかった。
自分が40代半ばなので当たり前なのだが
かつて私の人生にいてくれた多くの人達は
どんどんお年を召している。
自分の両親もしかり。
大切に思っている気持ちは、ためらわず伝えてゆこう。
と、たった今 相方から写メが届く。
どうやらご帰宅のようだ。
"今から帰るよ。駐車場に歩いていったら車のそばに可愛いバニーがいたぞ!
I will see you soon. Love you."

馴染んだ
こんなやり取りのある日常に戻ってきた。
この人にもためらわず伝えていこう。
そろそろ8時だ。
さて朝食の準備にとりかかるとするか。