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Posted by チェスト at

2011年04月17日

水曜日。

ダブルレインボー!




ハワイでは飽きるほど見ていた虹だが
ここ、シアトルでは滅多にお目にかかれず

それがこの日、夫に連れていってもらったレストランで
食事も終わろうというその時に
窓際に、その美麗な姿を現した。




誕生日にダブルレインボーが見れるなんて、、、

この一年は、何か良い事あるかも?

  
Posted by レニア at 17:51Comments(4)

母 

2011年04月17日

火曜日。

朝起きて出勤前にメールチェックすると、鹿児島の母からメールが届いていた。

お誕生日おめでとう。元気ですか?
今年はプレゼントが間に合わなくてごめんね。
2、3日中には荷物送ります。


もう、70歳に手が届こうという女性である。

海外に住む、40を過ぎた娘の誕生日を覚えていて
毎年欠かさず何か贈り物を送ってくれる人である。

自分は、実の母親を亡くしたばかりだというのに。。。


そうか、日本はもう13日だ...

4○年前のこの日、頑固でなかなか出てこない私(娘)に悪戦苦闘して
痛い思いをいっぱいして
母は私を生んでくれたのだった。


母のメールを見るまで、その日の授業のことで頭がいっぱいだった私。
普段は

母として
妻として
教師として

他者をお世話する側にいることが多い今の私だが
忙しい一日の始まりに、ふと「母の娘」に戻って
ホッコリとした気持ちになった一瞬だった。


私の父は典型的な鹿児島の男(?)で
私に対しても「長女」というよりは、むしろ「長男」のように
口で説明する前に、有無を言わさず、まず手が飛んでくるといった按配で
「礼儀」「作法」「自立心」をとことん叩き込まれ
それはそれは厳しく育てられた。

いっぽう母は「菩薩」のような人で
声を荒げて叱られたことも叩かれたことも、一度もない。

妻として、父に相対する母の姿も
幼い頃からずっとこの目で見てきたが
私は正直言って、生まれてこのかた
母ほど辛抱強い人に、お目にかかったことがない。
(母に次いで「辛抱強いなあ〜」と思った人は、夫だが)

友人と話していて、時々
「お母さんと大げんかしちゃって...」なんて
話を聞かされることがある。

私、その感覚だけはよく分からない。

母とケンカするなんて、考えられないからだ。


父とは、ケンカしましたよ〜 (12歳ぐらいまで)
叩かれても殴られても
自分が正しいと思ったことは主張する子供だったもので

おかげさまで、女として

「男性に正論を叩いてはいけない」

ということを
幼くして、学ばせてはもらいました(笑)


しかし
母という人は、私にとって、いつも
労る人、守る人だったので
「こんな言い方したら傷付けちゃうかなあ」と心配することはあっても
彼女と声を荒げて
真っ向からケンカするなんて、想像すらできない、、、

のだけど

大半の人は違うのかなあ。。。

皆さんは、大人になってからも
本気でお母さんとケンカしますか?
  
Posted by レニア at 16:58Comments(6)