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Posted by チェスト at

自分でいる勇気

2018年08月23日

とっても久々のブログ更新です。

シアトル日記「自分でいる勇気」

下のリンクをクリックしてシアトル日記のブログサイトにお越しください。

https://seattlenikki.com/jibun



  
Posted by レニア at 10:17Comments(0)

いま、幸せですか?

2017年04月23日

ブログ更新しました。

シアトル日記「いま、幸せですか?」

http://seattlenikki.com/study-of-happiness


  
Posted by レニア at 05:08Comments(0)

こころの目

2016年07月07日

ブログ更新しました。

シアトル日記「こころの目」
http://seattlenikki.com/kokoronome


  
Posted by レニア at 10:28Comments(0)

深夜のうたごえ

2016年03月06日

ブログ更新しました。

この週末は、この幼い二人のうたごえを聞きながらずっとうウルウルしてます(笑)

http://seattlenikki.com/shinyanoutagoe


  
Posted by レニア at 18:25Comments(0)

傷つくかもしれない

2016年02月29日

数ヶ月ぶりの更新です。

ここのところ大学の仕事と、英語サイトの記事書きに追われていたのですが
日本語だとあっという間に書けてしまいますね。
悲しいかな。。。(苦笑)

http://seattlenikki.com/kizutsukukamo


  
Posted by レニア at 17:10Comments(2)

「シアトル日記」Facebookサイト

2015年10月25日

『シアトル日記』のFacebookを立ち上げました。
よかったら遊びにきてください。

新記事のお知らせも、これからはFacebookのほうでしていきたいと思います。

「Like(いいね)」を頂けると嬉しいです。ありがとうございます。
https://www.facebook.com/seattlenikki


レニア


  
Posted by レニア at 03:10Comments(0)

分類できない

2015年10月20日

ブログ更新しました。

『分類できない』  
Posted by レニア at 10:02Comments(0)

ここにきて... 英語で泣く

2015年10月13日

相変わらず不定期ですみません。。。

2ヶ月ぶりのブログ更新です。

『ここにきて... 英語で泣く』


レニア  
Posted by レニア at 10:45Comments(2)

お引っ越し

2015年08月05日

新しく「シアトル日記」を立ち上げました。

新ドメイン名は、ブログ名そのまんま

http://seattlenikki.com

です。(笑)



チェストブログさんには長いあいだ本当にお世話になりました。ありがとうございます。


この5年で書いた記事が、なんと300近くありました。びっくり!

そのうち各年ごとに数個だけを、一緒に連れていこうと思います。

新しいサイトはまだ完全ではなくて、過去記事も
2010年と、2014年のぶんしか移せていません。

なんせ量があるので読んでいるだけで時間がかかってしまって。。。一体いつのまにこんなに書いたんでしょうね、私。。。

一緒に連れていくか否かも考えあぐねてしまうし (苦笑)

少し時間がかかるかもしれませんが、これから少しずつ移してゆきますね。



新サイトでは記事タイトルをクリックすると、ブログ全体が読めるようになっています。

色々と勉強しながら手を加えているので
このデザインも最終版ではなくて
ある日突然デザインが変わってる!なんてこともあるかもしれませんが、ご了承ください。


ここでご縁があった皆さんと、また新しい場所でお会いできるのを
楽しみにしています。



レニア





  
Posted by レニア at 09:26Comments(6)

思いこみ

2015年07月21日

気がつけばもう7月

ご無沙汰してしまいました。




前回の記事でお伝えしたとおり、春先に少し病気をして
それ以来なんとなく
思いこみをこわして、その先にいってみようかという気持ちが浮上するようになりました。

- この場所以外では生活できない
- この人としか暮らせない
- こういう物は食べられない
- これがなければ生きていけない


過去にそう信じていて、でもふりかえってみれば
自分の思いこみだったということが
私にもいくつもあります。

今回私の中で気になり始めたのは
自分には教える仕事しか出来ない、というもの。
本当にそうなのかな。もしかしたらただの思い込みだったりして?

それで何を思ったかウェブサイトの作り方を独学で勉強し始めました。
本業とそっちの勉強の両立で、ここ数ヶ月はかかりきりだったのですが
いろいろと分かってきたので
そのうち自分のブログサイトもたちあげて
「シアトル日記」は、いずれそちらに移そうと考えています。

その時はまたお知らせいたします。


それからここ数ヶ月
数人の方から、この記事に関するメールが立て続けに届きました。



これに関しても感じ入るところがあって、その事も書きたいのですが
今しばらくは余裕がないので
無事にブログサイトを立ち上げたら書かせていただこうと思います。


Astrology(占星術)によると、この7月は人類全体にとって「心のお掃除」の時期だそうです。
多くの人にとって、大昔の傷
それよりもっと昔の過去生の傷が浮かび上がってきやすいのだとか。

それもあって、上の記事に対してのメールが続いたのかもしれませんね。



なんだか不安、やる気がでない、心配、気持ちが沈む、、、


もしかしたらそう感じてらっしゃいますか?

そういう方は今はあまりムリしないようにしてください。

たまたま今はそういう星回りみたいですが、そうした時期もいずれ過ぎ去っていきます。同じ状態でとどまるものなどこの世にひとつもありませんし、あまり深刻に捉えずに傍観してくださいね。

そして自分のしたい事、いたい場所、一緒にいたい人、食べたい物、聞きたい音楽
そういうものをどうぞ優先してくださいね。

ネガティブに感じている自分を決して否定しないこと。

あ〜、私いま悲しいんだなあ、、、と受け入れて
受け入れたら、手放す。

それだけで「心のお掃除」になるそうですよ。

自分が今どう感じているかに、いつも注意を払ってあげてくださいね。



今年もふるさとには帰れそうにありませんが

家族みんなが健康で
この美しいシアトルの夏を過ごせることに感謝したいと思います。

ではまた近いうちにお会いします。









P. S. ちなみに私が勉強しているコースです。↓
英語が分かる方はどうぞ。参加無料でウェブサイト2つまで作れます。


  
Posted by レニア at 06:12Comments(6)

優しくできる権利

2015年04月04日

2月のある日、バレンタインの話でクラスが盛り上がった。

アメリカと違って、
日本では、女の子が男の子にチョコレートをあげる日
学生の半分が、そのことはすでに知っていたが

それがどういった過程を経て、相手の手に渡るのか

私の時代(笑)の、話をしてやった。

それにはまず、日本の学校では校舎に入るときに
靴を履きかえるところから話さなければならない。

なので、生徒全員に Shoebox(靴箱)が与えられていること。

バレンタインの早朝、お目当て子に直接手渡す勇気のない女の子が
相手の靴箱にそっとチョコレートをしのばせる。

カードを添える子もいれば
自分が誰なのか知られることさえ望まない子もいたり、

登校する男の子たちにとっても
バレンタインの朝、靴箱のとびらを開ける瞬間は
ちょっとドキドキもの。。。(だったんじゃないかな?)

そんな話。

学生は興味津々、目をキラキラさせながら聞いている。


こういう話をすると「先生はどうだったの?」と聞く子が必ずいるので

ついでに

「ひみつ」 という単語も教えてやる(笑)



かつて

思いを寄せる相手と話もできないという時代が、私にもあった。

幼い10代だった頃
ひそかに恋心を抱いていた男子が
部活でひねったとかで、手首に包帯をしていた。
えんぴつを持つのが辛そう。
そんな彼に

「ノート、代わりにとろうか?」 と

言うことさえできない

そんな時代が私にもあった。


そのずっと後になって
生まれて初めて「かれし」と呼べる存在を得たときに
何が一番嬉しかったかって

好きな人に堂々と、優しくしてもいいのだということ。


相手のために何か出来る自分が嬉しくて

あれもやってあげたい
これをしたら喜んでくれるかな

そんな思いで、相手に向き合っていた

あの自分は、どこにいったのだろう...?



今の私は

明らかに、そういう思いで
夫に向き合ってはいないなあと気づく。






さて、その数週間後
救急車でERに担ぎ込まれるという体験をした。

原因は強いウイルス感染による、呼吸困難

その日、相方は夜中から出勤しており家に一人だったので、
おそらく恐怖感も手伝ったと思うのだが
「なんだか息苦しいなあ」という状態から
眠れずに、あれを試したりこれを試したり

そのあいだも私の肺は全力でがんばってくれたが
6時間ほどが経過して
いよいよ、体いっぱいで呼吸しても酸素がうまく体に入ってこない状態になり

「もうダメだ」と、夫にSOS

彼が急きょ仕事をきりあげて家に戻ってきた時には

私はもう動くことも出来ず
床に横たわっていた。
夫はすぐに911をし、私は病院へ運ばれた。


それから数時間のことは、朦朧としていたのでよく覚えていない






次第に意識がはっきりしてきて
最初に思ったことは

「どうしよう、、、救急車に乗っちゃったよ」 
(アメリカの医療サービスは目玉が飛び出るほど、高いのです)


傍らに、人の気配を感じる。


夫だ。


I'm sorry ...

かろうじて発声できるようになった、ぼしょぼしょの声で
まず出た言葉がそれだった。


私の顔をぬっとのぞきこみながら
夫は
その瞳に少し安堵の色をにじませて

Don't worry honey. You are fine now.

と言った。


救急車が、救急車が、と思いながら
"ambulance" という単語が思い出せず

ふたたび

I'm sorry...

とだけ、かろうじて言う私。


夫は言った。

It's ok baby. I am glad I can take care of you.



あ、、、



大昔の私が感じたのと
同じこと





療養中は、知人友人が

お花を届けてくれたり、食事を届けてくれたり
気遣いのメッセージを送ってくれたり

家族だけに限らず、たくさんの人の優しさをかみしめて過ごした


誰かと人生が交わるということは


その人に優しくできる権利を
得たということだ


この世に何十億といる人類のなかで

自分がそれをできる相手は、

一生をかけても、本当に限られた人数だ



人に優しさをもらうと、とても嬉しい。
人に優しさを与えられると、もっと嬉しい。


人間って、支えあうためだけに存在しているのではなく


優しさを与えあう
その喜びを

お互い経験するために


こうして共に
ここに生きているのかもしれない。



今回の一件で、それを学んだ気がする











  
Posted by レニア at 06:19Comments(8)生きる意味

あるあるモードでいこう

2014年12月31日

今年はとうとう一度も帰れなかった
故郷、鹿児島。



関東に住む従姉が、上の動画を教えてくれて
何度も再生して見てしまう。
ちょっと、ホームシックかな。

鹿児島って素晴らしく綺麗な所なのに
宣伝がイマイチ上手じゃないな〜と、昔から思っていた。

しかし従姉が教えてくれたのは、こんなに素敵なサイト。↓
http://kagoshima-kankou.com/Kagoshima.Energetic-Japan/

発信する側にも世代交代があったのだろな。
フレッシュな感性が光る。


遠く離れた場所からこうして映像で見ると、我がふるさとは惚れ惚れするほど美しい。

でも実際に住んでいた頃は
その良さを日々噛みしめて暮らしていたわけではない。
かえって文句のほうが多かったかも。
灰は降るし〜とか、田舎だからあれが出来ない、これも手に入らない〜とか (笑

自分の手の中にあるうちは、ネガティブな面に焦点がいってしまうのは
人間の性だろうか。
それは人に対してもしかり。
失って初めて、その大切さに気づくこともある。

人でも、場所でも、仕事でも、
今日の自分の健康でも

手の中にあるうちに
そのありがたさを噛みしめて
その良さを堪能して
暮らしていけるといい。

誰のためでもない、自分自身の幸せのために。

そういえば「妻の祈り」もそんなお話でしたね。私も今日久しぶりに読んでみました。


感動して共感して、一度あたまで理解しても、
またすぐ忘れちゃう。

日本に帰省したい、あそこにも行ってみたい、あれも新調したい
でも、お金がない

もっとブログ書きたい、手紙も書きたい、友達にも会いに出かけたい
こんなことも習ってみたいな
でも、時間がない

「ない、ない、ない」にフォーカスがいって

不幸せな気持ちになるのは 他でもない自分。


私にとっては制約の多い、単調な日常を
たとえば外から見て

「レニアさんはあんなに美しいシアトルに住んで、これもあってあれもあって、幸せですね」

と言ってくれる人がいる。

いつもメッセージは絶妙のタイミングだ。

「ないない」ネガティブモードから、ぐーっと明るみのほうへ引き戻してくれる。


そうでした、、、自分の手の中にある
今のしあわせ。

手の中にあるうちに
今、楽しもう。



未来には
不安や心配ではなく、好奇心と夢を。

現在には
自分と共に、今あるものの有り難さを。





2015年は、あるあるモードを基本に

突き進んでいきたいと思います。


いつもサポートと、心優しい言葉をありがとうございます。



皆様、どうぞ良いお年をお迎えください。



シアトルより愛と感謝をこめて

レニア
2014年12月30日








  
Posted by レニア at 07:07Comments(8)

変わらないもの

2014年12月27日

もう1ヶ月ほど前になるが、

夫とふたりで懐かしい場所を訪れる機会があった



滞在した宿からは、故郷の桜島フェリーを彷彿させるフェリーの発着所が見えた。






この写真をアップしていて今気づいたけど
自分に関して「変わらないこと」

こうしてパートナーの背中を、黙って後ろから見ていることが昔から多いかもしれない




相手に正面から向き合った瞬間から
本当の自分なんだか、相手に見て欲しい自分なんだか

こんがらがって、何だかわからなくなってしまうでしょう?
でも後ろから見ている間は、素の自分のまんま。




何年も前に、初めて出会った頃の夫は

I won't change (僕は変わらないよ)

と、よく言っていた。


変わらない人間なんていないんだよ、と内心思っていた私は
「あら、そうですか」と受け答えながら
話半分に流していた。


一緒にいる時間が長くなるごとに

この人、いよいよぽよよんドラえもんだ〜と思うことが多々あるが

そのドラえもんが、今でも時々さらりと


「I know who I am, so I won't change」


本当に、さらりと

「今日は金曜日だよ」ぐらいと同じ、当たり前感と、確信をもって
そう言うことがある


「I know who I am, so I won't change」
(自分が何者たるか知ってるから、僕は変わらないよ)


自分の核とのつながりが非常に希薄な私には

なんのこっちゃ??? さっぱり分かんない。

でも

なんだか羨ましかったりもする。
 


さて、「変わらないよ」と言っていた彼だが
知り合ってからの年月のなかで、果たして変わったか?



...変わった (笑)



そして



変わってない




変わったと感じるのは、「五感」を通して表層的に認知できること。

見た目、使うようになった言葉、好んで食べるようになった物

昔はしてくれたのに、今はしてくれなくなった事もあるし
昔はしてもらったことないのに、今は普通にしてくれるようになった事もある


変わらないと感じるのは、五感では認識できないこと。

私が「なんとなく」の領域で感じる
強いて言えば、雰囲気みたいなものだろうか
自分が相手といるときに受ける、空気みたいなものだろうか。


実はこれは、夫以外の人にも当てはまる。

例えば両親。

自分が子供として密に親と関わっていた頃は30代〜40代だった父母も
今では70代。

昔の写真を見れば、そりゃ「うわ、若い!こんなだったっけ???」と思うけれど
実際に今の両親を目の前にしてみれば
子供の頃と全く同じ空気感を覚える。


学生時代の友人もしかり。

懐かしい友に数年ぶりに再会して、私が感じ取るのは
現在の40代半ばのその人ではなく
10代20代の頃のままの、その人の「本質」みたいなもの
シワが増えていようが、白髪が増えていようが
いま目の前にあるのは、「あの頃」と同じ顔なのだ。


他人(ひと)の中にそうした「変わらないもの」を認知できるということは

たぶん私の中にも、そうした「変わらないもの」が存在するものと思われる

もしかしたら家族や友人は、それを私の中にも感じるのかもしれない。

ただ、自分ではそれが分からない。

夫の言っていた「I know who I am」というのは、
その変わらない部分のことを言っていたのかもしれないなと、思ったりしている。




さて、その不滅不変の「核」の部分が、すっぽり隠れて見えなくなっている人もいると思う。

うちで言えば、息子が長いことその状態だった。

夫は、息子が幼いときに彼のその部分をしっかり認識していた。
私は途中参加であったため、
息子に出会った時には、思春期という難しい時期も関与して
彼の本質は非常に見えづらい状態になっていたのだが、、、

今年に入って、息子は自分のその「核」の部分を、重いベールの下から引っぱり出し
再び外に向けて発信するようになった。

夫に言わせると、それは馴染みのある、とても懐かしい部分なのだそう。

私にしてみれば、ああ、何となくそうじゃないかな〜と思っていたけどやっぱりそうだったのね、みたいな感じ? (笑



その人がその人たる、カラーのようなもの

それって隠れてしまうことはあっても、なくならない気がする。

どれだけ時間がたっても、消滅はしない気がする。


「ああ、あの人変わってしまったね...」は、とても寂しい感覚だけれども

それももしかしたら、
ただ隠れているだけかもしれない。

傷ついたり辛かったりしたら、人間、隠れたくなりますものね。


"I know who I am" と言う自信は、私には無いけれど

人が「いいね」と言ってくれる自分の部分を大事にしたり

変わってしまった人を、「いまは隠れているだけかも」と待っていられる
ゆったり大きな心持ちでいたいなと、思う。

そして、その人がその人でいることを「安全だ」と思ってもらえるような
そんな存在でありたいなと、思う。




22歳の青年から、そんなことを学んだ
なんとも忘れられない
2014年の師走を迎えています。









  
Posted by レニア at 17:28Comments(2)ふと思うこと

You Have Done Nothing Wrong

2014年11月24日

You have done nothing wrong
Forgive yourself
and
Stop punishing yourself


あなたは何も悪いことはしていない

どうか自分を許して、
そして

自分を罰することは、もうやめましょう





今、このブログを読んで下さっている皆さんの中に

このメッセージを聞かなければならない方が、どうやら、いらっしゃるようです。



何故なのかは説明できませんが

この言葉を今日ここに書いたほうがいいような強い直感が来たので
素直に書かせていただいています。

この言葉にピンとくる方もいらっしゃれば
そうでない方もいるかも。。。



実はこの言葉は

昨日のブログに書いた、「この1月に、自分が長く抱えていた傷があれあれあれ?と溶けた」時に私にふってきた言葉で

ある方の口を伝って、私の元に届きましたが
そのメッセージの出所は
どうやらずっと上の、高次の存在だったようです。



こんな事を書いて、もし気味が悪かったらごめんなさい。

私は全くの無宗教ですし
霊能者でもありませんし
人様のオーラが見えたり、前世が見えたり
予知夢を見たりもしません。

ただのヒトです。



でもその「ただのヒト」が

言葉も、文字も発明されていなかった、太古の昔に

コミュニケーションツールが皆無だった時代に

ただお互いの発する「想念」だけで
意思疎通をはかっていた時代があったそうです。

一山超えた向こう側にいる相手と、
テレパシーのようなものでやり取りができていた時代があったそうです。


でもその能力を使わなくなった現代人は
使わなくなったが為に
その能力も退化してしまったのだとか、、、


それでも時々

「あ、なんかここにはいたくないな」とか
「なんだか今日は出かけたくないな」とか
「理由は分からないけれど、何となくこの人とは気が合うな」とか

そう感じること
現代人である私たちにもありますよね。

そういう感覚は、退化してしまった能力の名残だそうで
出来れば無視しないほうがいいそうです。


話はそれましたが、、、



今これを読んで下さっているあなたの過去に何があったかは
私には知る由もありませんが


もう、いいじゃないですか。

自分を許してあげてください。




あの時はあの時で、最適な対応はできなかったかもしれない

今となっては

「どうしてあんな事しちゃったんだろう」
「どうしてあんな事言っちゃったんだろう」

と非常に不可解、、、後悔していることもあるかもしれないけれど


あの時はあの時で、
あれが精一杯だったんです。 きっと。


もう充分に苦しんだし


いいじゃないですか、そろそろ

自分を勘弁してあげましょうよ。


あなたの真の姿は
「愛」のエネルギーです。

他の誰にも代わりのきかない、この世にたったひとつの
かけがえのない存在です。


でも現代を生きていると
私が「愛」だなんて
そんなこと、忘れちゃいますよね。

だって対処しなければならない諸々が
ひっきりなしに押し寄せてくる日常だもの。


神様じゃないんだから、あれもこれも完璧になんてこなせない。

いつもいつも愛情いっぱいの
ベストな状態の私でなんて、いられない。

だから時には、意図せず人を傷つけちゃう。
大切なものを失っちゃう。

そして私が「愛」だなんて、すっかり忘れちゃう。。。


でもしばらくの間それを忘れちゃってても、大丈夫。

また思い出せば、大丈夫。


そして復活!!元気になったあなたで

また残りの時間を、いっしょに楽しみましょう。






。。。。。。。

このメッセージは、私(レニア)から来たものではないので
ご了承ください。私はただの媒介です。



でもこれと似たようなメッセージが
今年のあたまに私を長年の呪縛から救い出してくれたので

今日これを読んで下さってる方のなかに

これが響いて

私と同じように
気持ちが解放される方がいらっしゃれば

すごく嬉しいなと思います。



私はこの道のエキスパートではないので、偉そうなことは言えないのだけど

あなた様が今日このブログにたどり着いて
これを読んでいることは

おそらく偶然ではないと思います。


長いこと苦しんで、がんばってきたあなたに
なんとかこのメッセージを届けたいと思っている存在が
どこかにいらしたようですよ。


誰かに、愛されているんですよね。私たちみんな。


...ということで

今日のこの記事が「なんのことやら???」と思った読者の方には
ごめんなさい(笑








シアトルは日曜の深夜です。


明日は月曜日、新たな一週間の始まり。
また気を引き締めて挑まなければ〜



いろいろありますけど、、、

お互い無理はせず、ゆるゆるでいきましょう。

この時代、いっしょに歩んでいきましょう。



昨日も書きましたが、
私もまだまだリセット中(笑










  
Posted by レニア at 15:37Comments(16)

リセット

2014年11月23日

めっきり冷え込むようになって、レニア山もすっぽり雪化粧。

シアトル市内から臨む、壮麗なその姿 (Facebookより拝借)


愛して止まないレニア山だけど、この夏は行く事が叶わなかった。


ブログをお休みしていた約1年の間に
何をしていたかというと
リセットをしていた

できれば「進化をしていた」と言いたいところなのだけど

今この1年を振り返ってみて、どう甘く解釈したところで
進化よりは「リセット」という言葉ののほうが、しっくりくる。

もっと正確に言うと、遠い昔の
自分の状態を思い出しつつある(?)と言ったほうがいいかな。


皆さんも経験したことあるのではないだろうか

あの経験をする前の、あの人に出会う前の、あれを手にする前の
その「前の自分」が、もはや思い出せない...という感覚

例えばスマホが出現する前の、私たちの生活
どうだったっけ?

実際私が大学生の頃は、スマホどころか「ケータイ」さえまだこの世に存在してなくて
それでも若かりし頃の私たちは、
ちゃんと友人たちと楽しくコミュニケーションがとれていた。

待ち合わせ場所でも、ちゃんと相手に会えていた。

相手を待っている間は、何をしていたっけ?

文庫本を読んだり
ウォークマンで音楽を聞いたり
または
ただ道行く人をぼんやり眺めたりして
「待っている」という事実を、もっと楽しんでいた気がする


そんな「ケータイ以前」の自分を

今リアルに思い出せない、、、


誰かを心底愛して、その関係は悲しく終わりを迎えたから
もう無邪気に恋ができた頃の自分は、思い出せない、、、

誰かを心から信じて、その信じた相手から傷を受けたから
もう闇雲に人を信じる無垢な心は、思い出せない、、、

ああなりたい、こうありたいと願って
でもそれはことごとく叶わなくて
「夢を見る」という感覚が、もう思い出せない、、、

だから今となっては

遠い子供のころ、どうして雨の中を
喜びの声をあげて走り回っていたのか

アリの行列が巣に食べ物を運ぶのを、飽きもせずじーっと眺めていたのか

茜色に染まる空を、畏敬の念で見上げていたのか

もう、とても
思い出せない、、、


そうした感覚は、誰でもお持ちなのではないだろうか。



ブログをお休みすることにした直後の、この1月に
あることがきっかけで
私はおそらくここ15年ぐらい抱えていたであろう傷を
するりと脱ぐことができたのです

自分の深いところに 長いことずっしりと居座っていた「それ」は

あれあれあれ?? というぐらいに
溶けてしまい

そうしたら、その傷を抱えるまえの

ずっと埋もれていた「それ以前の私」が

甦ってきた(?)とでもいえばいいだろうか



もちろん、この1年も様々なチャレンジはあって、ビックリするような出来事もあって
頭抱えたり、解決策を模索したり
一応大人の自覚で 
脳みそフル回転で
思考錯誤して、生きてはきたのだけど


2014年が始まって、11ヶ月がたった今

なんとなく今なら、
アリの行列を飽きもせず
じーっと眺めていられそうな。。。


そんな大昔の、懐かしい自分との再会


強いて言えば そんな感覚だろうか





遠い昔、人生って

もっとシンプルだった。


それをややこしく複雑にしてしまったのは
何なのだろう。
もしかして、自分だったのかもしれない。



スマホがあってありがたいな。生活はとても便利になった。

でもふいに空き時間ができた時

うつむいて
手のひらにおさまる小さな画面を
ただ眺めて過ごすのではなく

ふと顔をあげて

たとえば雨粒が、木々の葉をつたって滑りおりてゆく
その優美なダンスを
ただ眺めていられる

「この世の不思議」とのコンタクトを、逃さない

開いた心でありたいな


これに関しては 
子供は天才


私はずいぶんと、遠く離れた所にきちゃった。。。



まだまだリセット中








  
Posted by レニア at 12:28Comments(5)自分さがし

一瞬の一生

2014年11月07日

今これを読んで下さっているあなた様は、
おいくつだろうか?

まだ10代、20代?

または私のように40代
それとも50代?

または、60代、70代の方もいらっしゃるのだろうか。


40代の私からして

70代の女性は

自分がどんなにジタバタしたって追いつけない、見上げる大人のひと

20代のお嬢さんは

眩しいくらいフレッシュな、若く美しい光



でも、私たちが己の人生スパンで認識できる
「数十年の差」というのは

いやいや、100年を単位とした「世紀」の差であれ

宇宙が誕生してからの現在までの時間に照らし合わせてみれば

取るに足らない、まるで「0.01秒」のような時間だそうな




ある番組を見ていて、そう学んだのです。



この世に「宇宙」というものが誕生してから「現在」までの時間を
1年間のカレンダーに縮小したとしたら、、、


私たちが今見ている太陽が誕生したのが、8月31日

地球上に最初の生物(微生物?)が誕生したのが、9月21日

地上に、最初の「花」が咲いたのは、12月28日、、、



そして、私たち人類の祖先がやっと姿を現したのは、今から3万年前

それって宇宙のカレンダーにあてはめたら

なんと
大晦日の12月31日、11時59分

私たちは新年を迎える60秒まえに、やっとこの世に出現したのです。


そしてその60秒間のうち

人類が「文字」を開発し、記録を残し始めたのは

年が変わる、たったの14秒まえ。。。


モーゼが存在したのが、7秒前

仏陀が、6秒前

キリストが、5秒前

モハメドが、3秒前


そしてカウントダウン、最後の1秒

新年を迎える間際の、1秒という一瞬の間に
私たちは

ガリレオが天体望遠鏡を開発した時から、ロケットを飛ばして月面着陸をし
今こうしてインターネットで全世界の人とつながるまでの変化を
とげました。

その間、たったの1秒。。。




そのスケールで「生命」を見てみたら

私たちが普段「若いね〜」とか
「年だねー」とか言っている

10年、20年、30年、40年の違い、て......いかほどのものだろうか?



結論:

私たちが一生涯の間で認識できる、年齢という数字には
おそらくあまり意味がないかと思われます。

その人が辿り着いた場所というのは、たぶん身体の年齢には関係がない


だったら実年齢に関係なく
私たちはどこからでも出発できるし、いつだって変革を起こせるということ。


50年生きたって、90年生きたって

残りの時間が

あと1年しかなくたって、あと30年あったって

どちらもそれは「ほんの一瞬」だから、、、



そう思えたら、時間の束縛から自由になれる気がしませんか?



せっかく頂いた、一瞬の時間だから

出来るだけ楽しんで使おうよ

幸せに使おうよ


そんな宇宙からのメッセージが、聞こえてくるような。。。





ちなみに私が見た番組は "Cosmos"というタイトルで
アメリカ国内でNetflixをお持ちの方なら無料で見られますよ。

あまりのスケールの大きさに

日常の全ての憂いが、本当に小さな小さな
ちっぽけな事なのだと

自分がこの人生で頂いたエネルギーは、もっと他のことに使うべきなのだと

そういう事が漠然と分かります。



オススメです。





  
Posted by レニア at 16:16Comments(2)生きる意味

巡り会い

2014年11月02日

アリゾナ州、セドナに住む友人が撮った一枚


大きな光の輪の両端に

虹が映っているのが、見えるだろうか。




なんとも神秘的な一枚。。。

私には、宇宙が笑っているように見えた。




最近の言葉で言うと「パワースポット」というのだろうか


セドナという場所は非常に波動の高い場所で
その場に居るだけで、自分の中にある諸々が浄化されるのだとか

近いうちにどうしても行ってみたい場所だ。


そのセドナに住む友人というのが、これまた最近分かったことなのだけど

なんと鹿児島の川内市出身の方。

アメリカ在住20年を超えた私だが、自分が幼少期を過ごした川内市の方にアメリカでお会いしたことは、これまで一度もない。
しかも彼女とは、中学校まで同じだったという、、、

こういう偶然の一致を「シンクロニシティ」と呼ぶけれど
これは、自分がある方向に導かれている時に
頻繁に起こる現象だとか。

皆さんもそんな経験、おありだろうか。




これだけネット上で ブログが溢れる昨今


1年ちかくもお休みしたブログなんて
覚えている人のほうが珍しいだろうと思いきや


久しぶりにアップした記事に早速コメントを残してくれた方がいて


物理的距離を超えた、
お会いしたこともない人との間に 出来たつながりに

深く感じ入った私です...



そうして再びつながったことを喜んだ人たちがいた一方で

今週は
この世を去ってしまった人もいました。


家族の中で、たったひとりのアジア人である私を

それは可愛がってくれた、デイブおじさん。


義父の弟にあたり
68歳という若さでした。




夫と結婚しなければ
おそらく、巡り会うこともなかった人


訃報を聞いたときは、ショックで涙が止まらなかったけれど

ここ数年ガンで苦しんでいたデイブおじさんにとっては
やっと苦しみから解放された、自由になれた日なのかもしれない。

悲しいと思うのは、あとに残された者のエゴなのだと

大好きだった祖母を見送ることでそう学んだ、3年まえのことを思い出した。



私は昭和43年生まれの、46歳。

これからこうやって、見送る人がどんどん増えてゆくだろう。


いま、まだ私の人生にいてくれる人との時間を
大切にしたい。


そして、短い人生の中で出会うことの出来た人との時間を
祝福したい。



最後に会ったときに、デイブおじさんが言った言葉。

仕事より、お金より
それより時間を楽しみなさい。
会いたい人にあって、
体が動くうちに、行きたいところに行って
思い出をいっぱい作りなさい
大切な人と、楽しい時間をいっぱい過ごしなさい

老いて体の自由がきかなくなった時に
思い出すのは
仕事の成功でもない
通帳の残高でもない

思い出すだけで笑顔になるような

大切な人との、幸せな時間の記憶だよ...





デイブおじさん、Thank you for coming into my life

I will look forward to seeing you again

May your soul rest in peace....


  
Posted by レニア at 13:31Comments(12)生きる意味

お久しぶりです

2014年10月28日


「シアトル日記にコメントが届きました」

というお知らせメールが久しぶりに来たので

あ、どなたかまた
「妻の祈り」にたどり着いてコメントして下さったのかな?と
本当に久しぶりに自分のブログを覗いてみたら、、、


コメントがついていたのは

「妻の祈り」よりも2年ほど前、2010年に書いた記事で


頂いたコメントに続き、
記事そのものも読んでいたら


4年前の自分に、久方ぶりに対面したような

なんだかとても不思議な感覚を覚えた。


「こんなこと、書いていたんだ。。。」


夫との短い会話のことを書いていた。




そのコメントを頂いた日は、たまたま結婚記念日で
晩秋のシアトルはその夜は暴風雨

停電するかもね〜、今のうちにろうそく灯しておくか

なんて言いながら

カウチでウトウトし始めた夫


キャンドルライトでロマンチックにディナー、なんてものは
もう存在しない。

でもこの人は同志だ。


そして言っていることは、4年まえから一貫しているなと

自分の記事を読みながら静かに思った。



コメントを下さったことで、ここに導いて下さった「ひっけじろ...って」さん

どうもありがとうございました。




色々と考えることがあって、去年の年末に休止することにしたこのブログ


そしてブログを止めた途端
2014年は、年明けから予想外の出来事続きで
何度も書きたい衝動に駆られたものの

敢えて書かずにいて、

ふと気がつけば、もうすぐ11月、、、



この長かった1年を、書かずにおいたことが却ってよかったのかもしれない。

自分がものすごく変わった。

自分で自分をモニターしなかったから。




そのニューバージョンの自分で、全く別のところで書き始めることも出来たけれど

やはりまた「チェスト!」さんで書かせてもらいたいと思いました。



ということで、前にも増して不定期になると思うけれど

また、よろしくお願いします。



レニア



  
Posted by レニア at 16:16Comments(10)

まずは「私」の幸せから

2013年12月31日

この記事は、「シアトル日記」新サイトに移しました。









  
Posted by レニア at 16:55Comments(14)自分さがし

100年を生きた女性

2013年12月06日

こちらの記事は、「シアトル日記」新サイトに移しました。








  
Posted by レニア at 13:09Comments(14)心が震えたこと