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あいぶみ(愛文)
2013年08月10日
「恋文(こいぶみ)」という言葉がある。
私たちの世代でも「ラブレター」という単語のほうが、ずっと馴染みがあるけれど
恋い焦がれる相手に思いを寄せた手紙のことだ。
では、
愛する相手に向けて綴る手紙は、なんと呼ぶのだろう...?
あいぶみ ?
ためしに「あ・い・ぶ・み」とパソコンで打ってみた。
「愛撫身」 とか
「相武身」 しか、出て来ない。
どうやら「恋文(こいぶみ)」はあるのに、「愛文(あいぶみ)」は存在しないらしい。
「恋」という感情と
「愛」という感情は、全く別物だが
一度愛してしまった相手には、もう手紙は書かないものなのだろうか。。。
私は相方にもう恋はしていない。
彼に対する感情は、「恋」とは全く異なるものだ。
その相方に、久しぶりに手紙を書いてみようと思った。(正しく言うとメールだが)
彼に手紙を書くのは、つき合っていた頃以来だ。
先日の「ほめ日記」で、自分の褒められる点を挙げるお話をさせていただいたが
それを探すのに何だかとっても苦労しているので
とりあえず
一番身近にいる相棒で練習してみるか、と思った次第だ。
相手が家に居ない時間帯を選んで、書いてみた。
夫は、ここ数週間はちょうど夜10時頃から朝までの出勤になっているので
夜に私ひとりの時間はたっぷりあったのだが
それでも、なんだか
日々を共にする相方に向けて書く手紙って、
書き出すだけでもちょっと戸惑う感じがするものなんだな。
それに気付いただけでも、自分の相手に対する心情が昔とは明らかに違ってきていることが伺える。
頭ガチガチな感じがしたので、ゆるゆる目指して
とりあえず一本飲んだ。(何でも飲む理由になる私 笑)
キャンドルに灯をともしてみる。
ロマンチックな二人の夜を演出するアイテムとして、代表選手のキャンドルだが
私は夫とふたりでいる時より、ひとりでいる時のほうが、キャンドルを灯す頻度は圧倒的に多い。
気持ちが静まる感じがするから。

あなたのこういうところが好きです
と思いつくまま、挙げてみた。
思ったとおり
書き始めてしまえば、自分に向けてより相方に向けてのほうがずっと書きやすい。
そして書きながら、ふと思ったのだ。
これは「恋文(こいぶみ)」ではないよなあ、と。
果たして、「愛文(あいぶみ)」という言葉は、存在するのだろうか? と...
恋する相手は、必ずしも自分のものとは限らない。
だから、まだ自分のものになっていない相手に向けて書かれる手紙も「ラブレター(恋文)」と呼ばれる。
「あなたのことがこんなに好きです。出来ることなら私のものになってほしい」
と、ほとばしる熱い思いを込めるラブレターは、
ともすれば「私がどうしてあなたを欲するか」に焦点が置かれており
「あなたが何を欲するか」を最重要項目として書かれたものでは、
必ずしもない。
いっぽう、愛する相手というのは
既に自分の生活の一部になっている存在か
又は自分のものになってほしいという欲求までをも、超越したところにいる人であったりして
そういう相手に対して綴る、特別な手紙に
名称が無いというのは、
なんだか不思議なことだなあ。。。
そういえば...
私も大昔に、愛してくれる人から手紙をもらったことがある。 母だ。
でもそれは、日常を共にしている時に受け取ったものではなく
家を離れて、遠くアメリカに留学していた時のことだった。
メールも携帯もない時代だったので、べらぼうに高い国際電話以外は「手紙」しかコミュニケーションの手段が無く
私を案じて綴ってくれた母の言葉には何度も励まされたり慰められたりした。
思えば、あれも「愛文(あいぶみ)」だったのだなあ。
家族として愛する相手にこそ、
「あなたは私にとって大切な人なんだよ」と言葉で伝えるのは、ものすごく大事な事のような気がする。
それを話し言葉ではなく、敢えて書き言葉で伝えると
それは物体として手元に残り
何度も何度も読み返せるという恩恵を与えてくれる。
でもそんな手紙を綴ろうとは
忙しい日常の中にあって、そうそう思わないし
家族だからこそ、思いを言葉にすることが
何だか照れくさい感もある。
私個人の印象を述べれば、
自分自身に向けて書く「ほめ日記」よりは、相棒に向けて書く手紙のほうがずっと書き易かったが。
さて、書き上げた「愛文(あいぶみ)」だが
実は相方には送信していない。 苦笑
これを読んだ彼が、まさか気分を害することはないだろうと思うのだが
なんだか送ることに躊躇してしまう(照れてしまう)のは
私と彼が、家族になった証なんだろう。
毎日を共にする、一番身近にいる人に向けて
思いを綴り、伝えるとは
どうしてこうも難しいものかな。
そんな自分が滑稽に思えたりもするが...
妻として自分が進化するチャンスとも解釈して、
「えいやっ!」と送信ボタンを押せる瞬間がやってくるのを
待っているところである。
私たちの世代でも「ラブレター」という単語のほうが、ずっと馴染みがあるけれど
恋い焦がれる相手に思いを寄せた手紙のことだ。
では、
愛する相手に向けて綴る手紙は、なんと呼ぶのだろう...?
あいぶみ ?
ためしに「あ・い・ぶ・み」とパソコンで打ってみた。
「愛撫身」 とか
「相武身」 しか、出て来ない。
どうやら「恋文(こいぶみ)」はあるのに、「愛文(あいぶみ)」は存在しないらしい。
「恋」という感情と
「愛」という感情は、全く別物だが
一度愛してしまった相手には、もう手紙は書かないものなのだろうか。。。
私は相方にもう恋はしていない。
彼に対する感情は、「恋」とは全く異なるものだ。
その相方に、久しぶりに手紙を書いてみようと思った。(正しく言うとメールだが)
彼に手紙を書くのは、つき合っていた頃以来だ。
先日の「ほめ日記」で、自分の褒められる点を挙げるお話をさせていただいたが
それを探すのに何だかとっても苦労しているので
とりあえず
一番身近にいる相棒で練習してみるか、と思った次第だ。
相手が家に居ない時間帯を選んで、書いてみた。
夫は、ここ数週間はちょうど夜10時頃から朝までの出勤になっているので
夜に私ひとりの時間はたっぷりあったのだが
それでも、なんだか
日々を共にする相方に向けて書く手紙って、
書き出すだけでもちょっと戸惑う感じがするものなんだな。
それに気付いただけでも、自分の相手に対する心情が昔とは明らかに違ってきていることが伺える。
頭ガチガチな感じがしたので、ゆるゆる目指して
とりあえず一本飲んだ。(何でも飲む理由になる私 笑)
キャンドルに灯をともしてみる。
ロマンチックな二人の夜を演出するアイテムとして、代表選手のキャンドルだが
私は夫とふたりでいる時より、ひとりでいる時のほうが、キャンドルを灯す頻度は圧倒的に多い。
気持ちが静まる感じがするから。

あなたのこういうところが好きです
と思いつくまま、挙げてみた。
思ったとおり
書き始めてしまえば、自分に向けてより相方に向けてのほうがずっと書きやすい。
そして書きながら、ふと思ったのだ。
これは「恋文(こいぶみ)」ではないよなあ、と。
果たして、「愛文(あいぶみ)」という言葉は、存在するのだろうか? と...
恋する相手は、必ずしも自分のものとは限らない。
だから、まだ自分のものになっていない相手に向けて書かれる手紙も「ラブレター(恋文)」と呼ばれる。
「あなたのことがこんなに好きです。出来ることなら私のものになってほしい」
と、ほとばしる熱い思いを込めるラブレターは、
ともすれば「私がどうしてあなたを欲するか」に焦点が置かれており
「あなたが何を欲するか」を最重要項目として書かれたものでは、
必ずしもない。
いっぽう、愛する相手というのは
既に自分の生活の一部になっている存在か
又は自分のものになってほしいという欲求までをも、超越したところにいる人であったりして
そういう相手に対して綴る、特別な手紙に
名称が無いというのは、
なんだか不思議なことだなあ。。。
そういえば...
私も大昔に、愛してくれる人から手紙をもらったことがある。 母だ。
でもそれは、日常を共にしている時に受け取ったものではなく
家を離れて、遠くアメリカに留学していた時のことだった。
メールも携帯もない時代だったので、べらぼうに高い国際電話以外は「手紙」しかコミュニケーションの手段が無く
私を案じて綴ってくれた母の言葉には何度も励まされたり慰められたりした。
思えば、あれも「愛文(あいぶみ)」だったのだなあ。
家族として愛する相手にこそ、
「あなたは私にとって大切な人なんだよ」と言葉で伝えるのは、ものすごく大事な事のような気がする。
それを話し言葉ではなく、敢えて書き言葉で伝えると
それは物体として手元に残り
何度も何度も読み返せるという恩恵を与えてくれる。
でもそんな手紙を綴ろうとは
忙しい日常の中にあって、そうそう思わないし
家族だからこそ、思いを言葉にすることが
何だか照れくさい感もある。
私個人の印象を述べれば、
自分自身に向けて書く「ほめ日記」よりは、相棒に向けて書く手紙のほうがずっと書き易かったが。
さて、書き上げた「愛文(あいぶみ)」だが
実は相方には送信していない。 苦笑
これを読んだ彼が、まさか気分を害することはないだろうと思うのだが
なんだか送ることに躊躇してしまう(照れてしまう)のは
私と彼が、家族になった証なんだろう。
毎日を共にする、一番身近にいる人に向けて
思いを綴り、伝えるとは
どうしてこうも難しいものかな。
そんな自分が滑稽に思えたりもするが...
妻として自分が進化するチャンスとも解釈して、
「えいやっ!」と送信ボタンを押せる瞬間がやってくるのを
待っているところである。