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20歳
2012年09月01日
27日はマイケルの誕生日だった。
20歳になった。
前日深夜、日付けが変わった時点で夫と2人して「おめでとう」のメールをするも
返信なし。
翌日の誕生日当日になっても、うんともすんとも言ってこない。
まぁね〜、20歳だもの。もう親とどうこうする年ではない。
私も20歳の時は大学の友達と始終つるんでて、殆ど家にいなかったし。
おそらく前夜に仕事あがりに友達とそのまま飲みに行くか何かして、明け方まで遊んでて
まだ寝てるんだろう。
今日も仕事なのかな。仕事が休みだったらお祝いに食事でもと思ったけど
この調子だとまた後日だね、と夫と話していた。
。。。と思ったら
8時ごろになって
I'm coming over now.(今からそっち行く) とメール。
私と夫はもう夕食を済ませていたので
お祝いを兼ねて久しぶりに3人で外へ出かけることにした。
さて先日の、甥っ子姪っ子が小さい時の写真。

マイケルは B の赤ちゃん。
当時はいとこの中で一番年下で、ちびっ子の間でもひときわ幼い。
それが20年経って、
こうなった。↓

今では体格も夫と変わらないか、マイケルのほうがちょっと大きいぐらい。
久しぶりに会ったら少し痩せたなと感じた。
顔がずいぶんシャープになってきた気がする。

アメリカでは成人する「18歳」と、飲酒がみとめられる「21歳」の誕生日が
子供たちにとっては大イベント。
「20歳」の誕生日はあまり意味がなく淡々としている。
でも日本人である私にとっては、やはり「20歳」というのが感慨深い。
「18歳」と聞くのと「20歳」と聞くのとでは、全く印象が違う。
アメリカ人ティーンエージャーのマイケルとの生活は
日本生まれ、日本育ちの自分にとってはカルチャーショックも多かった。
自分の日本人としての価値観を押し付けているのでは?と疑問に思う時と
でも親の信条は子供にはきちんと伝えたほうがいいのでは?という気持ちの狭間で揺れたり
心配もいっぱいした。
その子がもはや「ティーンエージャー」ではなく、20代に突入。
家から出てしまえば親はもう監視はできない。
あとは本人の判断力を信じていくしかない。
危ないことから守ってやることもできないし、先回りして助言してやることもできない。
だが男の子だ。「自分で何とかしなければいけない」という生活に早くから身を置くことは、マイケルのこれからの人生のために重要だと感じた。
ここ数ヶ月でずいぶんとお兄さんになった感がある。
親が子供に本当の自立心を教えてやることはできないと感じる。こればかりは本人がさまざまな経験から養ってゆくしかない。
今はまだ私たちが経済的にも色んな面でサポートをしているが
その支えをこれからひとつひとつ取り去って、マイケルは本物の大人になってゆくだろう。
その過程には様々なことがあるだろう。
色んな人から色んな影響を受けるだろう。
良い出会いばかりじゃないかもしれない。八方塞がりに感じる瞬間もあるかもしれない。
ヤケになって何もかも投げ出したい絶望感にかられることもあるかもしれない。
自暴自棄から道を踏み外してしまうことも...
もしかしたら、あるかもしれない。
それを親が前もって防いであげることは、できないのだなあと
マイケルの顔を見てて思った。
もう本当に、信じるしかないのだ。
そのうち、マイケルが自分の家族を持って
妻や子供を支える柱となる日がくるのかな。
そのうち、老いた私たちが
逆に叱られたりする日がくるのかな。(笑
当分はまだまだ、心配することのほうが多そうだ。
それにしても人間ひとりを導いていくことが、どんなに難しい作業か
マイケルと家族になってから痛感することしきりだった。
そして自分の親にしみじみ感謝した。
私の場合、20歳のころはまだまだ親の庇護にあって
自宅から大学へ通わせてもらうという恵まれた環境にあったが
その大学を半年休学して、まだ言葉もしゃべれなかったのに単身渡米するという大冒険を果たしたのが
ちょうど20歳の時だった。
当時はEメールも携帯もなく、国際電話はめちゃめちゃ高く
連絡を取り合うといえば手紙だけ。
親は、とくに母は
さぞ心配したことと思う。
けっこう無謀な事を平気でする娘だった私のことを、きっとハラハラしながら見ていてくれたのだろうと思う。
自分がハラハラする立場になって初めて分かる、親の苦労。。。
皆さんは20歳のころどんなだっただろうか。
20歳になった。
前日深夜、日付けが変わった時点で夫と2人して「おめでとう」のメールをするも
返信なし。
翌日の誕生日当日になっても、うんともすんとも言ってこない。
まぁね〜、20歳だもの。もう親とどうこうする年ではない。
私も20歳の時は大学の友達と始終つるんでて、殆ど家にいなかったし。
おそらく前夜に仕事あがりに友達とそのまま飲みに行くか何かして、明け方まで遊んでて
まだ寝てるんだろう。
今日も仕事なのかな。仕事が休みだったらお祝いに食事でもと思ったけど
この調子だとまた後日だね、と夫と話していた。
。。。と思ったら
8時ごろになって
I'm coming over now.(今からそっち行く) とメール。
私と夫はもう夕食を済ませていたので
お祝いを兼ねて久しぶりに3人で外へ出かけることにした。
さて先日の、甥っ子姪っ子が小さい時の写真。

マイケルは B の赤ちゃん。
当時はいとこの中で一番年下で、ちびっ子の間でもひときわ幼い。
それが20年経って、
こうなった。↓

今では体格も夫と変わらないか、マイケルのほうがちょっと大きいぐらい。
久しぶりに会ったら少し痩せたなと感じた。
顔がずいぶんシャープになってきた気がする。

アメリカでは成人する「18歳」と、飲酒がみとめられる「21歳」の誕生日が
子供たちにとっては大イベント。
「20歳」の誕生日はあまり意味がなく淡々としている。
でも日本人である私にとっては、やはり「20歳」というのが感慨深い。
「18歳」と聞くのと「20歳」と聞くのとでは、全く印象が違う。
アメリカ人ティーンエージャーのマイケルとの生活は
日本生まれ、日本育ちの自分にとってはカルチャーショックも多かった。
自分の日本人としての価値観を押し付けているのでは?と疑問に思う時と
でも親の信条は子供にはきちんと伝えたほうがいいのでは?という気持ちの狭間で揺れたり
心配もいっぱいした。
その子がもはや「ティーンエージャー」ではなく、20代に突入。
家から出てしまえば親はもう監視はできない。
あとは本人の判断力を信じていくしかない。
危ないことから守ってやることもできないし、先回りして助言してやることもできない。
だが男の子だ。「自分で何とかしなければいけない」という生活に早くから身を置くことは、マイケルのこれからの人生のために重要だと感じた。
ここ数ヶ月でずいぶんとお兄さんになった感がある。
親が子供に本当の自立心を教えてやることはできないと感じる。こればかりは本人がさまざまな経験から養ってゆくしかない。
今はまだ私たちが経済的にも色んな面でサポートをしているが
その支えをこれからひとつひとつ取り去って、マイケルは本物の大人になってゆくだろう。
その過程には様々なことがあるだろう。
色んな人から色んな影響を受けるだろう。
良い出会いばかりじゃないかもしれない。八方塞がりに感じる瞬間もあるかもしれない。
ヤケになって何もかも投げ出したい絶望感にかられることもあるかもしれない。
自暴自棄から道を踏み外してしまうことも...
もしかしたら、あるかもしれない。
それを親が前もって防いであげることは、できないのだなあと
マイケルの顔を見てて思った。
もう本当に、信じるしかないのだ。
そのうち、マイケルが自分の家族を持って
妻や子供を支える柱となる日がくるのかな。
そのうち、老いた私たちが
逆に叱られたりする日がくるのかな。(笑
当分はまだまだ、心配することのほうが多そうだ。
それにしても人間ひとりを導いていくことが、どんなに難しい作業か
マイケルと家族になってから痛感することしきりだった。
そして自分の親にしみじみ感謝した。
私の場合、20歳のころはまだまだ親の庇護にあって
自宅から大学へ通わせてもらうという恵まれた環境にあったが
その大学を半年休学して、まだ言葉もしゃべれなかったのに単身渡米するという大冒険を果たしたのが
ちょうど20歳の時だった。
当時はEメールも携帯もなく、国際電話はめちゃめちゃ高く
連絡を取り合うといえば手紙だけ。
親は、とくに母は
さぞ心配したことと思う。
けっこう無謀な事を平気でする娘だった私のことを、きっとハラハラしながら見ていてくれたのだろうと思う。
自分がハラハラする立場になって初めて分かる、親の苦労。。。
皆さんは20歳のころどんなだっただろうか。