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Posted by チェスト at

おじいちゃん、どうしてる?

2010年09月27日

今日、9月27日
大好きだった母方の祖父の命日だ。

うちの両親はふたりとも川内市の出身。
私も中2まで川内市で過ごした。

母方の祖父母は川内で商売をしており、
戦後の物不足の時代にも、母はあまり不自由を感じずに過ごしたという。
私が物心ついた頃の祖父母はすでにかなり裕福で
だけどこれといって贅沢をするわけでもなく、
とにかく商売熱心、働き者で
孫である私や妹にもとても愛情深く接してくれた。

そうはいっても
祖父は古き時代の薩摩隼人
最近の若い男子のように、カミさんの誕生日に贈り物をしたり
ロマンチックな言葉キラキラをささやいたりしたわけではない。
どちらかというと、言葉遣いは粗野だった記憶がある。
なのに
何故かそこにたっぷりの愛情が垣間見えた。

祖父のそうした愛情をしっかり受け取って暮らした祖母も
そして私の母も
他者に与える愛情をたくさん持った女性だ。
子供心に
そうした祖父母の家に行くと
心底くつろげたというか、
とにかく安心したものだ。


それは1996年のこと。

私はその頃日本語教師を目指して、ハワイで大学院生をしていた。
ちょうど教育実習のコースを受講していた学期だった。
教授の監督のもと、大学の日本語クラスを
他のクラスメートと協力して実際に教えるというコースだった。

翌日がちょうど私の担当日だ!という、その日。
レストランで注文する食事という課だったので
私は家で翌日のクラスで使う「絵カード」をせっせと作成していた。

(こんなんです。新しい単語を紹介したりする時に使います)

今でこそパワーポイントに「コピー&ペースト」で、ちょちょいのちょい
絵カードなんて10分で完成するが、当時はすべてが手作りだった。


そこに母からの電話。

「おじいちゃんが、さっき息をひきとったよ。。。」


どのくらい話したかは覚えてないのだけど、
母との電話を切って、私はデスクに戻った。
ちょうど「ミートスパゲッティ」の絵を描いているところだった。
ミートソースの部分に色をつけようと、マーカーを手にして

ぬりぬりぬり、、、、


ぽとっ


ぽとっ ぽとっ



涙があとからあとから溢れてきた。

逝っちゃったんだなあ、
もう会えないんだなあ、
と。。。


泣きながら絵カード10枚を仕上げたあの日のことは
十数年経った今でも、鮮明に覚えている。


おじいちゃん、どうしてるけ〜?
私は今じゃアメリカのシアトルっていう、
鹿児島からはちょっと遠いとこで
元気にがんばってるがよ〜。
なかなかお墓参りにも行けんで、ごめんねえ。

またいつか、会いたいねえ。。。




海外に住んで、何が怖いって
大事な人の「その時」に間に合わないことだ。

両親には、できるだけ長く
元気でいてほしいと
願ってやみません。













  
Posted by レニア at 18:28Comments(0)