おへそのつながり
悲しい夢をみた。
...という書き出しで
大昔に作文を書いたことがある。
たしか夏休みか何かの宿題だったと思うが
こんな所へ行った、あんな体験をした
そんな一大イベントを書くわけでもなく
私は、その日に見た夢のことを書いた。
高二の時だ。
今思えば、こうして感じたままをブログに綴る感覚だったのだと思う。
当時の担任は国語教師で、女性教員だった。
私の母と同い年だった。
30年近く経ったいまでも交流がある。
作文の内容は、詳しいところは忘れたが
かいつまんで話すとこういう内容だったと記憶している。
悲しい夢をみた。
白い、病室のような部屋に
女性がひとり座っていた。
母だった。
母はきちんと正座をし、ベッドの上に鎮座していた。
私は何か異様な雰囲気を感じ取りながら
恐る恐る母に近づいていって声をかけた。
「お母さん、、、」
「はい。」
「お母さん。」
「どちら様??」
「お母さん、私よ。」
「あらまあ、、、そうですか。」
そう言って母は、にっこりと笑顔を私に返した。
私は背筋がゾーッと凍る感覚を覚えた。
そこでふと、目が覚めた。。。
それ以降、書いたことは全く覚えていないが
目覚めた後に思い返したことを つらつらと綴って
最終的には原稿用紙5枚ほどは書いたと思う。
それが、県の作文コンクールで入賞し
「かごしま」という文集に掲載された。
担任だった国語教師のM先生は、翌年私が高三の時も引き続き担任となり
その年の私の作文にも多大な期待を寄せて下さったが
その年に書いたものは、内容があまりにも暗く
(確か父のことを書いたと記憶しているが)
「ご家庭で何かありましたか?」と
母が学校に呼び出されたぐらい(笑)
(私はその事を、卒業後数年たって母が話してくれるまで全く知らなかった)
結局、その年の作文コンクールへの出展は見合わされた。
この世に生を受けて、まだ17〜18年という時だ。
それまで当たり前にあった「親」という存在
血縁という存在が
いかに自分の心の安定に影響を及ぼしているのか
そういうことを改めて認識し始めた時期であったのだと思う。
その事に対する驚きと畏敬の念をこめて
高二の時に書いたその作文は
「おへそのつながり」と題した。
さて、自分がその当時の両親と同じような年齢になり
今振り返って思うことは
ん〜〜、、、ちょっと違ったかな? ということ。
「絆」を築いてゆくもの
それは、必ずしも血のつながりではなく
共に過ごした時間なのではないかな?ということだ。
先日、授業中に学生からある質問を受けて、
改めてその事に気付かされた。
学生: 先生、日本では親子の間でハグしたり「I love you」と言ったりしないって、本当ですか?
私: ん〜、、、そうねー、最近では若いお父さんとお母さんが幼い我が子をハグしたりはあるかもしれないけれど、成人した子供にハグとか「I love you」は一般的に無いと思います。
学生: じゃあ、先生のお父さんとお母さんは?
私: 私も生まれてこのかた、両親にハグされたり「I love you」と言われたりしたことは、一度もないです。
学生: それでどうやって自分は親に愛されてるって分かるんですか???
私:(ちょっとしばらく考えました)...一緒に過ごした時間かなあ。。。共に暮らして自然と感じ取ったというか、、、たとえ「I love you」の言葉は無くても、親は本当にたくさんの事を私のためにしてくれましたからね。例えば毎朝早く起きて私のためにお弁当を包んでくれたりとか(ここで「弁当とは何か」を説明せねばならず)、そうした毎日のささやかな行為の積み重ねかなあ。
学生一同: (ふ〜ん...という感じで一同沈黙)
何でも言葉で意思表示(表現)することが良しとされているアメリカ。
逆に言うと、表現されない部分を「感じ取る」力(想像力)が弱いのでは無いかと思い
こんな問いを投げかけてみた。
例えばね、彼氏(彼女)に置き換えてみて
いつも「You are so beautiful. I love you so much!」と言葉では言うけれど、いつもデートに遅れてくるような人と、
普段は何も言わないけれど、自分が風邪をひいてゴホゴホいって苦しくて寝込んでいる時に
温かいスープ持参で「すぐ行くよ!」と駆けつけてくれる人と
あなたはどちらに愛を感じる?
すると、「あーはいはい、分かります!!」 の反応。
愛を嗅ぎ分ける本能は、
人種に関わらず皆に均等に備わっている能力のように思う。
さて当時40代だった私の親は
今では70歳を超えた。
親しい友人の中には、既に親御さんを見送った人もいるし
私がその昔夢で見たように
実の親が、子供である自分を
よもや誰だか認識出来ないという実状にある人もいる。
「お母さん」
「はい、どちら様?」
「お母さん、私よ...」
「あらまあ、そうですか。」
これが、現実となる日が
いつか私にも訪れるやもしれぬ。
17歳の頃には、想像だにしなかったことだ。
幸いにも、両親はまだ私のことを覚えていてくれる。
一年に一回も 顔を見せることの出来ないこの親不孝な娘のことを。
この先たとえ、両親が私を認識できない日がやってきたとしても
私が親の愛情を疑うことは無いだろうと思う。
それは一緒に暮らしていた時代に
しっかりと伝えていてくれたから。
実父と実母に、愛され慈しまれて育ったという記憶。
私の人生には
当たり前のようにあった幸運。
それが、自分という存在を容認するのに
どれだけ大きな役割を担うのか。
それは
そうした幸運に恵まれなかった一人の男の子と暮らしてみて
初めて、痛感したことだった。
「おへそのつながり」
それは、たぶん
単に血のつながりでは ないのだよ。
愛そうという、
強い「決意」のつながりなのだよ。
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