同僚の先生に、同年代の日本人女性で
アメリカに移住してきて、まだ4年という方がいる。
20代、30代という時間を、日本国内で日本語講師として過ごしてきた方だ。
その人と先日おしゃべりをしていて
日本の社会で、社会人として機能してゆくためには何が不可欠か
つまり
日本の職場ではどういったことで揉めるのか、それにはどう対処するべきなのか、
加えて自分にとって働き易い環境を作り上げてゆくには、どういった人とどういうふうに付き合って、何を(特に女性として)言ってはいけないのか、してはいけないのか...等々のお話を伺った。
聞いていて
非常に、興味深く
そしておそらく自分は もう日本という社会では上手く機能しないだろうなという
漠然とした淋しさも覚えた。
アメリカ人の夫には いつも
「君は、骨の髄までめちゃめちゃ日本人」 と言われ
「そのままでいい、変わることはない。アメリカ人になることはない。日本人でいなさい」 と言ってもらい、
私も日本人を辞める気はさらさらないので、在米20年経った今でも市民権すら取得していないという有様で (なのでこんなに税金を払っているのも関わらず、私には選挙権が無い)
今でも日本のパスポートを持ち、日本人として日本に入国する。
でも、たまに日本に帰ると
なんというか、自分が浮いてるなあ〜と感じることがある。
それもそのはず、私の中の日本人は20年前のままで止まっていて
その間、母国は
人もふくめ、言葉もふくめ、慣習もふくめ、様々な面で変化してきたのである。
そこに暮らしていなかった私は、その変化と共に生きてこなかったのである。
アメリカに何年暮らそうと、もちろん「アメリカ人」になどなれず
日本に帰っても、なんとなく「そこにそぐわない感」のある自分。
そんな宙ぶらりんな感覚を味わうようになったのは、在米10年を過ぎた頃からだろうか。
今でもよく覚えているのは、ちょうどその頃(2003年ごろ)
帰国して大阪でタクシーに乗ったとき
運転手さんと普通に楽しくおしゃべりしていて(少なくとも私はそのつもりでいて)
降りるときになって
「お客さん、もしかして海外に住んでる人?」 と言われたことがあったこと。
(会話の中では「出身は鹿児島です」としか、言ってなかったのだが)
えっ、何でですか??? と驚いて聞いたら
ん〜、なんとなく雰囲気からそうかなあと思って...、とだけ。
雰囲気......
そう、この「雰囲気から」というのが、ミソなのだ。
たぶん自分では気付かないうちに、運転手さんとのおしゃべりの最中に
私がなにかズケズケとした物言いをしたか、配慮の足りないことをしたか
全くとんちんかんなことを口にしたか...
いずれにせよ、何かしでかしたのだと思う。
(今でも何をしでかしたのか、全く分かっていない)
自分ではコントロールできない、この「雰囲気」というやつ。
これは、そこに住む者同士が
日々同じ空気を吸い、その時市場に出回っている同じものを食べ
テレビで同じニュースを見て
同じ話題で言葉を交わし、盛り上がったり、はたまた心を痛めたり、、、
そうやって「その時」を共にすることで、自然と培われるものなのだと思う。
なのでそうした時間を共有しなかった者には、どうしたって醸し出せない「空気」みたいなものなのだと思う。
そうした「時間」を20年もの長いあいだ共有してこなかった私は、
完全なるアウトサイダー(外れ者)である。
それでも 故郷に 帰りたい。
家族が元気でいてくれている間は、どうしたって帰りたい。
そろそろ日本に居た年数より、アメリカにいる年数のほうが長くなりつつある私だが
それでも日本は自分のルーツなのである。
帰ると、つながってホッとする。
シアトルにいると殆ど話すことのない「かごんま弁」が
鹿児島空港に降り立った途端、スラスラと口から滑るように出て来る。
数年しゃべっていなくても、まるで昨日までしゃべっていたかのように出てくる。
そんな自分とつながると、理屈抜きに 嬉しい。
そして、「ああ、まだいたか...」と安堵する。
ちょっと考えてみる。これが逆のケースだったら?
例えば英語を数年話さない状況にあった自分がアメリカに戻るとする。
戻った時点で「すぐにスラスラ〜」といくだろうか? いかないと思うのだ。
それほど、母語というのは
自分の中に根深く生き続けている。
この夏は、是が非でも帰りたい。
そう強く思った時点(2月)で、既に大学の夏のスケジュールまで決まってしまっていたため(夏期講習を教えることになっていた)
帰国はどうやら9月ごろまで叶いそうにないのだが
どうにかして帰ろうと思っている。
夫はその頃はどうしてもバケーションが取れないので、今回は一人で帰らざるを得ないが
「行っておいで」と言ってくれるその言葉に甘えて、一人きりで帰省させてもらおうと思っている。
「クレイジー」だった今学期もやっと終わりが見えてきて、ようやく綿密な計画にとりかかる時間的余裕ができてきたところだ。
日本でドラマ制作のお仕事に携わっているお友達、floorさんが
ご自身の関わった作品
「母。わが子へ」 というドラマのDVDを先日わざわざ送ってきて下さった。
母親と息子がテーマの作品。
親としての視点から、そして子供としての視点から
どちらの立場からも「だから家族なんだよ」を温かく教えてくれるような、心に深く残る作品だった。
ドラマの中で母親役だった八千草薫さんの、こういうセリフがあった。
故郷ってね、人なのよ。
そう、会いたい人がいるところが、ふるさと。
会いたい人がいるから、帰ろうと思う。
何となく浮いてるんだなあ〜と感じても、帰りたいと思う。
今から何十年もの時間が経って、そうした人たちがみんな居なくなってしまったら
ふるさとに帰る理由は、なくなってしまうかもしれない。
もう帰れなくなってしまうかもしれない。
会いに帰りたいと思う人が、
まだ生きてこの世にいてくれている。
そのことを、決して「当たり前」とは思うまい。
まだこの世にいてくれている。
だから、帰ろう。
会いに帰ろう。