いたわり
僕は怒っているんだ
と夫が言った。
私にはその言葉が
「僕は悲しいんだ」に聞こえた。
我が家のすぐ隣には Botanical Gardenがある。
マンションの敷地内から直接出入りできるゲートがあり
そこをくぐり歩みを進めてゆくと
山奥のハイキングコースに迷い込んだかと思うような景色になる。
日曜の午後、ここを夫と二人で少し散歩した。
まだまだ風は冷たかったけれど
芽吹いてきた木々を見ると、春が確実に近づいてきているのを感じた。
子供の話しをしたのは しばらくぶりだった。
ここ数日息子のことはお互い敢えて口にしないようにしていた気がする。
私は夫をつらくさせてしまうだろうと危惧し
夫は私が悲しい気持ちを思い出すだろうと思っていたらしい。
マイナスイオンいっぱいのこの森の中を二人で歩いているときに、ふと
ヒザは大丈夫かな?と思って、私が
「大丈夫?」
と聞いた。
夫の返答は冒頭の
「僕は怒っているんだよ」
その言い方が「怒っている」という形容とは程遠い
あまりにも穏やかな言い方だったので
0.1秒ぐらいきょとんとした
そして
ああ、この人は傷ついているんだなと感じた。
男の人は気持ちを言葉にするのがヘタだ。
女性は思いを言語化し、それを共有することで
お互いを励ましたり慰めたり
ただ聞いてもらうことで安心感を得たりするものだが
男性は必ずしも心の内にあるものを
人と共有しようとは試みない気がする。
今回も息子のことでダメージを受けたのは私より
むしろ幼い頃からあの子を育ててきた夫だと思うのだが
本人はというと相変わらず朝からとんちんかんな歌を歌い
ぽよよんドラえもんオーラ満載で、普段と変わらない様子を保っていた。
私があまりにも参っていたので...
cheer upしようと思ってくれていたらしい。
私はそんな夫を見ていて
もう割り切れてしまえたのかなと感じたことも。
人の心に本当にあるものなんて
こうして夫婦であっても、分からなかったりするものだ。
自分のことさえ100%理解できなかったりするのに
ましてや他人を完全に理解することなんて
それは相手が大切な友達であっても、兄弟であっても、伴侶であっても、子供であっても
不可能だと感じる。
でも、たぶん完全に理解するよりも大切なことは
おそらくその人を
いたわる気持ち、愛する気持ち、信じる気持ち
なのかな?
「怒っているんだよ」と言われ
「そう...怒っているんだね」と答えた。
夫は何に怒っているのか、どういう気持ちでいたのかを私に少しだけ話した後
最後に
「But I am ok」と言った。
その後は
「空がきれいだね」とか
「この花、何だろうね?」とか言いながら、1時間近く歩いただろうか。
日が傾いてきたので
「そろそろ家帰って、ビールでも飲むか」となった。
相棒よ。
私はあなたのことは100%分かってあげられない(と思う)。
あなたもたぶん私のことは100%分からないと思う。
でもこうして並んで
いっしょに
これからも歩いて行こうよ。
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