夏期講習が始まってから、めまぐるしい毎日に逆戻り。
平日は仕事と家事で手一杯。
夫は相変わらず松葉杖の生活で、改めて日ごろどれだけ彼に家の事を頼っていたか
痛感している日々である。
相方のありがたさをしみじみ再確認したという意味では、
今回のケガは大きな意義があったかも? 苦笑
金曜の今日になって 久しぶりに日本のニュースをネットでチェックしてみた。
初めて知った、滋賀県大津市のいじめによる中学生の自殺事件。。。
読んでいて、
憤りを通りこして、恐ろしくなってきた。
弱者を攻撃する「いじめ」は、いつの時代もあったと思う。
でも私の子供時代、いじめはここまで残酷だったろうかと
しばらく考え込んでしまった。
私たちの時代は、いわゆる「不良」と呼ばれる生徒たちがいて
その子たちは服装から態度からして、明らかの「俺は他の子とは違うよ」と言わんばかりに
一線を画していて
そういう子たちによるいじめとか「カツアゲ」とか
そういうのは、確かにあった。
だが今は、一見すると「普通」のカテゴリーに入る子供たちが
よってたかって、とことん一人を痛めつける。
陰湿に、執拗に
最後は相手を死に追いやるまで。。。
そういう種の「いじめ」が、昔にあっただろうか。
田舎育ちの私が、知らなかっただけか?
この加害者の男子生徒たちも、生まれたときは何の悪意も持たない
ただの無垢な赤ん坊だったはず。真っ白だったはず。
その真っ白な赤ん坊たちが、その後たったの13年生きて
今では人の痛みも感じられないモンスターに変貌。。。
その原因はどこにあるのだろう??
私はその辺が、全く不可解。
幼な子から育てた経験が無いため、理解できないのだろか。
例えばマイケルは、初めて会ったときに14歳だった。
挨拶はできない、食事のマナーもなってない、
好き嫌いが激しく食べ物をすぐ残す。すぐ捨てる。
時間を守れない、約束も守れない。
物を大切にしない。勉強なんて全くしない。
自分では何もしないのに、父親に対して文句ばかり言う。
という状態だったが
"Hi" と初めて視線を交わしたとき、
「あ、澄んだ目をしている。目が綺麗な子だな」と思った。
甘ったれでどうしようもなかったが
マイケルが 誰か他の子を痛めつけて平気でいられるなんて、想像すらできない。
彼が17歳ぐらいの時だったろうか。
私が何かの一件で彼を叱っているとき、情けなくて不覚にも涙があふれてきたことがある。
いきなり私が泣き出したので、ビックリしたのだろう。
マイケルは座っていたダイニングテーブルのイスから 飛び上がるように立ち上がって
オロオロした様子でかけよってきて、私をハグした。
父親には大きな口を叩くティーンエイジャーだったが、
人の痛みを感じる心は もっている子だった。
それって、特別な能力などではなく
人間として 色んな人と出会って関わって
さまざまな思いを経験して成長してゆけば
誰でもが自然と得とくする感覚だと思っていた。
そうではないのだろうか。
自分のイヤなところ、弱さ、限界がすでに見えてしまっているうちらおばちゃん世代と違って
まだ、13歳
まだ、子供ながらの楽観や夢や
根拠のない自信や
純粋に自分を好きだと思える気持ちを、持ってるはずの時代に
他者をとことん痛めつけて、傷つけようという意思を持つ。
そのへんの心理が、私には全く理解できない。
全くわからなくて、、、わからないから恐ろしい思いでいっぱいだ。
この一件は、氷山の一角なのかもしれない。
もしもこんな冷酷な 無機質な13歳が、今ちまたにあふれているのだとしたら
この子たちが大人になるころ、
日本はどうなってしまうのだろうか。
親がどんなにがんばっても
子供をまっすぐに育てることが、非常に難しい時代になってきたのかもしれない。
でも、どうしてそうなってしまったのかな。。。
日本を離れて20年ちかく経つ私には
見えてない事がたくさんあるのかもしれない。