ハワイ

レニア

2011年08月29日 18:03

久しぶりに、溜まりに溜まった写真の整理など
してみたら

懐かしい、海の色。。。



13年暮らした、ハワイの写真が
わんさか出て来た。



どこも思い出の場所。


考え事があるときは
ケワロ湾沿いの、この防波堤に座って
ポーッと海を眺めたりしてたっけ...


ワイキキのほうを向くと
ポストカードにあるような、こんな風景が、、、



私が勤めていた大学は、ダイヤモンドヘッドのすぐ麓にあって
キャンパスには、4月ごろから
シャワーツリーが咲き乱れ、それはそれはきれいだった。


駐車場の、いつも決まった場所に車を停めると
目の前に 大好きなこの木が立っていた


どんな状態で朝を迎えても
仕事だけは8年
一日も休まずに行った。

学校について車を降り
この木を見上げると

だいじょうぶ、最悪のときは 
いつか必ず終わる


と、不思議と思えて
元気がでたものだった。

私といっしょに走ってくれた、このチビTOYOTAは↓
シアトルにも連れてきた。

今も変わらず 私といっしょに走ってくれている。



ハワイで教えた 中級の学生たち(2007年、秋学期)


学生は、ハワイもシアトルも変わらない。

この笑顔に会いたくて
がんばって仕事に行き
この笑顔に救われて
色んなこと、乗り越えてこられたのだと思う。



外国語学科があったビルから見えた景色。。。うわ〜、懐かしい。


毎週日曜になるとでかけた
マノアの朝市


その野菜を持ち帰って料理した
ボロアパートのキッチン、、、(築40年以上でした)


ハワイはバケーションでやってくるには最高の場所だが
ここで生活してゆくのは、容易なことではない。


とにかく物価が高い
その割には、給料が安い。
所詮は、島。
企業が少ない。
つまりはラクに食べていけるほど稼げるような
仕事がないのだ。

私はたまたま教職だったので、まだマシだったが
友人のほとんどは夫婦共働きで
それでもやっていけず本土へ移住する人が後を絶たなかった。。。

このボロアパート↓にしたって 1ベッドルームの狭〜い所だったけど
(しかもシロアリとゴキちゃんには泣かされました 笑)

同じ家賃を払えば、今シアトルで住んでいる地域なら
2ベッドルームで、しかもずっと新しく綺麗な所が借りられる。

(そういや、シアトルに来てからゴキちゃんに一度もお目にかかっていない、、、冬が寒いからかなあ)




現実は決して、生易しくない
そんなハワイで
私はそれでもがんばった。

今振り返っても、
苦しいことや辛いことのほうが多くて
ハワイでの暮らしは、決して

「パラダイス」

ではなかったのに

どうしてだろう。。。


そもそも、ハワイに来たのも
たまたま勉強したい学部がハワイ大学にあったからで
卒業したらすぐに島を去る気でいたのだけれど


やっぱり、究極は
仕事かな。
やりたい仕事に就くことができたこと。
これは本当にラッキーだった。

そして、辛いときを共有し、励まし合った
たくさんの友人がいたこと。。。



私の中の「ハワイ」は

青い海でも
まぶしい太陽でも
咲き乱れる、トロピカルな花々でもなく

出会った大切な人たちと「共にした時間」なのかもしれない。



長年見慣れた
アパートのラナイ(バルコニー)からの風景



もしも夫に出会っていなかったら
今日も、私は
この風景をひとり見ていたかもしれない。

人生って
不思議。



どこもかしこも原色の
まぶしい島、ハワイ。

美しい島、ハワイ。。。


シアトルに家族ができて、
ここが私の帰る場所になったからだろう。
もうハワイに住みたいとは思わないのだけれど
まだ数人残っている、長年の友に会いに
今度はバケーションで、訪れてみたいなあ...