She is now...

レニア

2011年02月15日 19:08

She is now in the better place.
Free from all the pains and sufferings.
And now, she is with your grandpa...
I know exactly what you are going through right now.
I love you, and I am always here for you. Please hang in there...


夫はそう言って私を固く抱きしめて、仕事に行った。1時間ほど前だ。


アメリカは今日がバレンタインデー。

故郷に一週間滞在し、私は今朝10時にシアトルへ戻った。
仕事から直行で空港に迎えにきてくれた夫は、まだユニフォームを着たまま
手にはバラの花束を抱えていた。
久しぶりに相方の顔を見てホッとしたのか、私は空港で彼を見つけた時
ちょっと涙が出た。


その12時間後に、祖母が亡くなったと
母から連絡が入った。。。


鹿児島に滞在した7日間のあいだ、ほとんど毎日川内の祖母の病院まで足を運んだ。
到着して駆けつけた日には、

「おばあちゃん、ただいま。」

と話しかけたら、祖母はうっすらと目を開けて
一筋の涙を流した。
ほとんど意識のない状態だったが、私が帰ってきたことが絶対分かったのだと叔母たちは言った。

でもそうやって僅かながらも反応を見せてくれたのはその日だけで、その後はずっと目も開けてくれず。。。
様々な機械につながれて、見ているのも痛々しいような状態だった。
昏睡状態になる前、まだ少しは言葉もしゃべれた時
ある日祖母が

「さっき、Y子ちゃん(私)が来たよ...」と

突然言ったことがあったそうだ。

その話を叔母たちから聞いた時は
涙が止まらなかった。


鹿児島中央駅から新幹線に乗り、何度も何度も川内川沿いにある祖母のいる病院へ通った。
行きつ戻りつしながらも頑張っている祖母を見て、できることならまだまだ側にいたかった。
でも仕事をこれ以上休むわけにはいかず、やむなく今朝シアトルへ戻った。

相方の優しさに癒されてホッとしたのもつかの間
祖母がとうとう逝ってしまったという辛い現実を
今夜、突きつけられることに。


夫が言ってくれたように
祖母はようやく全ての苦しみから解放されて、今ごろは祖父との再会を喜んでいることだろう。
そうであってほしいと
願って止まない。

永田ミネ、92歳
5人の子供と、12人の孫を
いつもいっぱいの愛情で支え、教え、いたわり
たくさんの思い出を残して逝った、一人の誇り高き薩摩おごじょ。

私にとってはとりわけ
特別に、大切な女性だった。

これを書いている今も、涙があとからあとから流れてくる。


明日、学生の前で果たして笑って授業ができるか、、、
かなり不安だ。



病院に泊まりこんだ翌日の朝、川内川の堤防を少しだけ散歩した時に撮った一枚。
中2まで過ごしたこの町。
懐かしい風景に心を慰められ、辛い現実から逃れられたひと時だった。