お姑さんの名前は、
ジャネット。
明るくて働き者で、歌が大好き。
よくキッチンで料理しながら、ベッド・ミドラーの
「ザ・ローズ」を口ずさんでいた。
彼女は生まれ育った家も貧しく、嫁いだ先も決して裕福ではなく
それでも困っている親兄弟にいつも手を差し伸べ、いつも助け
家族みんなの太陽みたいな存在だったそう。
私は彼女を勝手に「
ジャネットお母さん」と呼ばせてもらっている。
...が
お会いしたことは一度もない。
なぜなら、ジャネットお母さんは今から21年前に
45歳の若さでこの世を去ったからだ。
5人兄弟の末っ子である夫は
当時まだ18歳だった。
ガンだったそうだ。
ひどい頭痛を訴えながらも、病院にも行かず働いて、働いて、働いて
家でも外でも家族のために朝から晩まで働いて
ガンに気づいた時にはすでに末期だった。
数ヶ月のうちにあっという間に逝ってしまったという。。。
その時のショック、喪失感、絶望を、夫は20年以上経った今でも鮮明に覚えているそうだ。
臨終のとき、駆けつけた親類縁者たちが病院のベッドを囲んで泣き崩れる中
18歳の彼は状況をうまく受け入れることができず、
悲しいというよりは「恐ろしく」て
母親が静かに横たわる枕元に、近づくことさえできなかったという。
18歳で母親を失うという、事実。
それが一体どういう気持ちか、夫には申し訳ないが
私には想像すらできない。
「嫁と姑のバトル!!」なんて、ドラマになったりもする。
それこそ同居なんてした日には、お嫁さんとお姑さん、お互い家をやりくりする主婦としてのプライドや独自のやり方もあったりして、衝突することしきりだろう。
同居こそしていなくても、こっちの人と結婚してシアトルに住む友人の中には、実際アメリカ人のお姑さん相手に意思疎通がうまくいかず苦労している友達もいる。
でも私は、やっぱりお会いして、色んな話を聞きたかったな。
彼女は彼の母親、私は彼の妻。
そんな女同士ならではの話もいっぱい、してみたかった。
今日はそんなジャネットお母さんのお墓参りに行く予定だった。
のだが、、、
目が覚めたらなんと雪がふっていた!!
うげ〜〜、なにもこのタイミングで降らなくてもぉ〜〜
すでに3インチぐらい積もっていたので、夫と話合ってお墓参りは後日に延期することに。
シンシン雪の降り続く外を眺めながら
ジャネットお母さん、寒いだろな〜 なんて思ってた。
いっぽう私のお舅さん、つまり夫のお父さんも
2007年に病気で亡くなった。
なので相方はすでに両親とも亡くしてしまったことになる。
そのせいか、彼は鹿児島にいる私の両親をとても大切に思ってくれる。(言葉もろくに通じないのだが)
とりわけ私の母が大好きで、「ママさん、ママさん」と言って、慕っている。
ふたりで時々携帯メールのやり取りなんかしていたり。。。(日本語訳を手伝わされる私としてはちょっと面倒なのですが 苦笑)
21年ぶりに手にした「母」という存在に、とても嬉しそうな夫。
私だって自分がもう「おばちゃん」と言われる年なのに
それでも母はやっぱり母だ。
いなくなってしまう日なんて、考えられないし考えたくもない。
そういう母性を求める気持ちって、国籍、年齢に関係なく誰もが深いところから欲するものなのかもなあ、、、と思う。
雪が止んだら
ジャネットお母さんが好きだったというバラの花を持って、会いに行こう。
今年も私たちを見守ってくれて
本当にありがとうございました。