かなしい夢をみた。
...という書き出しで、大昔に作文を書いたことがある。
高校2年生の時だ。
母が私のことを忘れるという夢をみた。
目が覚めたあとも、背中にズズーッ...と寒いものが走るほど
夢の光景は鮮明で、リアルだった。
30年近く経った今でも覚えているほどだ。
今朝も、夢をみた。
かなしい夢ではなかった。
でも目覚めた時、どちらが現実か?と
混乱するぐらい
非常にリアルな夢だった。
夢の中で、私は大海原をみおろす浜辺に立っていた。
180度、グルーッと見渡すかぎり、海だった。
その水は透明ではなく
緑がかった、
なんとも言えない穏やかな青をたたえており
雲が立ちこめた空からは、光の帯がいくつも下りていた。
そして海原の水面には
おびただしい数の
クジラ、クジラ、クジラ...!!!
ものすごい数だった。
巨体のクジラたちが、跳ねたり飛んだり、、、
共に、一緒にいるのが嬉しくてたまらないといった様子で
戯れて遊んでいるように見えた。
私はその光景を目にしながら、ゆっくり水際まで下りていき
水に足を浸してみた。
その温度を、今でも体感出来るほどリアルに覚えている。
温かかった。
「わぁ...温かいね」
ふいに私は、誰かに向かって言葉を発した。
見るととなりに女の子が立っている。どうやら彼女に向かって話しかけたらしい。
顔を見て、「あ、テイラーさんだ」と思った。
私の学生だ。
でも実生活では18歳の彼女は、私の夢のなかでは10歳にも満たない女の子だった。
「さっきまで○○クジラがいたけど、(私が)来るのが遅かったから見逃しちゃったよ」
と彼女は言った。
(この「○○」が何なのかは覚えていない)
そうなの
と答えながら、私は心のなかで
「でもまた会えるから大丈夫」と知っていた。
...そして目が覚めた。
ベッドのなかで一瞬、「ここはどこだろう?」と思った。
私の顔のすぐ横で、すやすやと眠るネコのキキの耳が視界に入る。それで自分がどこにいるかを認識した。
夢だったんだ。。。。
たった今あとにしてきた、あの優しい青緑の海原に、踊るクジラたちの光景が
まだ、ありありと脳裏にあって
もしも私が画家だったらすぐにそれをキャンバスに映したことだろう。
夢は、いつもどちらかというと覚えているほうだが、、、
今朝の夢は「夢か?」と疑うほどあまりにも鮮明で
夢は、自分の潜在意識、またはハイヤーセルフから
または、
もっと上の存在からのメッセージだったりすると
何かで読んだことがあるけれど
夢分析とかは全くわからないし、自分では出来ないので
祝日の朝、仕事へ行かなくてもいいことを幸いに
とりあえず「クジラの夢」でググってみた。
そしたらこんなサイトに遭遇。
http://www.geocities.jp/dreamusic7/
夢なんて、漠然と見ていて
たとえ覚えていても
「へんな夢みちゃったなー」 とか
「いい夢だったな〜、夢で残念!」 とか
そんなレベルで終わっていたのに
ひとつひとつのキーワードにここまで複雑な意味があるとは、、、
世の中には様々な事を知っている人がいるのだなあ。
その豊富な知識に、自宅のデスクに座ってコーヒー飲みながら瞬時にアクセスできるなんて
すごい時代になったものだ。
さてブラック・フライデー(感謝祭明けの金曜日)の今日
出来ることなら外出したくなかったのだが
この連休中に済ませなければならない諸用が溜まりに溜まっていたので
午後から仕方なく外出
街中の店は既にクリスマス色に包まれていた。
うちは未だツリーを出していないが
こうして店頭に並べられたオーナメントを見ると訳も無くウキウキしてしまうのは
自分の中にまだ「子供の私」が生き残っている証かなと、思ったりもして
普段はあまり繋がる機会がないけれど、
それでも、ずっと居てほしいなあと思ったりもして
そんなことを考えながら、キラキラしたものが溢れるモールの中を歩いていたらふと思った。
悲しい母の夢を見た17歳の私と
クジラの夢を見た今朝の私と
ひとつ、共通点があるとしたら
自分から迷子になりかけていたことかもしれないなあ...と
体の外で起こる事象のめまぐるしさに心が占領されて
自分の内側と繋がる機会など持てず
どうすればそれが上手く出来るのかも、よく分からなくて
もしかしたらそんな私に
「自分の中心に戻っておいで...」
と、内側からなにかが語りかけているのかもしれない。
青緑色の海を、楽しそうに踊るクジラを見ていた私は
「欠けているものなど、なにもない」 という確信に満ちた一体感で
自分の軸と共にあったような気がする
だからあれほどリアルに感じられた。
普段、肉体レベルで感知できる表層意識のみをもって
自分がじつは何者であるかをきちんと把握していて、毎日を生きている人なんて
どれぐらいいるのだろうか...?
憧れるけど、
私にはおそらくムリ。
だが、そんな私でも
深いレベルでは己が何者かをきちんと把握していて
その、深いレベルでの自分が
繋がろうとしてくる
夢は、そのために大きな役割を担うのかもしれない。
「自分が実は何を考えて生きているのか」なんて、他人のことより分からない
ましてや、自分が何者かなんて
たぶん最期の日までわからない。
でも、それを探求するのを完全に放棄して
人生を真摯に生きることなんて出来ない気がする。
クジラを眺めていた私は、純粋に「ひとつ」感があって、
安心していた。
あの感覚を起きている間に持ち続けるのは難しい。
でもなにか離れてるなと感じたら、
あの大海原のクジラの光景を、思い描こう。
皆さんは、今夜どんな夢をご覧になるだろうか。
そしてそれは何を語りかけてきただろうか。